歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪古文総合問題~塩沢一平『きめる!センター 古文・漢文』より≫

2024-02-18 18:00:20 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪古文総合問題~塩沢一平『きめる!センター 古文・漢文』より≫
(2024年2月18日投稿)

【はじめに】


  今回のブログでは、次の参考書をもとに、古文の総合問題を解いてみよう。
〇塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]
 出典は、『紫式部日記』および『宇治拾遺物語』である。
 これらの出典には、いま話題の大河ドラマ「光る君へ」に登場する紫式部(吉高由里子)、藤原為時(岸谷五朗)、藤原道長(柄本佑)、中宮彰子(見上愛)、藤原公任(町田啓太)なども出てくるので、興味をもって読んでほしい。



【塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研はこちらから】
きめる!センター 古文・漢文




〇塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]

【目次】
はじめに
センターは、こんな試験
古文編
攻略法0  センターの基本となる文法を押さえよう
攻略法1  出典タイプによって読み方を変えよう
攻略法2  傍線部解釈問題①
攻略法3  傍線部解釈問題②
攻略法4  文法問題①
攻略法5  文法問題②
攻略法6  内容説明・心情説明・理由説明問題①
攻略法7  内容説明・心情説明・理由説明問題②
攻略法8  内容合致・主旨選択問題①
攻略法9  内容合致・主旨選択問題②
攻略法10  和歌関連問題①(和歌解釈の方法)
攻略法11  和歌関連問題②(掛詞の攻略法)
攻略法12  和歌関連問題③(序詞の攻略法)

古文総合問題
古文総合問題 解答・解説
 
<コラム>目で見る古文① (平安時代の貴族の住居)
<コラム>目で見る古文② (平安貴族の服装)
<コラム>目で見る古文③ (宮中の世界)
<コラム>目で見る古文④ (平安時代の暦と季節、時刻、方位、月の名前)
<コラム>目で見る古文⑤ (平安美人の身だしなみ)
<コラム>目で見る古文⑥ (陰陽道)
<コラム>目で見る古文⑦ (夢占)
(塩沢一平ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、6頁~7頁)




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


古文総合問題
・『紫式部日記』より
・『宇治拾遺物語』より






古文総合問題~『紫式部日記』より


古文総合問題
・『紫式部日記』より
次の文章は、『紫式部日記』の一節で、正月二日、公卿達が「上」(清涼殿)に参上なさったところに、「主上(うへ)」(一条天皇)がお出ましになって、管弦の御遊びが始まった場面を叙した部分である。よく読んで、後の問いに答えよ。なお、文中の会話の話し手は、すべて道長である。

 上に(a)まゐり給ひて、主上、殿上に出でさせ(b)給ひて、御遊ありけり。殿、例の酔は
せたまへり。わづらはしと思ひてかくろへゐたるに、「(A)など、御父の、御前の御遊に
召しつるに、さぶらはで、いそぎまかでにける。ひがみたり」など、むつからせ給ふ。
「ゆるさるばかり、歌一つ仕うまつれ。親のかはりに、初子(はつね)の日なり、詠め詠め」と責めさせ(c)給ふ。うち出でむに、いとかたはならむ。こよなからぬ御酔ひなめれば、
いとど御色あひきよげに、(ア)火影はなやかにあらまほしくて、「年ごろ、宮のすさまじ
げにて、一ところ(d)おはしますを、(イ)さうざうしく見(e)たてまつりしに、かくむつかし
きまで、左右に見たてまつるこそうれしけれ」と、(ウ)おほとのごもりたる宮たちを、
ひきあけつつ見たてまつり給ふ。
「(B)野辺に小松のなかりせば」と、うち誦(ず)じ給ふ、あたらしからむ言(こと)よりも、をりふしの人の御ありさま、めでたくおぼえさせ給ふ。  (『紫式部日記』)

<注>
〇殿上……清涼殿の殿上の間。
〇殿……藤原道長。
〇御父……紫式部の父、藤原為時。
〇初子の日……正月の初めての子の日。この日には小松を引き若菜を食べ、賀歌を詠む習慣があった。
〇かたはならむ……体裁が悪いだろう。
〇宮……中宮彰子
〇一ところおはします……以前、中宮に子供がいなかったことを指す。中宮は入内後約九年間にわたって子供がなかった。ただし、本文の時点では、中宮には二人の子供が生まれている。
〇ひきあけつつ……中宮の子供たちの寝床となっている帳台にめぐらせている布をちょいちょいひき開けてのぞくことを指す。
〇野辺に小松のなかりせば……「子の日する野辺に小松のなかりせば千代のためしになにを引かまし」(拾遺和歌集)による。

問1 傍線部(ア)~(ウ)の解釈として最も適当なものを、それぞれ一つずつ選べ。
(ア) 火影はなやかにあらまほしくて
①燈火に照らし出された姿はきわだって美しく理想的で
②燈火に照らされた辺りの様子はきわだって美しく広い場所が望まれて
③燈火に照らされた辺りの様子はきわだって美しくまた静かな場所が望まれて
④燈火に照らし出された姿はきわだって美しく長生きして欲しい状態で
⑤燈火に照らされた辺りの様子はきわだって美しくもう少しで認められる状態で

(イ)さうざうしく
①騒がしいと
②乱雑だと
③寂しいと
④思いやられると
⑤機敏だと

(ウ)おほとのごもりたる宮たち
①吐き気を催している中宮たち
②奥に引き籠っていらっしゃった中宮たち
③宿直(とのい)して差し上げている皇子たち
④お亡くなりになってしまった皇子たち
⑤おやすみになっている皇子たち


問2 傍線部(a)~(e)の敬語のうち、宮に対する敬意を表しているものが二つある。それはどれとどれの組み合わせか。次のうちから一つ選べ。
①a「まゐり」とb「給ひ」
②b「給ひ」とc「給ふ」
③c「給ふ」とd「おはします」
④d「おはします」とe「たてまつり」
⑤a「まゐり」とe「たてまつり」

問3 傍線部(A)の内容の説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
①主上は、自ら主催する宴席に、道長が出席しないのを非難している。
②主上は、道長が主催する宴席に、式部が遅刻したことを非難している。
③道長は、式部の父が主催する管弦の遊びに、式部が出席しないことを残念に思っている。
④道長は、主上が召集した管弦の遊びに、式部の父が出席しないことを残念に思っている。
⑤道長は、自らが召集した管弦の遊びに、式部の父が遅刻して急いで参上したことを非難している。

問4 傍線部(B)の解釈として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
①都近くの野辺に小松がなかったならば、人々は自らの世の千年の繁栄の証しとして何を引いたらよいのか、釈然としない。
②子の日には、小松を引くのが通例であるので、その小松を長寿の証しとして皆で引こう。
③宮にはいままで若宮たちがいなかったので、私が長生きをしても長寿を祝ってくれるものなど誰もいない寂しい気持でいたのだ。
④この若宮たちもいずれはいなくなるので、私たちの千年も続くような繁栄の証しを何に求めたらよいか、不安である。
⑤この若宮たちが私たちの千年も続くような繁栄のまぎれもない証しなのである。
(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、162頁~165頁)



【解答】
問1 (ア)① (イ)③ (ウ)⑤
問2 ④
問3 ④
問4 ⑤

【解説】
問1 語句の意味を問う問題
・(ア)は古文特有語の形容詞「あらまほし」(理想的だ・申し分ないの意)
・(イ)は現古異義語の形容詞「さうざうし」(寂しいの意)
・(ウ)は古文特有語の尊敬語「おほとのごもる」(「寝(ぬ)」の尊敬語)の意味を問うた。
※すべて暗記すべき語。

問2 文法関連問題(敬語)
・a 「まゐる」は客体である主上に対する敬意(主体は公卿……前書き参照)
・b 「給ふ」は主体である主上に対する敬意
・c 「給ふ」は主体である道長に対する敬意
・d 「おはします」は主体である宮に対する敬意
・e 「たてまつる」は客体である宮に対する敬意(主体は道長)

問3 内容説明問題
・前書きにより、道長の会話とわかる。ゆえに、①②はバツ。
・「御父の」の直後の「御前の御遊に召しつるに」を飛び越して「さぶらはで」以下の主語になっている。ゆえに③はバツ。
・「まかで」(終止形「まかづ」)は退出するの意。ゆえに⑤はバツ。

問4 傍線部解釈問題
・攻略法4にもあった通り、反実仮想では、逐語訳でなくても事実を語っていれば正解。
 傍線部は、道長が中宮の子供たちを見ながら口ずさんだ古歌であり、「小松」が「子供」の比喩であることがわかる。
〇選択肢を吟味しよう。 
・①は反実仮想前半部を「小松」そのままとしてとらえている上に、最終的に「釈然としない。」というように、喜びの歌の意味を引き出すことができないので、不正解。
・②は『拾遺和歌集』の歌の意の反実仮想を事実として簡潔にまとめたにすぎない。
・③は反実仮想の裏返しとしての事実を過去のものとしてとらえているので、不正解。
・④も反実仮想の裏返しとしての事実を未来に求め、しかも文意と逆のマイナスイメージとなっているので、不正解。

【現代語訳】
(公卿達が)清涼殿へ参上なさって、主上(一条天皇)が、殿上の間におでましになって、管弦の遊びが催された。(道長)殿は、いつものように酔っぱらっていらっしゃる。めんどうなことだと思って、(私は)隠れて座っていると、「なぜ、お父上は、(天皇の)御前での御遊びに召し出したのに、お控えしないで、いしいで退出してしまったのだ。(お父上は)ひねくれている。」などと、腹を立てていらっしゃる。「(その罪が)許されるほどに、(すばらしい)歌を一首(あなた=紫式部が)お詠みせよ。親の代わりに、(それに今日は)初子の日であるし、(さあ)詠め、詠め。」とお責めになる。(父の代わりに歌を)詠み出すようなことも(あまりに憚(はばか)りのない私事になってしまい)体裁が悪いだろう。あまりひどくないお酔いの加減であるようなので、いっそう(お顔の)色合いも美しく、燈火に照らし出された姿はきわだって美しく理想的で、「長年、中宮様が(お子もなく)つまらなそうで、一人でいらっしゃるのを、(私=道長は)寂しいと拝見していたが、こう煩わしいまでに左右に(中宮の子供達を)拝見するのが嬉しいのだ。」と(いいながら)、お眠りになっている若宮たちを、(寝床となっている帳台にめぐらせている布を)ちょいちょいひき開けては拝見なさる。(そして)
「……野辺に小松のなかりせば……(……仮に、この若宮たちがいなかったならば、何に私たちの栄華のあかしを求めたらよいのだろうか……。この若宮たちは私たちの千年も続くような繁栄のまぎれもな証しなのである。)」と口ずさみなさる。新しく(私が詠む)ような歌よりも時節にぴったりの(古歌を吟誦なさる)、道長殿の御振る舞いは、立派だ私に思わせなさる(=私は立派だと存じ上げる)。

(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、170頁~171頁)



古文総合問題~『宇治拾遺物語』より


・『宇治拾遺物語』より
次の文章を読んで、後の問いに答えよ。

 今は昔、治部卿通俊卿、後拾遺を撰ばれける時、秦兼久行き向ひ、(ア)おのづから
歌などや入ると思ひて、うかがひけるに、治部卿出で居て物語して、「いかなる歌か
詠みたる」といはれければ、「はかばかしき候はず。後三条院かくれさせ給ひて後、
円宗寺に参りて候ひしに、花の匂ひは昔にも変らず侍りしかば、仕うまつりて候ひし
なり」とて、
「(A)こぞ見しに色もかはらず咲きにけり花こそものは思はざりけれ
とこそつかうまつりて候ひしか」といひければ、通俊卿の、「(イ)よろしく詠みたり。
ただし、『けれ』、『けり』、『ける』などいふ事は、いとしもなきことばなり。それは
さることにて、『花こそ』といふ文字こそ、女(め)の童(わらは)などの名にしつべけれ」とて、いとしもほめられざりければ、言葉少なにて立ちて、侍どもありける所に、「この殿は、
大方歌の有様知り給はぬにこそ。かかる人の撰集承りておはするは、(ウ)あさましき事
かな。四条大納言の歌に、
 春来てぞ人も訪ひける山里は(B)花こそ宿のあるじなりけれ
と詠み給へるは、めでたき歌とて、世の人口(ひとぐち)にのりて申すめるは。その歌に、『人も訪ひける』とあり、また『宿のあるじなりけれ』とあめるは。『花こそ』といひたるは、
それには同じさまなるに、いかなれば、四条大納言のはめでたく、兼久がはわろかる
べきぞ。かかる人の撰集承りて撰び給ふ、あさましき事なり」といひて出でにけり。
 侍、通俊のもとへ行きて、「兼久こそかうかう申して出でぬれ」と語りければ、治
部卿、うちうなづきて、「さりけり、さりけり。物な言ひそ」といはれけり。
                   (『宇治拾遺物語』巻一の一0)

<注>
〇治部卿通俊卿……「治部卿」は治部省(戸籍や外交事務などを司る役所)の長官。「通俊」は藤原通俊
〇後三条院……後朱雀院の皇子。
〇円宗寺……後三条院の勅願寺。
〇四条大納言……藤原公任(きんとう)。和歌・学問にすぐれる。『新撰髄脳(しんせんずいのう)』『和漢朗詠集』の編者。通俊の従兄。
〇春来てぞ……拾遺和歌集、巻一六に見える。

問1 傍線部(ア)~(ウ)の解釈として最も適当なものを、それぞれ一つずつ選べ。
(ア) おのづから歌などや入る
①自分から歌など入集させるはずない
②自然と歌などに集中することなどできない
③もしかして歌などが入集するかも知れない
④偶然に歌などが脳裏に浮かぶかも知れない
⑤当然歌など受け入れるはずない

(イ) よろしく詠みたり
①十分満足できるほどに詠んでいる
②かなりよく詠んでいる
③ふつうに詠んでしまった
④少し劣って詠んでしまった
⑤要領よく詠むことができた

(ウ) あさましき事かな
①貪欲な事であろうか
②下品な事であるはずがない
③意外な事になるかもしれない
④あきれるほどひどい事だなあ
⑤すばらしい事になる気がする

問2 傍線部(A)の和歌の解釈として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
①これぞと思って感動したものと色も変わらずに桜は咲いた。とすると花は美しく咲くこと以外は何も考えないのだなあ。
②ここに咲いていたと記憶していた同じ場所に花の色も変わらずに桜は咲いた。とすると花は咲くこと以外は何も考えないのだなあ。
③去年見た時からずっと色もかわらず桜は咲いているのだなあ。とすると花は散るときの物悲しい気持ちなどしらないのだなあ。
④去年私が見たものと色も変わらずに花が咲いたのだなあ。とすると花は、様々な色に咲こうという思慮をもたないのだなあ。
⑤去年私が見たものと色も変わらずに花が咲いたのだなあ。とすると花は、院の崩御の悲しみから覚めやらぬ私とは違って院が亡くなっても物思いはしないのだなあ。

問3 傍線部(B)のようにこの歌の作者が詠んだ理由の説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
①一般に、人が家を訪ねるのはその主人を目当てに訪ねるのであるが、この歌の場合、人々が桜の花を目当てに訪ねるから。
②一般に、人が家を訪ねるのはその家の花を目当てに訪ねるのであるが、この歌の場合、人々がその主人を目当てに訪ねるから。
③桜の花は元来物思いをしない明るい存在であるため、その花によって人々が悩みを解消しようと思って訪ねて来るから。
④春になると雪が解けて、残った雪が桜の花のように見えて人々がそれを目当てにやってくるから。
⑤春になると雪が解けて、人々が訪ねることができるようになる山荘の女主人の名前が「花」であるから。


問4 本文の内容と合致しないものを、次のうちから二つ選べ。
①兼久は、通俊の再三のすすめにもかかわらず、謙遜してなかなか歌を披露しなかった。
②兼久の詠歌に対して通俊は、「けり」の多用が一番の難点であると指摘した。
③兼久の詠歌に対して通俊は、「花こそ」は女の子供の名前に相応しいと述べた。
④公任の歌にも「けり」が複数用いられており、「花こそ」という表現も用いられていた。
⑤通俊は、兼久が侍達に向かって述べたことを聞いて、自らの間違いに気づき、恥じ入って、侍に他言しないように語った。
(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、166頁~169頁)



【解答】
問1 (ア)③ (イ)② (ウ)④
問2 ⑤
問3 ①
問4 ①②(順不同)

【解説】
問1 語句の意味を問う問題
・(ア)は多義語。「おのづから」には②「自然と」、③「もしかして」、④「偶然に」の意味がある。兼久は、後拾遺集に入集できるのではと思って披露しに行ったのだから、②④は不適。
・(イ)の「よろし」は最高の程度ではないが、評価できるという程度を表す。
・(ウ)「あさまし」は古文特有の語。プラスにもマイナスにも「おどろきあきれるさま」を表す。

問2 和歌関連問題
・直前の会話から兼久が歌を詠む契機となったのは、後三条院の死。
 それにも関わらず、花は今年も同じように咲いているという対比に注目する。
 上の句と下の句はこの対比。

問3 和歌がらみの理由説明問題
・「花」と「あるじ」の共通点をさぐると、どちらも「それを目当てに人が訪ねるもの」とわかる。
・①はこれを的確にとらえている。
・②は「花」と「主人」とが逆。
・③は「物思いをしない……」という前提が不適切。
・④は「雪が桜のように見えて」という内容は、この歌からも、他の叙述部分からも読み取れない。
・⑤は通俊の主張と同等になってしまい、「大方歌の有様知り給はぬにこそ」と批判されることとなる。これでは「めでたき歌とて、世の人口にのりて申す」ことになるはずがない。

問4 内容不合致問題
・①は通俊は「いかなる歌か詠みたる」とは聞いているが、「再三」すすめてはいない。
 また、兼久は「はかばかしき候はず」と一応謙遜の素振りは見せているが、すぐに作った事情を述べ歌を詠んでいる。
②は確かに通俊は「けり」の多用を評価していないが、「それはさることにて」(それはそれとして、それはもちろんとして)もっと重大な難点「花こそ」があると続けている。

【現代語訳】
今は昔のことになっているが、治部卿の通俊卿が、後拾遺和歌集をお撰びになったときに、秦兼久が通俊卿のもとに出かけていって、もしかしたら自らの歌が後拾遺和歌集に撰集されるのではないかと思って、様子をうかがっていたところ、治部卿が中から出てきて客間にすわっいろいろと話をして、「どのような歌を詠んでいるのか」といわれたので、「これといった歌はございません。後三条院がお亡くなりになった後で、円宗寺に参りましたところ、桜の花の美しさは院が生きていらっしゃった昔にも変わりませんでしたので、おつくり申し上げましたものです」と言って
「去年見たものと色も変わらずに花が咲いたのだなあ。とすると花は院の崩御の悲しみから覚めやらぬ私とは違って物思いはしないのだなあ。
と、おつくり申し上げました。」と言ったところ、通俊卿は、「かなりうまく詠んでいる。ただし、『けれ』、『けり』、『ける』などということは、あまり良いというわけでもないことばである。もちろん、『花こそ』という文字は、女の子の名前にまさにつけるのがふさわしい。」と言って、あまりお誉めにならなかったので、兼久は、言葉少なにその場を立って、家来たちが詰めていた所に寄って、「この(通俊)殿は、全く歌の有様というものを理解していらっしゃらないのであろう。このようなお方が勅撰集の編集の仰せをお受けになっていらっしゃるのは、あきれた事だなあ。四条大納言の歌に
 桜の咲く春が来てはじめて人もたずねて来るのだなあ。とすると山里は、花がその宿の主人なのだなあ。
とお詠みになったのは、すばらしい歌だと言って、世間の人々の評判になって(すばらしい歌だと)申し上げているようであるよ。その歌に、『人も訪ひける』とあり、また『宿のあるじなりけれ』とあるようであるよ。(私が)『花こそ』と詠んだのは、その歌と同じことであるのに、どうして、四条大納言の歌はすばらしく、兼久の詠んだ歌は良くないはずがあろうか。このような人が勅撰集の編集の仰せをお受けになって歌をお撰びになることは、あきれた事である。」と言ってその場から出て行ってしまった。
 家来は、主人の通俊のもとへ行って、「兼久がこうこう申し上げて出て行ってしまったのです。」と話したところ、治部卿は、うなずいて、「そうであった。そうであった。このことをだれにも言うな。」とおっしゃったということだ。

(塩沢一平・三宅崇広『きめる!センター 古文・漢文』学研、1997年[2016年版]、171頁~173頁)



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