わたしたちの中には、
だれ一人自分のために生きる人はなく、
だれ一人自分のために死ぬ人もいません。
「ローマの信徒への手紙」 / 14章 7節
新約聖書 新共同訳
人間は何のために生きるのでしょうか。
人のために生きるというのなら
どれほど素晴らしい答えでしょう。
愛の結実としてうまれ
愛し合いながら生き
永遠なる愛の神の懐に帰るようになっているのが
創造本然の人間の生なのです。
「東京の下町では、となり近所が助け合い、
たがいの不足をおぎない合うことも当然だった」
池波正太郎
(1923年(大正12年)1月25日 - 1990年(平成2年)5月3日))
★関東大震災から90年…
誇るべき日本人の「合力」
【日曜に書く】論説委員・清湖口敏
◆2013年9月1日 産経新聞 東京朝刊
7月22日朝のJR南浦和駅(さいたま市)。停車中の電車から降りようとした女性が足を踏み外し、電車とホームの間に挟まれた。これを見た車内とホームの客約40人が一斉に力を合わせて車両を押し、隙間をつくって女性を引き上げた。女性に目立ったけがはなかった。
◆世界で称賛の声
たまたま現場に居合わせた読売新聞記者の撮った写真がニュースとともに海外に伝わり、各国で日本への称賛の声が広がったと、26日付同新聞が報じている。「イタリア人だったら眺めるだけだろう」「中国で同様の事故が起きれば、大多数の人はやじ馬見物するだけだ」「おそらく、日本だけで起こりうること」「とっさにこのような行動ができる日本人は、どのような教育を受けているのか」…。
他人の難儀も見て見ぬふりをする風潮が強いといわれる昨今だけに、日本人の道徳心をたたえる声にはうれしくなった。そこでふと「合力」という言葉を思い出し、この「合力」の精神こそが日本人を、世界でも傑出した道徳的国民にしているのではないかと思ったのである。
「力を合わせる」意の漢字熟語といえば誰もがまず「協力」を思い浮かべるだろうが、わが国には「協力」よりもずっと古く「合力」という言葉が存在した。合力は今では物理の授業で「2つ以上の力を合成した力」などと習う程度で、小型の辞書もそれくらいの意味しか載せていないが、古典の時代にはコウリョクと読ませ、「力を添えて助ける」意を有した。
室町時代初期の『義経記(ぎけいき)』にも「三日がうちに浮き橋を組んで、江戸太郎に合力す」と出てくる。源頼朝が隅田川を渡ろうと江戸太郎(重長)に浮き橋を組ませた折、葛西三郎こと葛西清重が合力した、つまり助勢したというのである。
◆施し与える
もっとも、この意味でなら中国でも「合力」は使われているが、わが国ではそれ以外に「金品を人に施し与える」という独自の意味もあった。「私、仕合(しあは)せの合力を請けて、思ひのままの正月を仕(つかまつ)る」(西鶴諸国ばなし)。幸運な援助を受けて思い通りの正月を送れる、と訳せよう。飢饉(ききん)や災害に際しては合力金、合力米として金品を贈り、困窮者への援助とした。
力を添えて助ける、施し与える-わが国における合力のこの2つの意味は、いわば見返りを求めぬ人助けの要諦でもあり、それを実践したのが冒頭の救出劇ではなかったか。力を貸した人たちはきっと、女性の無事を見届けるや何もなかったかのように現場を後にしたに違いなく、彼らは力を貸して、いや与えて、そして去った…。
明治期に大森貝塚を発見した米人モースは、江ノ島で過ごした経験を次のように書き留めている。「人力車夫や漁師達は手助けの手をよろこんで『貸す』というよりも、いくらでも『与える』」(東洋文庫『日本その日その日』)。近代日本の庶民に合力の精神が広く浸透していたことがうかがい知れる。
大正12年の関東大震災でもこの精神は発揮された。例えば東京帝大の学生は、大学構内や上野公園に避難した人たちのために食糧を調達したり、随所に散乱する糞便(ふんべん)を清掃したりと活躍した。現代のボランティア活動につながる合力である。
※次から気をつけようね。
◆災害を越えて生きる
戦後の日本では、個を尊重するあまり他を思うことが忘れられがちとなったが、それでも先の東日本大震災のとき私は、日本人は決して合力の精神を失ってはいないと確信した。窮状のなかでも被災者は礼節と品位を保ち、奪い合うことなく分け合い、与え合った。外国人にはこれが奇跡に思えたという。
日本人がこのような徳を身につけることができたのも、わが国が災害列島だからかもしれない。日本人は自然災害で多くの犠牲を払ってきはしたが、同時に、災害を乗り越えて生きるために助け合い、与え合う合力の精神を養ってもきた。日常的には「相身互い」とか「向こう三軒両隣」、ときには「絆」と呼ばれたりもする情義とも相通ずる徳性といえるだろう。
「東京の下町では、となり近所が助け合い、たがいの不足をおぎない合うことも当然だった」。関東大震災の年に生まれた池波正太郎の言葉である。日本人は合力して生きてきた。
関東大震災の発生からちょうど90年となるきょうの防災の日、あらためてその美風を思い起こし、今後ともそれを誇りとしていきたいものである。(せこぐち さとし)
2013年9月1日 産経新聞 東京朝刊
◆ローマの信徒への手紙 / 5章 7-8節
正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。
善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、
キリストがわたしたちのために
死んでくださったことにより、
神はわたしたちに対する
愛を示されました。