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《「ミロのヴィーナス」考 その5 高階秀爾氏の著作紹介》

2019-11-27 17:29:40 | 西洋美術史
《「ミロのヴィーナス」考 その5 高階秀爾氏の著作紹介》 

 

【はじめに】


このブログの「ミロのヴィーナス」考シリーズの冒頭にも記したように、西洋美術史の大家である高階秀爾氏の著作『ミロのヴィーナスはなぜ傑作か?――ギリシャ・ローマの神話と美術――』(小学館、2014年)は、現在、「ミロのヴィーナス」について書かれた、最も入手しやすい美術書である。


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 今回のブログからは、数回に分けて、冒頭で述べた著者、高階秀爾氏、ハヴロック氏、ケネス・クラーク氏、若桑みどり氏、中村るい氏の著作内容について、紹介してゆきたいと思う。各氏が、「ミロのヴィーナス」ないしヴィーナス像について、どのようなアプローチで美術史に位置づけようとしているのかについて、理解してみたい。
 
 まず最初に、今回は高階氏の著作を紹介するが、この著作の特徴は、何といっても、本のタイトルに著者の意図が明確に打ち出されているように、「ミロのヴィーナス」はなぜ傑作か?という問題に、真正面から取り組んでいる点にある。すなわち、古代ギリシャ人の考えた「美」の条件を提示して、そこから「ミロのヴィーナス」の美しさについて考えている点が、この著作の長所である。
 そして、ギリシャ・ローマ神話に登場する“ヴィーナス的なる女神”(ヘラ、アテナ、レダ、ディアナなど)が、ヨーロッパ絵画において、具体的にどのように描かれてきたのかについて、神話内容に触れながら、解説している。
 今回のブログでは、先に高階氏が挙げた「美」の条件の一つであるコントラポストに焦点をあてて、その著作内容を紹介しておきたい(以下、敬称省略)。



 今回のブログの執筆項目は、次のようになる。
◆ミロのヴィーナスはなぜ傑作か?――古代ギリシャの「美」の条件
◆コントラポストのポーズのヴィーナス絵画
 ・ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」
 ・アテナ(ミネルヴァ)の場合
 ・レダの場合
 ・ディアナの場合
 ・アンドロメダの場合




【ミロのヴィーナスはなぜ傑作か?】



<古代ギリシャの「美」の第1条件>

 
愛と美の女神として思い浮かぶヴィーナスは、ギリシアの女神アフロディテのラテン語名を英語読みしたものである。ルーヴル美術館が誇る名作「ミロのヴィーナス」(前2世紀末、大理石、高さ202cm)も、それが制作された当初は「アフロディテ」と呼ばれていたはずである。
ミロのヴィーナスはなぜ傑作か?という問いに対して、高階は次のように答えている。
まず、そのポーズに注目している。身体を大きくひねった、一見、不安定な姿でありながら、全体としては非常に安定したポーズである。これは、腰を起点として上半身をひねることで生じる重心の偏りを、右脚で支えることによってバランスをとっている。このため、身体の正中線(身体の中心を通る線)はS字型に湾曲するが、重心線(身体の重心の位置)は、垂直に保たれることになり、安定感が得られるのだそうだ。
このようなポーズを古代ギリシャ人は、紀元前5世紀頃に見出した。この「部分と全体の調和のとれた比例関係」は、古代ギリシャ以前のメソポタミアや古代エジプトの彫刻と比較することにより、明らかになるという。
古代メソポタミアや古代エジプトにおいて、紀元前3000年~1000年頃につくられた王の立像(ルーヴル美術館蔵)などは、正面を向き垂直に立ち、正中線が垂直で全く動きを感じさせない。さらに、全体が単一で、身体の各部分、あるいは部分と全体に本質的な区別がなく、いわば一体化されている。

それに対して、「ミロのヴィーナス」では、頭部、上半身、腰、両脚がそれぞれ別々の部分として明確に区別されているにもかかわらず、全体としては統一が保たれている。この「部分と全体の調和」こそが、古代ギリシャ人が考えた「美」の第一の条件であると高階は考えている。そして、その「調和」を生み出しているのが、身体各部分の間に設けられた「比例関係」である。今日でも「八頭身美人」というような表現が用いられるが、この身体の各部分を比例関係によって結びつけたのが、古代ギリシャ人だった。人体の各部分を統合するこの比例関係は「カノン(規範)」と呼ばれる。
紀元前5世紀頃に古代ギリシャの彫刻家ポリュクレイトスによって「1対7」(すなわち七頭身)のカノンが生み出された(前430年頃のオリジナルに基づきローマ時代に模刻された「傷つけるアマゾン」という大理石の彫刻。高さ202cm、カピトリーノ美術館[ローマ])。
そして紀元前4世紀頃には、「1対8」(すなわち八頭身)のカノンへと洗練され、それが今日でも「美しい身体」を表す基準となっている。

<古代ギリシャの「美」の第2条件>

 
古代メソポタミアおよびエジプトの彫刻と「ミロのヴィーナス」を比較した際に大きな違いは、「動き」がともなうか否かにある。「ミロのヴィーナス」では、身体の重心が右脚によって支えられているために、左脚は自由に動かすことができる。そのため左脚を大きく前に踏み出すことができ、それが身体のねじれと呼応して、生き生きとした動勢を生み出している。この「動き」の導入が、古代ギリシャ人が考えた「美」の第二条件であるという。
つまり、S字型にひねった身体と重心を支える「支脚」、自由に動かせる「遊脚」によって生み出された、安定していながら動勢を感じさせるこのポーズは、「コントラポスト」と呼ばれる。そしてこの後、ヨーロッパの彫刻および絵画における人体表現の基本となる。
例えば、ボッティチェリ(1444/45~1510)の描いた「ヴィーナスの誕生」(1483~85年頃、ウフィツィ美術館[フィレンツェ])のヴィーナスは、「カピトリーノのヴィーナス」(前330~前225年頃のオリジナルに基づくローマ時代の模刻、大理石、高さ193cm、カピトリーノ美術館[ローマ])のような作例に基づく。そして盛期イタリア・ルネサンスの巨匠ミケランジェロ(1475~1564)の「ダヴィデ」(1501~04年、大理石、高さ410cm、アカデミア美術館[フィレンツェ])、同時代のドイツで活躍したエーアハルト(1460年頃~1540年?)の「マグダラのマリア」(1510年、木、高さ177cm、ルーヴル美術館)などの彫刻も、この「コントラポスト」に具現された人体に対する美意識である。

<古代ギリシャの「美」の第3条件>

 
古代ギリシャ人が考えた「美」の第三の条件は、「衣装表現」であるという。古代ギリシャ彫刻の女性像に見られる衣装の表現は写実的である。
一般的なイメージとは異なり、古代ギリシャにおいて裸体表現がつくられたのは、もっぱら男性像であり、女性の裸体像が初めてつくられたのは紀元前4世紀頃のことで、それまで女性像はすべて着衣像であった。

この点について、ケネス・クラークも言及している。すなわち、ギリシャに紀元前6世紀の作とされる女性裸体像はなく、紀元前5世紀にもなおきわめて稀であるという。この時期に少なかったのは、宗教的理由とともに社会的理由があったことを指摘している。
アポロンのはだかは彼の神性の一部をなしていたのに対し、アフロディテは衣をまとっていなければならぬとする古い儀式の伝統と禁忌(タプー)が明らかに存在していたからとする。アフロディテが海から生まれたとか、キプロス島から到来したという伝承には、真実が含まれており、はだかのヴィーナスとは東方的な概念であって、初めてギリシャ美術に現われた際、アフロディテは自分の出生を明示する形状をとっていたようだ。
プラクシテレスのモデルだったとされるフリュネーが聖職者側の不満の対象となったのも、道徳的な理由というよりは、彼女の肉体美が異端への誘引となると思われたためであるという。
ヴィーナスの美しさは露わにすべきものではないという旧い儀式的感情は、紀元前4世紀にもかなり持続しており、コス島の人びとが着衣のヴィーナスを好んで、プラクシテレスの裸体のヴィーナスを受け容れなかったという事情の背後には、この感情が働いていたとケネス・クラークは推測している。
また社会的にみても、古代ギリシャ人の女性たちは強い拘束があり、頭から足まで重々しく衣をまとって歩き、家事だけにいそしむのが慣わしとなっていた(ただしスパルタの女性たちだけは例外であった)(ケネス・クラーク、1971年[1980年版]、100頁~101頁、110頁~111頁)。

そのため、女性の身体を表現するために用いられたのが、水に濡れたり風に吹かれたりして身体に張り付いた衣装が生み出す線の美しさであった。
「ルドヴィシの玉座」正面の「ヴィーナスの誕生」(紀元前460年頃、大理石、高さ104cm、
  国立博物館[ローマ])
「サンダルの紐を解くニケ」(紀元前410年頃、大理石、高さ140cm、アクロポリス博物館[アテネ])
などに見られるような、身体にぴったりと張り付いた衣裳の線によって身体のふくらみを表す彫刻がつくられた。
(フランス人は薄くて身体にぴったりついた着物を「濡れた衣」(draperie mouillée)と表現した[ケネス・クラーク、1971年[1980年版]、104頁]。英語では「ウェット・ドレーパリー(wet drapery)」という[中村、2017年[2018年版]、186頁~187頁])。

その中でもっとも優れた作品が、ルーヴル美術館の三大至宝の一つ「サモトラケのニケ」(紀元前190年頃、大理石、像高245cm)である。勝利の女神の身体が、そのゆるやかなコントラポストと相まって、風に吹かれる衣装の線の美しさによって見事に表現されている。
一方、「ミロのヴィーナス」を見てみると、上半身では裸体の美しさを、下半身では衣装の美しさを表すことによって「写実的な理想主義」が見事に実現されていると高階は解説している。

<古代ギリシャの「美」の3条件と「ミロのヴィーナス」>


以上、古代ギリシャ人が考えた「美」の条件として、3つを高階は挙げている。すなわち、
① 部分と全体の調和のとれた比例関係
② 「動き」の導入、コントラポスト(安定していながら、動勢を感じさせるポーズ)
③ 衣装表現の美しさ――写実的理想主義
もう一度、なぜ「ミロのヴィーナス」は「傑作」なのかという問いに立ち戻ってみる。この「ミロのヴィーナス」という彫刻が、これらの「美」の3つの条件を満たしているからなのか。確かにそうだが、より正確に言うと、その答えは、むしろ逆で、「ミロのヴィーナス」に代表されるような作品こそがヨーロッパ美術における造形表現の基本となっているからと答えている。つまり、このような彫刻こそが「美」の3条件を具現するものとして、その後のヨーロッパ美術を生み出す源泉となってきたというのである。

さらに続けて高階は付言している。ヨーロッパ美術において、ひとつの作品が美しいかどうか、傑作であるかどうかは、「ミロのヴィーナス」のような彫刻を基準としてはかられるとする。その意味で「ミロのヴィーナス」は、それ自体が、「傑作」であるというだけではなく、ヨーロッパ美術の歴史における数多くの傑作の源となっている一群の作品の、いわば「代名詞」なのであるというのである(高階秀爾『ミロのヴィーナスはなぜ傑作か?――ギリシャ・ローマの神話と美術――』小学館、2014年、3頁~34頁)。

私流に言いかえると、「ミロのヴィーナス」(1820年に発見されたが、紀元前100年頃に遡れる作品)は、それ自体作品として、古代ギリシャ人の「美」の3条件を満たし「傑作」であるのみならず、“ミロのヴィーナス的なるもの”(紀元前5世紀から紀元前2世紀に作られた「美」の基準)が、ヨーロッパ美術史の「傑作」を生み出し、その源泉となったということか。

<高階の著作の概要>


このあと、高階は、第2章から第10章にかけて、ヨーロッパ美術史において、ヴィーナス的なる女神、すなわち、ヘラ、アテナ、レダ、ディアナ、ガラテイア、フローラ、ダナエをテーマとして、個々の作品をギリシャ・ローマ神話に基づいて、解説してゆく。
ここでは、コントラポストに焦点をあてて、内容を紹介しておきたい。

<ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」について>


前述したように、初期イタリア・ルネサンスの巨匠ボッティチェリは、「ヴィーナスの誕生」において、そのヴィーナスをコントラポストで立たせている。そして「カピトリーノのヴィーナス」という紀元前4世紀にまで遡れる古代ギリシャの彫像の「恥じらいのヴィーナス」というポーズをとらせている。
ギリシャ神話によれば、クロノスが、寝込んでいたウラノスの生殖器を大鎌で切り取り、地中海に投げ捨てた時、海に白い泡が立ち、その泡の中から産まれたのが、「天上のヴィーナス(アフロディテ)」と呼ばれるヴィーナスである。
ボッティチェリの絵では、泡から産まれたヴィーナスが大きな貝殻に乗って、岸辺に流れ着いた場面が描かれている。画面左には、花のニンフ(精霊)クロリスを抱いた西風の神ゼフュロスがいて、風を送っている。ヨーロッパでは、西風は春の訪れを意味し、ヴィーナスのアトリビュート(持物)で愛の象徴である薔薇の花が舞っている。

ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」は、ルネサンス期において、ヴィーナスを裸体で肯定的に描いた絵画として早い作品であるが、この前例のない女神の図像化をどのように実現したのだろうか。
この問いに対して、次のような説を高階秀爾は紹介している。それは、レオナルド・ダ・ヴィンチの師ヴェロッキオ(1435~1488)や、イタリア・ルネサンスの先駆者である彫刻家ギベルティ(1378/81頃~1455)による「キリストの洗礼」を主題とした宗教美術をモデルにしたという。
すなわち、ヴェロッキオの「キリストの洗礼」(1472~75年頃、177×152cmのウフィツィ美術館[フィレンツェ])という作品では、中央に裸身のイエスが立ち、画面右にイエスの頭上に手を差し伸べる洗礼者ヨハネ、左に衣装を持って待つ2人の天使(レオナルドが描いたとされる)が配置されている。この人物配置の構図が「ヴィーナスの誕生」に応用されたようだ。

<受け継がれたコントラポスト>


イタリア・ルネサンスの巨匠ボッティチェリが描いたヴィーナスのコントラポストというポーズは、その後の図像にも受け継がれた。例えば、ルネサンス後期のヴェネツィア派の画家ティツィアーノ(1488/89~1576)の「海から上がるヴィーナス」(1520年頃、75.8×57.6cm、スコットランド国立美術館[エディンバラ])においては、海の泡から産まれたヴィーナスが地上に降り立ったところで、濡れた髪の毛をしぼっている場面を描いている。
同じ場面は、テオドール・シャセリオー(1819~56)の「水から上がるヴィーナス」(1838年、65.5×55cm、ルーヴル美術館[パリ])、ウィリアム・ブグロー(1825~1905)の「ヴィーナスの誕生」(1879年頃、300×125cm、オルセー美術館[パリ])がある。

<アテナ(ミネルヴァ)の場合>


ヴィーナス以外の女神も、このコントラポストというポーズをとっている。例えば、16世紀フランドル(現在のベルギー)のマニエリスムの画家スプランヘル(1546~1611)の「ミネルヴァの勝利」(1591年頃、163×117cm、美術史美術館[ウィーン])がある。
ロバの耳をもった「無知」を踏みつける知恵の女神としてのアテナ(ミネルヴァ)は、マニエリスム特有の長く引き延ばされた身体で、ゆるやかなコントラポストのポーズをとっている。アテナは、ゼウスと彼の最初の妻で知恵の女神メティスとの間に産まれた、知恵・技芸・武芸の女神であり、武具がアトリビュート(持物)である。アテナは、「パリスの審判」において、トロヤの王子パリスの前で、女王神ヘラや美の女神ヴィーナスとともに美しさを競ったり、機織り女アラクネと腕比べを行ない、蜘蛛に変えたりした。

<レダの場合>


その他にも、ギリシャ神話の主神ゼウスが恋したスパルタ王の妃レダも、このコントラポストのポーズをとっている。ゼウスは、白鳥に変身してレダに近づき、結ばれる。レダが産んだ卵から女の子の双子と男の子の双子が産まれた。
レオナルド・ダ・ヴィンチの素描「レダと白鳥のための習作」(1503~04年、黒チョーク、160×139cm、チャッツ・ワース・ハウス [イギリスのデヴォンシャー・コレクション])や、レオナルド工房の画家「レオナルド・ダ・ヴィンチの≪レダと白鳥≫模写」(1508~15年、130×77.5cm、ウフィツィ美術館[フィレンツェ])がある。これらの絵画では、コントラポストのポーズをとったレダの足元に、孵ったばかりの2つの卵と4人の赤ん坊が描かれている。
またレオナルドの素描を見て、ラファエロが描いた素描「レオナルド・ダ・ヴィンチの≪レダと白鳥≫模写」(1505年頃、31×19cm、王室図書館[イギリスのウィンザー城])では、簡潔な線によって見事な女性像が描き出されている。

<ディアナの場合>


また、ディアナ(アルテミス、ダイアナ)は、主神ゼウスとティターン族の女神レート―の間に産まれた狩猟・純潔・月の女神であるが、その歩く姿にはコントラポストが用いられた。例えば、フォンテーヌブロー派の画家による「狩りをするディアナ」(1550~60年頃、192×132cm、ルーヴル美術館[パリ])がそうである。狩りの女神を示す弓矢と矢筒を携え猟犬を連れ、森の中を歩くディアナが描かれている。頭には月の女神であることを示す三日月の飾りが見える。

実はこのディアナは、フランス国王フランソワ1世とその子アンリ2世2代にわたる寵姫(ちょうき)で、女神と同じ名前をもった女性ディアンヌ・ド・ポワティエをモデルとして描かせた。いわば「見立て絵」(古典的な題材を当世風の人物によって描いた絵)となっている。切れ長の目など女神の顔貌表現に寵姫の特徴がよく描写されているといわれる。
フランソワ1世は、自国の美術を発展させ、「第二のローマ」とするために、イタリアから優れた美術家をパリ郊外フォンテーヌブローの森の宮殿に招聘し、フランス人美術家とともに共同制作させた。その美術家集団の名称がフォンテーヌブロー派である。
盛期ルネサンスの巨匠ミケランジェロやラファエロの「マニエラ(様式)」を洗練・発展させた優雅なマニエリスムに基づく宮廷美術で、長く引き延ばされた人体表現や曲線の多様を特徴とする。この作品でも、ディアナの身体は10等身に引き延ばされたカノン(規範)で描かれている。

コントラポストで立つディアナを描いたものとしては、フランス古典主義の祖であるプッサン(1594~1665)による「ディアナとエンデュミオン」(1630年頃、121.9×168.9cm、デトロイト美術館[アメリカ])がある。
純潔の女神ディアナも、羊飼いの美青年エンデュミオンに一目惚れしたことがあった(本来、この物語はギリシャ神話の月の女神セレネにまつわるものだったが、のちにセレネが月の女神としてのディアナと同一視されるようになり、ディアナの恋物語と変わったようだ)。
人間のエンデュミオンが年をとることを憐み、その美貌を永遠のものとするために、女神は彼を不老不死にしてくれるように、主神ゼウスに頼む。願いを聞き入れた主神ゼウスは、
エンデュミオンを永遠の眠りにつかせることで、彼が老いないようにした。そのためディアナは夜ごと彼のもとを訪れ、そばに寄り添い抱きしめたという。

プッサンの絵では、猟犬を連れ、矢を持ち三日月の飾りを付け、コントラポストでディアナは立っており、その肩には愛の神キューピッドがいる。背景では太陽神アポロンが馬車に乗って今まさに登場したところで、画面右手では「夜」の神が文字通り夜のとばりをあけていく。夜明けとともに立ち去る月の女神とエンデュミオンの別れの切ない瞬間が描かれている。

コントラポストのポーズではないが、このディアナを描いた美しい絵画がルーヴル美術館にある。18世紀ロココの画家ブーシェ(1703~70)の「ディアナの水浴」(1742年、56×73cm、ルーヴル美術館[パリ])がそれである。
狩りの後で休息する女神の姿を描いている。三日月の飾りを頭に付けたディアナがニンフにかしずかれ、水浴する場面である。弓と矢筒は、狩りの成果である獲物とともに脇に置かれ、猟犬も画面の端で水を飲んでいる。本作のディアナとニンフは、より現世的肉体をもって描かれ、官能的である。


※ブーシェの≪ディアナの水浴≫(ルーヴル美術館) 2004年5月筆者撮影




<アンドロメダの場合>


ところで、青銅の塔に幽閉されたダナエのもとに、主神ゼウスは黄金の雨に変身して近づき、結ばれた。そしてダナエはペルセウスを産む。二人はキクラデス諸島のセリフォス島に漂着するが、その島の領主がダナエに恋して、ペルセウスを遠ざけるため、メデューサ討伐を命じる。ペルセウスは、知恵と戦いの女神アテナたちの協力により、討伐に成功し、故郷に帰る途中、生け贄として岩に縛りつけられていたエチオピアの王女アンドロメダを怪物退治して救出する。
こうしたペルセウスの怪物退治は古くから人気の高いテーマで、古代ギリシャの壺絵にも「アンドロメダを救うペルセウス」(紀元前6世紀頃、コリント式、瓶、ベルリン旧博物館)がある。岩に縛りつけられたアンドロメダは、ヴィーナスの絵と同様、最初は着衣で描かれていた。
しかし、ルネサンス以降は裸体で描かれるようになり、さらにアンドロメダの肢体は、身体をひねった大きなコントラポストのS字型で描かれるようになる。
例えば、ヨアヒム・ウテワール(1566~1638)の「アンドロメダを救うペルセウス」(1611年、180×150cm、ルーヴル美術館[パリ])や、ドラクロワ(1798~1863)の「ペルセウスとアンドロメダ」(1853年、43.7×34.5cm、州立美術館[ドイツのシュトゥットガルト)がそれである。ドラマチックな物語と美しい裸体を描くのに、これほど適した場面はなかったからである(高階秀爾『ミロのヴィーナスはなぜ傑作か?――ギリシャ・ローマの神話と美術――』小学館、2014年、36頁~43頁、94頁~95頁、108頁~109頁、116頁~118頁、140頁~146頁、200頁~210頁)。

<高階秀爾の著作のまとめ>


以上、高階秀爾の著作内容を紹介してきた。
第1章では、美術における「傑作」とは何か、「傑作」を成り立たせている条件ははどういうものかについて考察していた。
そこでは、古代ギリシャ人が考えた「美」の3つの条件を提示している。すなわち、

  • 部分と全体の調和のとれた比例関係

  •   紀元前5世紀頃に彫刻家ポリュクレイトスにとって七頭身の比例関係「カノン(規範)」が確立され、これが紀元前4世紀頃には、八頭身のカノンへと洗練された(それが今日でも「美しい身体」を表す基準となっている。

  • 「動き」の導入がみられ、コントラポスト(安定していながら、動勢を感じさせるポーズ)が生み出された

  •   S字型にひねった身体と重心を支える「支脚」、自由に動かせる「遊脚」によって、
    コントラポストというポーズが生まれた。その後、ヨーロッパの彫刻および絵画における人体表現の基本となって、今日まで受け継がれていく

  • 衣装表現が美しく、写実的理想主義が実現されている


  • 「ミロのヴィーナス」はこれらの「美」の3つの条件を満たしている。同時に、「ミロのヴィーナス」に代表される作品が、「美」の3条件を具現するものとして、その後のヨーロッパ美術を生み出す源泉となってきた。

    続いて、第2章以下では、ギリシャ神話に登場する神々の物語を多くの具体的作例とともに解説している。
    このブログでは、古代ギリシャの「美」の3条件の一つであるコントラポストに焦点をあてて、ボッティチェリのヴィーナス、アテナ、レダ、ディアナ、アンドロメダを主題とする作品を紹介してみた。

    <高階秀爾の「ミロのヴィーナス」論の特徴について>


    高階秀爾の「ミロのヴィーナス」論の特徴について、箇条書きにして、まとめておこう。
    ・古代ギリシャ人の「美」の3条件を提示している(16頁~34頁)
    ・古代ギリシャのヴィーナス像は、男性の神像と異なり、最初は着衣像だったが、紀元前4世紀頃、初めて女神の裸体像がつくられた(30頁)
    ・「カピトリーノのヴィーナス」は取り上げられているが、「クニドスのヴィーナス」には言及していない
    ・ヴィーナスのみならず、ギリシャ神話の女神たち(主に西洋絵画)を、幅広く包括的に解説している(35頁~217頁)

    <批判点>
    ・「ミロのヴィーナス」の源流を辿るという視点はなく、時代背景、歴史状況に対しては、とりたてて考察が及んでいない
    ・古代ギリシャ彫刻史の中で、「ミロのヴィーナス」がどのような位置づけなのか、分かりにくい
    これらの批判点は、次に紹介するハヴロックの著作を読めば、ある程度、解決されるであろう。

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