風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

楽書き雑記「高知県東部の旅『北川村 モネの庭・マルモッタン』①」

 

卒業した高知市にある高校の同窓会総会に出席したあと妹夫婦らと落ち合い、2組の夫婦で高知県東部の北川村と室戸市を旅してきました。

北川村では「北川村 モネの庭 マルモッタン」、室戸市では室戸岬や弘法大師(空海)ゆかりの地などを回るコース。まずモネの庭から――。

このモネの庭が誕生して来年で20年。では、なぜ高知の山村に?
ご存じの方が多いかもしれませんが、ふるさと高知への思いもあって北川村の公式ホームページなどから振り返っておきます。

1990年代に入り、深刻化した地方の過疎化と高齢化。北川村も例外ではなく、さまざまな歯止め策を模索しました。
まず目指した特産の柚子でワインをつくる計画は、ワイナリーを誘致できずに断念、発想を180度転換して打ち出したのがフラワーガーデン構想でした。

96年、村の担当者が何のつてもないままフランス・ジベルニーにあるモネの庭へ。
庭の責任者を皮切りにクロード・モネ財団のトップ、さらにモネ作品の殿堂でもあるパリのオルセー美術館の主任学芸員らにも次々会って、北川村のガーデン構想を熱っぽくぶっつけ、協力を訴えました。

北川村は倒幕の志士のひとりで、陸援隊長だった中岡慎太郎を生んだ村。「アポなし」でぶつかっていった担当者の行動は、中岡に通じるものがあったのではないでしょうか。

この熱意が通じたのでしょう。

クロード・モネ財団は「モネの庭」の名称を国外で初めて使うことを認め、スイレン栽培のイロハから庭づくりの監修まで、北川村に足を運んで指導。互いの交流を深めました。
こうしてちょうど2000年。「北川村 モネの庭 マルモッタン」が誕生したのです。

北川村と隣接する馬路村(うまじむら)では、88年に過疎対策として柚子ジュース「ごっくん馬路村」を売り出し、ポン酢しょうゆなどたちまち全国に知られるブランド品に成長させました。相次ぐ大ヒットに「さすが土佐。進取の気性と物怖じしない行動力はすごい」と、ふるさと高知の取り組みを喜んだものです。

前置きが長くなりましたが、北川村のモネの庭を訪れたのは2回目。フランス・ジベルニーのモネの庭も訪ねました。ジベルニーの庭にあるモネの住まいやアトリエが北川村には無いのは致し方ないとして、2つの庭は素敵な姉妹です。

モネの庭は「水の庭」「光の庭」「花の庭」の3つからなります。まずは印象画の巨匠モネが愛し、数多くの名作を生んだスイレンの池のある水の庭から散策します。

スイレンの池。ジベルニーからも贈られたという赤や白いスイレンが咲き、水面に映り、風に揺らぎます。モネが描いていたフランス北部のジベルニーでは青いスイレンは咲かせることができなかったそうですが、北川村では6月末から10月末まで見ることができるそうです。

開園から20年近く。周辺の木々も大きくなって池を包みます。

池の奥にある小さな緑の太鼓橋。僕はジベルニーでもそうだったように橋の上に佇み、モネが白内障のためほとんど見えなくなった目で水面を見つめて描いた作品を思い起こしました。

僕はジベルニーでも、前回の北川村でも「この風景はぜひ描いてみたい」と意気込んだものです。でも、とても作品にはできませんでした。
今回もどうなりますやら・・・。
明日は残る2つの「花の庭」と「光の庭」を中心に掲載します。

 


 


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