《2020年度 わが家の稲作日誌 その2》
(2020年12月29日投稿)
今回のブログでは、松下明弘氏の著作『ロジカルな田んぼ』(日本経済新聞出版社、2013年)を読んで、稲作の基本的な作業と「おいしい米づくり」について考えてみたい。
たとえば、日本の稲作において、なぜ「代かき」や「田植え」という作業が必要なのか。そもそも、これらの作業はどういう意味合いがあるのか。それらと除草とどのように関係しているのか。「稲刈り」という行程は、稲作全体の作業の中でいかに重要な意味合いを持つのか。こうした稲作について基本的な考え方が、松下氏の著作を読むと、分かってくる。
そして、「おいしいお米」とはどのようなお米であり、それが稲作の行程とどう関わりあっているのかが見えてくる。「おいしいお米」のための理想の反別収量は、どのくらいが適当なのかについても明記している。
この本を読んで、私の所で栽培している「きぬむすめ」という品種の系統についても理解が深まった。
さて、今回のブログの執筆項目は次のようになる。
全国の稲作農家のうち、専業でやっている人は2割もいない。いまや米作りは、兼業農家が週末にやる仕事になってしまった。
さて、松下明弘氏は、静岡県で有機・無農薬で米を作っている専業農家である。
松下氏は、1963年、静岡県藤枝市に生まれ、静岡県立藤枝北高校を卒業した。その後、段ボール製造工場勤務のあと、藤枝北高校農業科で実習助手をへて、1987年、青年海外協力隊としてエチオピアへ向かう。帰国後は、板金工場に就職し、1996年から専業農家になった。
松下氏は、1995年、全国ではじめて、酒米「山田錦」を有機・無農薬で育てることに成功した。いま日本で有機栽培されている米は、全生産量のわずか0.1%にすぎない。2000年に制度発足した有機JAS認定を受けている稲作農家は、静岡県で2~3人のみで、大きな面積を有機栽培だけをやっているのは、松下氏だけであるという。
加えて、2008年には、コシヒカリの突然変異体を発見し、育種した巨大胚芽米「カミアカリ」を農水省に品種登録した(個人農家が登録するのは静岡県初だそうだ)。
仕事の稲作のあいまに、趣味の稲作をやっているともいう。それは変わった品種をコレクションすることである。古代米から珍品種、突然変異まである。
松下氏が稲作をはじめたのは、29歳である。それから22年間、稲作について考え、いろいろな実験をくり返してきた成果が、『ロジカルな田んぼ』という著作であるという。執筆にあたり、次のような問題が念頭にあったようだ。
〇雑草はなぜ生えるのか?
〇なんのために耕すのか?
〇肥料を入れないとどうなるのか?
〇放っておいたら稲は育たないのか?
〇なぜ田植えが必要なのか?
〇土を育てるってどういうことか?
〇なぜ田んぼに水をはるのか?
〇おいしい米とおいしくない米の違いは何か?
〇どうして病害虫にやられるのか?
〇そもそも土って何なのか?
これらの問題について、「いまだにきれいな答えが出せない問題がある」と断っている。しかし著者が「ひたすら考えつづけ」ていることが、この著作を読むと実感できる。
農作業のひとつひとつは、すべて意味があるといわれる。その意味を知れば、工夫の余地が生まれ、新しい農業が可能になる。
この著作では、農業とはどんな仕事かを具体的に説明しており、一般向けに、農業技術のディテールに踏みこんで解説している。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、「まえがき」3頁~6頁)
【松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社はこちらから】
ロジカルな田んぼ 日経プレミアシリーズ
「第4章 田んぼの春夏秋冬」(101頁~150頁)では、1年を通しての年間の農作業を紹介している。農作業のひとつひとつに、すべて意味があるのだという点を知ってほしいという。作業の意味や目的を知れば、工夫の余地があり、改良できるし、省略してしまうこともできるとする。
1年でもっとも最初にやるのが、年間のスケジュール作りである。2月から3月にかけての仕事である。
まずは取引先と相談しながら、品種や数量を確定するという。
品種選びでは、平成24(2012)年の例をあげている。
〇早生(わせ)~「カミアカリ」「コシヒカリ」
〇中生(なかて)~「あさひの夢」
〇晩生(おくて)~「山田錦」「にこまる」
〇それ以外として~もち米「滋賀羽二重(はぶたえ)」、試験栽培「つや姫」「北陸100号」
お気に入りの品種があったとしても、同時期に収穫できる面積には限界があるので、そればかりを作ることはできないそうだ。
稲は、110~130日ほど田んぼで暮らす。田植えは多少ズレても問題ないが、稲刈りだけは融通がきかない。
稲刈りのベストタイミングは、静岡県の場合、5日程度しかないという。その時期を逃すと、味がガクンと落ちるそうだ。
例えば、稲刈りが半分が終わったところで長雨が降りだし、1週間後から再開したとすると、先に収穫した米の食味と、あとから収穫した米の食味は、まったく違う。
松下氏の場合、9町歩(9ヘクタール、サッカーコート13面分)の面積で稲作をしている。その面積に、1品種だけ植えたとしたら、絶対に3日間では刈りとれない。
だから、収穫時期がかさならないように、早生、中生、晩生と複数の品種に分散しているとする。
3日で刈れる面積にしか1品種を植えない。ある品種の稲刈りと次の品種の稲刈りを、5日から1週間はズラしておき、少し雨がつづいても、対応できるようにしておくという。出発点に稲刈りがあり、そこから逆算しているそうだ。
平成24(2012)年の稲刈りの目安を、次のように記している。
カミアカリ9月8日、コシヒカリ9月13日、あさひの夢10月1日、山田錦10月9日と10月10日の2日間、にこまる10月15日
(但し、滋賀羽二重は9月25日)
このように、だいたい5日から1週間あけている。
カミアカリは玄米食専用、山田錦は酒造用、滋賀羽二重は自家用と、独自の用途があるらしい。
残りの食用米3品種については、コシヒカリ(粘り気があるタイプの米)が早生、あさひの夢(シャキシャキした食感の米)が中生、にこまる(あさひの夢にちかい食感だが、高温障害に強い品種)が晩生と、きれいに分かれている。
品種が決まれば、どの田んぼに植えるかを考えるそうだが、田んぼにも個性があって、早生しか作れなかったり、晩生しか作れなかったりすることがあるという。
松下氏は、青年海外協力隊としてアフリカへ行き、そこで作物の生命力に驚かされた経験から、帰国後も、稲作は放任主義が基本である。
自分の力で生きる稲にするために、重要なポイントをふたつ記している。
①稲が健康に育つ田んぼを用意してあげること
②建康な苗を用意すること
この2条件さえ最初に満たしておけば、きびしい環境でも元気に育つのだそうだ。
①の田んぼの準備でもっとも大切なのは、地面が水平であることである。
水平は、稲作にとって基本であり、奥義であると説く。
つまり、田んぼが斜めになっていて、高いところの土が水から顔を出すと、空気にふれて畑雑草が繁殖する上、肥料もかたよってきくから、品質のバラツキにつながるという。
だから、土がかたよっている場所は、高低差をなくす。田んぼの端っこは土が盛り上がりがちだし、道路から機械(コンバインやトラクター)を入れる場所は土が沈みがちである。
雨が降った翌日に見ると、水のたまり具合で傾斜がわかる。その時、水深を調べて、見取り図を描き、バケットをトラクターにとりつけて、土を移動させるそうだ。7割がた土を動かし、最終的な調整は代かきでやるとのこと。
(代かきでは、水を入れた状態で土をかき回すと、細かい泥に変わり、水もちがよくなるし、粘着力も出るので苗を植えやすくなる)
また、いくら水平をとっても、水まわりに問題があったら、水がたまらない。だから用水路のコンクリートや、水の取り入れ口のパイプが割れていたら、3月には修理しておく。そして冬のあいだにモグラが畦(あぜ)に穴をあけるので、畦もぬりなおす。
水もれのない田んぼを作るのが基本中の基本であることを強調している。
平成24年の田植えの時期は、次のように予定していた。
カミアカリ5月20~22日、コシヒカリ5月25日、あさひの夢5月末~6月2日、滋賀羽二重6月3日、にこまる6月5~10日、山田錦6月10~17日ぐらい
このように、松下氏の田植えは、いちばん早いカミアカリで5月20~22日、いちばん遅い山田錦で6月10~17日ぐらいで、品種ごとに時期をズラして植えてゆく。
(田んぼの隅っこは、田植え機が入らないので、そこだけ手で植えているそうだ。それで収量が劇的に増えてわけではないものの、どうしても植えずにはいられないという)
松下氏の田植えの特徴をひとことでいうと、スカスカと表現している。
近辺の農家は、1坪あたり70株を植えるのがふつうであるが、松下氏は1坪50株植えとする(実際には欠株が出るので、実質45株植えぐらいになるという)。
しかも、1株あたりの本数も少ない。ふつうは6~7株の苗を1株として、1カ所に植えつける。松下氏は、苗2~3本で1株にしている。
(株数が少ないだけでなく、1株あたりの本数も少ない。だから、1株に植える苗の合計本数は、慣行田の4分の1とか5分の1しかないようだ。株と株のあいだは、22.5センチ、隣の列とは30センチ離すと記す)
このようにスカスカに植えるのは、1株あたりの生活圏をひろげたいからだと主張している。
自分のまわりに空間があれば、稲は太陽光をもとめて葉っぱをひろげ、横に大きくなる。根も茎もガッチリして、台風がきても倒れない稲になるそうだ。一方、慣行田では、ギッシリ植えるので、稲の周囲に空間がないので、光合成したければ、上に伸びるしかなく、ヒョロヒョロの倒れやすい稲になると説いている。
稲というのは、薄く植えても、厚く植えても、収量はそれほど変わらないそうだ。空間があれば、茎の数を増やしたり、1本の穂につく米粒の数を増やしたりして、すき間をうめていくものらしい。
稲が茎を増やしていくことを「分げつ」という。
田植えしたときは1株に2~3本植わっていたのが、夏のあいだに本数がどんどん増える。
松下氏にとってのベストは、1株17~18本とする。
(あまりに茎が増えすぎた場合は、田んぼの水を抜き、分げつを止めることもある。「中干し」という作業をするという)
さて、8月に入ると、ついに稲穂が出てくる。ここから40~45日かけて、デンプンを米粒に送りこんでいく。「出穂(しゅっすい)」の時期である。
松下氏の田んぼでは、次のようである。
カミアカリ8月3日ぐらい、コシヒカリ8月5日ぐらい、滋賀羽二重8月22日ぐらい、あさひの夢8月25日ぐらい、山田錦9月1日ぐらい、にこまる9月2日ぐらい
※稲穂がみのると、スズメが集まってくる
(まだやわらかい米粒をプチュッとつぶすと、甘いデンプンが出てくる。それが大好物なのである)
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、102頁~111頁、133頁~136頁、143頁)
松下明弘氏は、代かきの重要性を強調している。
松下氏の田んぼは、いわゆる「ザル田」だから、代かきをやらないと、水が落ちてしまい、保水が不可能だそうだ。
代かきをやれば、土が細かく粉砕され、土が沈む過程でギュッと締まる。この作業をやってはじめて、田んぼに水がたまるようになる。
代かきの3~4日前に田んぼに水を入れ、まずは全体にいきわたらす。
水が2~3センチ残っていて、土が見えるか見えないかぐらいの状態がベストである。だから、水深を調整する。
(松下氏の田んぼは一晩で、4~5センチは水が落ちるらしい。前日の時点で、7センチぐらい水がたまっていれば、明朝には2~3センチになると読む)
そして、翌日、トラクターを入れて超浅水代かきをする。
代かきの最大のポイントは、水平をとることであると強調している。
1反(0.1ヘクタール)の田んぼであれば33メートル四方、3反の田んぼであれば、30メートル×100メートルぐらいの大きさである。そこに水をはったとき、両端の水深が誤差1センチ、最悪でも2センチにおさまるように仕上げることが重要だという。
松下氏は、代かきに、ほかの人の倍は時間をかけるそうだ。
中毒患者のように代かきをやって、ピシッと水平がとれたときは「1年の仕事の半分が終わった」と感じると打ち明けている。
ここで時間をかけるから、除草時間がゼロですむようだ。
(意外なほど、農家の人でも、水平の大切さを知らない人が多いらしい。あまりにも無頓着に、水と土を混ぜているだけの場合が多い。水平さえとっておけば、肥料がよくきくし、雑草も劇的に減ると主張している)
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、54頁、111頁~113頁)
【松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社はこちらから】
ロジカルな田んぼ 日経プレミアシリーズ
慣行農業では、2.5葉ぐらいの「稚苗(ちびょう)」で田植えするのが一般的である。
苗が小さいほうが作業性がいいので、機械化農業とともに稚苗植えが常識になったようだ。
一方、松下氏は4.5葉から5葉ぐらいの「成苗(せいびょう)」で田植えするそうだ。
その理由は3つあるとする。
①肥料がきくまでのタイムラグ
化学肥料のように即効性が高ければ、稚苗でも楽に生きていけるが、松下氏は有機肥料で育てているので、そこまでの即効性がないらしい。成苗のほうが栄養分をいっぱいたくわえているので、根を伸ばしやすい。
②害虫の問題
暖かい土地には、イネミズゾウムシが多く、苗の葉っぱを食べてしまう。2.5葉のうちの1枚を食べられたら大ダメージだが、5葉のうちの1枚なら支障はない。
③ジャンボタニシ(スクミリンゴガイ)の食害
稚苗の細い茎だと、ポキンと折られてしまうが、成苗まで育てておけば、葉っぱ1枚の被害でくい止められる。
※ジャンボタニシは、食用にするために南米からもちこまれた。養殖場から逃げだして、越冬する能力を見につけた。雪の降る土地や、化学肥料・農薬の田んぼにはあまりいないが、静岡県では十数年前から大繁殖しているそうだ。
田植えは、①稲が建康に育つ田んぼ、②丈夫な苗、この両方の条件がそろう必要がある。
稲作は兼業農家が大半なので、会社が休みになるゴールデンウイークに田植えをすることが多い。
松下氏は専業だから、それぞれの品種でベストのタイミング(5月下旬から6月上旬)を選んで、田植えをするそうだ。
なぜ田植えが必要かについて、次のように解説している。
そもそも田んぼに種を「花咲かじいさん」のようにまいても、稲は勝手に育つ。
実際、アメリカやオーストラリア、ヨーロッパ(イタリア、スペイン、ギリシャ、ポルトガル)では、「直播(ちょくは)」という、種を直接まく方法で育てている。
一方、日本人は、わざわざ苗を移植している。
日本の田植えは、フライング・スタートであるという。
「直播」の欧米の稲作は、雨の少ない地域でおこなわれている。ところが、日本のような湿気の多い土地で「直播」は難しい。というのは、まったく同じ条件で、「用意、ドン!」となれば、稲より雑草のほうが先に育ってしまうからである。
しかし、雑草より先に根をはりめぐらせることができたら、稲は栄養を独占できる。
代かきをすませたばかりの田んぼは、見わたすかぎりの泥の海である。このスタートラインには草1本生えていない。ここに、2.5葉ないし4.5葉の苗を移植すれば、発芽からはじめないといけない雑草に対し、圧倒的優位に立てる。
これが田植えの意味であると松下氏は解説している。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、128頁~130頁)
松下氏は、農薬や除草剤を使わない雑草対策を工夫している。
松下氏が農業を始めた当初は、田んぼにコナギがビッシリ生え、稲刈りの際にコンバインを入れたら、刃にからみついて前へすすめないほどであったそうだ。
「除草」しようと考えるから、手に負えないのであって、発想を変えて、最初から雑草が生えてこない環境を作ればいいと考え直し、「抑草(よくそう)」の方法をさがしたという。
そもそも、どうして田んぼに水をはるのかという点から考え直している。
稲の成長に必要だからだろうか。
いや、「陸稲(おかぼ)」という畑で育つ稲もあるから、稲に水を飲ませるだけなら、田んぼ全体に水をはる必要はない。
田んぼに水をはるのは、土と空気を遮断するためだとする。つまり、土が空気にふれると、「畑雑草」や「乾性雑草」とよばれる、乾燥を好む雑草が育ってしまう。
水をはれば、畑雑草は生えてこない。「水田雑草」や「湿性雑草」よばれる、湿気を好む雑草だけを警戒していればいい。
水をはることで、畑雑草を抑草することになる。
(これこそ、アジアの先人たちが水田を選んだ理由であると説明している)
では、水田雑草のほうは、どう抑草すればいいのか?
当時、「いかに農薬をつかわず除草するか」という本はたくさんあったが、「雑草が生えない環境を作る」という発想の本はなかったようだ。
だから、水田雑草の生態を解説した本を読み、「雑草の種子が発芽するには、光、温度、水分、酸素が必要である」と書いてあったことを、逆転の発想で、その発芽条件をうばってみることを思いついたという。
「コナギが減ればヒエが増える」と題して、ヒエとコナギという雑草の抑草について、示唆的なことを述べている。
あるおもしろい出来事があったようだ。
友人の田んぼがだいぶ斜めになったので、土を入れて、トラクターで何回も水と混ぜて土をやわらかくしたところ、去年までヒエだらけだったその田んぼに、今年はまったく生えてこなかったという。
除草剤は一切まいていないのに、ヒエがまったく生えなかったのはなぜか?
土を何回かかき回したことにより、雑草が発芽しようとしても、底に沈んでしまい、水を入れてかき混ぜたことにより、土から空気がどんどん抜けたらしい。
(「還元状態」とよばれる、酸素のない状態になる)
ヒエの場合、光はあまり必要でないが、酸素は不可欠だといわれる。逆に、還元状態では発芽できない。
雑草によって発芽にもとめる条件は違うが、ヒエ対策としては、1週間おきに3回ぐらい代かきをやって、酸素がつねに足りない環境にすることであるとする。
一方、コナギの発芽条件は、ヒエと正反対である。つまり酸素は不要なのに、光が必要である。
本には「コナギは代かきが大好きだ」と書いてあったそうだ。コナギの種は水を吸うとふくらんで、風船のようにフワフワと水中をただよい、代かき後に土が沈殿していったあと、最後に土の上に落ちてくる。こうして発芽に必要な光を確保しているようだ。
そこで風船が浮かべないように、水の量を減らして、超浅水で代かきをする。浮かべなければ、最上面を確保できないので、コナギは発芽できなくなるらしい。
代かきが大嫌いな雑草と、代かきが大好きな雑草が相手では、両立は難しい。コナギが激減したけど、ヒエが生える。あるいは、その逆。
この問題を解決したのは、「表層耕起」という耕し方であったそうだ。
田んぼを浅くしか耕さないと、田植え後にフワフワの土が2センチほど盛り上がってきて、雑草の種をおおい隠してしまう。こうなれば酸素も光もとどかなくなるという。
松下氏が専業になって3年目には、ほとんど雑草が生えなくなったと記している(代かきはその後も超浅水でやり、何回もやる必要はなくなったようだ)
表層耕起によりできたフワトロ層の土は、非常にきめ細かく、雑草の種より軽いため、種を上からおおってしまう。光と酸素の両方を遮断するので、コナギやヒエにかぎらず、どんな雑草も発芽できないそうだ。完璧な抑草が実現できたとする。
なお、稲の分げつ(茎が増えていくこと)がすすみすぎたときや、稲刈り前に地面を固めたいときなど、田んぼの水を抜くことがある。土が光や空気に接するのに、もう雑草は生えないそうだ(種は地面の下に埋もれてしまっているからであると松下氏は説明している)
土のなかの雑草の種は、眠った状態で、10~15年も生きつづけるものらしい。15センチも掘り下げれば、それだけの休眠種子を地表面に引き上げる。それに対して、5センチしか耕さなければ、寝た子を起こさないと、松下氏は表層耕起のメリットを説いている。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、48頁~58頁)
「第2章 雑草の生えない田んぼ」において、「「マジックナンバー」1反7俵」と題する節が興味をひいた。
全国どこでも、品質のいい米を作る農家は、収量をおさえているという。
数字もだいたい一緒で、雪の降らない土地で1反7俵、雪の降る土地で1反8俵だとする。雪の降る土地のほうが少し多いのは、寒いと代謝が落ちて、米粒もゆっくり充実するからである。松下氏の地元静岡では、稲穂が出て40日で稲刈りだが、東北では50~55日もかかる。時間をかけるぶん、デンプンが密につまった米になる。
松下氏がたずねた名人たちも口をそろえて、7俵(60キロ×7=420キロ)という数字をあげたそうだ。
7俵におさえておけば、虫に強いし病気も出ない。台風がきても倒れない。品質もいいから、高く売れる。リスクを回避したいなら、収量を落ちしたほうがいいようだ。「マジックナンバー」7俵は、バランスが絶妙な数字であることを強調している。
7俵は、420キロである。
松下氏の場合、1坪に50株植えるので、1反(300坪)だと1万5000株を植えることになる。1万5000株で420キロの収穫をめざすのだから、1株でとれる米の総重量が28グラムであればよい。
米粒の重さは、品種ごとに調べられている。1000粒の重さを基準にするので、「千粒重(せんりゅうじゅう)」とよばれる。
例えば、黄金晴の千粒重は21グラムぐらいである。目標とする28グラムは、1300粒強の重さである。つまり、1株に1300粒ついていればいいわけである。
ちなみに、コシヒカリの千粒重は21グラム程度で、酒米の山田錦のそれは、米粒が大きいので、26グラムもある。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、42頁~46頁、168頁)
コシヒカリが昭和30~40年代に登場したとき、多くの人が「こんなおいしい米が存在したのか!」と腰を抜かしたようだ。
コシヒカリは、そもそも新潟県の中山間地(ちゅうさんかんち)で育てるために導入された品種であった。
中間山地は水が冷たく、土地は痩せていて、日照時間も少ない。
ただ、どんなにがんばっても少ししかとれない土地のほうが、米はうまくなるそうだ。肥料過多にならないため、タンパク質の含量が少ない。
いまでは平場でも栽培されているが、最初に出て来たコシヒカリは中山間地で作ったものである。
(松下氏によれば、静岡県藤枝市もこの条件を満たしているという。ただでさえ痩せた土地なのに、いわゆる「ザル田」だから、水と一緒に肥料が抜けてしまうらしい。古くは志太(しだ)郡とよばれた地域で、戦前から戦後にかけて「志太米」は有名であった。寿司米に最適だとして、東京の米屋が買いにきたそうだ)
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、44頁)
化学肥料を大量投入して、1反12~13俵も収穫する農家が珍しくない。
しかし、量と品質は反比例の関係にある。
米はデンプンの塊である。ただ、肥料を入れすぎると、米粒にふくまれるタンパク質が過剰になり、味が落ちるとされる。
例えば、食味計では、脂肪酸や水分やデンプンなどの物質を計測するが、中でも、もっとも重視されるのが、タンパク質の含量である。
ふつうは、6%台後半だとされる。7%になると、パサパサしておいしくない。5%台だと、粘りがあって、誰もがおいしく感じられるという。
このタンパク質の量と関係してくる稲作作業として、稲刈りがある。
稲刈りの最大のポイントは、刈り遅れをしないことである。
つまり、刈り遅れると脂肪酸が増え、品質は劣化する。栄養分を送りこみすぎるとタンパク過剰米にもなるそうだ。収穫を先送りすればするほど、「過熟(かじゅく)」がすすむ。
このしくみについて、松下明弘氏は次のように解説している。
米粒というのは、稲の種であり、稲も生きものだから、子孫を残そうとする。種が完成した段階で、その種をばらまくことを考える。
タンポポのように軽い種は風に乗るが、稲は種が重いため、そうはいかない。そこで、自分の体をバタンと倒し、その勢いで脱粒(だつりゅう)して種を飛ばそうとする。現代品種は改良されて倒れなくなっているが、原始的な品種は倒伏の性質を残しているようだ。
遠くへ飛ばすには、種は少しでも軽いほうがいい。そこで種の水分を減らす。過熟がすすめば、乾燥もすすむ。そして、水分の少ない米は、加湿や乾燥といった刺激があると、半分に割れる。
(これを「胴割れ[どうわれ]」という。精米したときの歩留まりが悪くなる)
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、43頁、145頁~146頁)
〇肥料の量とお米の品質は反比例の関係(肥料を入れすぎるとタンパク質が過剰になり、味が落ちる)
〇稲刈りの最大のポイントは、刈り遅れをしないこと
〇刈り遅れ⇒「過熟」⇒タンパク過剰米・脂肪酸増加⇒品質の低下(おいしくないお米)
〇稲の保存のため⇒種の水分軽減⇒「過熟」の進行⇒乾燥の進行⇒「胴割れ米」
稲刈り後の収穫した米粒には、まだもみ殻がついている状態である。収穫後は、乾燥機に入れる。
収穫したばかりのときは、早生(わせ)だと27~28%、晩生(おくて)だと22~23%の水分を含んでいる。これを14~15%まで落とすとされる。
収穫してすぐ乾燥させるのは、ふたつの目的があるそうだ。
①長期貯蔵のため
②もみ殻をむきやすくなるため
①昔はもみ殻をつけたまま貯蔵したが、現代ではもみすりし、玄米にして冷蔵庫で貯蔵する。このとき、食味を落とさないレベルまで、水分を落としておくと、カビにやられない。
②水分を落とすと、もみ殻と玄米のあいだにすき間ができ、もみ殻をむきやすくなる。
(水分が多い状態でむくと、玄米まで傷つけてしまう)
このふたつの目的があって、収穫後の米粒を乾燥させるのだとされる。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、148頁~149頁)
【松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社はこちらから】
ロジカルな田んぼ 日経プレミアシリーズ
玄米食は、非常に理にかなった食事法である。
白米はデンプンの塊だから、エネルギー源としては、申しぶんがない。
ところが、ミネラルやビタミン、アミノ酸など、米の栄養分の8割がたは、胚芽やヌカに含まれている。
(精米してから食べるのは、栄養分のほとんどを捨てているのと同じである)
人間の体は20種類のアミノ酸で作られている。
このうち9種類は、人間が体内で合成できない。食事で摂取するしかないので、「必須アミノ酸」とよばれる。この必須アミノ酸のすべてが玄米には含まれる。
リジンだけは、必要量の半分しかないようだ。リジンの塊である大豆で補えばよい。
玄米を主食に、味噌汁でリジンと塩分を補い、菜っ葉でビタミンを補う。日本の伝統食はパーフェクトだった。それだけ食べていれば、1日生きて、働けるだけの最低限のエネルギーは確保できた。
胚芽の部分には、ビタミンB1やビタミンB2が多い。
(「カミアカリ」といった品種の巨大胚芽だと、ふつうの3~4倍のビタミンがとれるそうだ。高血圧を防ぎ、脳の血流をよくする物質として話題の「GABA(γ-アミノ酪酸)」についても同様らしい
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、207頁~208頁)
「第2章 雑草の生えない田んぼ」において、「米ヌカで酸の海に」と題して、米ヌカの効用について述べている。
微生物は有機肥料を分解してくれるだけでなく、抑草にも役立つそうだ。
玄米を精米すると、大量の米ヌカが出る。
松下氏は、専業農家になる前後の時期から、米ヌカを田んぼに戻すようになったという。
米粒とは、稲の種であり、その種が発芽したとき、初期に育つための栄養がたっぷりふくまれている。だから米ヌカを稲のエサにするのは理にかなっていると理解している。
昔から「田んぼのものは田んぼに返せ」といわれてきた。
また、松下氏によれば、米ヌカは抑草に大きな効果を果たしていたとする。
米ヌカにくっつている乳酸菌や、米ヌカをエサにする酢酸(さくさん)菌が、土に増える。それらの菌は乳酸や酢酸を出し、土壌を酸性にかたむけるようだ。
(松下氏は、米ヌカ不足に悩まされているという。1俵60キロの玄米を10%精米したら、6キロの米ヌカが出るが、肥料に毎年2トンちかい米ヌカをつかう。米の消費量が落ちているため、精米所で出てくる米ヌカの量も減っているというのだ)
ところで雑草の種は硬い殻で守られているため、その内部にとどまっているかぎりは安全である。しかし、その殻から発芽してくるのは、やわらかくて弱い細胞である。その雑草が発芽したときに、周囲が酸の海だったら、細胞膜が破壊されてしまう。
ある程度まで育ったあとなら、細胞のひとつやふたつこわれても、大勢に影響はない。でも、最初の1個がこわされてしまうと、もう成長できなくなるらしい。植物にとって発芽というのは、大きな冒険である。
要するに、乳酸、酢酸、酪酸などの有機酸が田んぼに増えると、雑草の発芽が抑制される。
(このメカニズムの説は、栃木県の民間稲作研究所の稲葉光圀氏の著作にあるそうだ)
さらに、微生物は米ヌカなどの有機物を分解する過程で、さかんに酸素を消費する。
田んぼに水をはったあとだと、地表から5センチの狭い範囲が還元状態になるようだ。
⇒これもヒエの発芽条件をうばっている!
微生物は本当に働きものだと松下氏は感心している。
ところで、稲も植物だから、同じことをやられたら、発芽できないはずである。
しかし、稲だけはべつの場所で発芽させ、苗にしてから田んぼに移植されるから、問題は起きないという。
抑草は、田植えを前提とした技術であることを強調している。
松下氏が、先祖から受けついだ田んぼは1町6反(1.6ヘクタール)だったが、近所の田んぼを借りるなどして、平成25(2013)年は9町歩を作ることにしたそうだ。
ただ、借りる田んぼは慣行田だったから、有機物は不足しているし、微生物も棲みついていない。
そこで、乳酸菌で、土壌の体質改善をやったとのこと。乳酸菌を培養する場合、次のことを行ったそうだ。
牛乳(5リットル)と米ヌカ(両手いっぱい)を容器に入れる。米ヌカについている乳酸菌が種菌(たねきん)となり、増えていく。5日から1週間たつと発酵がすすみ、乳酸菌をふくんだ水分である乳清(にゅうせい)が3.5リットルとれる。
この乳清に水を足して70リットルにし、米ヌカ150キロ、焼き米粕(かす)150キロを混ぜるという(焼き米粕とは、玄米茶の工場で玄米を炒るとき、火が入りすぎたりしたものだという)。
米ヌカや焼き米粕は乳酸菌のエサになる。このエサ付きの乳酸菌を、トラクターの肥料散布機に入れて、3反の広さの田んぼにまき、軽くすき込むそうだ。
ちなみに、乳酸菌は、ほかの菌の繁殖をふせいでくれる。乳酸菌は、非常に強い菌で、それに勝てるのは黄色ブドウ球菌や O-157など、食中毒を起こすほど強力な菌だけで、ふつうの菌はまず勝てないらしい。
人間でも乳酸菌飲料を飲むが、あれは胃腸のなかに乳酸菌をひろげ、悪玉菌が増えないようにしている。
人間の胃のなかの乳酸菌と、田んぼの乳酸菌は種類が違うが、狙うところは同じで、春先に田んぼへ乳酸菌をまくと、ほかの菌が活動できなくなる。
乳酸菌に居場所を確保してもらって、あとで肥料にふくまれる麹菌や酵母菌が活発に動けるようになるという。麹菌や酵母菌も稲と共棲している菌で、それらが活躍できれば、有機物を分解するのを待てばよいようだ。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、68頁~72頁、80頁~81頁)
「第5章 山田錦の魅力」(151頁~180頁)では、酒米の山田錦について述べている。
酒米というのは、高級な日本酒を造るための米である。
そもそも酒米という概念は、明治時代まで存在しなかったそうだ。それまでは、食べるために米を作り、あまったぶんを酒造りにまわしていた。
明治時代の「渡船(わたりぶね)」「山田穂(やまだにしき)」など、山田錦の親にあたる世代が、酒造専用に作られた最初の品種であるようだ。
(渡船は江戸時代にも栽培されていた記録があるが、そのころは食用米として作られていたらしい)
現代でも、酒米は、米の全生産量の1%程度しか作られていない。日本酒の7割がたは、ふつうの食用米で作られている。
ところで、酒米は米粒を大胆に削ることが大前提である。
もったいないが、米の表面にはタンパク質や脂質が多いので、そのままつかうと雑味になるからである。すき通った味わいにするには、表面を削り、純粋なデンプンだけを使用する必要がある。
削ることが前提にあるなら、酒米の米粒は大きいほどいい。実際、コシヒカリの千粒重は21グラム程度だが、酒米の山田錦は26グラムもあるそうだ。
また、粘り気のない米のほうが、麹菌となじみがいいといわれる。
米粒の中心に「心白(しんぱく)」というすき間のあるほうが、麹菌が入りやすい。酒米の条件として、最大の条件は粒が大きいことである。
われわれが食べている白米は、玄米の表面10%ぐらいを削ったものである。これを「精米
歩合」90%と表現する。大吟醸酒ともなれば、精米歩合40~50%という世界である。つまり米粒の半分以上を削るわけである。だから大きくないと、粉々になってしまう。
酒米として登録されている品種は、100ちかくあるそうだ。
生産量では、1位の「五百万石」と2位の「山田錦」で6割を占める。
五百万石は、昭和32(1957)年に新潟県で生まれた品種である。新潟県の米生産量が500万石(80万トン)を突破したことを記念して、このネーミングになったといわれる。味もいいし、収量も多い。早生だから北国でも作れる。
五百万石と山田錦とは、どこが違うのか?
そのもっとも大きな違いは、五百万石は現代品種であるという点であるという。
化学肥料・農薬がつかわれる時代になってから生まれた品種だけに、「耐肥性」がある。肥料を多めに入れても、問題が起きにくい。
酒米にかぎらず、稲は肥料をたくさん入れると、収量は増えるけれども、背が伸びて倒れやすくなる。
倒れると、コンバインで収穫するときに支障が出る。だから肥料を入れても倒れないことが、現代品種の必要条件とされる。
一方、山田錦とは、どのような酒米なのか?
山田錦は、大正12(1923)年に交配がはじまり、昭和11(1936)年に兵庫県で登録された古い品種である。
化学肥料・農薬が普及する前だから、耐肥性がない。現代品種とくらべると野性が残っていて、肥料を入れただけ吸ってしまう。裏をかえせば、少ない肥料でよく育って、味がよく、収量もそこそことれる。これで当時は満点だった。たしかに倒れやすい性質はあるが、当時は手刈りの時代だから、立っていようが倒れていようが、手間は変わらなかった。
古い品種である山田錦に、現代農業の感覚で化学肥料を入れるのは厳禁である。
というのは、どんどん肥料を吸って大きくなり、風が吹いたら倒れ、病気にも害虫にも弱くなるからである。
(実際に本場の兵庫県以外に、静岡県でも何人か、山田錦に挑戦した人がいたが、コシヒカリ並みの化学肥料を入れて、その性質を無視して、失敗したという。山田錦は米にできれば御の字といわれるほど、難しい品種であったようだ)
松下氏の稲作は肥料をおさえる手法だから、山田錦によくフィットしたそうだ。イモチ病やカメムシに弱い性質は、強い体に育てることでクリアできた。結局、松下氏が静岡県ではじめて栽培に成功することになった。そして、有機・無農薬では、全国初であった。
(有機・無農薬で山田錦を作るのは、今でも非常に珍しいらしい。その後、全国的に栽培されるようになったが、少なくとも減化学肥料・減農薬で作っているとのこと)
山田錦は気難しい品種である。耐肥性がないだけではない。「脱粒(だつりゅう)」という性質もある。
脱粒とは、稲穂がみのると、尖端からボロボロこぼれてくる性質のことである。現代品種は人間の収穫を待ってくれるが、山田錦には自分の子孫を残す本能が強いので、油断すると種をばらまかれてしまう。
そして発芽能力も異様に高い。稲刈り直前に3日ぐらい雨がつづくと、米粒が穂についたままの状態で発芽してしまう(「穂発芽(ほはつが)」という)。
胚芽の部分が水を吸いこむと、糖化酵素アミラーゼが分泌され、米粒のデンプンを分解する。発芽して成長するためのエネルギーを用意する。デンプンの密度が低くなるから、精米したときに破砕してしまうのである。
ここで、酒の品質と精米との関係で問題が発生すると解説している。
大吟醸酒は精米歩合が40~50%であることは先に言及したが、その精米歩合は、精米機が判定する。その際、米を削ったヌカの重量ではかっている。米の全重量の半分のヌカが出てきたら、50%精米が終わったと判断している。しかし、破砕しやすい米は精米機のなかで粉々になって、ヌカと一緒に出てゆき、出てくる重量ばかり増えることになる。精米機に残っている米はまだ50%も削られていないのに、50%精米が終わったと判定されてしまう。当然、日本酒の品質は落ちる。
だから、玄米にした時点で、ひとつも胴割れ米が見当たらないぐらい、品質に気をつかう必要がある。
穂発芽しなかったとしても、刈り入れが遅れたら胴割れ米は増える。松下氏が、稲刈りに神経質になるのは、品質のバラツキをおさえるためであると強調している。
(松下氏は、山田錦という世話の焼ける品種を作っていると、植物が本来もっている生命力を実感するという。山田錦の野性味を知ってしまうと、飼いならされた現代品種はつまらなく感じるそうだ)
背が低いほうが喜ばれる現代品種と違い、山田錦は背が高くて、キリンの首のように穂が伸びる。現代品種は葉っぱよりも下に稲穂がつくが、山田錦は葉っぱの上に稲穂が出る。もみ殻の表面には細かい毛(穎毛[えいもう])が生えているが、山田錦はその毛も長く、夕日が当たると感動的なぐらいに輝き、まさに黄金色の田んぼになるそうだ。
ところで、松下氏は、山田錦が台風被害にあった体験を記している。
それは、平成23(2011)年9月21日、藤枝市を直撃した台風の時である。風速45メートルもの暴風が吹き、早生の稲刈りは終わっていたが、中生と晩生はまだであった。翌日見にいくと、稲穂や葉っぱの先端がちぎれ飛んでいたが、倒れたものは1本もなかったようだ。根っこが強いから、地上部を引きちぎられても倒れなかった。
山田錦は、穂が出て20日目ぐらいであった。米粒にデンプンを半分ほど送り終わった時期である。そんなときに穂先を強風で叩きつけられると、穂先の米粒は未熟のままかたまってしまう。そこで稲はもう養分を送っても無駄だと考えて、穂の先端3分の1は殺してしまうものらしい。育ちそうな米粒にだけ養分を送るようになる。
米粒にデンプンがつまらなければ、それはクズ米になり、売りものにならない。
例年、山田錦のクズ米率は12~13%だが、この年は倍の24%にも達したそうだ。収穫の4分の1がクズ米である。
ところが残された76%の米粒へ懸命に養分を送りこんだ結果、いつもより質のいい米になったという。
植物はピンチになると、逆にがんばる生きものである。
根っこが強ければ、自分の力で挽回できる稲になると強調している。
初期に根っこさえ育てておけば、地上部は梅雨明けぐらいからグーッと伸びて、慣行田の稲にすぐ追いつけるという。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、132頁~133頁、167頁~173頁、205頁)
松下明弘氏は、「第7章 多様性をもとめて」(213頁~237頁)の中で、日本では戦後なぜお米の多様性が消えたのかについて解説している。以下、紹介しておこう。
かつては全国各地で、その土地に合ったさまざまな品種が作られていた。近代になって品種登録された稲は800種ほどあるが、そのうち今も残るのは500種ぐらいといわれる。
(品種登録という概念のなかった江戸時代以前には、もっとたくさんあったようだ)
作家の石川英輔氏は『大江戸番付づくし』(講談社)で江戸時代の「米どころ」について書いている。
そのランキングによれば、東の大関は遠州掛川米で、西の大関は肥後米である。
(江戸時代に横綱は存在しなかったので、最高の位は大関)
三河米や美濃米も人気が高かったらしい。今の静岡県、愛知県、岐阜県など東海地方が、意外と上位に食いこんでいる。
なお、東北は皆無に近いのは、当時の東北は冷害に耐えられる品種がなかったから。米どころになるのは戦後である。
また、室町時代までは、近畿の米が一番うまいとされていた。江戸時代になって、全国で新田開発がすすみ、東海の米がそれに代わった。
(新しくひらいた土地は土が生きているから、新しい味が生まれる。それが新鮮に感じられるために、米どころは移り変わってきたようだ)
戦前のお米は、土地による多種多様な味があったといわれる。いわゆるテロワールが当たり前に存在していた。
しかし、その多様性が戦後、消えてしまった。
その理由は何か。二つあるといわれる。
①化学肥料・農薬の普及
②品種の多様性の消失
②について、松下明弘氏は「コシヒカリ・ファミリーの天下」と題して、次のように説明している。
まず資料として、平成21(2009)年に農水省が調べた品種別の収穫量を掲載する。
1位コシヒカリ(36.5%) 2位ひとめぼれ(10.0%) 3位ヒノヒカリ(9.5%) 4位あきたこまち(7.8%) 5位はえぬき(3.1%) 6位キヌヒカリ(3.0%) 7位ななつぼし(2.4%) 8位きらら397(2.0%) 9位つがるロマン(1.8%) 10位まっしぐら(1.4%)
全収穫量の4割ちかくがコシヒカリである。
さらにトップ5だけで7割ちかく、トップ10で8割ちかくを占めている。
(500品種あるといっても、その中のごく一部しか栽培されていない)
しかも、2位以下の9品種にはすべて、交配の過程でコシヒカリの系統が混じっているそうだ。どれも、コシヒカリの子や孫、ひ孫にあたる。
コシヒカリ・ファミリーだけで、日本の米収穫量の8割(ママ)ちかいのである。
11位以下まで調べたら、この数字ももっと大きくなる。
ウィキペディアによれば、コシヒカリの子品種としては、ひとめぼれ、ヒノヒカリ、あきたこまち、孫品種としては、はえぬき、キヌヒカリ、ひ孫品種としては、きらら397がある
なお、きぬむすめは、キヌヒカリの系統で、その特徴は次のようなものである。
〇きぬむすめは、キヌヒカリの後代品種となることを願って、「キヌヒカリの娘」という意味で命名された。
〇2006年3月7日、九州沖縄農業研究センターが育成した新品種である。
〇交配系譜としては、きぬむすめ(水稲農林410号)は、愛知92号(後の「祭り晴」)とキヌヒカリを交配させたものである。
〇コシヒカリ(水稲農林100号)並みの良食味と、作りやすい優れた栽培適性をもっているのが特徴である。コシヒカリより1週間程度晩生である。
全国どこでもコシヒカリである。
たしかにコシヒカリは偉大な品種である。
登録されたのは、昭和31(1956)年で、60年以上前である。
いまだにこれをこえる品種があらわれず、これだけ1品種の人気が持続したことは、かつてないようだ。
まだ米の自給もできず、「食えるものがあればいい」という時代に、いきなりコシヒカリが登場した。
コシヒカリの特徴について、松下氏は次の点を挙げている。
〇あんなに粘り気がある米はそれまで存在しなかった。そして、あんなに甘くてやわらかい米も存在しなかった
〇しかも、初期に出まわったのは、「どんなにがんばってもまずく作れない」中山間地の米
〇そのデビューは衝撃的。昭和40年代に「こんなにおいしい米があるのか!」と口コミでひろがっていく。コシヒカリが「幻の米」として話題になった時点で、中山間地だけでなく、平場の農家も作りはじめる(こうして、新潟県を代表する品種になる)
〇昭和50年代は「ササニシキ」の人気も高く、「コシ・ササ時代」とよばれた。
(しかし、今やササニシキの作付面積はピークの15分の1。平成5(1993)年の記録的冷夏で壊滅的な打撃をうけて、人気が離散したそうだ。その後もコシヒカリがトップの座を守り続けているのと対照的。)
アンチ・コシヒカリの本命はまだ登場していない。
松下明弘氏が可能性を感じるのは、「旭」だという。
戦前、「東の亀ノ尾、西の旭」と並び称された品種である。
コシヒカリの粘りを重たく感じる人は、シャキシャキとキレのある旭系統を好むといわれる。
米の好みにも地方色があって、東では、コシヒカリのような口どけのいい米が好まれる。一方、西では硬めで歯ごたえのある米が好まれる。
(静岡では、旭系統の米が昔からよく食べられているそうだ)
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、226頁~232頁)
松下明弘氏の著作には、稲作の基本的な考え方と「おいしい米づくり」のヒントが隠されている。以下、私が読んで勉強になった点を挙げておく。
〇代かきの最大のポイントは、水平をとることである。ここで時間をかけるから、除草時間がゼロですむようだ。つまり、水平さえとっておけば、肥料がよくきくし、雑草も劇的に減るとのこと。
〇日本人は、わざわざ苗を移植している。日本の田植えは、フライング・スタートであるという。「直播」の欧米の稲作は、雨の少ない地域でおこなわれているが、日本のような湿気の多い土地で「直播」は難しい。その理由は、同じ条件で、スタートすれば、稲より雑草のほうが先に育ってしまうからである。
〇ヒエの場合、光はあまり必要でないが、酸素は不可欠だといわれる。逆に、還元状態では発芽できない。雑草によって発芽にもとめる条件は違うが、ヒエ対策としては、1週間おきに3回ぐらい代かきをやって、酸素がつねに足りない環境にすることであるとする。
〇「マジックナンバー」1反7俵が目安である。品質のいい米を作る農家は、収量をおさえているという。名人たちも口をそろえて、7俵(60キロ×7=420キロ)とする。
7俵におさえておけば、虫に強いし病気も出ない。台風がきても倒れない。品質もいいから、高く売れる。リスクを回避したいなら、収量を落ちしたほうがいいようだ。
「マジックナンバー」7俵は、バランスが絶妙な数字である。
〇米はデンプンの塊である。ただ、肥料を入れすぎると、米粒にふくまれるタンパク質が過剰になり、味が落ちるとされる。
〇このタンパク質の量と関係してくる稲作作業として、稲刈りがある。
稲刈りの最大のポイントは、刈り遅れをしないことである。
つまり、刈り遅れると脂肪酸が増え、品質は劣化する。栄養分を送りこみすぎるとタンパク過剰米にもなるそうだ。収穫を先送りすればするほど、「過熟」がすすむ。
そして、刈り入れが遅れたら胴割れ米は増える
先にも【ポイント】として次のように要約しておいた。
●肥料の量とお米の品質は反比例の関係(肥料を入れすぎるとタンパク質が過剰になり、味が落ちる)
●稲刈りの最大のポイントは、刈り遅れをしないこと
●刈り遅れ⇒「過熟」⇒タンパク過剰米・脂肪酸増加⇒品質の低下(おいしくないお米)
〇稲は肥料をたくさん入れると、収量は増えるけれども、背が伸びて倒れやすくなる。
倒れると、コンバインで収穫するときに支障が出る。だから肥料を入れても倒れないことが、現代品種の必要条件とされる。
〇古い品種である山田錦に、現代農業の感覚で化学肥料を入れるのは厳禁である。その理由は、どんどん肥料を吸って大きくなり、風が吹いたら倒れ、病気にも害虫にも弱くなるからである。
背が低いほうが喜ばれる現代品種と違い、山田錦は背が高くて、キリンの首のように穂が伸びる。現代品種は葉っぱよりも下に稲穂がつくが、山田錦は葉っぱの上に稲穂が出る。
【松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社はこちらから】
ロジカルな田んぼ 日経プレミアシリーズ
(2020年12月29日投稿)
【はじめに】
今回のブログでは、松下明弘氏の著作『ロジカルな田んぼ』(日本経済新聞出版社、2013年)を読んで、稲作の基本的な作業と「おいしい米づくり」について考えてみたい。
たとえば、日本の稲作において、なぜ「代かき」や「田植え」という作業が必要なのか。そもそも、これらの作業はどういう意味合いがあるのか。それらと除草とどのように関係しているのか。「稲刈り」という行程は、稲作全体の作業の中でいかに重要な意味合いを持つのか。こうした稲作について基本的な考え方が、松下氏の著作を読むと、分かってくる。
そして、「おいしいお米」とはどのようなお米であり、それが稲作の行程とどう関わりあっているのかが見えてくる。「おいしいお米」のための理想の反別収量は、どのくらいが適当なのかについても明記している。
この本を読んで、私の所で栽培している「きぬむすめ」という品種の系統についても理解が深まった。
さて、今回のブログの執筆項目は次のようになる。
・松下明弘氏の『ロジカルな田んぼ』という著作
・松下明弘氏のプロフィールと『ロジカルな田んぼ』
・静岡県の専業農家松下明弘氏の年間スケジュール
・代かきの重要性
・なぜ田植えが必要なのか
・松下氏による雑草対策
・理想の反別収量
・コシヒカリについて
・おいしいお米とタンパク質の関係
・玄米食のススメ
・米ヌカの効用
・酒米の山田錦
・お米の多様性が消えた理由
・【参考】コシヒカリの系統と「きぬむすめ」
・コシヒカリの特徴
・【まとめ】
松下明弘氏の『ロジカルな田んぼ』という著作
松下明弘氏のプロフィールと『ロジカルな田んぼ』
全国の稲作農家のうち、専業でやっている人は2割もいない。いまや米作りは、兼業農家が週末にやる仕事になってしまった。
さて、松下明弘氏は、静岡県で有機・無農薬で米を作っている専業農家である。
松下氏は、1963年、静岡県藤枝市に生まれ、静岡県立藤枝北高校を卒業した。その後、段ボール製造工場勤務のあと、藤枝北高校農業科で実習助手をへて、1987年、青年海外協力隊としてエチオピアへ向かう。帰国後は、板金工場に就職し、1996年から専業農家になった。
松下氏は、1995年、全国ではじめて、酒米「山田錦」を有機・無農薬で育てることに成功した。いま日本で有機栽培されている米は、全生産量のわずか0.1%にすぎない。2000年に制度発足した有機JAS認定を受けている稲作農家は、静岡県で2~3人のみで、大きな面積を有機栽培だけをやっているのは、松下氏だけであるという。
加えて、2008年には、コシヒカリの突然変異体を発見し、育種した巨大胚芽米「カミアカリ」を農水省に品種登録した(個人農家が登録するのは静岡県初だそうだ)。
仕事の稲作のあいまに、趣味の稲作をやっているともいう。それは変わった品種をコレクションすることである。古代米から珍品種、突然変異まである。
松下氏が稲作をはじめたのは、29歳である。それから22年間、稲作について考え、いろいろな実験をくり返してきた成果が、『ロジカルな田んぼ』という著作であるという。執筆にあたり、次のような問題が念頭にあったようだ。
〇雑草はなぜ生えるのか?
〇なんのために耕すのか?
〇肥料を入れないとどうなるのか?
〇放っておいたら稲は育たないのか?
〇なぜ田植えが必要なのか?
〇土を育てるってどういうことか?
〇なぜ田んぼに水をはるのか?
〇おいしい米とおいしくない米の違いは何か?
〇どうして病害虫にやられるのか?
〇そもそも土って何なのか?
これらの問題について、「いまだにきれいな答えが出せない問題がある」と断っている。しかし著者が「ひたすら考えつづけ」ていることが、この著作を読むと実感できる。
農作業のひとつひとつは、すべて意味があるといわれる。その意味を知れば、工夫の余地が生まれ、新しい農業が可能になる。
この著作では、農業とはどんな仕事かを具体的に説明しており、一般向けに、農業技術のディテールに踏みこんで解説している。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、「まえがき」3頁~6頁)
松下明弘『ロジカルな田んぼ』(日本経済新聞出版社、2013年)の目次は次のようになっている。
【目次】
まえがき
第1章 豊かなアフリカ、貧しい日本
第2章 雑草の生えない田んぼ
第3章 有機って何だ?
第4章 田んぼの春夏秋冬
第5章 山田錦の魅力
第6章 神様がくれたカミアカリ
第7章 多様性をもとめて
【松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社はこちらから】
ロジカルな田んぼ 日経プレミアシリーズ
静岡県の専業農家松下明弘氏の年間スケジュール
「第4章 田んぼの春夏秋冬」(101頁~150頁)では、1年を通しての年間の農作業を紹介している。農作業のひとつひとつに、すべて意味があるのだという点を知ってほしいという。作業の意味や目的を知れば、工夫の余地があり、改良できるし、省略してしまうこともできるとする。
1年でもっとも最初にやるのが、年間のスケジュール作りである。2月から3月にかけての仕事である。
まずは取引先と相談しながら、品種や数量を確定するという。
品種選びでは、平成24(2012)年の例をあげている。
〇早生(わせ)~「カミアカリ」「コシヒカリ」
〇中生(なかて)~「あさひの夢」
〇晩生(おくて)~「山田錦」「にこまる」
〇それ以外として~もち米「滋賀羽二重(はぶたえ)」、試験栽培「つや姫」「北陸100号」
お気に入りの品種があったとしても、同時期に収穫できる面積には限界があるので、そればかりを作ることはできないそうだ。
稲は、110~130日ほど田んぼで暮らす。田植えは多少ズレても問題ないが、稲刈りだけは融通がきかない。
稲刈りのベストタイミングは、静岡県の場合、5日程度しかないという。その時期を逃すと、味がガクンと落ちるそうだ。
例えば、稲刈りが半分が終わったところで長雨が降りだし、1週間後から再開したとすると、先に収穫した米の食味と、あとから収穫した米の食味は、まったく違う。
松下氏の場合、9町歩(9ヘクタール、サッカーコート13面分)の面積で稲作をしている。その面積に、1品種だけ植えたとしたら、絶対に3日間では刈りとれない。
だから、収穫時期がかさならないように、早生、中生、晩生と複数の品種に分散しているとする。
3日で刈れる面積にしか1品種を植えない。ある品種の稲刈りと次の品種の稲刈りを、5日から1週間はズラしておき、少し雨がつづいても、対応できるようにしておくという。出発点に稲刈りがあり、そこから逆算しているそうだ。
平成24(2012)年の稲刈りの目安を、次のように記している。
カミアカリ9月8日、コシヒカリ9月13日、あさひの夢10月1日、山田錦10月9日と10月10日の2日間、にこまる10月15日
(但し、滋賀羽二重は9月25日)
このように、だいたい5日から1週間あけている。
カミアカリは玄米食専用、山田錦は酒造用、滋賀羽二重は自家用と、独自の用途があるらしい。
残りの食用米3品種については、コシヒカリ(粘り気があるタイプの米)が早生、あさひの夢(シャキシャキした食感の米)が中生、にこまる(あさひの夢にちかい食感だが、高温障害に強い品種)が晩生と、きれいに分かれている。
品種が決まれば、どの田んぼに植えるかを考えるそうだが、田んぼにも個性があって、早生しか作れなかったり、晩生しか作れなかったりすることがあるという。
松下氏は、青年海外協力隊としてアフリカへ行き、そこで作物の生命力に驚かされた経験から、帰国後も、稲作は放任主義が基本である。
自分の力で生きる稲にするために、重要なポイントをふたつ記している。
①稲が健康に育つ田んぼを用意してあげること
②建康な苗を用意すること
この2条件さえ最初に満たしておけば、きびしい環境でも元気に育つのだそうだ。
①の田んぼの準備でもっとも大切なのは、地面が水平であることである。
水平は、稲作にとって基本であり、奥義であると説く。
つまり、田んぼが斜めになっていて、高いところの土が水から顔を出すと、空気にふれて畑雑草が繁殖する上、肥料もかたよってきくから、品質のバラツキにつながるという。
だから、土がかたよっている場所は、高低差をなくす。田んぼの端っこは土が盛り上がりがちだし、道路から機械(コンバインやトラクター)を入れる場所は土が沈みがちである。
雨が降った翌日に見ると、水のたまり具合で傾斜がわかる。その時、水深を調べて、見取り図を描き、バケットをトラクターにとりつけて、土を移動させるそうだ。7割がた土を動かし、最終的な調整は代かきでやるとのこと。
(代かきでは、水を入れた状態で土をかき回すと、細かい泥に変わり、水もちがよくなるし、粘着力も出るので苗を植えやすくなる)
また、いくら水平をとっても、水まわりに問題があったら、水がたまらない。だから用水路のコンクリートや、水の取り入れ口のパイプが割れていたら、3月には修理しておく。そして冬のあいだにモグラが畦(あぜ)に穴をあけるので、畦もぬりなおす。
水もれのない田んぼを作るのが基本中の基本であることを強調している。
平成24年の田植えの時期は、次のように予定していた。
カミアカリ5月20~22日、コシヒカリ5月25日、あさひの夢5月末~6月2日、滋賀羽二重6月3日、にこまる6月5~10日、山田錦6月10~17日ぐらい
このように、松下氏の田植えは、いちばん早いカミアカリで5月20~22日、いちばん遅い山田錦で6月10~17日ぐらいで、品種ごとに時期をズラして植えてゆく。
(田んぼの隅っこは、田植え機が入らないので、そこだけ手で植えているそうだ。それで収量が劇的に増えてわけではないものの、どうしても植えずにはいられないという)
松下氏の田植えの特徴をひとことでいうと、スカスカと表現している。
近辺の農家は、1坪あたり70株を植えるのがふつうであるが、松下氏は1坪50株植えとする(実際には欠株が出るので、実質45株植えぐらいになるという)。
しかも、1株あたりの本数も少ない。ふつうは6~7株の苗を1株として、1カ所に植えつける。松下氏は、苗2~3本で1株にしている。
(株数が少ないだけでなく、1株あたりの本数も少ない。だから、1株に植える苗の合計本数は、慣行田の4分の1とか5分の1しかないようだ。株と株のあいだは、22.5センチ、隣の列とは30センチ離すと記す)
このようにスカスカに植えるのは、1株あたりの生活圏をひろげたいからだと主張している。
自分のまわりに空間があれば、稲は太陽光をもとめて葉っぱをひろげ、横に大きくなる。根も茎もガッチリして、台風がきても倒れない稲になるそうだ。一方、慣行田では、ギッシリ植えるので、稲の周囲に空間がないので、光合成したければ、上に伸びるしかなく、ヒョロヒョロの倒れやすい稲になると説いている。
稲というのは、薄く植えても、厚く植えても、収量はそれほど変わらないそうだ。空間があれば、茎の数を増やしたり、1本の穂につく米粒の数を増やしたりして、すき間をうめていくものらしい。
稲が茎を増やしていくことを「分げつ」という。
田植えしたときは1株に2~3本植わっていたのが、夏のあいだに本数がどんどん増える。
松下氏にとってのベストは、1株17~18本とする。
(あまりに茎が増えすぎた場合は、田んぼの水を抜き、分げつを止めることもある。「中干し」という作業をするという)
さて、8月に入ると、ついに稲穂が出てくる。ここから40~45日かけて、デンプンを米粒に送りこんでいく。「出穂(しゅっすい)」の時期である。
松下氏の田んぼでは、次のようである。
カミアカリ8月3日ぐらい、コシヒカリ8月5日ぐらい、滋賀羽二重8月22日ぐらい、あさひの夢8月25日ぐらい、山田錦9月1日ぐらい、にこまる9月2日ぐらい
※稲穂がみのると、スズメが集まってくる
(まだやわらかい米粒をプチュッとつぶすと、甘いデンプンが出てくる。それが大好物なのである)
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、102頁~111頁、133頁~136頁、143頁)
代かきの重要性
松下明弘氏は、代かきの重要性を強調している。
松下氏の田んぼは、いわゆる「ザル田」だから、代かきをやらないと、水が落ちてしまい、保水が不可能だそうだ。
代かきをやれば、土が細かく粉砕され、土が沈む過程でギュッと締まる。この作業をやってはじめて、田んぼに水がたまるようになる。
代かきの3~4日前に田んぼに水を入れ、まずは全体にいきわたらす。
水が2~3センチ残っていて、土が見えるか見えないかぐらいの状態がベストである。だから、水深を調整する。
(松下氏の田んぼは一晩で、4~5センチは水が落ちるらしい。前日の時点で、7センチぐらい水がたまっていれば、明朝には2~3センチになると読む)
そして、翌日、トラクターを入れて超浅水代かきをする。
代かきの最大のポイントは、水平をとることであると強調している。
1反(0.1ヘクタール)の田んぼであれば33メートル四方、3反の田んぼであれば、30メートル×100メートルぐらいの大きさである。そこに水をはったとき、両端の水深が誤差1センチ、最悪でも2センチにおさまるように仕上げることが重要だという。
松下氏は、代かきに、ほかの人の倍は時間をかけるそうだ。
中毒患者のように代かきをやって、ピシッと水平がとれたときは「1年の仕事の半分が終わった」と感じると打ち明けている。
ここで時間をかけるから、除草時間がゼロですむようだ。
(意外なほど、農家の人でも、水平の大切さを知らない人が多いらしい。あまりにも無頓着に、水と土を混ぜているだけの場合が多い。水平さえとっておけば、肥料がよくきくし、雑草も劇的に減ると主張している)
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、54頁、111頁~113頁)
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ロジカルな田んぼ 日経プレミアシリーズ
なぜ田植えが必要なのか
慣行農業では、2.5葉ぐらいの「稚苗(ちびょう)」で田植えするのが一般的である。
苗が小さいほうが作業性がいいので、機械化農業とともに稚苗植えが常識になったようだ。
一方、松下氏は4.5葉から5葉ぐらいの「成苗(せいびょう)」で田植えするそうだ。
その理由は3つあるとする。
①肥料がきくまでのタイムラグ
化学肥料のように即効性が高ければ、稚苗でも楽に生きていけるが、松下氏は有機肥料で育てているので、そこまでの即効性がないらしい。成苗のほうが栄養分をいっぱいたくわえているので、根を伸ばしやすい。
②害虫の問題
暖かい土地には、イネミズゾウムシが多く、苗の葉っぱを食べてしまう。2.5葉のうちの1枚を食べられたら大ダメージだが、5葉のうちの1枚なら支障はない。
③ジャンボタニシ(スクミリンゴガイ)の食害
稚苗の細い茎だと、ポキンと折られてしまうが、成苗まで育てておけば、葉っぱ1枚の被害でくい止められる。
※ジャンボタニシは、食用にするために南米からもちこまれた。養殖場から逃げだして、越冬する能力を見につけた。雪の降る土地や、化学肥料・農薬の田んぼにはあまりいないが、静岡県では十数年前から大繁殖しているそうだ。
田植えは、①稲が建康に育つ田んぼ、②丈夫な苗、この両方の条件がそろう必要がある。
稲作は兼業農家が大半なので、会社が休みになるゴールデンウイークに田植えをすることが多い。
松下氏は専業だから、それぞれの品種でベストのタイミング(5月下旬から6月上旬)を選んで、田植えをするそうだ。
なぜ田植えが必要かについて、次のように解説している。
そもそも田んぼに種を「花咲かじいさん」のようにまいても、稲は勝手に育つ。
実際、アメリカやオーストラリア、ヨーロッパ(イタリア、スペイン、ギリシャ、ポルトガル)では、「直播(ちょくは)」という、種を直接まく方法で育てている。
一方、日本人は、わざわざ苗を移植している。
日本の田植えは、フライング・スタートであるという。
「直播」の欧米の稲作は、雨の少ない地域でおこなわれている。ところが、日本のような湿気の多い土地で「直播」は難しい。というのは、まったく同じ条件で、「用意、ドン!」となれば、稲より雑草のほうが先に育ってしまうからである。
しかし、雑草より先に根をはりめぐらせることができたら、稲は栄養を独占できる。
代かきをすませたばかりの田んぼは、見わたすかぎりの泥の海である。このスタートラインには草1本生えていない。ここに、2.5葉ないし4.5葉の苗を移植すれば、発芽からはじめないといけない雑草に対し、圧倒的優位に立てる。
これが田植えの意味であると松下氏は解説している。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、128頁~130頁)
松下氏による雑草対策
松下氏は、農薬や除草剤を使わない雑草対策を工夫している。
松下氏が農業を始めた当初は、田んぼにコナギがビッシリ生え、稲刈りの際にコンバインを入れたら、刃にからみついて前へすすめないほどであったそうだ。
「除草」しようと考えるから、手に負えないのであって、発想を変えて、最初から雑草が生えてこない環境を作ればいいと考え直し、「抑草(よくそう)」の方法をさがしたという。
そもそも、どうして田んぼに水をはるのかという点から考え直している。
稲の成長に必要だからだろうか。
いや、「陸稲(おかぼ)」という畑で育つ稲もあるから、稲に水を飲ませるだけなら、田んぼ全体に水をはる必要はない。
田んぼに水をはるのは、土と空気を遮断するためだとする。つまり、土が空気にふれると、「畑雑草」や「乾性雑草」とよばれる、乾燥を好む雑草が育ってしまう。
水をはれば、畑雑草は生えてこない。「水田雑草」や「湿性雑草」よばれる、湿気を好む雑草だけを警戒していればいい。
水をはることで、畑雑草を抑草することになる。
(これこそ、アジアの先人たちが水田を選んだ理由であると説明している)
では、水田雑草のほうは、どう抑草すればいいのか?
当時、「いかに農薬をつかわず除草するか」という本はたくさんあったが、「雑草が生えない環境を作る」という発想の本はなかったようだ。
だから、水田雑草の生態を解説した本を読み、「雑草の種子が発芽するには、光、温度、水分、酸素が必要である」と書いてあったことを、逆転の発想で、その発芽条件をうばってみることを思いついたという。
「コナギが減ればヒエが増える」と題して、ヒエとコナギという雑草の抑草について、示唆的なことを述べている。
あるおもしろい出来事があったようだ。
友人の田んぼがだいぶ斜めになったので、土を入れて、トラクターで何回も水と混ぜて土をやわらかくしたところ、去年までヒエだらけだったその田んぼに、今年はまったく生えてこなかったという。
除草剤は一切まいていないのに、ヒエがまったく生えなかったのはなぜか?
土を何回かかき回したことにより、雑草が発芽しようとしても、底に沈んでしまい、水を入れてかき混ぜたことにより、土から空気がどんどん抜けたらしい。
(「還元状態」とよばれる、酸素のない状態になる)
ヒエの場合、光はあまり必要でないが、酸素は不可欠だといわれる。逆に、還元状態では発芽できない。
雑草によって発芽にもとめる条件は違うが、ヒエ対策としては、1週間おきに3回ぐらい代かきをやって、酸素がつねに足りない環境にすることであるとする。
一方、コナギの発芽条件は、ヒエと正反対である。つまり酸素は不要なのに、光が必要である。
本には「コナギは代かきが大好きだ」と書いてあったそうだ。コナギの種は水を吸うとふくらんで、風船のようにフワフワと水中をただよい、代かき後に土が沈殿していったあと、最後に土の上に落ちてくる。こうして発芽に必要な光を確保しているようだ。
そこで風船が浮かべないように、水の量を減らして、超浅水で代かきをする。浮かべなければ、最上面を確保できないので、コナギは発芽できなくなるらしい。
代かきが大嫌いな雑草と、代かきが大好きな雑草が相手では、両立は難しい。コナギが激減したけど、ヒエが生える。あるいは、その逆。
この問題を解決したのは、「表層耕起」という耕し方であったそうだ。
田んぼを浅くしか耕さないと、田植え後にフワフワの土が2センチほど盛り上がってきて、雑草の種をおおい隠してしまう。こうなれば酸素も光もとどかなくなるという。
松下氏が専業になって3年目には、ほとんど雑草が生えなくなったと記している(代かきはその後も超浅水でやり、何回もやる必要はなくなったようだ)
表層耕起によりできたフワトロ層の土は、非常にきめ細かく、雑草の種より軽いため、種を上からおおってしまう。光と酸素の両方を遮断するので、コナギやヒエにかぎらず、どんな雑草も発芽できないそうだ。完璧な抑草が実現できたとする。
なお、稲の分げつ(茎が増えていくこと)がすすみすぎたときや、稲刈り前に地面を固めたいときなど、田んぼの水を抜くことがある。土が光や空気に接するのに、もう雑草は生えないそうだ(種は地面の下に埋もれてしまっているからであると松下氏は説明している)
土のなかの雑草の種は、眠った状態で、10~15年も生きつづけるものらしい。15センチも掘り下げれば、それだけの休眠種子を地表面に引き上げる。それに対して、5センチしか耕さなければ、寝た子を起こさないと、松下氏は表層耕起のメリットを説いている。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、48頁~58頁)
理想の反別収量
「第2章 雑草の生えない田んぼ」において、「「マジックナンバー」1反7俵」と題する節が興味をひいた。
全国どこでも、品質のいい米を作る農家は、収量をおさえているという。
数字もだいたい一緒で、雪の降らない土地で1反7俵、雪の降る土地で1反8俵だとする。雪の降る土地のほうが少し多いのは、寒いと代謝が落ちて、米粒もゆっくり充実するからである。松下氏の地元静岡では、稲穂が出て40日で稲刈りだが、東北では50~55日もかかる。時間をかけるぶん、デンプンが密につまった米になる。
松下氏がたずねた名人たちも口をそろえて、7俵(60キロ×7=420キロ)という数字をあげたそうだ。
7俵におさえておけば、虫に強いし病気も出ない。台風がきても倒れない。品質もいいから、高く売れる。リスクを回避したいなら、収量を落ちしたほうがいいようだ。「マジックナンバー」7俵は、バランスが絶妙な数字であることを強調している。
7俵は、420キロである。
松下氏の場合、1坪に50株植えるので、1反(300坪)だと1万5000株を植えることになる。1万5000株で420キロの収穫をめざすのだから、1株でとれる米の総重量が28グラムであればよい。
米粒の重さは、品種ごとに調べられている。1000粒の重さを基準にするので、「千粒重(せんりゅうじゅう)」とよばれる。
例えば、黄金晴の千粒重は21グラムぐらいである。目標とする28グラムは、1300粒強の重さである。つまり、1株に1300粒ついていればいいわけである。
ちなみに、コシヒカリの千粒重は21グラム程度で、酒米の山田錦のそれは、米粒が大きいので、26グラムもある。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、42頁~46頁、168頁)
コシヒカリについて
コシヒカリが昭和30~40年代に登場したとき、多くの人が「こんなおいしい米が存在したのか!」と腰を抜かしたようだ。
コシヒカリは、そもそも新潟県の中山間地(ちゅうさんかんち)で育てるために導入された品種であった。
中間山地は水が冷たく、土地は痩せていて、日照時間も少ない。
ただ、どんなにがんばっても少ししかとれない土地のほうが、米はうまくなるそうだ。肥料過多にならないため、タンパク質の含量が少ない。
いまでは平場でも栽培されているが、最初に出て来たコシヒカリは中山間地で作ったものである。
(松下氏によれば、静岡県藤枝市もこの条件を満たしているという。ただでさえ痩せた土地なのに、いわゆる「ザル田」だから、水と一緒に肥料が抜けてしまうらしい。古くは志太(しだ)郡とよばれた地域で、戦前から戦後にかけて「志太米」は有名であった。寿司米に最適だとして、東京の米屋が買いにきたそうだ)
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、44頁)
おいしいお米とタンパク質の関係
化学肥料を大量投入して、1反12~13俵も収穫する農家が珍しくない。
しかし、量と品質は反比例の関係にある。
米はデンプンの塊である。ただ、肥料を入れすぎると、米粒にふくまれるタンパク質が過剰になり、味が落ちるとされる。
例えば、食味計では、脂肪酸や水分やデンプンなどの物質を計測するが、中でも、もっとも重視されるのが、タンパク質の含量である。
ふつうは、6%台後半だとされる。7%になると、パサパサしておいしくない。5%台だと、粘りがあって、誰もがおいしく感じられるという。
このタンパク質の量と関係してくる稲作作業として、稲刈りがある。
稲刈りの最大のポイントは、刈り遅れをしないことである。
つまり、刈り遅れると脂肪酸が増え、品質は劣化する。栄養分を送りこみすぎるとタンパク過剰米にもなるそうだ。収穫を先送りすればするほど、「過熟(かじゅく)」がすすむ。
このしくみについて、松下明弘氏は次のように解説している。
米粒というのは、稲の種であり、稲も生きものだから、子孫を残そうとする。種が完成した段階で、その種をばらまくことを考える。
タンポポのように軽い種は風に乗るが、稲は種が重いため、そうはいかない。そこで、自分の体をバタンと倒し、その勢いで脱粒(だつりゅう)して種を飛ばそうとする。現代品種は改良されて倒れなくなっているが、原始的な品種は倒伏の性質を残しているようだ。
遠くへ飛ばすには、種は少しでも軽いほうがいい。そこで種の水分を減らす。過熟がすすめば、乾燥もすすむ。そして、水分の少ない米は、加湿や乾燥といった刺激があると、半分に割れる。
(これを「胴割れ[どうわれ]」という。精米したときの歩留まりが悪くなる)
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、43頁、145頁~146頁)
【ポイント】
〇肥料の量とお米の品質は反比例の関係(肥料を入れすぎるとタンパク質が過剰になり、味が落ちる)
〇稲刈りの最大のポイントは、刈り遅れをしないこと
〇刈り遅れ⇒「過熟」⇒タンパク過剰米・脂肪酸増加⇒品質の低下(おいしくないお米)
〇稲の保存のため⇒種の水分軽減⇒「過熟」の進行⇒乾燥の進行⇒「胴割れ米」
稲刈り後の収穫した米粒には、まだもみ殻がついている状態である。収穫後は、乾燥機に入れる。
収穫したばかりのときは、早生(わせ)だと27~28%、晩生(おくて)だと22~23%の水分を含んでいる。これを14~15%まで落とすとされる。
収穫してすぐ乾燥させるのは、ふたつの目的があるそうだ。
①長期貯蔵のため
②もみ殻をむきやすくなるため
①昔はもみ殻をつけたまま貯蔵したが、現代ではもみすりし、玄米にして冷蔵庫で貯蔵する。このとき、食味を落とさないレベルまで、水分を落としておくと、カビにやられない。
②水分を落とすと、もみ殻と玄米のあいだにすき間ができ、もみ殻をむきやすくなる。
(水分が多い状態でむくと、玄米まで傷つけてしまう)
このふたつの目的があって、収穫後の米粒を乾燥させるのだとされる。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、148頁~149頁)
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ロジカルな田んぼ 日経プレミアシリーズ
玄米食のススメ
玄米食は、非常に理にかなった食事法である。
白米はデンプンの塊だから、エネルギー源としては、申しぶんがない。
ところが、ミネラルやビタミン、アミノ酸など、米の栄養分の8割がたは、胚芽やヌカに含まれている。
(精米してから食べるのは、栄養分のほとんどを捨てているのと同じである)
人間の体は20種類のアミノ酸で作られている。
このうち9種類は、人間が体内で合成できない。食事で摂取するしかないので、「必須アミノ酸」とよばれる。この必須アミノ酸のすべてが玄米には含まれる。
リジンだけは、必要量の半分しかないようだ。リジンの塊である大豆で補えばよい。
玄米を主食に、味噌汁でリジンと塩分を補い、菜っ葉でビタミンを補う。日本の伝統食はパーフェクトだった。それだけ食べていれば、1日生きて、働けるだけの最低限のエネルギーは確保できた。
胚芽の部分には、ビタミンB1やビタミンB2が多い。
(「カミアカリ」といった品種の巨大胚芽だと、ふつうの3~4倍のビタミンがとれるそうだ。高血圧を防ぎ、脳の血流をよくする物質として話題の「GABA(γ-アミノ酪酸)」についても同様らしい
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、207頁~208頁)
米ヌカの効用
「第2章 雑草の生えない田んぼ」において、「米ヌカで酸の海に」と題して、米ヌカの効用について述べている。
微生物は有機肥料を分解してくれるだけでなく、抑草にも役立つそうだ。
玄米を精米すると、大量の米ヌカが出る。
松下氏は、専業農家になる前後の時期から、米ヌカを田んぼに戻すようになったという。
米粒とは、稲の種であり、その種が発芽したとき、初期に育つための栄養がたっぷりふくまれている。だから米ヌカを稲のエサにするのは理にかなっていると理解している。
昔から「田んぼのものは田んぼに返せ」といわれてきた。
また、松下氏によれば、米ヌカは抑草に大きな効果を果たしていたとする。
米ヌカにくっつている乳酸菌や、米ヌカをエサにする酢酸(さくさん)菌が、土に増える。それらの菌は乳酸や酢酸を出し、土壌を酸性にかたむけるようだ。
(松下氏は、米ヌカ不足に悩まされているという。1俵60キロの玄米を10%精米したら、6キロの米ヌカが出るが、肥料に毎年2トンちかい米ヌカをつかう。米の消費量が落ちているため、精米所で出てくる米ヌカの量も減っているというのだ)
ところで雑草の種は硬い殻で守られているため、その内部にとどまっているかぎりは安全である。しかし、その殻から発芽してくるのは、やわらかくて弱い細胞である。その雑草が発芽したときに、周囲が酸の海だったら、細胞膜が破壊されてしまう。
ある程度まで育ったあとなら、細胞のひとつやふたつこわれても、大勢に影響はない。でも、最初の1個がこわされてしまうと、もう成長できなくなるらしい。植物にとって発芽というのは、大きな冒険である。
要するに、乳酸、酢酸、酪酸などの有機酸が田んぼに増えると、雑草の発芽が抑制される。
(このメカニズムの説は、栃木県の民間稲作研究所の稲葉光圀氏の著作にあるそうだ)
さらに、微生物は米ヌカなどの有機物を分解する過程で、さかんに酸素を消費する。
田んぼに水をはったあとだと、地表から5センチの狭い範囲が還元状態になるようだ。
⇒これもヒエの発芽条件をうばっている!
微生物は本当に働きものだと松下氏は感心している。
ところで、稲も植物だから、同じことをやられたら、発芽できないはずである。
しかし、稲だけはべつの場所で発芽させ、苗にしてから田んぼに移植されるから、問題は起きないという。
抑草は、田植えを前提とした技術であることを強調している。
松下氏が、先祖から受けついだ田んぼは1町6反(1.6ヘクタール)だったが、近所の田んぼを借りるなどして、平成25(2013)年は9町歩を作ることにしたそうだ。
ただ、借りる田んぼは慣行田だったから、有機物は不足しているし、微生物も棲みついていない。
そこで、乳酸菌で、土壌の体質改善をやったとのこと。乳酸菌を培養する場合、次のことを行ったそうだ。
牛乳(5リットル)と米ヌカ(両手いっぱい)を容器に入れる。米ヌカについている乳酸菌が種菌(たねきん)となり、増えていく。5日から1週間たつと発酵がすすみ、乳酸菌をふくんだ水分である乳清(にゅうせい)が3.5リットルとれる。
この乳清に水を足して70リットルにし、米ヌカ150キロ、焼き米粕(かす)150キロを混ぜるという(焼き米粕とは、玄米茶の工場で玄米を炒るとき、火が入りすぎたりしたものだという)。
米ヌカや焼き米粕は乳酸菌のエサになる。このエサ付きの乳酸菌を、トラクターの肥料散布機に入れて、3反の広さの田んぼにまき、軽くすき込むそうだ。
ちなみに、乳酸菌は、ほかの菌の繁殖をふせいでくれる。乳酸菌は、非常に強い菌で、それに勝てるのは黄色ブドウ球菌や O-157など、食中毒を起こすほど強力な菌だけで、ふつうの菌はまず勝てないらしい。
人間でも乳酸菌飲料を飲むが、あれは胃腸のなかに乳酸菌をひろげ、悪玉菌が増えないようにしている。
人間の胃のなかの乳酸菌と、田んぼの乳酸菌は種類が違うが、狙うところは同じで、春先に田んぼへ乳酸菌をまくと、ほかの菌が活動できなくなる。
乳酸菌に居場所を確保してもらって、あとで肥料にふくまれる麹菌や酵母菌が活発に動けるようになるという。麹菌や酵母菌も稲と共棲している菌で、それらが活躍できれば、有機物を分解するのを待てばよいようだ。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、68頁~72頁、80頁~81頁)
酒米の山田錦
「第5章 山田錦の魅力」(151頁~180頁)では、酒米の山田錦について述べている。
酒米というのは、高級な日本酒を造るための米である。
そもそも酒米という概念は、明治時代まで存在しなかったそうだ。それまでは、食べるために米を作り、あまったぶんを酒造りにまわしていた。
明治時代の「渡船(わたりぶね)」「山田穂(やまだにしき)」など、山田錦の親にあたる世代が、酒造専用に作られた最初の品種であるようだ。
(渡船は江戸時代にも栽培されていた記録があるが、そのころは食用米として作られていたらしい)
現代でも、酒米は、米の全生産量の1%程度しか作られていない。日本酒の7割がたは、ふつうの食用米で作られている。
ところで、酒米は米粒を大胆に削ることが大前提である。
もったいないが、米の表面にはタンパク質や脂質が多いので、そのままつかうと雑味になるからである。すき通った味わいにするには、表面を削り、純粋なデンプンだけを使用する必要がある。
削ることが前提にあるなら、酒米の米粒は大きいほどいい。実際、コシヒカリの千粒重は21グラム程度だが、酒米の山田錦は26グラムもあるそうだ。
また、粘り気のない米のほうが、麹菌となじみがいいといわれる。
米粒の中心に「心白(しんぱく)」というすき間のあるほうが、麹菌が入りやすい。酒米の条件として、最大の条件は粒が大きいことである。
われわれが食べている白米は、玄米の表面10%ぐらいを削ったものである。これを「精米
歩合」90%と表現する。大吟醸酒ともなれば、精米歩合40~50%という世界である。つまり米粒の半分以上を削るわけである。だから大きくないと、粉々になってしまう。
酒米として登録されている品種は、100ちかくあるそうだ。
生産量では、1位の「五百万石」と2位の「山田錦」で6割を占める。
五百万石は、昭和32(1957)年に新潟県で生まれた品種である。新潟県の米生産量が500万石(80万トン)を突破したことを記念して、このネーミングになったといわれる。味もいいし、収量も多い。早生だから北国でも作れる。
五百万石と山田錦とは、どこが違うのか?
そのもっとも大きな違いは、五百万石は現代品種であるという点であるという。
化学肥料・農薬がつかわれる時代になってから生まれた品種だけに、「耐肥性」がある。肥料を多めに入れても、問題が起きにくい。
酒米にかぎらず、稲は肥料をたくさん入れると、収量は増えるけれども、背が伸びて倒れやすくなる。
倒れると、コンバインで収穫するときに支障が出る。だから肥料を入れても倒れないことが、現代品種の必要条件とされる。
一方、山田錦とは、どのような酒米なのか?
山田錦は、大正12(1923)年に交配がはじまり、昭和11(1936)年に兵庫県で登録された古い品種である。
化学肥料・農薬が普及する前だから、耐肥性がない。現代品種とくらべると野性が残っていて、肥料を入れただけ吸ってしまう。裏をかえせば、少ない肥料でよく育って、味がよく、収量もそこそことれる。これで当時は満点だった。たしかに倒れやすい性質はあるが、当時は手刈りの時代だから、立っていようが倒れていようが、手間は変わらなかった。
古い品種である山田錦に、現代農業の感覚で化学肥料を入れるのは厳禁である。
というのは、どんどん肥料を吸って大きくなり、風が吹いたら倒れ、病気にも害虫にも弱くなるからである。
(実際に本場の兵庫県以外に、静岡県でも何人か、山田錦に挑戦した人がいたが、コシヒカリ並みの化学肥料を入れて、その性質を無視して、失敗したという。山田錦は米にできれば御の字といわれるほど、難しい品種であったようだ)
松下氏の稲作は肥料をおさえる手法だから、山田錦によくフィットしたそうだ。イモチ病やカメムシに弱い性質は、強い体に育てることでクリアできた。結局、松下氏が静岡県ではじめて栽培に成功することになった。そして、有機・無農薬では、全国初であった。
(有機・無農薬で山田錦を作るのは、今でも非常に珍しいらしい。その後、全国的に栽培されるようになったが、少なくとも減化学肥料・減農薬で作っているとのこと)
山田錦は気難しい品種である。耐肥性がないだけではない。「脱粒(だつりゅう)」という性質もある。
脱粒とは、稲穂がみのると、尖端からボロボロこぼれてくる性質のことである。現代品種は人間の収穫を待ってくれるが、山田錦には自分の子孫を残す本能が強いので、油断すると種をばらまかれてしまう。
そして発芽能力も異様に高い。稲刈り直前に3日ぐらい雨がつづくと、米粒が穂についたままの状態で発芽してしまう(「穂発芽(ほはつが)」という)。
胚芽の部分が水を吸いこむと、糖化酵素アミラーゼが分泌され、米粒のデンプンを分解する。発芽して成長するためのエネルギーを用意する。デンプンの密度が低くなるから、精米したときに破砕してしまうのである。
ここで、酒の品質と精米との関係で問題が発生すると解説している。
大吟醸酒は精米歩合が40~50%であることは先に言及したが、その精米歩合は、精米機が判定する。その際、米を削ったヌカの重量ではかっている。米の全重量の半分のヌカが出てきたら、50%精米が終わったと判断している。しかし、破砕しやすい米は精米機のなかで粉々になって、ヌカと一緒に出てゆき、出てくる重量ばかり増えることになる。精米機に残っている米はまだ50%も削られていないのに、50%精米が終わったと判定されてしまう。当然、日本酒の品質は落ちる。
だから、玄米にした時点で、ひとつも胴割れ米が見当たらないぐらい、品質に気をつかう必要がある。
穂発芽しなかったとしても、刈り入れが遅れたら胴割れ米は増える。松下氏が、稲刈りに神経質になるのは、品質のバラツキをおさえるためであると強調している。
(松下氏は、山田錦という世話の焼ける品種を作っていると、植物が本来もっている生命力を実感するという。山田錦の野性味を知ってしまうと、飼いならされた現代品種はつまらなく感じるそうだ)
背が低いほうが喜ばれる現代品種と違い、山田錦は背が高くて、キリンの首のように穂が伸びる。現代品種は葉っぱよりも下に稲穂がつくが、山田錦は葉っぱの上に稲穂が出る。もみ殻の表面には細かい毛(穎毛[えいもう])が生えているが、山田錦はその毛も長く、夕日が当たると感動的なぐらいに輝き、まさに黄金色の田んぼになるそうだ。
ところで、松下氏は、山田錦が台風被害にあった体験を記している。
それは、平成23(2011)年9月21日、藤枝市を直撃した台風の時である。風速45メートルもの暴風が吹き、早生の稲刈りは終わっていたが、中生と晩生はまだであった。翌日見にいくと、稲穂や葉っぱの先端がちぎれ飛んでいたが、倒れたものは1本もなかったようだ。根っこが強いから、地上部を引きちぎられても倒れなかった。
山田錦は、穂が出て20日目ぐらいであった。米粒にデンプンを半分ほど送り終わった時期である。そんなときに穂先を強風で叩きつけられると、穂先の米粒は未熟のままかたまってしまう。そこで稲はもう養分を送っても無駄だと考えて、穂の先端3分の1は殺してしまうものらしい。育ちそうな米粒にだけ養分を送るようになる。
米粒にデンプンがつまらなければ、それはクズ米になり、売りものにならない。
例年、山田錦のクズ米率は12~13%だが、この年は倍の24%にも達したそうだ。収穫の4分の1がクズ米である。
ところが残された76%の米粒へ懸命に養分を送りこんだ結果、いつもより質のいい米になったという。
植物はピンチになると、逆にがんばる生きものである。
根っこが強ければ、自分の力で挽回できる稲になると強調している。
初期に根っこさえ育てておけば、地上部は梅雨明けぐらいからグーッと伸びて、慣行田の稲にすぐ追いつけるという。
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、132頁~133頁、167頁~173頁、205頁)
お米の多様性が消えた理由
松下明弘氏は、「第7章 多様性をもとめて」(213頁~237頁)の中で、日本では戦後なぜお米の多様性が消えたのかについて解説している。以下、紹介しておこう。
かつては全国各地で、その土地に合ったさまざまな品種が作られていた。近代になって品種登録された稲は800種ほどあるが、そのうち今も残るのは500種ぐらいといわれる。
(品種登録という概念のなかった江戸時代以前には、もっとたくさんあったようだ)
作家の石川英輔氏は『大江戸番付づくし』(講談社)で江戸時代の「米どころ」について書いている。
そのランキングによれば、東の大関は遠州掛川米で、西の大関は肥後米である。
(江戸時代に横綱は存在しなかったので、最高の位は大関)
三河米や美濃米も人気が高かったらしい。今の静岡県、愛知県、岐阜県など東海地方が、意外と上位に食いこんでいる。
なお、東北は皆無に近いのは、当時の東北は冷害に耐えられる品種がなかったから。米どころになるのは戦後である。
また、室町時代までは、近畿の米が一番うまいとされていた。江戸時代になって、全国で新田開発がすすみ、東海の米がそれに代わった。
(新しくひらいた土地は土が生きているから、新しい味が生まれる。それが新鮮に感じられるために、米どころは移り変わってきたようだ)
戦前のお米は、土地による多種多様な味があったといわれる。いわゆるテロワールが当たり前に存在していた。
しかし、その多様性が戦後、消えてしまった。
その理由は何か。二つあるといわれる。
①化学肥料・農薬の普及
②品種の多様性の消失
②について、松下明弘氏は「コシヒカリ・ファミリーの天下」と題して、次のように説明している。
まず資料として、平成21(2009)年に農水省が調べた品種別の収穫量を掲載する。
1位コシヒカリ(36.5%) 2位ひとめぼれ(10.0%) 3位ヒノヒカリ(9.5%) 4位あきたこまち(7.8%) 5位はえぬき(3.1%) 6位キヌヒカリ(3.0%) 7位ななつぼし(2.4%) 8位きらら397(2.0%) 9位つがるロマン(1.8%) 10位まっしぐら(1.4%)
全収穫量の4割ちかくがコシヒカリである。
さらにトップ5だけで7割ちかく、トップ10で8割ちかくを占めている。
(500品種あるといっても、その中のごく一部しか栽培されていない)
しかも、2位以下の9品種にはすべて、交配の過程でコシヒカリの系統が混じっているそうだ。どれも、コシヒカリの子や孫、ひ孫にあたる。
コシヒカリ・ファミリーだけで、日本の米収穫量の8割(ママ)ちかいのである。
11位以下まで調べたら、この数字ももっと大きくなる。
【参考】コシヒカリの系統と「きぬむすめ」
ウィキペディアによれば、コシヒカリの子品種としては、ひとめぼれ、ヒノヒカリ、あきたこまち、孫品種としては、はえぬき、キヌヒカリ、ひ孫品種としては、きらら397がある
なお、きぬむすめは、キヌヒカリの系統で、その特徴は次のようなものである。
〇きぬむすめは、キヌヒカリの後代品種となることを願って、「キヌヒカリの娘」という意味で命名された。
〇2006年3月7日、九州沖縄農業研究センターが育成した新品種である。
〇交配系譜としては、きぬむすめ(水稲農林410号)は、愛知92号(後の「祭り晴」)とキヌヒカリを交配させたものである。
〇コシヒカリ(水稲農林100号)並みの良食味と、作りやすい優れた栽培適性をもっているのが特徴である。コシヒカリより1週間程度晩生である。
全国どこでもコシヒカリである。
たしかにコシヒカリは偉大な品種である。
登録されたのは、昭和31(1956)年で、60年以上前である。
いまだにこれをこえる品種があらわれず、これだけ1品種の人気が持続したことは、かつてないようだ。
まだ米の自給もできず、「食えるものがあればいい」という時代に、いきなりコシヒカリが登場した。
コシヒカリの特徴
コシヒカリの特徴について、松下氏は次の点を挙げている。
〇あんなに粘り気がある米はそれまで存在しなかった。そして、あんなに甘くてやわらかい米も存在しなかった
〇しかも、初期に出まわったのは、「どんなにがんばってもまずく作れない」中山間地の米
〇そのデビューは衝撃的。昭和40年代に「こんなにおいしい米があるのか!」と口コミでひろがっていく。コシヒカリが「幻の米」として話題になった時点で、中山間地だけでなく、平場の農家も作りはじめる(こうして、新潟県を代表する品種になる)
〇昭和50年代は「ササニシキ」の人気も高く、「コシ・ササ時代」とよばれた。
(しかし、今やササニシキの作付面積はピークの15分の1。平成5(1993)年の記録的冷夏で壊滅的な打撃をうけて、人気が離散したそうだ。その後もコシヒカリがトップの座を守り続けているのと対照的。)
アンチ・コシヒカリの本命はまだ登場していない。
松下明弘氏が可能性を感じるのは、「旭」だという。
戦前、「東の亀ノ尾、西の旭」と並び称された品種である。
コシヒカリの粘りを重たく感じる人は、シャキシャキとキレのある旭系統を好むといわれる。
米の好みにも地方色があって、東では、コシヒカリのような口どけのいい米が好まれる。一方、西では硬めで歯ごたえのある米が好まれる。
(静岡では、旭系統の米が昔からよく食べられているそうだ)
(松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社、2013年、226頁~232頁)
【まとめ】
松下明弘氏の著作には、稲作の基本的な考え方と「おいしい米づくり」のヒントが隠されている。以下、私が読んで勉強になった点を挙げておく。
〇代かきの最大のポイントは、水平をとることである。ここで時間をかけるから、除草時間がゼロですむようだ。つまり、水平さえとっておけば、肥料がよくきくし、雑草も劇的に減るとのこと。
〇日本人は、わざわざ苗を移植している。日本の田植えは、フライング・スタートであるという。「直播」の欧米の稲作は、雨の少ない地域でおこなわれているが、日本のような湿気の多い土地で「直播」は難しい。その理由は、同じ条件で、スタートすれば、稲より雑草のほうが先に育ってしまうからである。
〇ヒエの場合、光はあまり必要でないが、酸素は不可欠だといわれる。逆に、還元状態では発芽できない。雑草によって発芽にもとめる条件は違うが、ヒエ対策としては、1週間おきに3回ぐらい代かきをやって、酸素がつねに足りない環境にすることであるとする。
〇「マジックナンバー」1反7俵が目安である。品質のいい米を作る農家は、収量をおさえているという。名人たちも口をそろえて、7俵(60キロ×7=420キロ)とする。
7俵におさえておけば、虫に強いし病気も出ない。台風がきても倒れない。品質もいいから、高く売れる。リスクを回避したいなら、収量を落ちしたほうがいいようだ。
「マジックナンバー」7俵は、バランスが絶妙な数字である。
〇米はデンプンの塊である。ただ、肥料を入れすぎると、米粒にふくまれるタンパク質が過剰になり、味が落ちるとされる。
〇このタンパク質の量と関係してくる稲作作業として、稲刈りがある。
稲刈りの最大のポイントは、刈り遅れをしないことである。
つまり、刈り遅れると脂肪酸が増え、品質は劣化する。栄養分を送りこみすぎるとタンパク過剰米にもなるそうだ。収穫を先送りすればするほど、「過熟」がすすむ。
そして、刈り入れが遅れたら胴割れ米は増える
先にも【ポイント】として次のように要約しておいた。
●肥料の量とお米の品質は反比例の関係(肥料を入れすぎるとタンパク質が過剰になり、味が落ちる)
●稲刈りの最大のポイントは、刈り遅れをしないこと
●刈り遅れ⇒「過熟」⇒タンパク過剰米・脂肪酸増加⇒品質の低下(おいしくないお米)
〇稲は肥料をたくさん入れると、収量は増えるけれども、背が伸びて倒れやすくなる。
倒れると、コンバインで収穫するときに支障が出る。だから肥料を入れても倒れないことが、現代品種の必要条件とされる。
〇古い品種である山田錦に、現代農業の感覚で化学肥料を入れるのは厳禁である。その理由は、どんどん肥料を吸って大きくなり、風が吹いたら倒れ、病気にも害虫にも弱くなるからである。
背が低いほうが喜ばれる現代品種と違い、山田錦は背が高くて、キリンの首のように穂が伸びる。現代品種は葉っぱよりも下に稲穂がつくが、山田錦は葉っぱの上に稲穂が出る。
【松下明弘『ロジカルな田んぼ』日本経済新聞出版社はこちらから】
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