復元工事が進められていた名古屋城の本丸御殿が完成、さっそく見学してきました。
10年の歳月をかけて蘇らせた御殿。現代の匠たちの建築技術や美術・工芸品の模写・復元技術などのすごさに、畏敬の念さえ覚えました。
本丸御殿は1615年(慶長20年)、徳川家康の命で天守閣とともに建造。権力と贅をつくした総面積3100㎡、13棟の書院造は、1930年(昭和5年)に国宝に指定されましたが、大戦末期の大空襲で天守閣もろとも焼失しました。
本丸御殿の復元は残っていた写真や文献などの資料や史料を基に、2009年(平成21年)に着手。13年に第一期工事の表書院など、16年には第二期工事の対面所などが完成、それぞれ公開しており、3期工事の上洛殿、湯殿書院の完成で、総工費150億円をかけたという復元工事全体が終わったわけです。
大きな木曽ヒノキの白木が使われた柱や桁、部屋ごとに黒漆や金箔で趣向をこらした天井、御殿の格の高さを示すためにふんだんに使われた飾り金具、スギ板を重ね合わせた杮(こけら)葺きの屋根・・・。
全国から集まった宮大工や伝統工芸職人ら、様々な分野の匠たちによって復元された部屋は目を見張るばかりです。
余談ですが、建築のイロハも分からない僕は、復元工事中の現場を見学した際、たくさんの資材とともに布団が山積みされているのを見て「作業員もここに泊まり込んでの突貫工事ですか」と質問。案内者から「いいえ、柱などが傷つかないように布団を巻いて運びます」と説明され、赤面したのを思い出します。
全ての部屋を飾る虎や花鳥図が描かれた障壁画。幸い、多くの障壁画が大空襲の直前、城内にあった陸軍の乃木倉庫に避難させてあったので、国内の大学では摸写の先駆的な役割を果たしている愛知県立芸術大学などの協力で見事に復元模写することができ、400年前の創建時の色彩が蘇っています。
復元工事の最後となった上洛殿や湯殿書院は一番奥にあって、江戸幕府の将軍が京都へ上洛する際の名古屋での宿泊施設。
いわば将軍のくつろぎの部屋だけに、これまでに公開された表書院や対面所など以上の豪華さの中にも、落ち着きを感じます。
名古屋城では本丸御殿の復元完了に続いて、戦後にコンクリートで再建された天守閣を取り壊し、新たに木造での再建工事が始まったばかり。すでに天守閣への入場を禁止しており、504億円をかけ2022年末までに完成させる計画です。
掲載した写真は、今回完成した上洛殿と湯殿書院だけにしました。
中は蒸し風呂。いわばサウナです。