歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪『源氏物語』の原文を読む(上)~桑原博史『源氏物語』より≫

2024-03-20 19:00:03 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪『源氏物語』の原文を読む(上)~桑原博史『源氏物語』より≫
(2022年3月20日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、次の参考書をもとにして、『源氏物語』の原文を読んでいきたい。
〇桑原博史『新明解古典シリーズ5 源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]
 分量が膨大なので、ストーリー展開が最小限度わかる部分に限り、名文とされる「桐壺 蓬生の宿」「賢木 野の宮」などを取り上げることにした。



【桑原博史『新明解古典シリーズ5 源氏物語』(三省堂)はこちらから】
桑原博史『新明解古典シリーズ5 源氏物語』(三省堂)






〇桑原博史『新明解古典シリーズ5 源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]
【目次】
はじがき
凡例
桐壺
 桐壺更衣(いずれの御時にか…)
 光源氏の誕生(前の世にも、御契りや…)
 桐壺更衣への迫害(かしこき御蔭をば…)
 飽かぬ別れ(その年の夏、御息所…)
 桐壺更衣の死(御胸のみ、つとふたがりて…)
 蓬生の宿(野分だちて、にはかに膚寒き…)
 小萩がもと(「目も見えはべらぬに…)
 くれまどふ心の闇(くれまどふ心の闇も…)
 藤壺宮の入内(年月に添へて、御息所の…)
 光る君とかがやく日の宮(源氏の君は、御あたり…)

帚木
 源氏の二面性(光源氏、名のみことごとしう…)
 頭中将の女性論(「『女の、これはしもと…)
 左馬頭の女性論(「『成り上れども、もとより…)
 
夕顔
 夕顔の咲く辺り(六条わたりの御忍び歩きの…)
 廃院に物の怪出現する(宵過ぐるほど…)
 夕顔の死(帰り入りて探りたまへば…)

若紫
 北山の春(わらは病みにわづらひたまひて…)
 垣間見(日も、いと長きに…)
 初草の生いゆく末(尼君、髪をかき撫でつつ…)
 密会(藤壺宮、悩みたまふことありて…)

末摘花
 前栽の雪(いとど、憂ふなりつる雪…)
 末摘花の容姿(まづ、居丈の高う…)

紅葉賀
 源氏と藤壺の苦悩(四月に、内裏へ参りたまふ…)

葵 
 頼もしげなき心(まことや、かの、六条御息所…)
 御禊の日(御禊の日、上達部など…)
 車争い(隙もなう、立ち渡りたるに…)
 生霊の噂に悩む御息所(おほい殿には、御物の怪…)
 生霊の出現(まだ、さるべきほどにもあらず…)
 そらに乱るるわが魂を(あまり、いたう泣きたまへば…)
 夕霧の誕生と葵の上の死(少し、御声も、しづまりたまへれば…)

賢木
 野の宮(つらきものに、思ひ果てたまひ…)
 御息所との対面(北の対の、さるべき所に…)
 朧月夜との密会(そのころ、かんの君…)
 右大臣の暴露(かんの君、いと、わびしう…)

須磨 
 心づくしの秋風(須磨には、いとど心づくしの…)
 恩賜の御衣(前栽の花、いろいろ咲き乱れ…)
 
明石
 明石の月(君は、「このごろ浪の音に…)

澪標
 明石の姫君(まことや。「かの、明石に…)

薄雲
 うはの空なる心地(冬になりゆくままに…)
 母子の別れ(雪・霰がちに、心ぼそさ…)

少女
 夕霧の元服(大殿腹のわか君の御元服のこと…)

玉鬘
 あかざりし夕顔(とし月へだたりぬれど…)
 椿市の宿(からうじて、椿市といふ所に…)
 衣装配り(うへも、見たまうて…)

胡蝶
 恋文(兵部卿の宮の、ほどなく…)


 絵物語(なが雨、例の年よりもいたくして…)

藤裏葉
 わが宿の藤(ここらの年頃のおもひの…)
 明石の姫君の入内(その夜は、うへ添ひて…)

若菜 上
 いはけなき姫君(三日がほど、かの院よりも…)
 几帳のきは(几帳のきは、すこし入りたる…)

若菜 下
 浅緑の文(まだ、朝すずみのほどに…)

柏木
 薫君の誕生(宮は、この暮れつかたより…)

御法
 紫の上逝去(秋待ちつけて、世の中…)
 
幻 
 もしほ草(落ちとまりて、かたはなるべき…)

橋姫
 黄鐘調のしらべ(秋の末つかた、四季に…)
 月見る姫たち(あなたに通ふべかめる透垣の…)

総角
 身もなき雛(「よろしき隙あらば…)
 空ゆく月(雪の、かきくらし降る日…)

宿木
 形代の君(「年ごろは、『世にあらむ』とも…)

東屋
 衣のすそ(若君も寝たまへりければ…)

浮舟
 橘の小島(「いと、はかなげなる物」と…)
 決意(君は、「げに、只今、いと悪しく…)
 
蜻蛉
 行方知れず(かしこには、人々、おはせぬを…)

手習
 浮舟の出家(「とまれかくまれ、おぼし立ちて…)

夢浮橋
 薫の手紙(尼君、御文ひきときて…)
 人のかくし据ゑたるにや(所につけて、をかしきあるじなど…)

作品・作者解説
源氏物語年立
系図




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・桐壺更衣
・光源氏の誕生
・桐壺 蓬生の宿(名文とされる)
・葵 車争い
・葵 夕霧の誕生と葵の上の死
・賢木 野の宮(名文とされる)
・蛍 絵物語~紫式部の物語論






桐壺更衣


 いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶら
ひたまひけるなかに、いと、やむごとなき際に
はあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
初めより、「我は」と、思ひ上がりたまへる御
方々、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。
同じほど、それより下﨟の更衣たちは、まして、
安からず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心を
のみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、
いと、あつしくなりゆき、もの心細げに里がち
なるを、いよいよ「飽かずあはれなるもの」に
おぼほして、人のそしりをも、えはばからせた
まはず、世の例にもなりぬべき御もてなしなり。
上達部・上人なども、あいなく、目をそばめ
つつ、「いと、まばゆき、人の御覚えなり。唐土
にも、かかる、ことの起こりにこそ、世も乱れ
悪しかりけれ」と、やうやう天の下にも、あぢ
きなう、人のもて悩みぐさになりて、楊貴妃の
例も引き出でつべうなりゆくに、いと、はした
なきこと多かれど、かたじけなき御心ばへの、
たぐひなきを頼みにて、交じらひたまふ。父の
大納言は亡くなりて、母北の方なむ、いにしへ
の人の、由あるにて、親うち具し、さしあたり
て世の覚え花やかなる御方々にも劣らず、とりた
てて、はかばかしき後見しなければ、「事」ある
時は、なほよりどころなく心細げなり。

【通釈】
 どの(帝の)御代であっただろうか、女御や更衣が大勢
お仕え申し上げていらっしゃるなかに、そう高貴な家柄の方
ではない方で、格別に帝のご寵愛を受けていらっしゃる方が
あった。(そのため宮仕えの)初めから、「自分こそは」と自負
していらっしゃった女御方は、(この方を)心外で気に食わな
い人として、蔑みかつ嫉妬なさる。(この方と)同じ身分(の更
衣)や、それより低い身分の更衣たちは、なおさら(心が)穏や
かでない。朝夕の宮仕えにつけても、他の人(女御や更衣たち)
の心をむやみに動揺させてばかりいて、(人の)恨みを受ける
ことが重なったためであろうか、ひどく病弱になっていって、
なんとなく心細そうなようすで里に引きこもりがちであるの
を、ますます(帝は)「たまらないほどいじらしい者」とお思い
になって、人の非難をも一向気になさらず、世間の悪い前例に
なってしまいそうなおふるまいである。上達部や殿上人など
も、(女性方でもあるまいに)わけもなく目をそむけそむけし
て、「たいそう、見るもまばゆい(ほどの)人(更衣)へのご寵愛
の受け方である。中国でも、こうしたことが原因で、世も乱れ、
よくないことであったよ」と、しだいに世間一般でも、(お二
人には)お気の毒なことながら、人の悩みの種となって、楊貴
妃の例までも(まさに)引き合いに出して(非難しそうになっ
て)いくので、(更衣は)ひどくぐあいの悪いことが多くあるけ
れども、もったいない(帝の)お気持ちの、世にまたとないこ
とだけを心頼みとして、(他の女性に)交じって(宮仕えを)お
続けになっていらっしゃる。(更衣の)父の大納言は亡くなっ
て、母北の方は、昔風の人で由緒のある方であって、両親が
そろっていて、現実に世間の信望が華やかである御方々(女
御・更衣たち)にも劣らぬよう、(宮中の)どんな儀式に対して
も(北の方が)とりはからってこられたが、(更衣には)これと
いってしっかりした後見人というものがいないので、(いざと
いう)大事なときには、やはり頼るところもなく(更衣は)心細
そうである。

【要旨】
・ある帝の御世、さほど身分も高くなく、後見人にも恵まれない一人の更衣が、帝のご寵愛を一身に受けていた。他の女御・更衣からの嫉妬を受け、更衣は心労のため病気がちである。帝は、世間から政治的な非難までも浴びるなかで、いっそう更衣への愛情を募らせてゆくのであった。

【解説】
・物語は光源氏の両親の愛情生活とそれを取り巻く周囲の状況からときおこされる。
 帝の外戚として権力を手に入れることが上級貴族の第一の望みだった時代において、帝と、さほど身分が高くなく、後見のない更衣の純粋な愛は、嫉妬だけにとどまらず、周囲からの猛反発を受けるのである。

◆研究◆
一 「時めきたまふありけり」の、「ありけり」の主語となる部分を文中から抜き出して示せ。
 また、その根拠は何か。

二 「恨みを負ふ積もり」とは具体的にはどんなことか。また、そうなったのはなぜか。説明せよ。

<解答>
一 いと、やむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふ
・「が」が同格を示すため。

二 桐壺更衣が他の女御や更衣たちから、恨みを受けることがたび重なったこと。
  その理由は、自分たちより下または同等の家柄の出にもかかわらず、桐壺更衣がご寵愛を一身に受けているのを嫉妬したため。
(桑原博史『源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]、2頁~7頁)


光源氏の誕生


 前の世にも、御契りや深かりけむ、世になく
清らなる、玉のをのこ御子さへうまれたまひぬ。
「いつしか」と、心もとながらせたまひて、急ぎ
参らせて御覧ずるに、めづらかなる児の御かた
ちなり。一の御子は、右大臣の女御の御腹にて、
寄せ重く、「疑ひなき儲けの君」と、世にもてか
しづき聞こゆれど、この御にほひには、並びた
まふべくもあらざりければ、おほかたのやむご
となき御思ひにて、この君をば、わたくし物に
おぼほしかしづきたまふこと限りなし。母君、
初めより、おしなべての上宮仕へしたまふべき
際にはあらざりき。覚えいとやむごとなく、上
衆めかしけれど、わりなくまつはさせたまふあ
まりに、さるべき御遊びの折々、何事にも、ゆ
ゑある、事の節々には、先づまうのぼらせたま
ひ、ある時には、大殿籠り過ぐして、やがてさ
ぶらはせたまひなど、あながちに、御前去らず、
もてなさせたまひしほどに、おのづから、かろ
き方にも見えしを、この御子生まれたまひての
ちは、いと心殊に思ほし掟てたれば、「坊にも、
ようせずは、この御子の居たまふべきなめり」
と、一の御子の女御はおぼし疑へり。人より先
に参りたまひて、やむごとなき御思ひ、なべて
ならず、御子たちなどもおはしませば、この御
子の御いさめをのみぞ、なほ、「わづらはしく、
心苦しう」思ひ聞こえさせたまひける。

【通釈】

(帝と更衣とは、この世ばかりでなく、)前世において
も、ご縁が深かったのであろうか、世にたぐいのない美しい
玉のような皇子までがお生まれになった。(帝は皇子のごよう
すを)「いつになったら(見られるか)」と、待ち遠しがりなさっ
て、急いで参内させてご覧になると、たぐいまれな(美しい)
若宮のご容貌である。第一皇子は、右大臣家の(娘である)女
御の御腹の御子で、後見人(の勢い)が強く、「まちがいなく皇
太子になる御方」として、世間でたいせつに思い申し上げて
いるけれども、この(若宮の)みずみずしいお美しさには、(第
一皇子はとうてい)立ち並びなさるべくもなかったので、(帝
は第一皇子に対しては)なみひととおりのご寵愛ぶりで、この
若宮をば、ご秘蔵の子と思われてたいせつにあそばすことこ
のうえもない。母の更衣は、元来、普通の上宮仕えをなさる
ような軽い身分ではなかった。世間の評価もたいそう高く、
いかにも貴夫人らしいようすであるが、(帝が)むやみにお側
につきそわせて、お離しにならない結果として、しかるべき
管弦のお遊びの折々や、(またその他の)何事につけても、趣
のある(催しの)折ごとには、(だれをおいても、)真っ先に(こ
の方を)参上おさせになるし、ある時には、(ご一緒に)寝過ご
しなさって、そのままお側におおきになるなど、むやみにお
側を離れないようにお扱いになっていらっしゃるうちに、自
然と軽い身分の者のように見えたのだが、この若宮がお生ま
れなさってから後は、(更衣のことを)格別に考えを定めてお
扱いになっているので、「皇太子にも悪くすると、この若宮が
おなりになるのかもしれない」と、第一皇子の母女御は、お
疑いになっている。(この方は、他の)人(女御や更衣たち)
よりも先に入内(じゅだい)なさって、(それだけに帝の)大切(なお方)と
のお思いはひと通りではなく、(幾人かの)御子たちもおいで
になるので、(他のお方はともかく)このお方のご苦情だけは、
(帝は)やはり「わずらわしく、(また)お気の毒なこと」とお
思い申しておいであそばされた。

【要旨】
・前世からの浅からぬ因縁があったためか、更衣には玉のように美しい若宮がお生まれになる。
 更衣と若宮への帝の深いご愛情をみて、第一皇子のご生母弘徽殿女御(こきでんのにょうご)は悪くすると皇太子の地位をこの皇子に奪われるのではないかと心穏やかではいられなかった。

【解説】
・この後の物語に描かれた、あまりに理想化された光源氏像は、しょせん昔物語の主人公にすぎないからだという批判も多い。
 しかし、両親のままならぬ悲恋が語られるゆえに、対照的に、恋愛における自由人として思うままに行動できる絶大な魅力を備えた光源氏を読者は同情とともに受け入れることができるのである。
(桑原博史『源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]、7頁~12頁)

名文とされる

桐壺 蓬生の宿


 野分だちて、にはかに膚(はだ)寒き夕暮れのほど、
常よりも、おぼし出づること多くて、靭負(ゆげひ)命婦
といふを遣(つか)はす。夕月夜のをかしきほどに、
出だし立てさせたまひて、やがてながめおはし
ます。かやうの折は、御遊びなどせさせたまひ
しに、心殊なる、物の音をかき鳴らし、はかな
く聞こえ出づる言の葉も、人よりは殊なりしけ
はひ・かたちの、面影につと添ひておぼさるる
にも、「闇のうつつ」には、なほ劣りけり。命
婦、かしこにまかで着きて、門引き入るるより、
けはひあはれなり。やもめ住みなれど、人ひと
りの御かしづきに、とかくつくろひ立てて、目
安きほどにて過ぐしたまひつるを、闇にくれて、
臥したまへるほどに、草も高くなり、野分に、
いとど荒れたる心地して、月影ばかりぞ、八重
葎にもさはらず、さし入りたる。南面におろし
て、母君も、とみに、えものものたまはず。「今
までとまりはべるが、いと憂きを、かかる御使
ひの、蓬生の露分け入りたまふにつけても、い
と恥づかしうなむ」とて、げに、え堪(た)ふまじく、
泣いたまふ。「『参りてはいとど心苦しう、心・
肝(きも)も、尽くるようになん』と、典侍(ないしのすけ)の奏したま
ひしを、物、思ひたまへ知らぬ心地にも、げに
こそ、いと忍びがたうはべりけれ」とて、やや
ためらひて、おほせ言、伝へ聞こゆ。「『しばし
は、夢かとのみ、たどられしを、やうやう思ひ
しづまるにしも、さむべき方なく、堪へ難きは、
「いかにすべきわざにか」とも、問ひ合はすべき
人だになきを、忍びては参りたまひなむや。若
君の、いとおぼつかなく、露けきなかに過ぐし
たまふも、心苦しうおぼさるるを、とく、参り
たまへ』など、はかばかしうも、のたまはせや
らず、むせかへらせたまひつつ、かつは、『人も
心弱く見奉るらむ』と、おぼしつつまぬにしも
あらぬ、御気色(みけしき)の心苦しさに、うけたまはりも
果てぬようにてなむ、まかではべりぬる」とて、
御文奉る。

【通釈】
風が野分めいて、急に肌寒い夕暮れのころ、(帝は)い
つもよりも、(亡き更衣のことを)お思い出しになることが多
くて、靭負命婦という人を(更衣の里に)お遣わしになる。
夕月が出て情趣の漂う時刻に、(命婦を)出立おさせになって、
(帝は)そのまま物思いに沈んでいらっしゃる。このような折
には、よく管弦のお遊びなどを催しなさったのであるが、(桐
壺更衣が)特別美しい音色に琴を掻き鳴らし、なにげなく(帝
に)申し上げる歌も、他の人と比べて格別であった(桐壺更衣
の)雰囲気や容貌が、幻となって、ずっとお側に離れずにいる
ようにお感じになるのも、(それが結局は幻に過ぎないから、
あの古歌にある)「闇のなかの現実」にはやはり及ばないこと
であった。命婦は更衣の里に行き着いて、(車を)門内に引き
入れるやいなや、(あたりは)しみじみとした情趣が漂ってい
る。(母君は夫亡き後)やもめ暮しであったがが、(娘の更衣)一
人のご養育のために、あれこれと屋敷の手入れをして、見苦
しくない程度にお暮らしになっていたのに、(更衣の死後は)
子ゆえの闇に(心乱れて)悲しみにくれて臥し沈んでいらっし
ゃる間に、草も高く茂り、それが野分によっていっそう荒れ
た感じで、月の光だけが、八重葎にも妨げられずにさしこんで
いる。寝殿の南正面に(命婦を)降ろして(部屋に招き入れた
が)母君も急にはものもおっしゃることができないでいる。
「今まで生き長らえておりますことがまことにつらいのに、こ
のようなかたじけないお使いが、生い茂った雑草の露を分け
てお入りくださいますにつけても、ひどく恥ずかしく思われ
ます」と言って、いかにもこらえきれぬように(母君は)お泣
きになる。「『(お屋敷へ)伺うと、いっそうお気の毒で、心も
肝も消え失せるように存じられました』と(先日お使いに立た
れた)典侍が、奏上なさいましたが、人情や道理もわきまえま
せん(私の)心にも、なるほど(こちらに伺うと)堪えきれない
ことでございます」と言って、しばらく心を落ち着けてから
(帝の)お言葉を(母君に)お伝え申し上げる。「『更衣が亡く
なった当座)しばらくは(更衣の死は)夢だったのではないか
とただただ思い続けておりましたが、しだいに心が落ち着く
につけても、(夢ではないので)悲しみからさめようもなく、
たまらなく思われるその思いを、「どうしたらよいのか」と
も、相談できる人さえもないのだから、こっそり参内なさっ
てはくださらぬか。若宮がひどく心もとないありさまで、涙
の露のなかで湿っぽくお過ごしになさるのも、気の毒に思わ
れますから、(母君は)早く参内なさい』などと、(帝は)すら
すらともおっしゃりきれず、何度も、涙にむせ返りなさりな
がら、また一方では、人も(自分を)気弱なものだと見申し上
げているだろうと、(周りに)気兼ねなさらないわけでもない
ごようすのお気の毒さに、(お言葉を)終わりまでお聞き申し
上げきらぬありさまで、(御前を)退出してしまいました」と
言って、(帝の)お手紙を差し上げる。

【解説】
・野分、月の光、八重葎といった自然描写が亡き更衣をいたむ人々の心象風景とオーバーラップさせられており、古来「もののあはれ」を感じさせる名文として名高い「野分」の章段はここから始まる。帝、母君、そして間に立つ命婦のそれぞれの意識を丁寧に読み込む必要がある。

◆研究◆
一 「月影ばかり」の「ばかり」は何を言い表そうとしたものか。

二 「物、思ひたまへ知らぬ心地にも」の「たまへ」を文法的に説明せよ。

<解答>
一 人の訪れもないのだが、月の光だけが荒れ果てた庭にさしこんでいること。

二 下二段活用の謙譲の補助動詞「たまふ」の連用形。
  命婦の謙遜の言葉(この「たまふ」は自分の「思う」「考える」「聞く」「見る」などの動作に付けて謙譲の気持ちを表す)

(桑原博史『源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]、24頁~29頁)

車争い➡六条御息所の恨み、怨霊

車争い


葵 
 車争い(隙もなう、立ち渡りたるに…)

 隙もなう、立ち渡りたるに、よそほしう引き
続きて、立ちわずらふ。よき女房車多くて、雑々
の人なき隙を思ひ定めて、みな、さしのけさす
る中に、網代の、少しなれたるが、下簾のさま
など、よしばめるに、いたう引き入れて、ほの
かなる袖口・裳の裾・汗衫など、ものの色、い
と清らにて、ことさらに、やつれたるけはひ、
著く見ゆる車二つあり。「これは、さらにさやう
に、さしのけなどすべき御車にもあらず」と、
口ごはくて、手触れさせず。いづかたにも、若
きものども、酔ひすぎ、立ち騒ぎたるほどのこ
とは、え、したためあへず。おとなおとなしき
御前の人々は、「かく、な」など言へど、えとど
めあへず。斎宮の御母御息所、「ものおぼし乱る
る慰めにもや」と、忍びて出でたまへるなりけ
り。つれなしづくれど、おのづから、見知りぬ。
「さばかりにては、さな言はせそ。大将殿をぞ、
豪家には思ひ聞こゆらむ」など言ふ。その御方
の人も、まじれれば、「いとほし」と見ながら
用意せむもわづらはしければ、知らず顔をつく
る。つひに、御車ども立て続けつれば、人だま
ひの奥に、押しやられて、ものも見えず。心や
ましきをば、さるものにて、かかるやつれを、
それと知られぬるが、いみじく妬きこと、限り
なし。榻なども、みな押し折られて、すずろな
る車の筒に、うちかけたれば、またなう、人わ
ろく、くやしう、「なにに来つらむ」と思ふに、
かひなし。「ものも見で帰らむ」としたまへど、
通り出でむ隙もなきに、「ことなりぬ」と言へ
ば、さすがに、つらき人の御前わたりの待たる
るも、心よわしや。「ささのくま」にだに、あら
ねばにや、つれなく過ぎたまふにつけても、な
かなか、御心づくしなり。げに、常よりも、好
み整へたる車どもの、我も我もと、乗りこぼれ
たる下簾のすき間どもも、さらぬ顔なれど、
ほほゑみつつ、しりめにとどめたまふもあり。
大殿のは著ければ、まめだちて渡りたまふ。御
供の人々、うちかしこまり、心ばへありつつ渡る
を、おしけたれたるありさま、こよなうおぼさる。
  影をのみみたらし川のつれなきに身のうき
  ほどぞいとど知らるる
と、涙のこぼるるを、人の見るも、はしたなけ
れど、「目もあやなる御さま・かたちの、いとど
しう、出でばえを、見ざらましかば」と、おぼさる。

【通釈】
すきまもなく、(物見車が)立ち並んでいるので、(葵の
上の一行の車は)美しく何台も続いていて、立てる場所に困っ
ている。(そのあたりは)身分のある女性の乗った車が多く、
(そのなかで身分の低い)雑人どもの付いていないあたりをね
らって、みなどかせるなかに、網代車で少し古びたのが、下
簾のさまなど由緒ありげなのに、たいそう(車の奥へ)引き入
れて、(簾のところに)ほんのちょっと(出している)袖口や裳
の裾や汗衫などの色合いがたいそう(見所があって)美しく、
わざと目立たぬようにしているようすがはっきりわかる車が
二台あった。「これは、けっしてそんなふうにのかせなどする
ようなお車ではない」と、(その従者が)強く言い張って、(葵
の供の者に)手を触れさせない。(葵、御息所)双方とも、若い
者どもが酔いすぎて騒いでいるときのことは、どうにもうま
く処理できない。(葵の上方の)年輩の従者が、「そんな(乱暴
な)ことをしてはいけない」などと言うが、とても止めきれな
い。(実はこの車は、)斎宮の御母である御息所が、「物思いに
乱れる心の慰めに(しよう)」と、こっそり(物見に)お出でに
なっているのであった。それとは気づかれぬようにしていた
が、自然と(葵の上方に)わかってしまった。「その程度の身分
のだったら、そんなことを言わせるな。大将殿を後ろだてと
思い申し上げているのだろうが」などと(葵の上の供の者が)
言う。(葵の上の供人のなかには)大将方の人もまじっている
ので、(御息所を)「お気の毒だ」とみるものの、仲裁するの
も面倒なので、知らぬふりをする。ついに、(葵の上方の)お
車を立て続けてしまったので、(御息所の車はそこらの)お供
の(女房の)車の奥に押しやられ、ものも見えない。(御息所は)
気がむしゃくしゃするのはそれとして、このような忍び姿を
それと知られたのが、ひどくしゃくなこと、このうえもない
のである。栩なども全部押し折られて、何の関係もない車の
心棒に轅を掛けてあるので、このうえもなくみっともなく、
悔しくて、「なんで(こんなところへ)来てしまったのだろう」
と思うが、(いまさら)どうにもならない。(御息所は)見物し
ないで帰ろうとなさるが、通り出るすきまもないうちに、「行
列が始まった」と(見物の人々が)言うと、さすがに無情な人
のお通りが待たれるのも、心弱いことよ。「笹の隅」でさえな
いからだろうか。(源氏が馬も止めず)何気なく通り過ぎなさ
るにつけても、(なまじちらっとお姿を拝見したばかりに)か
えってお気をもむことである。なるほど(以前からしたくに気
を配っていただけに)例年よりも趣向を凝らした数々の車の、
(女房が)我も我もとこぼれそうに乗っている下簾のすきます
きまに対しても(源氏は)さりげない顔つきではあるが、(車の
主をそれと知ると)ほほえみながら流し目でご覧になること
もある。(葵の)左大臣家の(車)は、それとはっきりわかるの
で、(源氏は敬意をはらって)まじめな顔つきをしてお通りに
なる。(源氏の)お供の人々が(葵の車の前)ではかしこまって、
敬意を表しつつ通りすぎるので、(御息所は自分の葵の上に)
けおされてしまった姿を、このうえもなく(惨めに)お思いに
なる。
  (御息所は)よそながら影だけを見た源氏がつれないので
   自分のどうにも思うにまかせぬつらい運命がいよいよ思
   い知られたことです。
と(悲しさに)涙が自然にこぼれるのを人にみられるのも体裁
の悪いことだが、「まぶしいほどの(源氏の)お姿、ご容貌が、晴
れの場所でますます引き立つお美しさをもし見なかったとし
たら(心残りであったろう)」とお思いになる。

【要旨】
・遅れて出発した葵の上の一行は、車を並べる場所がないので、そこらの車を後ろに退がらせようとする。その車のなかに、身をやつした六条御息所のお車もあったのである。互いの従者が争うなかで、御息所の車は乱暴にも押しやられ、御息所のプライドはひどく傷つけられてしまうのである。

【解説】
・源氏の薄情さを恨みながらも、そのお姿をひと目みたいという三十路に近い年上の御息所の心理があわれである。
 しかもライバルであり、源氏の子を宿した葵の上の従者に乱暴をされて、体面を傷つけられる。その御息所の恨みは源氏を通り越して葵の上に向かうのであった。
(桑原博史『源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]、126頁~131頁)

夕霧の誕生と葵の上の死



 少し、御声も、しづまりたまへれば、「ひま
おはするにや」とて、宮の、御湯もて寄せたま
へるに、かき起こされたまひて、ほどなくむま
れたまひぬ。(中略)
 いと、をかしげなる人の、いたう弱り、そこ
なはれて、あるかなきかの気色にて、臥したま
へるさま、いと、らうたげに、心苦しげなり。
御髪の、乱れたるすぢもなく、はらはらとかか
れる枕のほど、ありがたきまで見ゆれば、「年ご
ろ、何事を、飽かぬことありて、思ひつらむ」
と、あやしきまで、うちまもられたまふ。「院
などに参りて、いと疾うまかでなむ。かやうに
て、おぼつかならず、見奉らば、いと嬉しか
るべきを、宮の、つとおはするに、『心地なくや』
と、つつみて過ぐしつるも苦しきを。なほ、
やうやう心づよくおぼしなして、例の御座所に
こそ。あまり若く、もてなしたまへば、かたへ
は、かくも、ものしたまふぞ」など、聞こえお
きたまひて、いと清げに、うちさうぞきて、出
でたまふを、常よりも目とどめて見いだして、
臥したまへり。秋の司召しあるべき定めにて、
おほい殿も、まゐりたまへば、君達も、いたは
り望みたまふことどもありて、殿の御あたり離
れたまはねば、皆、ひきつづき出でたまひぬ。
殿の内、人ずくなに、しめやかなるほどに、に
はかに、例の御胸をせきあげて、いと、いたう
惑ひたまふ。内裏に御消息聞こえたまふほども
なく、たえ入りたまひぬ。足を空にて、誰も誰
も、まかでたまひぬれば、除目の夜なりけれど、
かく、わりなき御さはりなれば、皆、こと破れ
たるやうなり。

【通釈】
少しお声も静まられたので、「(葵の上は)よい時もおあ
りであろうか(苦しみが和らぎなさったのか)」と、母宮が薬
湯を(葵の上の)お側にお持ちになったので、(葵の上は女房
に)抱き起こされなさって、間もなく(若宮=夕霧が)お生まれ
になった。(中略)
 たいそう美しい人が、ひどく弱り、(病に)やつれて、生き
ているのか死んでいるのかわからないようすで横になってい
らっしゃるようすは、たいそういじらしく、痛々しい感じで
ある。(葵の上は)御髪が一本の乱れたところもなく、はらは
らと枕にかかっているようすは(世に)珍しいほどお美しいの
で、「今まで長年の間、何を不満に思っていたのだろう」と、
(源氏は我ながら)不思議なほど(葵の上に魅きつけられ)自然
と見つめてしまわれる。(源氏は)「(桐壺)院の所などに参上
して、早々に退出してこよう。このように、お側近くで打ち
解けておあいしていれば、(私は)どんなにうれしいことでしょう
に、母宮がずっと(葵の上のお側に)おいでなので、『(私が打ち
解けるのは)たしなみがないのでは』と、遠慮して過ごして
いるのもつらいことです。やはり(あなたは)だんだんと元気
をお出しになって、いつものお部屋に(お戻りください)。あ
まりに子どもっぽくふるまっていらっしゃるから、一方では
このようにいつまでも寝込んだままなのですよ」などと(葵の
上に)申し上げおきなさって、(源氏が)たいそうお美しく装束
をおつけになって(葵のもとから)お出かけになるのを、(葵の
上は)いつになく目をとどめて見送りながら臥していらっ
しゃる。秋の司召しがある予定で、左大臣も参内なさるので、
(左大臣の)ご子息たちも(官位の)昇進をそれぞれ望まれて、
父大臣の周りをお離れにならないので、みな(父に)引き続い
てお出かけになった。邸内は人少なで、もの静かである折に、
(葵の上は)急にいつものようにお胸がこみ上げてきて、たい
そうひどくお苦しみになる。宮中にお知らせする暇もなく、
息が絶えてしまわれた。足も地につかないありさまで、どな
たもどなたも(宮中から)退出なさったので、除目の夜では
あったが、このようにどうしようもないおさしつかえであっ
たので、(行事は)すべて台無しのようになってしまった。

【要旨】
・やがて葵の上は夕霧を出産する。
 源氏はいままでになく葵の上に愛情を感じるのであったが、秋の司召があって、邸内に人少ない折に、葵の上に急逝してしまうのであった。

◆研究◆
一 傍線部の「たまふ」の敬意のおよぶ方向を答えよ。
 少し、御声も、しづまり①たまへれば、「ひまおはするにや」
とて、宮の、御湯もて寄せ②たまへるに、かき起こされ③たまひて、
ほどなくむまれ④たまひぬ。

二 次の表現には誰の、どのような心情が含まれているか。
(1)  あやしきまで、うちまもられたまふ。
(2)  心づよくおぼしなして

三 源氏が心の中で思ったことを述べた部分を一箇所抜き出せ。

四 源氏と葵の上の、相手に対する愛情を感じさせる動作を、
 それぞれ抜き出して示せ。

<解答>
一 
①(母宮の意識を中心に考えると)葵の上に対して
②(母)宮に対して
③葵の上に対して
④若宮(夕霧)に対して
いずれも作者の敬意

二 
(1)  どうしてこれまで不満に思っていた葵の上を、これほどまでにいとおしく思うようになったのだろうかと、不思議に思う源氏の気持ち。
(2) 何とか葵の上自らの気持ちを強くもって元気になってほしいという源氏の気持ち。

三 「年ごろ何ごとを飽かぬことありて思ひつらむ」

四 源氏・あやしきまで、うちまもられたまふ
葵・常よりも目とどめて見いだして、臥したまへり

【解説】
・御息所の生霊がのりうつったほうがなつかしさを感じさせるという、葵の上にとっては意地の悪い先の描写のマイナスを取り戻すためか、作者は若君を出産した葵の上と源氏の間に流れるしみじみとした愛情を描いている。
 しかし、その葵の上はあっけなく亡くなってしまうのであった。
 この後、葵の上を悼む鎮魂の場面が連綿と続くのではあるが、純粋な愛情は喪失感を契機としてしか燃え上がらないと作者は考えているかのようである。
(桑原博史『源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]、143頁~147頁)


名文とされる

賢木 野の宮


賢木(源氏二十三歳九月から二十五歳夏まで)

【主要登場人物】
六条御息所(三十歳から三十二歳)・藤壺(二十八歳から三十歳)・朧月夜の尚侍・左大臣・弘徽殿の大后


 野の宮
「つらきものに、思ひ果てたまひなむも、いとほ
しく、人聞き情けなくや」と、おぼし起こして、
野の宮にまうでたまふ。九月七日ばかりなれば、
「むげに今日・明日」とおぼすに、女がたも、心
あわただしけれど、「立ちながら」と、たびたび
御消息ありければ、「いでや」とは、おぼしわづ
らひながら、いと、あまりむもれいたきを、「物
ごしばかりの対面は」と、人知れず、待ち聞こ
えたまひけり。はるけき野辺を、分け入りたま
ふより、いと、ものあはれなり。秋の花、みな
衰へつつ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、
松風すごく吹き合はせて、そのこととも、聞き
分かれぬほどに、物の音ども、絶え絶え聞こえ
たる、いと艶なり。睦ましき御前、十余人ばか
り、御随身、ことごとしき姿ならで、いたう忍
びたまへれど、殊に、ひきつくろひたまへる御
装ひ、いと、めでたく見えたまへば、御供なる好
き者ども、所がらさへ、身にしみて思へり。御
心にも、「などて、今まで立ち馴らさざりつらむ」
と、過ぎぬるかた、悔しうおぼさる。ものはか
なげなる小柴を大垣にて、板屋ども、あたりあ
たり、いと、かりそめなめり。黒木の鳥居ども
は、さすがに、神々しう見渡されて、わづらは
しき気色なるに、神宮の者ども、ここかしこに、
うちしはぶきて、おのがどち、ものうち言ひた
るけはひなども、外には、さま変はりて見ゆ。
火焼き屋かすかに光りて、人げなく、しめじめ
として、ここに、物思はしき人の、月日隔てた
まへらむほどを、おぼしやるに、いと、いみじ
うあはれに、心苦し。

【通釈】
(御息所が、自分のこと=源氏を)「薄情でひどい人だ
とすっかり(思い込んで)あきらめてしまわれることも気の毒
で、人が聞いても不人情に思うだろう」と、(源氏の君は)気
持ちをとりなおして野の宮に参られる。九月七日のころなの
で、(御息所の伊勢下向が)「ひたすら今日明日に迫っている」
と(源氏の君はたいへん)気に掛けていらっしゃるので、女君
のほうもお気持ちがあわただしいが、「立ったままで(ほんの
ちょっとでいいから)」と、たびたび(源氏から)お手紙があっ
たので、(御息所は)「さあ、どうしたものか」とお迷いになる
ものの、(お会いしないのも)あまりに引っ込み思案のような
ので、「物越し程度の対面ならば」と、(御息所は源氏を)心ひ
そかにお待ち申し上げた。はるかに広がる(嵯峨の)野を分け
てお入りになるとすぐ、たいそうしみじみと心を打たれる。
秋の花はみな衰え、浅茅が原も枯れ枯れに、(そしてその原の
なかでとぎれとぎれに)鳴き細っている虫の音に、松風がもの
寂しく吹き合わせて、どの琴の音とも聞き分けられないぐら
いに、楽器の音が(野の宮から)とぎれとぎれに聞こえてくる
のは、たいそう優美である。(源氏は)親しい前駆十余人ほど
と、御随身も大げさな姿ではなくて、(ご自身も)たいそうや
つしてはいらっしゃるが、特別に心をお配りになっている(源
氏の)御装いは、たいそうすばらしくお見えになるので、お供
の風流好みの人々は、場所が場所だけに(いっそう)身にしみ
て感じている。(源氏も)お心の中で、「どうして今までたびた
び訪れなかったのだろう」と、これまでのことを悔しくお思い
になる。(野の宮は)簡素な小柴垣を外囲いとして、板葺きの
建物が、そこここに、ほんの間に合わせのように見える。皮つ
きのままの木の鳥居などは、さすがに神々しく(そこここに)見
渡されて、(こういう色事めいたご訪問は)気が引けるよう
すであるうえに、神官たちが、あちらこちらでせきばらいを
して、お互い同士で話をしているようすなども、他(の場所)
とはようすが変わって見える。火焼き屋(の火)がかすかに光
って、人の気配も少なく、ひっそりとしていて、ここに物思
いに沈んでいる人が(世間からはなれて)月日を送っていらし
たであろうさまをお察しになると、たいそうしみじみとして
痛々しい気がする。


【要旨】
・二十三歳になった源氏は、娘とともに伊勢に下ろうとする御息所を嵯峨野の野の宮に訪れる。秋も終わりに近い野を分け入るにつけて、趣が深いことこのうえないのであった。

【解説】
・「桐壺」の巻の野分の場面とならんで、秋も終わりの情景描写と登場人物の心理とが調和して、「もののあわれ」が思い知られる文章として名高い。

◆研究◆
一 文中、掛け詞が用いられている部分が二つある。抜き出して、説明せよ。
二 次の「らむ」の違いを答えよ。
① 立ち馴らさざりつらむと
② 月日隔てたまへらむほど

三 「わづらはしき気色なるに」とあるが、「わづらはし」の意味を答えよ。
 また、なぜ「わづらはし」なのか、その理由を二十字以内で答えよ。

四 「いと、いみじうあはれに、心苦し」と源氏が思ったのはなぜか。二つの視点から答えよ。



<解答>
一 
①かれがれなる・浅茅が原の草が「枯れ枯れなる」と、虫の鳴き声が「嗄(か)れ嗄れ(しわがれて、かすれる)」であり、「離(か)れ離れ(とぎれとぎれ)」なる」状態のこと。
②こと・曲が何なのかという意味での「事」と、楽器の「琴」。

二 
① 推量の助動詞。現在推量の意で、原因推量を表す「らむ」の連体形。
② 完了の助動詞「り」の未然形と、推量の助動詞「む」の連体形。

三 気が引ける。神々しい神域に女性を訪ねてきたので。

四 嵯峨野の奥の質素な神域に、女性が長いあいだ物思いをして、引きこもっていたことを思いやると、自分と関係のないこととしても、気の毒に感じたから。今まであまりに長い間御息所のもとを訪れず、冷たく扱った自分をしみじみと後悔したから。

(桑原博史『源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]、148頁~152頁)

蛍 絵物語~紫式部の物語論



 なが雨、例の年よりもいたくして、晴るる方
なく、つれづれなれば、御方々、絵物語などの
すさびにて、明かし暮らしたまふ。明石の御方
は、さやうのことをも、よしありてしなしたま
ひて、ひめ君の御方に、奉りたまふ。西のたい
には、まして、めづらしくおぼえたまふ、事の
すぢなれば、あけくれ、書きよみ、いとなみお
はす。つきなからぬ若人、あまたあり。「さまざ
まに、めづらかなる、人のうへなどを、誠にや
偽りにや、いひ集めたる中にも、わがありさま
のやうなるは、なかりけり」と見たまふ。住吉
の姫君の、さしあたりけむをりは、さるものに
て、今の世の覚えも、なほ、こころ殊なめるに、
かぞへの頭(かみ)が、ほとほとしかりけむなどぞ、か
の監(げむ)がゆゆしさを、おぼしなずらへたまふ。と
のも、こなたかなたに、かかるものどもの散り
つつ、御目に離れねば、「あな、むつかし。女こ
そ、『ものうるさがらず、人に欺かれむ』と、生(む)
まれたるものなれ。ここらのなかに、まことは、
いと少なからむを。かつ知る知る、かかるすず
ろ事に心を移し、はかられたまひて、あつかは
しき五月雨髪の乱るるも知らで、書きたまふよ」
とて、笑ひたまふものから、また、「かかる、世
のふる事ならでは、げに、何をか、紛るること
なきつれづれを慰めまし。さても、このいつは
りどもの中に、『げに、さあもあらむ』と、あはれ
を見せ、つきづきしく続けたる、はた、はかな
しごとと知りながら、いたづらに心うごき、ら
うたげなる姫君の物思へる見るに、かた心つく
かし。また、『いと、あるまじき事かな』と見る
見る、おどろおどろしく取りなしけるが、目驚
きて、しづかに、また聞くたびぞ、憎けれど、
ふと、をかしきふし、あらはなる、などもある
べし。このごろ、をさなき人の、女房などに時々
読まするを、たち聞けば、『物よくいふものの、
世にあるべきかな。空言を、よくし馴れたる口
つきよりぞ、いひ出だすらむ』と覚ゆれど、さ
しもあらじや」とのたまへば、「げに、いつはり
馴れたる人や、さまざまに、さも酌みはべらむ。
『ただ、いと、まことのこと』とこそ、思うたま
へられけれ」とて、すずりおしやりたまへば、神世よ
り世にある事を、記し置きけるななり。日本紀
などは、ただ、片そばぞかし。これらにこそ、
道々しく、くはしき事はあらめ」とて、わらひ
たまふ。

【通釈】
五月雨がいつもの年よりもひどくて晴れ間もなく、た
いくつなので、(六条院の女君の)御方々は、絵物語などの慰
みごとで日々を暮らしなさる。明石の御方は、そのような(絵
の)ことの、趣あるようすに(描き)なさって、(紫の上のと
ころにいる)明石の姫君の方に差し上げなさる。西の対(に
いる玉鬘)は、まして(絵物語など見たこともないので)珍
しくお思いなさる方面のことなので、明けても暮れても(絵
物語を)書き写したり読んだり、せっせと励んでいらっしゃ
る。(こんなことに)ふさわしい若い女房が、(玉鬘のほうに)
おおぜいいる。(玉鬘は)「いろいろと珍しい人の身の上など
を、真実かうそか、(わからないけれども)書き集めた(絵物
語の)中にも、自分のような境遇(の人)はなかったなあ)
とご覧になる。『住吉物語』の姫君が、その当時(評判が高か
ったの)は当然として、今の世間の評判も、やはり格別であ
るようだが、かぞえの頭が、(住吉の姫君をものにしようと)
あぶないところであった(話)などに、あの大夫監(たゆうのげん)の恐ろし
さを、(玉鬘は)思いくらべていらっしゃる。源氏は、どちら
の方々の部屋にも、このような絵物語が散らばって、(源氏の)
お目にふれるので、「ああ、うっとうしいね。女というのは、
『よくも面倒がらずに、(こんなものを読んで)人にだまされ
よう』と生まれついているのだなあ。たくさんの(絵物語の)
中に、真実はたいそう少ないでしょうに。一方ではそれを知
っていながら、このような(絵物語のごとき)たわいもなく
つまらぬものに気をとられ、だまされなさって、暑くるしい
五月雨に髪が乱れるのも知らないで、お書きなさるのだねえ」
と言って、お笑いになるものの、また、「このような、昔の古
い絵物語でもなくては、本当にどうして、(ほかに)気が紛れ
ることのない(梅雨どきの)たいくつを慰めようか。それに
しても、この嘘八百の作り物語の中に、『本当に、そういうこ
ともあるだろう』と、しみじみとした人情を見せ、もっとも
らしく書き続けてあるのは、これもまた、取るに足りない作
り話と知りながら、むやみに感動し、(あるいは)かわいら
し姫君が物思いに沈んでいるのを見ると、多少なりとも心
がひかれてしまうものですよ。また、『(こんなことは)ある
はずがないことだ』と見ながらも、大げさに取り扱った(物
語)が、目が引きつけられて、(あとになって)落ち着いて、
もう一度(読むのを)聞くときは、(ばからしくて)いやな気
がするけれども、ふと興がひかれる点が、きわ立っているも
のなどもあるようだ。このごろ、幼い(明石の姫君)が、女
房などに時々(物語を)読ませるのを立ち聞くと、『ものをう
まくいう者が、この世にはいるものだなあ。(こういう物語は
嘘を、上手に言いなれた(人の)口から言い出すのだろう』
と思われますが、そうばかりでもないのでしょうね」と、(源
氏が)おっしゃると、(玉鬘は)「なるほど、(あなたのように)
嘘をつきなれた人は、(物語を)いろいろと、そんなふうに解
釈するのでしょう』『(私は)ただもう、(物語を)まったく真
実のこと』とばかり思われますわ」と言って、すずりを押し
のけなさるので、(源氏は)「無作法にも、(物語を)けなして
しまったことだなあ。(物語は)神代以来この世にあることを
書き記したものであったのだなあ。『日本紀』なんかは、いか
にも、ほんの一部分にすぎないものであるよ。物語にこそ、
道理にかなった、くわしい事柄が、記されてあるのだろう」
と言って、お笑いになる。

【要旨】
・五月雨の季節、女君たちは絵物語でつれづれ慰めている。玉鬘は珍しさもあって本気になって物語を読んだり書き写したりしている。読んでいくうちに住吉の姫君にわが身の上を重ねたりする。そこへやってきた源氏が物語についての見解を述べる。物語は虚構ではあるが、人間社会の内面を鋭くとらえて描かれるので、歴史よりも真実であるというのである。紫式部の自信と自負を読みとることができる。

【解説】
・この一節は紫式部の物語論として古来有名である。
 数奇な人生を経験してきた玉鬘は『住吉物語』の姫君も他人事(ひとごと)とは思えず物語に熱中している。当時の物語は劇漫画のような存在で、女子供の読むものとされ、評価も低く、実際に興味本位のでっちあげの作品も少なくなかった。しかし紫式部は玉鬘の口をかりて、物語は真実だといわせ、さらに源氏に、歴史より物語のほうが人間の姿を描き得ると言わせている。
 この後、さらに物語論が展開される。
 物語は後世に言い伝えたいことを自分の胸にしまいきれずに書いたもので、よいことをいうには最高のよい例を集めるから、いくら虚構であっても、そこにはより真実が描き出されるというのである。
 物語は、この後、玉鬘をヒロインとして「常夏(とこなつ)」、「篝火(かがりび)」、「野分(のわき)」、「行幸(みゆき)」、「藤袴(ふじばかま)」、「真木柱(まきばしら)」と進行する。

源氏は内大臣に真相を告げ、裳着を行った。玉鬘への思いを断ちきれない源氏は、尚侍(ないしのかみ)として宮中に出仕させるつもりであったが、意外にも玉鬘は鬚黒(ひげくろ)大将の妻になってしまう。鬚黒大将の北の方は紫の上の異母姉であるが、物の怪のため発作が起き、火取香炉(ひとりこうろ)を鬚黒に投げつけ、外出着をだいなしにしてしまう。北の方の父である式部卿(しきぶきょう)は北の方と娘(真木柱)をひきとった。十二、三歳になっていた姫君は、慣れ親しんだ檜(ひのき)の柱に「私のことを忘れないで」と歌を詠む。多感な少女の父や兄弟との悲しい別れである。玉鬘は残された兄弟を世話して、翌年の冬には男子を出産し、押しも押されぬ右大将の妻となった。夕顔の忘れ形見の物語は「玉鬘」の巻から始まって、今この「真木柱」の巻でめでたくも終了するのである。
 
 次の「梅枝(うめがえ)」の巻で話は再び本筋に戻り、明石の姫君の裳着が盛大に行われる。後半にはいつまでも初恋を追う夕霧に対して源氏の結婚への教訓があり、雲井の雁のようすが描かれる。筒井筒(つついづつ)の恋は果たして実るのであろうか(「少女(おとめ)」の巻参照)

◆研究◆
一 ここに語られている(①)(②)(③)といった言葉の中には、『無名草子』の作者が「物語といふもの、いづれもまことしからずといふ中に、これはことのほかなることどもにこそあめれ」と『狭衣物語』を評した言葉に見える物語観と共通する要素が認められる。
 
①~③に本文中から適語を抜き出して記せ。

二 本文中の源氏の言葉に見える(④)という部分が最もよく物語の性格をとらえたものといわなければなるまい。
 (④)に入れるべき部分を本文中から抜き出し、最初と最後の五文字で記せ。

三 「すずりおしやりたまへば」の主語と、その動作にこめられる気持ちを記せ。

四 「日本紀などは、ただ、片そばぞかし」に表れた紫式部の気持ちを記せ。

<解答>
一 ①いつはりども ②はかなしごと ③あるまじきこと
二 ④いつはりども~心つくかし
三 玉鬘 絵物語に熱中する玉鬘をひやかす源氏に対する非難の気持ち。
四 事実を記録した歴史は公的で表面的で一部分しか表していないが、創作である物語は人間や社会の真実をより鋭く表現できるという作者の自負の気持ち。

(桑原博史『源氏物語』三省堂、1990年[2017年版]、239頁~246頁)



最新の画像もっと見る

コメントを投稿