風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

楽書き雑記「90年前の『日米親善人形外交』を振り返る=名古屋で『青い目の人形と答礼人形 里帰り展』

 里帰りした答礼人形の市松人形「ミス愛知」。当時の一般的な市松人形の倍近い大きさである約80㎝。

正座することもできる

日米間の関係悪化を「人形の親善大使」が改善してくれれば――。
90年前の昭和初期、日米両国の市民レベルで試みられた「人形外交」を振り返る「青い目の人形と答礼人形 里帰り展」を、名古屋市博物館で見てきました。日本から贈った人形のうちの1体「ミス愛知」も展示されています。

関係悪化を食い止めることはできませんでしたが、国民レベルの親善交流の大切さを知らされます。展覧会は9月10日(日)まで。

人形外交は昭和2年(1927年)、米国人宣教師で同志社大や京都帝大の教壇にも立ったシドニー・ルイス・ギューリック博士が、人形を贈ることで両国民が互いを知り、友情が深まれば、と考えたのが発端でした。

米国内で子どもや母親たちに募金を呼びかけ、集まった約1万2000体の人形を日本のひな祭りに合わせて贈りました。
学校や幼稚園に配布された人形にはそれぞれ名前が付いており、手作りの人形や着せ替えの服、送り主の手紙が添えられるなど、国民の友情や平和への思いが込められていたといいます。

「青い目の人形」のプレゼントに、日本側も澁澤榮一が中心になって募金活動を展開。道府県や東京、大阪、名古屋などから合わせて58体の答礼人形が、クリスマスプレゼントとして米国へ贈られました。
答礼人形はかなり豪華な市松人形。それぞれ自治体の名前がついており、愛知県の人形には「ミス愛知」と名付けられていました。

しかし、こうした「人形大使」による親善外交の努力もむなしく、昭和16年(1941年)には日米間の戦争が勃発。日本国内の青い目の人形は「敵国人形」「スパイ人形」としてほとんどが処分されました。

全国に贈られた青い目の人形1万1973体のうち、これまでに見つかったのは337体。
愛知県には314体が配布され、見つかっているのは他県に贈られて、愛知県内で個人蔵になっている1体を合わせて計10体があるだけです。

一方、日本から米国に贈った答礼人形は戦後、多くが里帰り。行方不明になっていた「ミス愛知」も2010年、米国の日本人形研究家の手元にあることが分かり、今回の展覧会に合わせて借りることができました。
「ミス名古屋」も米国ジョージア州アトランタ市の歴史センターにあることが分かっていますが、今回展では借りることができなかったそうです。

展覧会は、愛知県内の有志たちでつくる「答礼人形を里帰りさせる会」の主催。この夏、豊川市を皮切りに一宮市、岡崎市を回り、今回の名古屋が最後の開催です。
展示されているのは、「ミス愛知」のほか、愛知県内の青い目の人形10体、それにギューリック博士の孫である「ギューリックⅢ世」夫妻が祖父の遺志をついで日本全国の学校などへ贈っている「新青い目の人形」約300体のうち愛知県内の10体です。

上の人形は、いずれも愛知県内に現存する青い目の人形です

 

ギューリックⅢ世夫妻から今年3月、新城市東陽小学校へ贈られた

新青い目の人形「タミー」

 

「ミス名古屋」。着物には名古屋の市章「マル八」が

 

 

 


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