民主党の小沢幹事長の政治資金問題は大きく化けそうである。秘書たちは単に政治資金規正法の虚偽記載の微罪で終わるだろうが、小沢の場合はそうはいかない。なんといっても本人である。四億円の出所を証明しなくてはならないし、嘘をつき通すこともできないだろうから話せば話すほど巨額の資金の動きが暴かれることになるだろう。脱税はもちろん贈収賄まで発展する可能性があると思う。
小沢が師事したのは田中角栄である。田中はご存知のように金権政治の巨頭であった。政治で金を集め、政治に金をばら撒いた。小沢も忠実にそれに習った後継者なのだろう。
友人がいみじくも「人はその得意分野で敗れる」と言った。
この問題は小沢にとっても、民主党にとってもボディブローのように効いてくるに違いない。
政治と金の問題。いつまでたっても尽きることがない。
こうした問題が起こるたびに、アホな評論家からおかしな理屈が飛び出すことがある。「清廉潔白な無能の人とそうではないが有能な人のどちらを国民は選ぶのか」という言い草だ。まずその二者択一しかないという貧困な発想が責められるべきだが、当然の如く「清廉潔白な有能な人」もいるし、「悪徳でかつ無能な人」もいる。
ただ問題は、政治の世界で頭角を現すのに金が大きくものをいうようにしたのが田中角栄だった。それがいつしか金があれば派閥の長になれ、有能な人のように国民が誤解するようになったことである。前総理を見れば分かるだろう。漢字の読みや記憶違い、歴史からの学習能力ゼロの無能の人そのものではなかったか。
選挙に金がかかるのではなく、政治に金がかかったのだ。その悪習を止めることができれば必ず清廉潔白な有能な人が浮上してくるはずである。
二大政党政治というのはいったい誰が言ったのか。国民の選択肢がたった二つしかない単純な思想しかないと誰が言ったのか。結局、落選の恐怖から主義主張を後回しにした烏合集団のふたつが出来ただけじゃないか。
今回の総選挙のように民主党にあらずんば政党にあらずのような単純な結果になるのは怖い。できれば国民の考えの割合に従った幾つかの政党に別れて拮抗する形が望ましい。一党独裁にならず、時には政権維持のために少数の党の主張も入れつつ連立を組み。世論の動きによって別の連立が選択されるというのが成熟した政治形態ではないかと思うのだ。
51%が政治を牛耳り、49%の民意が捨てられるという選挙制度はやはり乱暴と言わざるを得ない。
政治の基本的なスタンスはとても大事だと思う。大きな政府で行くか、小さな政府で行くか、これがまず大きなポイントだろう。
大きな政府というのは公務員が多いというのではない。高福祉・高負担という北欧の国々に見られるような政策である。税金も高く、消費税も高率になるが、そのかわり失業したり障害をもったりすれば国の負担でさまざまなサービスを受けることができる。
一方小さな政府は、規制をできるだけ無くし、自由競争を推し進める弱肉強食を容認するアメリカのような政府である。税率は安く、成功すれば巨億のお金を手にすることができる。そのかわり失業しても手厚いサービスは望めない。障害を負っても福祉サービスはない。健康保険もなく病院にかかれば多額の治療費を請求される。
若い人たちは健康で力が漲っているから病気にもならない。勝ち抜いていく自信に溢れているから規制を受けない自由競争を歓迎するだろう。彼らが選ぶのはきっと小さな政府だ。
しかし、人は常に健康であるとは限らない。不慮の事故や災害に出遭うことがある。障害を持つこともあれば、年を取って身体の自由がきかなくなることもある。誰でも必ず至る道とも言えるのだが、そう思う彼らが選ぶのは大きな政府だろう。自分たちが落ちこぼれたときに救いの手を差し伸べてくれる政府である。
せめて二大政党がこのふたつの政策に分かれてくれると、まだ国民も選択しやすいと考えるのだが。
小沢が師事したのは田中角栄である。田中はご存知のように金権政治の巨頭であった。政治で金を集め、政治に金をばら撒いた。小沢も忠実にそれに習った後継者なのだろう。
友人がいみじくも「人はその得意分野で敗れる」と言った。
この問題は小沢にとっても、民主党にとってもボディブローのように効いてくるに違いない。
政治と金の問題。いつまでたっても尽きることがない。
こうした問題が起こるたびに、アホな評論家からおかしな理屈が飛び出すことがある。「清廉潔白な無能の人とそうではないが有能な人のどちらを国民は選ぶのか」という言い草だ。まずその二者択一しかないという貧困な発想が責められるべきだが、当然の如く「清廉潔白な有能な人」もいるし、「悪徳でかつ無能な人」もいる。
ただ問題は、政治の世界で頭角を現すのに金が大きくものをいうようにしたのが田中角栄だった。それがいつしか金があれば派閥の長になれ、有能な人のように国民が誤解するようになったことである。前総理を見れば分かるだろう。漢字の読みや記憶違い、歴史からの学習能力ゼロの無能の人そのものではなかったか。
選挙に金がかかるのではなく、政治に金がかかったのだ。その悪習を止めることができれば必ず清廉潔白な有能な人が浮上してくるはずである。
二大政党政治というのはいったい誰が言ったのか。国民の選択肢がたった二つしかない単純な思想しかないと誰が言ったのか。結局、落選の恐怖から主義主張を後回しにした烏合集団のふたつが出来ただけじゃないか。
今回の総選挙のように民主党にあらずんば政党にあらずのような単純な結果になるのは怖い。できれば国民の考えの割合に従った幾つかの政党に別れて拮抗する形が望ましい。一党独裁にならず、時には政権維持のために少数の党の主張も入れつつ連立を組み。世論の動きによって別の連立が選択されるというのが成熟した政治形態ではないかと思うのだ。
51%が政治を牛耳り、49%の民意が捨てられるという選挙制度はやはり乱暴と言わざるを得ない。
政治の基本的なスタンスはとても大事だと思う。大きな政府で行くか、小さな政府で行くか、これがまず大きなポイントだろう。
大きな政府というのは公務員が多いというのではない。高福祉・高負担という北欧の国々に見られるような政策である。税金も高く、消費税も高率になるが、そのかわり失業したり障害をもったりすれば国の負担でさまざまなサービスを受けることができる。
一方小さな政府は、規制をできるだけ無くし、自由競争を推し進める弱肉強食を容認するアメリカのような政府である。税率は安く、成功すれば巨億のお金を手にすることができる。そのかわり失業しても手厚いサービスは望めない。障害を負っても福祉サービスはない。健康保険もなく病院にかかれば多額の治療費を請求される。
若い人たちは健康で力が漲っているから病気にもならない。勝ち抜いていく自信に溢れているから規制を受けない自由競争を歓迎するだろう。彼らが選ぶのはきっと小さな政府だ。
しかし、人は常に健康であるとは限らない。不慮の事故や災害に出遭うことがある。障害を持つこともあれば、年を取って身体の自由がきかなくなることもある。誰でも必ず至る道とも言えるのだが、そう思う彼らが選ぶのは大きな政府だろう。自分たちが落ちこぼれたときに救いの手を差し伸べてくれる政府である。
せめて二大政党がこのふたつの政策に分かれてくれると、まだ国民も選択しやすいと考えるのだが。
競馬だけの別ブログをトラックバックしてあるので良かったらそれも見てください。
人気による組み合わせ馬券もアプローチのひとつでしょう。高校時代の友人に泌尿器科の医者がいますが、彼は医局時代に教授に教えられてタカモト理論の信者です。それもひとつの楽しみ方でしょう。
わたしはせっかく個性を持った馬たちが走っているのだから、それを楽しんで推理していきたいと思います。
それが、1番人気ー5番人気、1番人気ー6番人気、2番人気ー3番人気でした。 前述の人気は、案外、絡む確立も高く配当も良かったせいだと思われます。
たまたま、1年間はそうだったのかもしれませんから、なんとも言えませんし、競馬を推理する楽しさが失われてしまうので、ホントに何が入るかわからない場合の参考値にしかしていません。 やっぱり、自分で推理して当たった時の満足感が一番だと思います。
何かの本に書いてありましたが、競馬人口が数百万人と言われていますが、競馬の賭けで食っている人は、ほんの100人前後ということでした。 やはり、少なくとも厩舎情報にも精通していないと、無理なのかもです。
小泉三位一体改革がその仕上げでとうとう日本はアメリカの新自由主義の支店になってしまった。
近年の拝金主義はその付随物ではないか。IT長者がわがもの顔で闊歩していた。
昔、銭金を言うのは恥だった。恥の文化に戻れとは言わないが、大金持ちには少し後ろめたさを忘れないで欲しい。
首相になっても、あまりにも小沢幹事長に頼ってきたことが、その発言になってしまっているような気がする。 鳩山首相もいつまでもつのやら・・・ 一昨年ぐらい前、「国家の品格」という本を読んだ。 その時は、なるほど!と思ったが、時期が経つににつれ、記憶が遠のいていく。 記憶にあるのは、今の日本が、アメリカ型の市場原理主義に傾いていったことによる、日本の良さ(わび、さび、武士道、文化)といったものが失われていっているということ。 日本の政治家にも言えるような気がする。 昨年のリーマンショックでも明らかなように、市場原理主義の欠点を補い、経済を立て直して欲しい。