≪漢字について その4≫
(2021年3月19日投稿)
今回も藤堂明保『漢字の話』(朝日選書)をもとにして、『説文解字』について、そして擬態音をもとにして作られたとされる、動物に関する漢字などについて、解説してみたい。
また、中国人にとって、羊はその生活に密接に関わり、そのことが漢字にも表れているようだ。宮下奈都の小説『羊と鋼の森』(文藝春秋)にも、この点がそれとなく触れてある。漢字の世界は奥が深いのがわかる。
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
後漢の許慎という学者は、紀元98年に『説文解字』15巻を著し、9353字について、その成り立ちを解説した。
19世紀の末に甲骨文字(亀の甲や動物の骨に、殷の王朝の占い師が占卜の内容をメモしたもの)が現れるまで、この『説文解字』は文字解説の最も古い、かつ権威ある書物とみなされた。
今日は、甲骨文字および金石文字(青銅器や石に刻まれた文字)の研究が進み、とりわけ上古の漢語の発音を再現できるほどに漢語音韻論が長足の進歩をとげたので、『説文解字』は往時ほど権威を保てなくなったものの、それでも語源研究と文字研究の重要な資料である(藤堂明保『漢字の話 下』朝日選書、1986年[1989年版]、225頁)。
【藤堂明保『漢字の話 下』朝日選書はこちらから】
漢字の話〈下〉 (朝日選書)
擬態語について丸谷才一は面白いことを記している。
シェイクスピアの声喩(擬態語)の代表として、丸谷は「バウ・ワウ」という犬の声、「コックドゥードル・ドゥー」という鶏の声、そして「ディン・ドン」という鐘の音を挙げている。そしてこの擬声音ないし擬態音がむやみに多いのは日本語の特質であり、もっともこれはひょっとするとアジアの言語に共通する性格かもしれないと指摘している。また文章表現の秘訣として、この擬態音を濫用すると何となく幼児語めいた印象を与えてうまくないし、かと言って、きびしくしりぞけるときには、日常生活から遊離したような、冷ややかでそらぞらしい感じになりかねないという。卓見であろう(丸谷才一『文章読本』中央公論社、1977年、220頁~221頁)。
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文章読本 (中公文庫)
ところで、漢語は、この擬態音をもとに動物に関する漢字を創出していったことを藤堂明保は論じている。それは、藤堂明保『漢字の話 上・下』(朝日選書、1986年)という本の中で記している。
魚偏の魚だけでなく、ケモノ類の漢字についても、付言しておきたい。
ニワトリはケーケーと鳴くので、鶏(けい、唐代にはkei)といい、カラスはアーアーと鳴くので、鴉(あ、唐代にはa)というそうだ。トラはおそろしい声でホーホーとほえるので虎(こ、唐代にはho)と呼ぶし、キツネはクワクワと叫ぶので狐(こ、唐代にはhua)
という。イヌを犬(けん)と称するのも、ケンケン(kuen)と鳴くからであるようだ。ネコを猫(びょう)というのはおそらく「ミャオ・ミャオ」と鳴く声からきた擬声語であろうと藤堂は推測している(藤堂明保『漢字の話 上』朝日選書、1986年、26頁、37頁、49頁)。
ただ、「虎(コ)」は、トラの鋭い牙に着眼した象形であるという解釈があり、むしろこちらが一般的であろう。そして「虍(コ)」はトラの頭の部分だけを取りあげた象形で、漢字の部首として「とらがしら・とらかんむり」と呼ばれている(遠藤哲夫『漢字の知恵』講談社現代新書、1988年[1993年版]、99頁~100頁)。
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漢字の知恵 (講談社現代新書)
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漢字の話〈上〉 (朝日選書)
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漢字の話〈下〉 (朝日選書)
中国人が昔から羊肉を好んだことは、漢字からも窺い知ることができる。例えば、「善」(饍の原字。おいしい、よい)とか、「美」(「羊+大」からなる)など、「良い」という意味の字には、しばしば「羊」という字が含まれていることからもわかる。とりわけ、栄養の「養」(食物のうまみ)という字は、「羊と食」からなっており、しかも発音からみても、羊と養は同じである(藤堂明保『漢字の話 上』朝日選書、1986年、45頁)。
ところで、羊という漢字については、宮下奈都『羊と鋼の森』(文藝春秋、2015年[2016年版])にも出てくる。
小説『羊と鋼の森』は、一見、不可解で不思議な題名である。その内容は、主人公・外村が、高校の時に、ピアノの調律師・板鳥さんに偶然に出会い、その音色に魅せられて、自らも調律師になろうと決心し、専門学校を卒業し、地元近くの江藤楽器に就職し、調律師として成長する物語である。
ラスト・シーンで、羊という漢字について、次のようにある。
「外村くんのところ、牧羊が盛んなんでしょう。それで思い出した、善いって字は、羊から来てるんですって」
「へえ」
「美しいっていう文字も、羊から来てるって、こないだ読んだの」
少し考えながら、思い出すように話す。
「古代の中国では、羊が物事の基準だったそうなのよ。神への生贄だったんだって。善いとか美しいとか、いつも事務所のみんなが執念深く追求してるものじゃない。羊だったんだなあと思ったら、そっか、最初っからピアノの中にいたんだなって」
ああ、そうか、初めからあの黒くて艶々した大きな楽器の中に。
目をやると、ちょうど和音が新しい曲を弾きはじめるところだった。美しく、善い、祝福の歌を。」
(宮下奈都『羊と鋼の森』文藝春秋、2015年[2016年版]、242頁~243頁)
主人公・外村は、山で暮らし、森に育ててもらった。牧羊も盛んであったことを、江藤楽器の事務・北川さんが思い出して、「善」という漢字は、羊から来ているという由来の話を持ちだしたのである。そして、「美」という漢字も、羊から来ていると芋づる式に付けたす。また、古代の中国では、羊が物事の基準で、神への生贄だったという。その羊は、最初からピアノの中に、フェルトとして存在していたことに思いを致している。
著者も説明しているように、ピアノの音が鳴る仕組みは、鍵盤を叩くと、羊毛を固めたフェルトでできたハンマーが連動して、垂直に張られた弦を打つのである(宮下奈都『羊と鋼の森』文藝春秋、2015年[2016年版]、62頁参照のこと)
【宮下奈都『羊と鋼の森』はこちらから】
羊と鋼の森 (文春文庫)
魚偏の次の話題、例えば動物として、「栗鼠」という漢字の読みについて、藤堂は面白いことを記している。
「栗鼠」と書いて、「リス」と読むのは、歴史的由来があるという。つまりそれは、鎌倉時代の日中交流の結果であるというのである。
鎌倉時代には、お坊さんが日中交流の立て役者で、南宋に留学して、リスということばをもたらしたそうだ。それまでは、「きねずみ」が通称であったらしい。
ところで、「栗鼠」は、漢音では「リッソ」と読むべきだが、13世紀の中国語では、栗(lit)のtが消えてliとなり、また鼠(発音∫io)の母音がuに変わったので、シュ→スと発音したという。
「リス」というのは、日本で中世(藤堂によれば宋元明)ふうの漢語をまねた発音で、これを「唐宋音」と呼びならしていると藤堂明保は解説している(藤堂明保『漢字の話 上』朝日選書、1986年、57頁~58頁)。
「色彩の漢字」の中でも「紫(むらさき)」という漢字については藤堂明保の解説の筆の冴えを感じるので、紹介しておこう。
「紫」という字は「糸と此(シ)」から成っている。「此」という字は「止(足先の形)」+比(ならぶ)という字の右半分」を組み合わせたものである。ふたりの人がきちんと並んだことを表すのが比例・比較の「比」という字だが、その半分だけをとれば「中途半端にならぶ」ことを表す。
ところで、左右の止(あし)を中途半端に並べたら、足の爪先は出たり入ったり、ぎざぎざしてふぞろいになる。そこで此(シ)を含む字は、「不ぞろいでぎざぎざする」という意味をもっていると藤堂は解釈している。例えば、柴(サイ)は長短ふぞろいである、山から刈ってきたたき木である。雌(シ)とは左右のつばさをおしりの所でぎざぎざと交差さえているメス鳥のことである。
そして「紫」に関しては、まずあかく染めた糸や布を、今度は青色の染料につけると、色がぎざぎざににじみあい、二つの色が交差したところに「むらさき」が現れるというのである。つまり「紫」とは、ふぞろいににじんだ中間色ということであると解説している。孟子は、「紫をにくむは、その朱(あか)を乱すことを恐るればなり」と言っている。あか色の中に、ぎざぎざとにじんで生じた紫色は、いかにも不純な乱れを感じさせ、実にいやな色だというわけである。このように、昔は紫は大変に人にいやがられた不純な色であった。
ただ、のち中国でも日本でも、むしろ中間色を尊ぶようになったため、「紫」は高級な色の仲間入りをしたから、不思議といえば不思議である(藤堂明保『漢字の話 下』朝日選書、1986年[1989年版]、237頁~238頁)。
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漢字の話〈下〉 (朝日選書)
日本文学史で「紫」といえば、あの『源氏物語』の作者、紫式部が思い浮かぶ。物語の中にも、この紫色は重要な役割を演じている。源氏の憧れの人は藤壺であり、藤壺に縁のある藤の花は紫色である。そしてその藤壺の姪にあたる10歳の紫の上と、18歳の光源氏が初めて出会い、葵の上の没後、14歳のときに初めて結ばれた。『源氏物語』においても、紫という色は“宿命の色”であった。紫の上は源氏に生涯愛されながら、正妻になれず、子どももできないままであり、31歳のときには、女三の宮が源氏の正妻に迎えられるという不幸が襲いかかり、43歳で一生を終えてしまう(瀬戸内寂聴『源氏に愛された女たち』講談社、1993年、125頁~135頁)。
ともあれ、紫色は尊ばれた色でありながら、その昔、人にいやがられた不純な色であった。
(2021年3月19日投稿)
【はじめに】
今回も藤堂明保『漢字の話』(朝日選書)をもとにして、『説文解字』について、そして擬態音をもとにして作られたとされる、動物に関する漢字などについて、解説してみたい。
また、中国人にとって、羊はその生活に密接に関わり、そのことが漢字にも表れているようだ。宮下奈都の小説『羊と鋼の森』(文藝春秋)にも、この点がそれとなく触れてある。漢字の世界は奥が深いのがわかる。
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
<その4>
・『説文解字』について
・擬態語について
・中国人と羊について
・羊という漢字と小説『羊と鋼の森』
・「栗鼠」という漢字の読みについて
・紫という漢字
※「羊という漢字と小説『羊と鋼の森』」については、新たに書き下ろしてみた。この小説については、後日、紹介してみたい。
『説文解字』について
後漢の許慎という学者は、紀元98年に『説文解字』15巻を著し、9353字について、その成り立ちを解説した。
19世紀の末に甲骨文字(亀の甲や動物の骨に、殷の王朝の占い師が占卜の内容をメモしたもの)が現れるまで、この『説文解字』は文字解説の最も古い、かつ権威ある書物とみなされた。
今日は、甲骨文字および金石文字(青銅器や石に刻まれた文字)の研究が進み、とりわけ上古の漢語の発音を再現できるほどに漢語音韻論が長足の進歩をとげたので、『説文解字』は往時ほど権威を保てなくなったものの、それでも語源研究と文字研究の重要な資料である(藤堂明保『漢字の話 下』朝日選書、1986年[1989年版]、225頁)。
【藤堂明保『漢字の話 下』朝日選書はこちらから】
漢字の話〈下〉 (朝日選書)
擬態語について
擬態語について丸谷才一は面白いことを記している。
シェイクスピアの声喩(擬態語)の代表として、丸谷は「バウ・ワウ」という犬の声、「コックドゥードル・ドゥー」という鶏の声、そして「ディン・ドン」という鐘の音を挙げている。そしてこの擬声音ないし擬態音がむやみに多いのは日本語の特質であり、もっともこれはひょっとするとアジアの言語に共通する性格かもしれないと指摘している。また文章表現の秘訣として、この擬態音を濫用すると何となく幼児語めいた印象を与えてうまくないし、かと言って、きびしくしりぞけるときには、日常生活から遊離したような、冷ややかでそらぞらしい感じになりかねないという。卓見であろう(丸谷才一『文章読本』中央公論社、1977年、220頁~221頁)。
【丸谷才一『文章読本』中央公論社はこちらから】
文章読本 (中公文庫)
ところで、漢語は、この擬態音をもとに動物に関する漢字を創出していったことを藤堂明保は論じている。それは、藤堂明保『漢字の話 上・下』(朝日選書、1986年)という本の中で記している。
魚偏の魚だけでなく、ケモノ類の漢字についても、付言しておきたい。
ニワトリはケーケーと鳴くので、鶏(けい、唐代にはkei)といい、カラスはアーアーと鳴くので、鴉(あ、唐代にはa)というそうだ。トラはおそろしい声でホーホーとほえるので虎(こ、唐代にはho)と呼ぶし、キツネはクワクワと叫ぶので狐(こ、唐代にはhua)
という。イヌを犬(けん)と称するのも、ケンケン(kuen)と鳴くからであるようだ。ネコを猫(びょう)というのはおそらく「ミャオ・ミャオ」と鳴く声からきた擬声語であろうと藤堂は推測している(藤堂明保『漢字の話 上』朝日選書、1986年、26頁、37頁、49頁)。
ただ、「虎(コ)」は、トラの鋭い牙に着眼した象形であるという解釈があり、むしろこちらが一般的であろう。そして「虍(コ)」はトラの頭の部分だけを取りあげた象形で、漢字の部首として「とらがしら・とらかんむり」と呼ばれている(遠藤哲夫『漢字の知恵』講談社現代新書、1988年[1993年版]、99頁~100頁)。
【遠藤哲夫『漢字の知恵』講談社現代新書はこちらから】
漢字の知恵 (講談社現代新書)
【藤堂明保『漢字の話 上』朝日選書はこちらから】
漢字の話〈上〉 (朝日選書)
【藤堂明保『漢字の話 下』朝日選書はこちらから】
漢字の話〈下〉 (朝日選書)
中国人と羊について
中国人が昔から羊肉を好んだことは、漢字からも窺い知ることができる。例えば、「善」(饍の原字。おいしい、よい)とか、「美」(「羊+大」からなる)など、「良い」という意味の字には、しばしば「羊」という字が含まれていることからもわかる。とりわけ、栄養の「養」(食物のうまみ)という字は、「羊と食」からなっており、しかも発音からみても、羊と養は同じである(藤堂明保『漢字の話 上』朝日選書、1986年、45頁)。
羊という漢字と小説『羊と鋼の森』
ところで、羊という漢字については、宮下奈都『羊と鋼の森』(文藝春秋、2015年[2016年版])にも出てくる。
小説『羊と鋼の森』は、一見、不可解で不思議な題名である。その内容は、主人公・外村が、高校の時に、ピアノの調律師・板鳥さんに偶然に出会い、その音色に魅せられて、自らも調律師になろうと決心し、専門学校を卒業し、地元近くの江藤楽器に就職し、調律師として成長する物語である。
ラスト・シーンで、羊という漢字について、次のようにある。
「外村くんのところ、牧羊が盛んなんでしょう。それで思い出した、善いって字は、羊から来てるんですって」
「へえ」
「美しいっていう文字も、羊から来てるって、こないだ読んだの」
少し考えながら、思い出すように話す。
「古代の中国では、羊が物事の基準だったそうなのよ。神への生贄だったんだって。善いとか美しいとか、いつも事務所のみんなが執念深く追求してるものじゃない。羊だったんだなあと思ったら、そっか、最初っからピアノの中にいたんだなって」
ああ、そうか、初めからあの黒くて艶々した大きな楽器の中に。
目をやると、ちょうど和音が新しい曲を弾きはじめるところだった。美しく、善い、祝福の歌を。」
(宮下奈都『羊と鋼の森』文藝春秋、2015年[2016年版]、242頁~243頁)
主人公・外村は、山で暮らし、森に育ててもらった。牧羊も盛んであったことを、江藤楽器の事務・北川さんが思い出して、「善」という漢字は、羊から来ているという由来の話を持ちだしたのである。そして、「美」という漢字も、羊から来ていると芋づる式に付けたす。また、古代の中国では、羊が物事の基準で、神への生贄だったという。その羊は、最初からピアノの中に、フェルトとして存在していたことに思いを致している。
著者も説明しているように、ピアノの音が鳴る仕組みは、鍵盤を叩くと、羊毛を固めたフェルトでできたハンマーが連動して、垂直に張られた弦を打つのである(宮下奈都『羊と鋼の森』文藝春秋、2015年[2016年版]、62頁参照のこと)
【宮下奈都『羊と鋼の森』はこちらから】
羊と鋼の森 (文春文庫)
「栗鼠」という漢字の読みについて
魚偏の次の話題、例えば動物として、「栗鼠」という漢字の読みについて、藤堂は面白いことを記している。
「栗鼠」と書いて、「リス」と読むのは、歴史的由来があるという。つまりそれは、鎌倉時代の日中交流の結果であるというのである。
鎌倉時代には、お坊さんが日中交流の立て役者で、南宋に留学して、リスということばをもたらしたそうだ。それまでは、「きねずみ」が通称であったらしい。
ところで、「栗鼠」は、漢音では「リッソ」と読むべきだが、13世紀の中国語では、栗(lit)のtが消えてliとなり、また鼠(発音∫io)の母音がuに変わったので、シュ→スと発音したという。
「リス」というのは、日本で中世(藤堂によれば宋元明)ふうの漢語をまねた発音で、これを「唐宋音」と呼びならしていると藤堂明保は解説している(藤堂明保『漢字の話 上』朝日選書、1986年、57頁~58頁)。
紫という漢字
「色彩の漢字」の中でも「紫(むらさき)」という漢字については藤堂明保の解説の筆の冴えを感じるので、紹介しておこう。
「紫」という字は「糸と此(シ)」から成っている。「此」という字は「止(足先の形)」+比(ならぶ)という字の右半分」を組み合わせたものである。ふたりの人がきちんと並んだことを表すのが比例・比較の「比」という字だが、その半分だけをとれば「中途半端にならぶ」ことを表す。
ところで、左右の止(あし)を中途半端に並べたら、足の爪先は出たり入ったり、ぎざぎざしてふぞろいになる。そこで此(シ)を含む字は、「不ぞろいでぎざぎざする」という意味をもっていると藤堂は解釈している。例えば、柴(サイ)は長短ふぞろいである、山から刈ってきたたき木である。雌(シ)とは左右のつばさをおしりの所でぎざぎざと交差さえているメス鳥のことである。
そして「紫」に関しては、まずあかく染めた糸や布を、今度は青色の染料につけると、色がぎざぎざににじみあい、二つの色が交差したところに「むらさき」が現れるというのである。つまり「紫」とは、ふぞろいににじんだ中間色ということであると解説している。孟子は、「紫をにくむは、その朱(あか)を乱すことを恐るればなり」と言っている。あか色の中に、ぎざぎざとにじんで生じた紫色は、いかにも不純な乱れを感じさせ、実にいやな色だというわけである。このように、昔は紫は大変に人にいやがられた不純な色であった。
ただ、のち中国でも日本でも、むしろ中間色を尊ぶようになったため、「紫」は高級な色の仲間入りをしたから、不思議といえば不思議である(藤堂明保『漢字の話 下』朝日選書、1986年[1989年版]、237頁~238頁)。
【藤堂明保『漢字の話 下』朝日選書はこちらから】
漢字の話〈下〉 (朝日選書)
日本文学史で「紫」といえば、あの『源氏物語』の作者、紫式部が思い浮かぶ。物語の中にも、この紫色は重要な役割を演じている。源氏の憧れの人は藤壺であり、藤壺に縁のある藤の花は紫色である。そしてその藤壺の姪にあたる10歳の紫の上と、18歳の光源氏が初めて出会い、葵の上の没後、14歳のときに初めて結ばれた。『源氏物語』においても、紫という色は“宿命の色”であった。紫の上は源氏に生涯愛されながら、正妻になれず、子どももできないままであり、31歳のときには、女三の宮が源氏の正妻に迎えられるという不幸が襲いかかり、43歳で一生を終えてしまう(瀬戸内寂聴『源氏に愛された女たち』講談社、1993年、125頁~135頁)。
ともあれ、紫色は尊ばれた色でありながら、その昔、人にいやがられた不純な色であった。
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