京都亀岡市にある「出雲大神宮」神域の磐座
神域が神域すぎて、本当に震えました。
立ってられないほどの宇宙からのどーーーーん!!としたエネルギーが塊で降っていた。
神様とか、そんな言葉さえ飛んで、呆けてしまいそうだった。
多分江原さんあたりが広めたので、たくさんの方がここに来ているようだけど。
みんな大丈夫?
エネルギー当たりしていない?
レベルかもしれないなぁと。
神域には神のエネルギーが流れていて、人間が触れると霊的な火傷をするのです。
だからこその禁足地になるわけで。
聖なるものを汚しては行けないというのもありますが、神様の領域に触れると、パワーの違いで人間が怪我をする的な感じ。
魚の体温は低いので、人間の手で触られると、私たちがジュウジュウの鉄板を押し付けられている状態と同じになる。
だから魚を素手で触るなと言われているのですが。
(火傷で弱るから)
それぞれの温度みたいなものに差があると、こっちが火傷する。
この磐座のことを調べていて、
「奥宮は一時期、磐座を削って持ち帰った輩がおり参拝禁止になっていた」という記事を読み、うわーと思いました。
何重もの意味で、そうなるとパワーアイテムどころか、盗んだ人間にとって災いにしかならないのに。
無知とは恐ろしいとゾッとします。
まず、神域にあることとその岩は同じエネルギーだから共鳴し合うわけだし、その神域のエネルギーのものを盗むなど、とんでもないカルマを追うので、パワーアイテムなんか関係なく運命はご想像あれ、となるわけだし。
高温のものを身につけてしまっただけで、魂の火傷を負うわけだし。
パワーアイテムだったものが、そんな神様のものを盗むマインドの波動を持った場所(その人の家)に置かれるとどうなるか。
いいですか。
そのアイテムはパワーが強いのです。
その場が光ある場所ならば光のエネルギーが増幅され、逆ならば、闇のエネルギーが増幅される。
良いことを引き寄せると考えて持っていったのだと思うけど、ひとつも良い結果になる要素が見つけられない。
人間仕様にしてもらったお守りを頂き、大切に持ち歩くだけで、全然パワーが上がるのに。
と思います。
ということも踏まえて。
神のパワーが強すぎるところは長居することがいいとは限りません。
龍脈の上にあるとその建物は争いに巻き込まれやすくなるのは、台風の通り道に家を建てたと考えればわかってもらえますよね。
パワーがあるイコールいいこと、ではないのです。
パワーは力。
その力を善なるもの、光あるものとして使ってはじめて良いものになる。
これはパワースポット巡りをする人たちに少なからず知っておいてほしいことですね。