≪漢字について その1≫
(2021年2月28日投稿)
以前、冨田健次先生の著作『フォーの国のことば―ベトナムを学び、ベトナムに学ぶ』(春風社、2013年)を紹介した際に、漢字について考えてみた。
その時の記事に加筆して、漢字をテーマとして、再録してみた。
参考文献にリンクを貼っておいたので、参考にしていただきたい。
【冨田健次『フォーの国のことば』春風社はこちらから】
フォーの国のことば: ベトナムを学び、ベトナムに学ぶ
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
まず、魚偏の漢字について述べてみたい。
中国人は、本来、淡水魚の魚が身近であったといわれる。そのことは、フグを「河豚」とも書くことにもよく表れているように思われる。この点の経緯については、江戸家魚八『魚へん漢字講座』(新潮文庫、2004年)に次のような説明がある。「その由来は中国の河川の中流域にまでメフグが棲んでいたことから「河の豚」=フグとなったとのことです。」とある(江戸家魚八『魚へん漢字講座』新潮文庫、2004年、119頁)。
また、弱い魚と書く鰯(いわし)は、つくりの「弱」=ヨワシがイワシの読みを表す日本的な形声文字であるという。中国では鰮がイワシを意味することがあり、この字は日本でも使われているそうだ。また、水から出るとすぐ死ぬ弱い魚だからという説や、下賤な魚の意で「卑し」からイワシとなったという説がある(江戸家、2004年、134頁)。
そして、鯖という漢字は、本来、魚や鳥獣の肉などを混ぜて煮た料理の名前、つまり「よせなべ」を意味していたようだ。また、淡水魚の一種を指した字でもあった。しかし、日本では、青々とした「サバ」を表すのに、ふさわしいことからサバにこの字が当てられた。またサバの語源は、『大和本草』という資料に「此魚牙小ナリ。故ニサハ(狭歯)ト云」とあり、「狭歯(さば)」→「サバ」となったといわれている(江戸家、2004年、74頁)。
【江戸家魚八『魚へん漢字講座』新潮文庫はこちらから】
魚へん漢字講座 (新潮文庫)
魚偏の名前といえば、孔子の子の鯉(り)がよく知られている。字は伯魚である。君からお祝いとして鯉(こい)を賜うたのを記念した名であるという(白川、1970年[1972年版]、89頁)。
また井上ひさしは、『私家版 日本語文法』(新潮文庫、1984年[1994年版])で興味深いことを記している。
日本人は国産の漢字、つまり国字(和字)をつくりだす。「中国産漢字」だけでは日本人の日常生活のこまかいところまではまかないきれないところから、ひとつの必然として生み出されたと井上は捉えている。
文政(1818-1830)のころ、江戸の国学者伴直方(ばんなおかた)は『国字考』という書物のなかに100字以上の国字を掲げている。
とりわけ、魚名の多いのが目立つ。そして次のような注釈をつけた。
鰯(いわし) 餌や肥料にされる弱い魚
鱈(たら) 身が雪のように白い
魚偏に骨で(こち) 骨(こち)ばっている
鯱(しゃち) 鯨より強くまるで虎
漢字の8割までが形声文字(意味をもつ字と音を示す字とが組み合わされたもの)である。たとえば、療、痘、症の三つの漢字で、疒(やまいだれ)は「やまい」の意味をあらわし、尞、豆、正は音を示している。先に挙げた国字は、形声文字というより会意文字だと解した方がよい。
「やはり日本人は魚肉を喰(これも国字)う民族、肉食を好む中国人の作った漢字では間に合わぬらしい」と述べている(井上ひさし『私家版 日本語文法』新潮文庫、1984年[1994年版]、105頁~106頁)。
【井上ひさし『私家版 日本語文法』新潮文庫】
【井上ひさし『私家版 日本語文法』はこちらから】
私家版 日本語文法 (新潮文庫)
江戸家魚八は『魚へん漢字講座』(新潮文庫、2004年)を著している。寿司屋の湯呑み茶碗に書かれた魚を表す漢字に興味をもち、魚偏の漢字はどういうものがあり、どうしてそういう字を書くのかを調べ、魚のおいしい食べ方を探究した本である。
日本は世界屈指の漁業国で、日本人は世界一の魚食民族であるが、「世界一」の名に恥じないよう、魚偏の漢字文化の豊かさに触れ、魚にまつわる知識をも豊かにする一助としてこの本を活用してほしいという(江戸家、2004年、3頁~4頁)。
彼は、いわゆる物知りで、魚に精通した「魚通」である。「左ヒラメの右カレイ」(または「左ヒラメに右カレイ」)とよくいわれる。つまり腹部を下にしたとき、左側に眼があるのがヒラメの特徴である。それ以外にも、「大口ヒラメの小口カレイ」というのもあるようだ。眼の位置のみならず、口の大きさも違うという(江戸家、2004年、18頁)。
確かに読みやすく、わかりやすく、面白い本である。そしてそれぞれの魚の説明に「おいしい調理の仕方」の項目は役立つ。ただ一つ批評点を挙げるとすると、物足りなさを感じる。というのは、漢字文化にはそもそもどういう歴史があるのか、漢字は何をイメージして作られたのか。魚偏の漢字は、中国と日本でどの点が共通し、またどう異なるのか、日本独自の魚偏の漢字はいつ頃どのように作られたのか、こうした問いを学問的に掘り下げて知ろうした場合、ほとんど答えてはくれず、江戸家魚八の本は物足りなさを感じるのである。
そこで、加納喜光『魚偏漢字の話』(中央公論新社、2008年)を参照してみた。加納喜光は、1940年生まれで、東京大学文学部中国哲学科を卒業し、同大学院修士課程を修了し、現在、筑波大学名誉教授であるという。中国文化、および漢字研究の大家である。
その加納喜光は、かつて魚を調べに中国に行ったことがあるが、魚の名を中国人に尋ねても、鯉(こい)以外はあまり知らないようであったと記している(加納、2008年、7頁)。
それに対して、日本人なら誰でも魚の名を5個や10個は知っており、日本人は魚好きな民族である。そして魚偏(うおへん)には国字(日本製の擬似漢字)が非常に多い。
そこで、加納は、魚偏漢字を次の6つのパターンに分類している。
1)純国字 例えば、鰯・鱈
2)半国字 例えば、鯛・鮎
3)読み違い漢字 例えば、鮪・鱒
4)渡り鳥漢字 ⓐ逆輸入漢字 例えば、鱇 ⓑ里帰り漢字 例えば、鰆
5)日中共用漢字 例えば、鯉・鮒・鰻・鯨
6)中国専用漢字 例えば、鱆・鯢・鱣
加納喜光の本の目的は、日本人は魚偏の漢字をどのように捉えたのか、中国語と日本語の意味のマッチング(照合)をどのように行ったのか―本書のメインである魚偏漢字銘々伝では、そこに視点を据え、日本の古辞書と中国の辞書・本草書とを突き合わせて跡づけていく。
漢字の造形法では、「甬」は「突き通す」というコアイメージを与える記号であるが、これは日本人の発想するものではないという。和製漢字の造字法は、物の抽象化されたイメージを有するのではなく、物の特徴をストレートに何かに見立てることが多い。日本の漢字の見方あるいは造字法にはコアイメージという考えがなかったようだ。鱪(しいら)の創作にはただ「暑い」という訓だけが利用された。コアイメージという深層構造ではなく、ストレートな表層的意味を挿入するのが日本式の造字法であるという(加納、2008年、36頁~37頁、56頁)。
中国式造字法は、イメージを介して視覚記号にする。これは形声的造形法の原則だが、実は会意的造形法でも言えることであるという。しかし、日本式造字法は音を媒介にしないから、会意的方法しか利用できないが、その際、イメージを記号化することなく、ストレートに造字する傾向が強い。その魚にまつわる事実――故事、信仰、漁期(ぎょき)、味覚等等――をストレートに表現する。
漢字の造形法の一つである会意的方法は、二つの物のイメージをぶつけて、別のイメージに昇華させる方法だが、国字の場合はまったく違う。
例を挙げると、タラは雪が多い時季が漁期なので、魚偏に雪を添える「鱈」で表象する。またドジョウを表す漢字に鰌や鰍があるのに、わざわざ「鯲」という国字を作る。「於」は土偏に於を加えた「どろ」の略字で、泥に棲む魚というストレートな意匠がわかりやすかったからである。中国の魚は淡水産が多く、日本の魚は海産が多いという事情から、日中の魚名漢字には意味上の食い違いが多いという(加納、2008年、42頁~43頁)。
現代でこそ魚の栄養価が喧伝されているが、古代中国での評価は低かったらしい。古代に東方に住んでいた民族は東夷とか淮夷と呼ばれ、中華の民とは一線を画されていた。彼らは魚の食の民であった。それに対して、中原で文明を発展させた中国人は魚を常食しなかったらしい。甲骨文字や金文に魚名は一つもない。『詩経』になって魚偏の漢字が初めて登場する。紀元前2世紀の漢代の墓からさまざまな遺物が発掘されているが、魚の骨は6種類である。それに比べ、鳥の骨が11種類、獣の骨が6種類も発見されている。古代中国人は海の魚には馴染みがなく、食べるのはもっぱら淡水魚だったようである。
このことは魚偏の漢字にも反映している。魚の名を表す一字漢字は、圧倒的に淡水魚である。『詩経』に出ている12字の魚偏漢字のうち、海水魚は一つもない。魴・鮪・鱒・鱧は、日本では海水魚の名になっているが、中国ではすべて淡水魚である。魚偏の漢字の登場舞台は、淡水魚の世界であったといえる。
日本古代の情報革命の時代、魚偏漢字に訓をつける作業でいちばん頭を悩ませたのが、淡水魚の多い漢字と、海水魚の多い日本語の間のマッチング(意味の照合)の作業であったことが容易に想像されると加納は述べている(加納、2008年、37頁~38頁)。
以下、魚偏の漢字を取り上げて、若干の解説を加えておきたい。
【加納喜光『魚偏漢字の話』中央公論新社はこちらから】
魚偏漢字の話 (中公文庫)
鰯は日本製の擬似漢字、つまり国字である。鰯は現代中国の辞書にはあるが、近代以前の文献には見当らないといわれる。現代中国語では、イワシは沙丁魚(さていぎょ)というそうだ。中国語音は、shadingyuで、沙丁は英語のsardine(サーディン)の音写である。中国人はイワシを英語名の音写で表現するほど、海水魚に疎く、かつ苦労して漢字で表していることになる(加納喜光『魚偏漢字の話』中央公論新社、2008年、49頁~51頁)。
紫式部には、イワシにまつわるエピソードがある。すなわち、紫式部の伝説に、式部がイワシを食べているのを見た公卿が、「いやしいものを食べているな」とひやかしたところ、さすがに紫式部は才媛、「日の本に、はやらせたまうイワシみず、参らぬ人はあらじとぞ思う」と、イワシと石清水八幡宮をかけて和歌で応じたというエピソードがある。
イワシの語源は「弱し」の転で、いたって脆弱な魚だから名づくと『魚鑑』にあり、『東雅』にもイワシは弱しなり、その水を離れればたやすく死すからであると記す。
さらにイワシはイヤシの転だとする説もある。「イワシの頭も信心から」という諺も、もともとイワシをいやしいものだとすることからでているという。
しかしそれは大量に獲れるから見下されたのであり、俚諺(りげん)にも「イワシの頭に雁の味あり」といい、初イワシは徳川将軍家へも献上されたそうだ(矢野憲一『魚の文化史』講談社、1983年、142頁~143頁)。
【矢野憲一『魚の文化史』講談社はこちらから】
魚の文化史
前述したように、鰯は、日本製の擬似漢字、つまり国字である。それでは、いつ、どうして、この「鰯」という漢字が創作されたのであろうかという疑問がわく。この点、加納喜光は次のように説明している。
奈良・平安の頃、その物の名にふさわしい漢字がないとわかった場合、日本人は漢字に似せた字を創作するテクニックを開発していたそうだ。
平安時代の古い辞書『新撰字鏡(しんせんじきょう)』(892年頃)では、魚偏に庶民の庶を書いた字を「以和之」と読ませている。これがイワシに当たる最初の創作字であるという。しかしこの字はまもなく消滅してしまう。
これに代わって登場するのが鰯で、『和名抄(わみょうしょう)』(934年)に登録された。ところが近年になって平城宮跡から発掘された木簡(8世紀のもの)に鰯の字が見つかった。イワシは宮中の貴人たちも食べていたことがわかる。
ところで、加納喜光は、ここで言葉や文字にも優先権(プライオリティ)という大原則があるという。例えば、もし誰かが、イワシを「いわし」と言い、鰯と書くのはそれが弱い魚だからと、語源・字源を説いた場合、弱い魚はイワシに限らないと反論する人がいても、最初に与えられた命名が他を排除するというのである。つまり、弱い魚にイワシと命名し、魚偏に弱と書いてしまえば、たとい他の魚に弱いという特徴で命名しようとしても、イワシに優先権があるというのである。
イワシを「弱い」と結びつけて解釈する説としては、新井白石説がよく知られている。日本語の語源を説いた『東雅(とうが)』(1717年)に、「イワシとは弱也。其の水を離れぬればたやすく死するをいふ也」とある。
ただ、別説として、貝原益軒の『日本釈名(しゃくみょう)』(1699年)があり、「いやしき也。魚の賎しき者也。」と記し、食生活において下賤な魚とされたから命名されたと解釈した。この点、先述したように、紫式部が密かにイワシを食したら、それを目撃した夫君に窘められたという逸話がある(加納喜光『魚偏漢字の話』中央公論新社、2008年、49頁~51頁)。
【加納喜光『魚偏漢字の話』中央公論新社はこちらから】
魚偏漢字の話 (中公文庫)
(2021年2月28日投稿)
【はじめに】
以前、冨田健次先生の著作『フォーの国のことば―ベトナムを学び、ベトナムに学ぶ』(春風社、2013年)を紹介した際に、漢字について考えてみた。
その時の記事に加筆して、漢字をテーマとして、再録してみた。
参考文献にリンクを貼っておいたので、参考にしていただきたい。
【冨田健次『フォーの国のことば』春風社はこちらから】
フォーの国のことば: ベトナムを学び、ベトナムに学ぶ
目次は次のようになっている。
【目次】
<その1>
・魚偏の漢字
・中国人の魚の知識について
・江戸家魚八と加納喜光の本について
・鰯の説明
<その2>
・鯖という漢字
・鰭という漢字
・鮗・鯯・鰶・鱅(コノシロ)という漢字
・鮭について
・鱈について
・鮃(ひらめ)について
・鰈(かれい)について
・鯨について
・鰹(カツオ)について
・鯑(カズノコ)について
・鰰(はたはた)について
・チョウザメについて
・熨斗(のし)とアワビについて
<その3>
・日本語の歴史について
・漢字の歴史について
・漢字の呉音と漢音について
・藤堂明保の漢字研究について
・日本の漢字のヤヌス性について
・借用された漢字について
・呉音と漢音について―その2―
・日本の風土と勘違いの歌詞について
<その4>
・『説文解字』について
・擬態語について
・中国人と羊について
・羊という漢字と小説『羊と鋼の森』
・「栗鼠」という漢字の読みについて
・紫という漢字
<その5>
・漢語の本質について
・「者」の意味について
・唐宋音について
・和製漢字について
・白川静と漢字学について
・漢字と教育との関係について
・日本語の変わりゆく意味
<その6>
・馬琴と『南総里見八犬伝』と漢字
・『古事記』『日本書紀』『万葉集』と漢字
・漢字と漢文について
・漢字の数について
・漢字に関する小林秀雄の見識
・日本語と小説家の役割
・参考文献
※「羊という漢字と小説『羊と鋼の森』」については、新たに書き下ろしてみた。この小説については、後日、紹介してみたい。
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
・魚偏の漢字
・中国人の魚の知識について
・江戸家魚八と加納喜光の本について
・鰯の説明
魚偏の漢字
まず、魚偏の漢字について述べてみたい。
中国人は、本来、淡水魚の魚が身近であったといわれる。そのことは、フグを「河豚」とも書くことにもよく表れているように思われる。この点の経緯については、江戸家魚八『魚へん漢字講座』(新潮文庫、2004年)に次のような説明がある。「その由来は中国の河川の中流域にまでメフグが棲んでいたことから「河の豚」=フグとなったとのことです。」とある(江戸家魚八『魚へん漢字講座』新潮文庫、2004年、119頁)。
また、弱い魚と書く鰯(いわし)は、つくりの「弱」=ヨワシがイワシの読みを表す日本的な形声文字であるという。中国では鰮がイワシを意味することがあり、この字は日本でも使われているそうだ。また、水から出るとすぐ死ぬ弱い魚だからという説や、下賤な魚の意で「卑し」からイワシとなったという説がある(江戸家、2004年、134頁)。
そして、鯖という漢字は、本来、魚や鳥獣の肉などを混ぜて煮た料理の名前、つまり「よせなべ」を意味していたようだ。また、淡水魚の一種を指した字でもあった。しかし、日本では、青々とした「サバ」を表すのに、ふさわしいことからサバにこの字が当てられた。またサバの語源は、『大和本草』という資料に「此魚牙小ナリ。故ニサハ(狭歯)ト云」とあり、「狭歯(さば)」→「サバ」となったといわれている(江戸家、2004年、74頁)。
【江戸家魚八『魚へん漢字講座』新潮文庫はこちらから】
魚へん漢字講座 (新潮文庫)
中国人の魚の知識について
魚偏の名前といえば、孔子の子の鯉(り)がよく知られている。字は伯魚である。君からお祝いとして鯉(こい)を賜うたのを記念した名であるという(白川、1970年[1972年版]、89頁)。
また井上ひさしは、『私家版 日本語文法』(新潮文庫、1984年[1994年版])で興味深いことを記している。
日本人は国産の漢字、つまり国字(和字)をつくりだす。「中国産漢字」だけでは日本人の日常生活のこまかいところまではまかないきれないところから、ひとつの必然として生み出されたと井上は捉えている。
文政(1818-1830)のころ、江戸の国学者伴直方(ばんなおかた)は『国字考』という書物のなかに100字以上の国字を掲げている。
とりわけ、魚名の多いのが目立つ。そして次のような注釈をつけた。
鰯(いわし) 餌や肥料にされる弱い魚
鱈(たら) 身が雪のように白い
魚偏に骨で(こち) 骨(こち)ばっている
鯱(しゃち) 鯨より強くまるで虎
漢字の8割までが形声文字(意味をもつ字と音を示す字とが組み合わされたもの)である。たとえば、療、痘、症の三つの漢字で、疒(やまいだれ)は「やまい」の意味をあらわし、尞、豆、正は音を示している。先に挙げた国字は、形声文字というより会意文字だと解した方がよい。
「やはり日本人は魚肉を喰(これも国字)う民族、肉食を好む中国人の作った漢字では間に合わぬらしい」と述べている(井上ひさし『私家版 日本語文法』新潮文庫、1984年[1994年版]、105頁~106頁)。
【井上ひさし『私家版 日本語文法』新潮文庫】
【井上ひさし『私家版 日本語文法』はこちらから】
私家版 日本語文法 (新潮文庫)
江戸家魚八と加納喜光の本について
江戸家魚八は『魚へん漢字講座』(新潮文庫、2004年)を著している。寿司屋の湯呑み茶碗に書かれた魚を表す漢字に興味をもち、魚偏の漢字はどういうものがあり、どうしてそういう字を書くのかを調べ、魚のおいしい食べ方を探究した本である。
日本は世界屈指の漁業国で、日本人は世界一の魚食民族であるが、「世界一」の名に恥じないよう、魚偏の漢字文化の豊かさに触れ、魚にまつわる知識をも豊かにする一助としてこの本を活用してほしいという(江戸家、2004年、3頁~4頁)。
彼は、いわゆる物知りで、魚に精通した「魚通」である。「左ヒラメの右カレイ」(または「左ヒラメに右カレイ」)とよくいわれる。つまり腹部を下にしたとき、左側に眼があるのがヒラメの特徴である。それ以外にも、「大口ヒラメの小口カレイ」というのもあるようだ。眼の位置のみならず、口の大きさも違うという(江戸家、2004年、18頁)。
確かに読みやすく、わかりやすく、面白い本である。そしてそれぞれの魚の説明に「おいしい調理の仕方」の項目は役立つ。ただ一つ批評点を挙げるとすると、物足りなさを感じる。というのは、漢字文化にはそもそもどういう歴史があるのか、漢字は何をイメージして作られたのか。魚偏の漢字は、中国と日本でどの点が共通し、またどう異なるのか、日本独自の魚偏の漢字はいつ頃どのように作られたのか、こうした問いを学問的に掘り下げて知ろうした場合、ほとんど答えてはくれず、江戸家魚八の本は物足りなさを感じるのである。
そこで、加納喜光『魚偏漢字の話』(中央公論新社、2008年)を参照してみた。加納喜光は、1940年生まれで、東京大学文学部中国哲学科を卒業し、同大学院修士課程を修了し、現在、筑波大学名誉教授であるという。中国文化、および漢字研究の大家である。
その加納喜光は、かつて魚を調べに中国に行ったことがあるが、魚の名を中国人に尋ねても、鯉(こい)以外はあまり知らないようであったと記している(加納、2008年、7頁)。
それに対して、日本人なら誰でも魚の名を5個や10個は知っており、日本人は魚好きな民族である。そして魚偏(うおへん)には国字(日本製の擬似漢字)が非常に多い。
そこで、加納は、魚偏漢字を次の6つのパターンに分類している。
1)純国字 例えば、鰯・鱈
2)半国字 例えば、鯛・鮎
3)読み違い漢字 例えば、鮪・鱒
4)渡り鳥漢字 ⓐ逆輸入漢字 例えば、鱇 ⓑ里帰り漢字 例えば、鰆
5)日中共用漢字 例えば、鯉・鮒・鰻・鯨
6)中国専用漢字 例えば、鱆・鯢・鱣
加納喜光の本の目的は、日本人は魚偏の漢字をどのように捉えたのか、中国語と日本語の意味のマッチング(照合)をどのように行ったのか―本書のメインである魚偏漢字銘々伝では、そこに視点を据え、日本の古辞書と中国の辞書・本草書とを突き合わせて跡づけていく。
漢字の造形法では、「甬」は「突き通す」というコアイメージを与える記号であるが、これは日本人の発想するものではないという。和製漢字の造字法は、物の抽象化されたイメージを有するのではなく、物の特徴をストレートに何かに見立てることが多い。日本の漢字の見方あるいは造字法にはコアイメージという考えがなかったようだ。鱪(しいら)の創作にはただ「暑い」という訓だけが利用された。コアイメージという深層構造ではなく、ストレートな表層的意味を挿入するのが日本式の造字法であるという(加納、2008年、36頁~37頁、56頁)。
中国式造字法は、イメージを介して視覚記号にする。これは形声的造形法の原則だが、実は会意的造形法でも言えることであるという。しかし、日本式造字法は音を媒介にしないから、会意的方法しか利用できないが、その際、イメージを記号化することなく、ストレートに造字する傾向が強い。その魚にまつわる事実――故事、信仰、漁期(ぎょき)、味覚等等――をストレートに表現する。
漢字の造形法の一つである会意的方法は、二つの物のイメージをぶつけて、別のイメージに昇華させる方法だが、国字の場合はまったく違う。
例を挙げると、タラは雪が多い時季が漁期なので、魚偏に雪を添える「鱈」で表象する。またドジョウを表す漢字に鰌や鰍があるのに、わざわざ「鯲」という国字を作る。「於」は土偏に於を加えた「どろ」の略字で、泥に棲む魚というストレートな意匠がわかりやすかったからである。中国の魚は淡水産が多く、日本の魚は海産が多いという事情から、日中の魚名漢字には意味上の食い違いが多いという(加納、2008年、42頁~43頁)。
現代でこそ魚の栄養価が喧伝されているが、古代中国での評価は低かったらしい。古代に東方に住んでいた民族は東夷とか淮夷と呼ばれ、中華の民とは一線を画されていた。彼らは魚の食の民であった。それに対して、中原で文明を発展させた中国人は魚を常食しなかったらしい。甲骨文字や金文に魚名は一つもない。『詩経』になって魚偏の漢字が初めて登場する。紀元前2世紀の漢代の墓からさまざまな遺物が発掘されているが、魚の骨は6種類である。それに比べ、鳥の骨が11種類、獣の骨が6種類も発見されている。古代中国人は海の魚には馴染みがなく、食べるのはもっぱら淡水魚だったようである。
このことは魚偏の漢字にも反映している。魚の名を表す一字漢字は、圧倒的に淡水魚である。『詩経』に出ている12字の魚偏漢字のうち、海水魚は一つもない。魴・鮪・鱒・鱧は、日本では海水魚の名になっているが、中国ではすべて淡水魚である。魚偏の漢字の登場舞台は、淡水魚の世界であったといえる。
日本古代の情報革命の時代、魚偏漢字に訓をつける作業でいちばん頭を悩ませたのが、淡水魚の多い漢字と、海水魚の多い日本語の間のマッチング(意味の照合)の作業であったことが容易に想像されると加納は述べている(加納、2008年、37頁~38頁)。
以下、魚偏の漢字を取り上げて、若干の解説を加えておきたい。
【加納喜光『魚偏漢字の話』中央公論新社はこちらから】
魚偏漢字の話 (中公文庫)
鰯の説明
鰯は日本製の擬似漢字、つまり国字である。鰯は現代中国の辞書にはあるが、近代以前の文献には見当らないといわれる。現代中国語では、イワシは沙丁魚(さていぎょ)というそうだ。中国語音は、shadingyuで、沙丁は英語のsardine(サーディン)の音写である。中国人はイワシを英語名の音写で表現するほど、海水魚に疎く、かつ苦労して漢字で表していることになる(加納喜光『魚偏漢字の話』中央公論新社、2008年、49頁~51頁)。
紫式部には、イワシにまつわるエピソードがある。すなわち、紫式部の伝説に、式部がイワシを食べているのを見た公卿が、「いやしいものを食べているな」とひやかしたところ、さすがに紫式部は才媛、「日の本に、はやらせたまうイワシみず、参らぬ人はあらじとぞ思う」と、イワシと石清水八幡宮をかけて和歌で応じたというエピソードがある。
イワシの語源は「弱し」の転で、いたって脆弱な魚だから名づくと『魚鑑』にあり、『東雅』にもイワシは弱しなり、その水を離れればたやすく死すからであると記す。
さらにイワシはイヤシの転だとする説もある。「イワシの頭も信心から」という諺も、もともとイワシをいやしいものだとすることからでているという。
しかしそれは大量に獲れるから見下されたのであり、俚諺(りげん)にも「イワシの頭に雁の味あり」といい、初イワシは徳川将軍家へも献上されたそうだ(矢野憲一『魚の文化史』講談社、1983年、142頁~143頁)。
【矢野憲一『魚の文化史』講談社はこちらから】
魚の文化史
前述したように、鰯は、日本製の擬似漢字、つまり国字である。それでは、いつ、どうして、この「鰯」という漢字が創作されたのであろうかという疑問がわく。この点、加納喜光は次のように説明している。
奈良・平安の頃、その物の名にふさわしい漢字がないとわかった場合、日本人は漢字に似せた字を創作するテクニックを開発していたそうだ。
平安時代の古い辞書『新撰字鏡(しんせんじきょう)』(892年頃)では、魚偏に庶民の庶を書いた字を「以和之」と読ませている。これがイワシに当たる最初の創作字であるという。しかしこの字はまもなく消滅してしまう。
これに代わって登場するのが鰯で、『和名抄(わみょうしょう)』(934年)に登録された。ところが近年になって平城宮跡から発掘された木簡(8世紀のもの)に鰯の字が見つかった。イワシは宮中の貴人たちも食べていたことがわかる。
ところで、加納喜光は、ここで言葉や文字にも優先権(プライオリティ)という大原則があるという。例えば、もし誰かが、イワシを「いわし」と言い、鰯と書くのはそれが弱い魚だからと、語源・字源を説いた場合、弱い魚はイワシに限らないと反論する人がいても、最初に与えられた命名が他を排除するというのである。つまり、弱い魚にイワシと命名し、魚偏に弱と書いてしまえば、たとい他の魚に弱いという特徴で命名しようとしても、イワシに優先権があるというのである。
イワシを「弱い」と結びつけて解釈する説としては、新井白石説がよく知られている。日本語の語源を説いた『東雅(とうが)』(1717年)に、「イワシとは弱也。其の水を離れぬればたやすく死するをいふ也」とある。
ただ、別説として、貝原益軒の『日本釈名(しゃくみょう)』(1699年)があり、「いやしき也。魚の賎しき者也。」と記し、食生活において下賤な魚とされたから命名されたと解釈した。この点、先述したように、紫式部が密かにイワシを食したら、それを目撃した夫君に窘められたという逸話がある(加納喜光『魚偏漢字の話』中央公論新社、2008年、49頁~51頁)。
【加納喜光『魚偏漢字の話』中央公論新社はこちらから】
魚偏漢字の話 (中公文庫)
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