地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

分け隔て【ザンジバルで酸性液浴びせる事件続出、奴隷制の面影とクイーンのフレディの生家】

2013-09-18 00:05:39 | 今日の御言葉



わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、
わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、
人を分け隔てしてはなりません。


「ヤコブの手紙」 / 2章 1節 新約聖書 新共同訳



平和も戦争も家庭から始まります。
もし本当に世界平和を願っているなら、

まず自分の家庭が
相互に愛し合うことから始めてゆきましょう。


もし、喜びを広げてゆきたいなら、


まず、一つひとつの家庭が
喜びをもって生活することが必要なのです。


マザーテレサ
(マザーテレサ『愛と祈りの言葉』より)


★酸性液浴びせる事件続出、外国人女性ら被害 タンザニア


◆CNN.co.jp 2013年9月15日
http://www.cnn.co.jp/m/world/35037249.html


タンザニア・ザンジバル(CNN) アフリカ東部タンザニアのザンジバル島で13日、カトリック教の聖職者が襲われ、酸性液体を浴びて入院する事件があった。同島でこの種の攻撃が起きたのは過去2カ月間で3件目。

地元警察が調べているが、逮捕者は出ていない。同聖職者はCNNの取材に応じ、ザンジバル市内のインターネットカフェを出た際、襲われたと述べた。タンザニア本土のダルエスサラーム市の病院で手当てを受けている。



同島では今年8月、18歳の英国人女性2人が路上で顔、手や胸に酸性液体を浴びる事件も発生。犯人はオートバイに乗った男2人だった。

ボランティアの教師として働いていた女性2人は、同島の観光名所として知られる世界遺産のストーンダウン地区で襲われていた。

タンザニアの地元メディアによると、ダルエスサラームでは今年7月、アラブ系の実業家が酸性液体の攻撃を受ける事件もあった。この実業家は同市の米国大使館近くにショッピングモールを建設していた。

ザンジバル島では最近、イスラム過激派の台頭が指摘されていた。英女性の被害などを受け、タンザニア政府は酸性液体や関連製品の購入規制を検討する方針を示した。

米中央情報局(CIA)の世界便覧によると、ザンジバル島は広範な自治権が認められ、住民の99%はイスラム教徒。一方、タンザニア本土ではキリスト教、イスラム教や伝統宗教の各宗徒の比率がほぼ均等している。




★奴隷制の面影とクイーンのフレディの生家 @ザンジバル
アフリカの風に吹かれて

◆朝日新聞デジタル2013年7月17日


▲奴隷たちが押し込められた地下室。
手前のような鎖でつながれていた



▲解放された奴隷が手伝ってできた教会。
12本の柱が上下逆さまに据えられている



▲教会の外観



▲スルタンの宮殿の調度品には、
日本のものらしき大きなつぼも



▲博物館になっているスルタンの宮殿から海をのぞむ



▲別のスルタン宮殿。こちらも博物館だったが、
建物の補修が必要になったため、いまは休館中


▲フレディ・マーキュリーの生家



▲シーガルの向こうに夕日が沈む
=いずれも江木慎吾撮影


 ザンジバルのストーンタウンは、ユネスコの世界遺産に指定されている。世界遺産に宿泊するのは、マリの不思議な土の町ジェンネについで2度目になる。

 インド洋を隔てた国々とアフリカを結び、独特のスワヒリ文明、経済圏を形成した。奴隷貿易の中心地という歴史を背負い、その遺構も残る。ポルトガル、アラブ、インドにアフリカが混交する、さんごの石で築かれた独特の建築群は、厳しい建築基準によって守られている。

 石の町の一角にある英国国教会に向かう。この教会は1873年から、解放奴隷が手伝って建てられた。敷地に建つ建物には地下室がある。奴隷たちが男と女に分けられ、鎖につながれて狭い空間に押し込められた。壁の縦長の切れ目から、わずかに外の光が差し込む。1人でいても息苦しく感じる。

 奴隷は、この地まで大陸の産物や資材を運搬するために使われた。長旅の果てになお体力のある男たちは、さらに海外に向け、売られた。体力のない奴隷には死が待っていたという。

 教会の内部には、キリストの12使徒を表す12本の支柱が、素人らしく逆さに据え付けられている。この地の奴隷制について警鐘を鳴らしたのは、宣教とアフリカ探検で有名なデビッド・リビングストンだった。

 海に面した一等地に移動すると、ポルトガルが建てた石のとりでとともに大きな木造の建物が並ぶ。19世紀に建てられたオマーン王国のスルタンの宮殿は、中東というより英国やインドの影響を受けているように見える。いまは博物館になっているが、天井は高く、調度品も欧風のものが多く残されている。

 ポルトガルが築いたとりでの前、海に臨む公園からながめると、岸にほど近いところに船が停泊している。かつて熱海と伊豆大島を結んだ双胴の高速船シーガルは、日本語の表記もそのままに、動けなくなっている。

 日本での十数年の就航の間には、伊豆大島の噴火で島民の避難に活躍した。岸壁に衝突する事故も起こした。タンザニアに移ってザンジバルとダルエスサラームを結んでいたが、機関が故障した。

 ストーンタウンの多くの建物は、ホテルに改装されている。そんなホテルの隣に、ロックバンド「クイーン」のボーカルだった故フレディ・マーキュリーの生家がある。ゾロアスター教徒の両親のもとに生まれ、インドの寄宿学校に通っていた時にファロクという本名から「フレディ」の愛称がついたという。

 一家は1964年のザンジバル革命を機に英国に渡り、いま家は人手にわたっている。その入り口には、クイーン時代のフレディの写真が飾られている。

 夜、寝ようとするころに町は騒がしくなる。ラマダン中は夜が明けきらないうちに食事をしなくてはならず、ちょうど真夜中ごろになると若者たちが通りに出て太鼓を打ち鳴らし、歌を歌う。周囲に起きるよう促す。

 眠ろうとするときに、すぐそばでがなり立てられるので閉口する。情熱的に歌っているのかもしれないけれど、投げやりにがなり立てているようにしか聞こえない。


▼プロフィール



江木 慎吾(えぎ・しんご)

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。