歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪漢字について その2≫

2021-02-28 18:02:14 | 漢字について
≪漢字について その2≫
(2021年2月28日投稿)




【はじめに】


 今回も、魚偏の漢字を解説してみる。例えば、鯖、鰭、鮗・鯯・鰶・鱅(コノシロ)、鮭、鱈、鮃(ひらめ)、鰈(かれい)、鯨、鰹(カツオ)、鯑(カズノコ)、鰰(はたはた)といった漢字である。
 あわせて、チョウザメ、熨斗(のし)とアワビについても解説しておきたい。



さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・鯖という漢字
・鰭という漢字
・鮗・鯯・鰶・鱅(コノシロ)という漢字
・鮭について
・鱈について
・鮃(ひらめ)について
・鰈(かれい)について 
・鯨について
・鰹(カツオ)について
・鯑(カズノコ)について
・鰰(はたはた)について
・チョウザメについて
・熨斗(のし)とアワビについて






鯖という漢字


漢字の鯖の由来については、この字は非常に古く、『出雲風土記』(733年)や『延喜式』(927年)に見えている。日本の古辞書・本草書『本草和名』(918年頃)などでは、鯖に佐波(サハ)の訓を与えている。ただ、中国にもともとあった鯖という字を取り違えたものらしい。中国の鯖(せい)は淡水魚で、日本のサバは海水魚であって、まったく別物であるからである(中国の鯖の本名は、青魚(せいぎょ)といった)。
ところで、サバの語源については諸説があるが、江戸時代の貝原益軒説が有力である。サバの歯の特徴から語源を捉え、「この魚、牙小さし、故にサハと云ふ。サは小也」と『大和本草』で説いている。実際にサバは顎に円錐状の歯が生えているだけでなく、口の中にも微細な歯がある(加納喜光『魚偏漢字の話』中央公論新社、2008年、87頁~88頁)。

【加納喜光『魚偏漢字の話』中央公論新社はこちらから】

魚偏漢字の話 (中公文庫)

鰭という漢字


鰭は、魚のヒレのことで、「魚+耆(キ・シ)」からなっている。耆とは「老(年をへた)+旨(味がある、うまい)」を組み合わせた字である。「耆老」といえば、年功をへて味のある老人を意味し、嗜好品(しこうひん)の「嗜」とは、年月をへていてうまいものをさす。そして鰭とは、魚のからだのうち、年月をへて「こく」のある味をもつ部分をさす。中華料理の逸品で、「こく」のある料理として、フカのヒレ(今では魚翅[ユイチー]という)がある。南海のフカのヒレを細かくきざみ、最上のスープでこってりと煮こんだものである。ツバメの巣(燕窩[イエンウオ]という)のスープに次いで、値段のほうも高い。今日の中華料理の大半は、すでに2500年前にあらかたそろっていたようであるが、魚のヒレも古くから嗜(たし)なまれたそうだ(藤堂明保『漢字の話 上』朝日選書、1986年、183頁~184頁)。

【藤堂明保『漢字の話 上』朝日選書はこちらから】

漢字の話〈上〉 (朝日選書)

鮗・鯯・鰶・鱅(コノシロ)という漢字


コノシロの漢字表記に鮗・鯯・鰶・鱅の四字があるが、純国字の鮗以外は、どれも本来の漢字とは意味がずれている。
では日本でどうして鰶の字が創作されたのであろうか。江戸時代、人見必大(ひとみひつだい)の著した『本朝食鑑』(1697年)に、次のように記す。コノシロは狐の好物で、狐の神であるお稲荷さんにコノシロを供えて祭る習慣があったというのである。日本にこのように古い信仰があったため、魚偏に祭と書く鰶でコノシロを表記したと加納は考えている。
後世になると、コノシロは祝い事にも使用されるようになった。
ただし武家社会では、「コノシロ(此の城)を食べる」ということに通じるので嫌われ、武士が切腹する際に用いる風習があったという。
また恐ろしい語源説話が『大和本草』(1708年)にある。コノシロを焼くと、死体を焼くような臭いがするとされた。昔、継母に虐められた子がいた。継母の告げ口を信じた父が、子を殺すように従僕に命じた。彼は気の毒に思い、ツナシを焼いてごまかし、その子をよそへ逃がしてやった。ここからツナシを子の代(しろ)(子の代わりの意)と呼ぶようになったという(加納喜光『魚偏漢字の話』中央公論新社、2008年、83頁、126頁)。

鯯は日本ではサッパとも読む。コノシロと似ているから、同じ字を用いたという。サッパはニシン目ニシン科の海水魚で、コノシロのように背びれの末端が糸状に伸びていないし、体長も小ぶりである。『大言海』によれば、コノシロより味がさっぱりしているので、この名がついたという。岡山県倉敷地方の名産であるママカリはこれである。サッパの酢漬けはあまりに旨くて飯が足りなくなり、隣から借りるほどだというのが名の由来である(加納、2008年、128頁)。
ところで、コノシロの約10センチのものをコハダまたはツナシとよぶ。寿司のネタとなる。実は批評家小林秀雄は新子の寿司が好きだった。その妹の高見澤潤子が面白いエピソードを記している。
「兄は寿しが好きで、特に新子(しんこ、こはだの子)の寿しが大好物だった。夏の終り頃から初秋にかけて、ほんの少しの間しか出ない新子を、兄はほとんど毎日のように食べに行ったが、今年も「大繁」の主人が、兄に供えてくれと、新子の寿しを持って来てくれたそうである」(高見澤潤子『兄小林秀雄』新潮社、1985年、46頁)。
この高見澤潤子という女性は、小林秀雄の妹であったが、同時に戦前の人気マンガ「のらくろ」の作者田河水泡(本名:高見澤仲太郎)の妻であった。二人の結婚に際して、妹が結婚を決心したのは、兄秀雄の一通の手紙であった。妹が恵まれた夫婦生活をおくることができたのは、兄のおかげであったと妹は感謝している(高見澤、1985年、21頁~25頁)。

【高見澤潤子『兄小林秀雄』新潮社はこちらから】

兄 小林秀雄


鮭について


鮭という漢字は、日本では「サケ」を指すが、中国漢字の鮭(けい)は、サケと違う魚の名であった。『論衡』(後漢、王充)の言毒篇に、毒のあるものとして、次のように記している。
「魚に在りては則ち鮭(けい)と為す。故に人、鮭の肝を食へば死す」とある。この鮭はまさにフグに違いない。晋の郭璞(かくはん)は鮭を鯸鮐(こうい、フグ)としている。
現代では、ニーダム(イギリスの科学史家)によって、Fugu rubripes(トラフグ)に同定されている。漢和辞典を引いても、鮭の意味として、ふぐ(河豚)が出ているはずである。
ところで、現代の中国では、サケを大麻哈魚(damahayu)というそうだ。この奇妙な名前は、北方民族の言葉の訳語であるようだ。ただし、中国で分類学の科の名称には鮭が使われ、里帰り漢字の一つとなっており、今ではフグの意味はほとんど忘れられた(加納喜光『魚偏漢字の話』中央公論新社、2008年、86頁)。

【加納喜光『魚偏漢字の話』中央公論新社はこちらから】

魚偏漢字の話 (中公文庫)

鱈について


和製漢字の造字法の特徴は、言葉のイメージを図形に表すという中国式とは違い、物にまつわる特徴や故事などをストレートにもってくることである。魚の場合は、さらに形態の特徴だけでなく、味覚や漁期も格好の材料になる。例えば、鱈の場合、この漁期に因むという解釈が有力である。
『本朝食鑑』(1697年)に、「冬月初雪の後に当たりて必ず多くこれを採る。故に字、雪に従ふか」とある。タラは冬場、特に吹雪のある頃によく獲れるというから、魚偏に雪と書く造形の心理が加納は納得できるという。
鱈はほとんど和製漢字であるとみなされている。「ほとんど」というのは、レア物ながら中国の文献にあるからだが、誤字・誤記かもしれないので無視してよいという。
中国ではタラを大頭魚(だいとうぎょ)とか大口魚(だいこうぎょ)というが、実は鱈(xueと読む)も使われている。というのは明治時代になって、近代日本の生物学が中国に伝わり、動物学辞典を編集する際、日本の学術名をそのまま中国側が採用したケースが多いためである。鯰や鯒といった和製漢字が取り入れられたが、鱈も逆輸入漢字の一つである(加納、2008年、59頁~60頁)。

鮃(ひらめ)について


中国漢字の鮃(へい)は、『玉篇(ぎょくへん)』に魚の名としか情報のないマイナーな字なので、日本の鮃(ヒラメ)は半国字(半日本風の漢字)としてよいが、現在は中国でも使われている。里帰り漢字のパターンである。魚偏の漢字に関しては、日本人のアイディアが中国に貢献している例が多々あるという(加納、2008年、107頁)。

鰈(かれい)について 


鰈は、日中共用漢字であるという。漢字の鰈の語源・字源は、この魚の形態的特徴を捉えたもので、「薄い」というコアイメージがもとになっている。葉や蝶と共通の記号、「枼(よう)」を用いて、図形的意匠を構成し、鰈の字が生まれた。漢字表記は現在ではカレイに鰈、ヒラメに鮃を用いて区別しているが、昔は区別していなかった。
葉の草冠をとった部分「枼」は、木の上に葉が生じている図形で、葉の原字である。したがって「薄っぺら」というイメージを表しうる。蝶は薄い羽をもつ昆虫、牒(ちょう、片偏)は文字を記す薄い木の札を意味する。同様に、魚偏の場合、体の薄い魚を暗示させる。体の薄い魚はいくらでもいるが、カレイ(ヒラメも含む)に限定したのは、プライオリティー(優先権)が与えられたからであるという(加納、2008年、159頁~162頁)。

鯨について


中国人にとって鯨は半ば空想的な怪物というイメージが強いという。「京」は高い丘の上に建物がたっている情景を描いた図形である。古代中国では湿地を避けて高い場所に都市を造営した。京の現実の意味は「みやこ」であるが、「高く大きい」というコアイメージを示す記号になる。したがってクジラを「京(音・イメージ記号)+魚(限定符号)」の組み合わせによって表象することができる(加納、2008年、162頁~164頁)。

鰹(カツオ)について


カツオは『古事記』や『万葉集』では堅魚という漢字表記で登場する。この表記はカツオの語源と関係がある。江戸時代の人見必大(ひとみひつだい)は、堅魚の語源を説いて、
「延喜式に堅魚と謂ふは、この魚乾曝(かんばく)すれば則ち極めて堅硬なり、故にこれを名づく」と述べている(『本朝食鑑』。1697年、人見必大の著で、食物関係の語彙を収め、語源にも触れている)。このようにカタウオ(堅魚)がカツオになったというのが通説である。
ただ別説もある。一つは、カツオは擬似餌(ぎじえ)でどんどん釣れるくらい頑(かたくな)な(つまり愚鈍な)魚だから、カタウオ(頑魚)→カツオになったのいうもの。この頑魚説は『高橋氏文(うじぶみ)』(789年、高橋氏の由緒を述べた書)に見えるくらい古い説である。
もう一つは、弱いイワシに対して、強い魚だから、勝つ魚→カツオになったという語源説(吉田金彦)がある。イワシに対してはその通りでだろうが、カジキに対しては弱いらしい。カツオが群れを作るのも、カジキのような天敵から身を守る知恵であるといわれている。加納は堅い魚の説を取っている(加納、2008年、32頁、78頁~79頁)。

鯑(カズノコ)について


ニシンの別名をカドという。ニシンの卵がカドの子、訛ってカズノコである。『本朝食鑑』(人見必大)に鰊鯑をカズノコと読ませているが、『同文通考』(新井白石)では鯑の一字でカズノコとなっている。魚は一般に豊饒のシンボルになることが多いが、魚の卵は生殖と結びつき、子孫繁栄のシンボルとされる。
ニシンは一尾で10万粒ほどの卵を産む。味覚はもちろんだが、子孫繁栄の象徴として格好のものである。『本朝食鑑』でも、正月に数の子を子孫繁多のお祝いに用いると記されている。子孫の数が増えることを願って「数の子」という表記ができたわけである。ここから「こいねがう」の意味をもつ希に魚偏を添えた字が発想されたと考えてよいという(加納、2008年、78頁)。

鰰(はたはた)について


鰰は、「はたはた」と読む。ハタハタの「ハタ」には「はためく=鳴り響く、とどろく」の意味がある。そして鰰のつくり「神」は、「はたはたとどろく神鳴り」を意味し、ハタハタが日本海沿岸で雷のある季節に獲(と)れる魚ということから、この字が当てられたようだ。またハタハタはカミナリウオとも呼ばれ、その名の通り、「鱩」とも書く(江戸家魚八『魚へん漢字講座』新潮文庫、2004年、158頁~160頁)。
【江戸家魚八『魚へん漢字講座』新潮文庫はこちらから】

魚へん漢字講座 (新潮文庫)

「しょっつる」とは秋田特産の魚醤油(うおじょうゆ)で、ハタハタの塩漬けを醗酵させてできた「上ずみ液」のことである。ベトナム料理のニョクマム(nuoc mam)も魚醤(ぎょしょう)である。

チョウザメについて


チョウザメは冨田健次先生も言及されていた。
日本人と魚の関係は、魚の名前とそれを表記する文字によく現われている。漢字の本家の中国人は元来、内陸の民族であり、魚と言えば淡水魚である。淡水魚にはめっぽう強いが、海水魚にはからっきし弱い。ベトナムの人々も同様で、長大な海岸線を有していながらも、海水魚にはほとんど無頓着である。ヒラメとカレイの区別もおぼつかなく、日本人に笑われる始末である。海の魚に繊細な日本人は、結局は中国語からその名前を借り入れることができず、自分達で作った漢字を充てるしか手がなかったわけである。魚偏に弱いで足の早い鰯、魚偏に春で鰆(さわら)など、一目でその魚が目に浮かぶ見事な漢字が多い。しかし時には本家の漢字と衝突することもあったらしく、魚偏に有ると書く、かの鮪(まぐろ)は、本家の中国では全く似ても似つかない淡水のチョウザメである点には注意を要する。
(冨田健次『フォーの国のことば―ベトナムを学び、ベトナムに学ぶ』春風社、2013年、299頁)

【冨田健次『フォーの国のことば』春風社はこちらから】

フォーの国のことば: ベトナムを学び、ベトナムに学ぶ

ところで、そのチョウザメの漢字には、「鱘」というのがある。
チョウザメは、サメの仲間ではない。硬い骨を持つ硬骨魚類に分類され、やわらかい骨を持つ軟骨魚類のサメとは違う種類の魚である。ただ、その名前は「姿形が鮫(さめ)に似ている」ことと、「5列ある菱形の大きなウロコが蝶番(ちょうつがい)のように見える」ことに因んでいるそうだ。
ところで、チョウザメはキャビアで有名である。キャビアとは、チョウザメの卵巣の塩漬けのことで、トリュフ、フォアグラとともに「世界三大珍味」の一つである。なお、チョウザメは、「蝶鮫」「鰉(大きい魚の意。ヒガイも指す)」という漢字で書かれることもある(江戸家魚八『魚へん漢字講座』新潮文庫、2004年、164頁~165頁)。

【江戸家魚八『魚へん漢字講座』新潮文庫はこちらから】

魚へん漢字講座 (新潮文庫)

熨斗(のし)とアワビについて


慶事には熨斗を用いるようになったのは、日本の中世であるそうだ。
古代の中国では石決明(せっけつめい)といって、アワビを、不老長生、延命若返りの薬的な食物とみなしていた。秦の始皇帝が徐福を遣わして、不死の霊薬を東方海上に求めたのも、一説にはアワビであったといわれる。徐福が上陸したと伝わる紀州(和歌山県)にはアワビを不老長寿の食物とする伝説がある。
また中国料理には、不老長寿を目的とした「参鮑翅」というご馳走がある。参とは海参(ハイセン)(煎海鼠、いりこ)、すなわち海の人参でナマコ。鮑はアワビ、翅は鱶鰭(ふかひれ)である。この三種の高級料理の原料は江戸時代に長崎から俵に詰めて中国へ「俵物(たわらもの)三品」といって輸出されたという。この俵物三品はコンドロイチンという物質を多く含み、現代医学でも老化を防ぐ薬効があるとされている。
日本ではアワビが、生命力を賦与する神秘的な力があるとすると観念され、めでたいシンボルとされるが、中国ではこれに相当するものとして、玉を矢野憲一は想定している。
熨斗という字は、もとは炭火を盛って熱で布のしわを伸ばすアイロン(火熨斗)のことであった。熨は尉の俗字で、火でのばし、おさえ温める意で、斗はひしゃくである。「のし」は動詞「のす(伸)」の連用形の名詞化でのばすことである。伸したアワビの「のす」という語の近似から誤用されて、やがて定着したと推測されている。
他人に進上する物や、祝いなど贈答品には熨斗(のし)を添える習慣がある。現在では、細く切った六角形の色紙の中に、黄色っぽい紙を張り付けたり、省略して「のし」と書くこともある。この熨斗は、正式にはアワビの肉を薄く長くカンピョウのように剥いで乾燥して伸した、いわゆる熨斗鮑(あわび)を用いた。熨斗の真中にはさんである黄色のセロハン紙はそのアワビを偽作した代用品である(矢野憲一『魚の文化史』講談社、1983年
、84頁~86頁、93頁~97頁)。

【矢野憲一『魚の文化史』講談社はこちらから】

魚の文化史



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