地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

人のために【関東大震災から90年… 誇るべき日本人の「合力」】

2013-09-07 14:59:28 | 今日の御言葉



わたしたちの中には、

だれ一人自分のために生きる人はなく、

だれ一人自分のために死ぬ人もいません。


「ローマの信徒への手紙」 / 14章 7節
新約聖書 新共同訳



人間は何のために生きるのでしょうか。

人のために生きるというのなら
どれほど素晴らしい答えでしょう。

愛の結実としてうまれ
愛し合いながら生き
永遠なる愛の神の懐に帰るようになっているのが
創造本然の人間の生なのです。




「東京の下町では、となり近所が助け合い、
たがいの不足をおぎない合うことも当然だった」


池波正太郎
(1923年(大正12年)1月25日 - 1990年(平成2年)5月3日))





★関東大震災から90年…
誇るべき日本人の「合力」

【日曜に書く】論説委員・清湖口敏


◆2013年9月1日 産経新聞 東京朝刊


 7月22日朝のJR南浦和駅(さいたま市)。停車中の電車から降りようとした女性が足を踏み外し、電車とホームの間に挟まれた。これを見た車内とホームの客約40人が一斉に力を合わせて車両を押し、隙間をつくって女性を引き上げた。女性に目立ったけがはなかった。




 ◆世界で称賛の声

 たまたま現場に居合わせた読売新聞記者の撮った写真がニュースとともに海外に伝わり、各国で日本への称賛の声が広がったと、26日付同新聞が報じている。「イタリア人だったら眺めるだけだろう」「中国で同様の事故が起きれば、大多数の人はやじ馬見物するだけだ」「おそらく、日本だけで起こりうること」「とっさにこのような行動ができる日本人は、どのような教育を受けているのか」…。

 他人の難儀も見て見ぬふりをする風潮が強いといわれる昨今だけに、日本人の道徳心をたたえる声にはうれしくなった。そこでふと「合力」という言葉を思い出し、この「合力」の精神こそが日本人を、世界でも傑出した道徳的国民にしているのではないかと思ったのである。

 「力を合わせる」意の漢字熟語といえば誰もがまず「協力」を思い浮かべるだろうが、わが国には「協力」よりもずっと古く「合力」という言葉が存在した。合力は今では物理の授業で「2つ以上の力を合成した力」などと習う程度で、小型の辞書もそれくらいの意味しか載せていないが、古典の時代にはコウリョクと読ませ、「力を添えて助ける」意を有した。

 室町時代初期の『義経記(ぎけいき)』にも「三日がうちに浮き橋を組んで、江戸太郎に合力す」と出てくる。源頼朝が隅田川を渡ろうと江戸太郎(重長)に浮き橋を組ませた折、葛西三郎こと葛西清重が合力した、つまり助勢したというのである。




 ◆施し与える

 もっとも、この意味でなら中国でも「合力」は使われているが、わが国ではそれ以外に「金品を人に施し与える」という独自の意味もあった。「私、仕合(しあは)せの合力を請けて、思ひのままの正月を仕(つかまつ)る」(西鶴諸国ばなし)。幸運な援助を受けて思い通りの正月を送れる、と訳せよう。飢饉(ききん)や災害に際しては合力金、合力米として金品を贈り、困窮者への援助とした。

 力を添えて助ける、施し与える-わが国における合力のこの2つの意味は、いわば見返りを求めぬ人助けの要諦でもあり、それを実践したのが冒頭の救出劇ではなかったか。力を貸した人たちはきっと、女性の無事を見届けるや何もなかったかのように現場を後にしたに違いなく、彼らは力を貸して、いや与えて、そして去った…。

 明治期に大森貝塚を発見した米人モースは、江ノ島で過ごした経験を次のように書き留めている。「人力車夫や漁師達は手助けの手をよろこんで『貸す』というよりも、いくらでも『与える』」(東洋文庫『日本その日その日』)。近代日本の庶民に合力の精神が広く浸透していたことがうかがい知れる。

 大正12年の関東大震災でもこの精神は発揮された。例えば東京帝大の学生は、大学構内や上野公園に避難した人たちのために食糧を調達したり、随所に散乱する糞便(ふんべん)を清掃したりと活躍した。現代のボランティア活動につながる合力である。


※次から気をつけようね。

 ◆災害を越えて生きる

 戦後の日本では、個を尊重するあまり他を思うことが忘れられがちとなったが、それでも先の東日本大震災のとき私は、日本人は決して合力の精神を失ってはいないと確信した。窮状のなかでも被災者は礼節と品位を保ち、奪い合うことなく分け合い、与え合った。外国人にはこれが奇跡に思えたという。

 日本人がこのような徳を身につけることができたのも、わが国が災害列島だからかもしれない。日本人は自然災害で多くの犠牲を払ってきはしたが、同時に、災害を乗り越えて生きるために助け合い、与え合う合力の精神を養ってもきた。日常的には「相身互い」とか「向こう三軒両隣」、ときには「絆」と呼ばれたりもする情義とも相通ずる徳性といえるだろう。

 「東京の下町では、となり近所が助け合い、たがいの不足をおぎない合うことも当然だった」。関東大震災の年に生まれた池波正太郎の言葉である。日本人は合力して生きてきた。

 関東大震災の発生からちょうど90年となるきょうの防災の日、あらためてその美風を思い起こし、今後ともそれを誇りとしていきたいものである。(せこぐち さとし)

2013年9月1日 産経新聞 東京朝刊



◆ローマの信徒への手紙 / 5章 7-8節

正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。

善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。


しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、

キリストがわたしたちのために
死んでくださったことにより、
神はわたしたちに対する

愛を示されました。


弁解の余地【DJポリスだけじゃない… 韓国議員の暴挙による外交危機救った“交渉力”】

2013-09-07 09:56:13 | 今日の御言葉



世界が造られたときから、

目に見えない神の性質、

つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、


これを通して神を知ることができます。


従って、彼らには弁解の余地がありません。

「ローマの信徒への手紙」 / 1章 20節
新約聖書 新共同訳



宗教の目的は何でしょうか。
それは神様の理想世界を成し遂げることです。
より多くの人を宗教の世界に伝道しようと努力する理由は、
より多くの人を神様の民にするためです。
すべての人が神様の民になれば、
世の中はもはや戦争と混乱のない平和世界になります。
究極的に宗教が行く道は平和です。



▲小泉進次郎議員 (2013年8月15日 写真)


★DJポリスだけじゃない…
韓国議員の暴挙による外交危機救った“交渉力”


◆産経新聞 2013年 8月31日 16時44分配信



▲8月15日、韓国議員らを取材しようと報道陣が詰めかけるた靖国神社前で、厳重警戒を敷く機動隊員ら(撮影・三尾郁恵)(写真:産経新聞)


 韓国による安倍晋三政権への難癖はやまず、日韓関係のこじれは続いているが、終戦の日の8月15日、一歩違えば、修復困難な外交危機を招く難題を抱えていた。韓国議員が靖国神社で「政権の軍国主義化」を非難する声明を発表するとぶち上げたからだ。暴挙を許し、衝突でけが人が出ればいうに及ばず、入国拒否など強行阻止しても韓国世論に格好の日本非難の口実を与えかねなかった。だが、ついぞ危機は訪れなかった。そこには、ニュースになることはない「何も起きない」ことを当然とするプロの仕事があった。

 ■「朝鮮のマスコミは出ていけ!」静寂に響いた怒号

 「朝鮮のマスコミは出ていけ!」。8月15日午前8時前の靖国神社の大鳥居前。最も静寂であるはずの日に最も厳粛であるはずの場所で怒号が響いた。

 韓国の左派系野党、民主党の李鍾杰(イ・ジョンゴル)議員ら4人が8時から神社前で声明読み上げを予定していたため、日本の報道陣とともに取材しようと待ち受けていた韓国人カメラマンらに対して一部の人から罵声が浴びせられた。

 黒いヘルメットに黒いプロテクターで固めた警視庁機動隊員が隊列を組んで、報道陣と、声を上げる人々を引き離す。

 韓国メディアに対し「帰れ、帰れ!」とシュプレヒコールも起き、「なんで韓国議員なんか取材すんだよ」と報道陣につめ寄る男性も現れ、警察が一時、韓国メディアに退避を要請したほどだった。

 「なんで韓国議員のために警備してんだ。お前ら日本の警察か」と機動隊員につかみかかろうとする男らもいた。

 議員らが来る前からこれじゃ、ただではすまないな-。心配が頭をよぎったが、議員らが靖国神社に近づくことはなかった。

 李議員らは東京都内のホテルからタクシーで神社を目指したが、約500メートル離れた路上で、警察に制止され、ホテルに引き返していたのだ。


※韓国のトラブル議員の李鍾杰(イ・ジョンゴル)氏。

 ■トラブルで注目狙う? デモ扇動の“前歴”も

 李議員らに対しては、韓国を出国する間際まで、日本行きを思いとどまるよう韓国政府側の説得が行われていた。一部議員の非常識な行動によってこれ以上、日韓関係がこじれるのを望まなかったからだ。

 「身の安全は保証できませんよ」と強い調子でも諭したという。だが、議員らが聞き入れることはなかった。

 日韓外交関係者は「日韓関係の悪化を朴槿恵(パク・クネ)政権の外交批判につなげる韓国国内向けのアピールに狙いがあったのだろう。トラブルになって注目されることはかえって望むところだったのではないか」と話す。

 李議員は韓国で保守系与党に対する激しい闘争姿勢で知られてきた。韓国紙によると、かつて米韓自由貿易協定(FTA)に反対するため、「パトカーを包囲するには5万人いれば十分だ。国会を占領してほしい」とデモを扇動した“前歴”を持つ。

 「いっそ入国拒否すればいい」。外交関係者からはこんな本音も漏れた。

 だが、前日の14日、羽田空港に降り立った李議員らに対して、入国審査こそ約2時間に及んだが、最終的に入国は許可された。


※韓国に入国拒否された、左側から稲田朋美議員(現 行政改革担当大臣) 、新藤義孝議員(現 総務大臣) 、佐藤正久議員。
2011年8月1日


 2011年、韓国・鬱陵島を視察しようとした日本の国会議員3人が韓国側から入国拒否されたことがあった。今年7月には韓国に対する辛口批評で知られる拓殖大教授の呉善花さん=日本国籍=も入国拒否され、日本は韓国を批判してきた立場にあった。


※この人も、身の安全から守るため、
韓国公演を取り止めていた。
(きゃりーぱみゅぱみゅ氏 写真)

 たとえ「身の安全」が理由でも、韓国議員を入国拒否にすれば、韓国世論に非難の口実を与えるだけでなく、韓国側の入国拒否を肯定することにもつながる。日本が「正論」を押し通せなくなっただろう。

 ■強固な態度を氷解させた言葉の力

 李議員らは羽田空港で「(靖国神社に)行くかどうかは決めていない」と話していたが、決行の意志を翻すことはなかった。そして、当日朝、予定通りに靖国に向かった。

 靖国神社から南に約500メートルの“最終防衛ライン”で待ち構えていたのが、警察だった。議員らによると、警察から「私たちが案内します」とタクシーが停止させられたため、当初、「だまされた」と感じたという。



 警察側は予定してかしないでか、声明発表を主導した李議員と他の議員を分断させ、李議員を一足先にホテルに連れ戻した。

 他の2議員にその場で、韓国メディアなどを前に一くさり安倍政権非難の演説をさせ、“ガス抜き”させた。街宣車などが議員の存在を察知し非難を始めると、「保護」を理由に連れ帰った。

 李議員は産経新聞の取材に「警察は警備が過剰だ」と不満を漏らしながらも「一般の日本国民の安全を守るためだという警察の言葉を非難するつもりはない」とも語った。

 議員らの警護と説得には、警察庁と警視庁の警察官のほか、外務省職員が合同で当たっていたという。

 「衝突になれば、ご本人だけでなく、一般の参拝者にもけが人が出るかもしれない。それは本意ではないでしょう」。こうこんこんと説得した担当者らの姿が浮かぶ。

 結局、靖国神社前で読み上げることなく、記者らに配布した声明文には「日本と心からの信頼関係を望んでいる」とも記されていた。

 「安倍政権の軍国主義化を批判するのも日韓の信頼関係構築のためだ」という大義名分を掲げるだけに「罪のない一般の日本人にも被害が及ぶ」と訴えられれば、引きさがらざるを得なかっただろう。

 「自身がけがするかもしれない」という韓国側の説得にも耳を貸さず、「けんか上等」と乗り込んだ議員の強固な姿勢を打ち砕いたのは「他人をけがさせるかもしれない」という、一見ありふれた言葉を粘り強く説いた交渉力だったようだ。



 ■靖国を選んだあきれた理由とは…

 「当初、首相官邸や自民党本部などで声明文を渡すことも考え、問い合わせたが、休暇中だと言われた。靖国神社に参拝する日本の国会議員らに声明文を手渡すつもりだった」。李議員は取材にこうも説明し、「これほどの騒ぎになるとは思わなかった」と語った。

 本当にこんな理由で靖国を声明発表の場に選んだとすれば、あまりに非常識と言わざるを得ない。

 声明では、東京電力福島第1原発の汚染水漏れ問題についての日本政府の情報開示不足も非難し、「東北アジアの平和と繁栄を願う私たちは、安倍首相が今からでも過去の歴史と現在の放射能流出問題に対する心からの謝罪と、隣国を傷付ける行動を取らないという約束を要求する」と主張している。

 汚染水問題に対する韓国での関心は高く、韓国メディアが連日、韓国へも影響するかと騒ぎ立てている。韓国世論受けするからといって、全く次元の異なる歴史問題と一緒に並べ、しかも靖国という場で批判声明を発表するという発想には、良識を疑う。

 このような“暴挙”に対して、強引に阻止するわけでなく、あくまで“理”を説き、議員らが自ら矛を収める形に持っていった現場の底力には、敬服する。



 ソフトな語り口で雑踏警備をさばく「DJポリス」が広い共感を呼んだことは記憶に新しい。だが、不測の事態を未然に防ぐことが本来の目的の警備・公安警察にあって、DJポリスは一般人の目に触れる数少ない例だ。

 多くの警備・公安警察官は、日ごろは地下に潜り、ときに過激派など摘発する側に、地道な交渉で協力者を獲得し、有事の芽を未然に摘んできた。今回も「事を起こさせない」ことを是としたプロの交渉力が生きたといっていいのではないか。

 外交面で日本の交渉力不足がいわれて久しい。だが、どっこい足下では、正論を曲げることなく、相手を納得させる言葉の力が生きているといいたい。

 “事”が起きなかっただけに、日韓で今回の騒動がその後、尾を引いて報じられることはなかった。ただ、日本と中韓の関係をめぐり陰鬱な話題が多い中、書きとどめておきたいエピソードとしてあえてここに詳細を記した。

 日々「起きたこと」を追う記者から、「何も起きない」ために、きょうもどこかで職務に尽くすプロたちに敬意を込めて一言-。

 日本は捨てたもんじゃない!(桜井紀雄・外信部記者)