パピヨン読了。
うーん、エリザベス・キューブラー・ロス。
ますます興味出て来た~。
この本に書かれている略歴だけでも引き込まれる。後できちんと彼女の本を読んでみよう。
田口ランディさんが壮絶な家庭環境で育ったというのにビックリでした。
酒を飲むと暴れ、家族にも暴力を振るうアルコール依存症のお父さんの痴呆と介護、看取り。
父に対する気持ち、愛憎、葛藤は程度の差こそあれど、わたしにもある部分なので読みながらいろいろ考えさせられました。
ランディさんの父はアルコールが入ると手が付けられなくなる人だったようなのですが、この本を読んで、自分も昔酒を飲まずにはいられない時期があったことを思い出しました。
キッチンドリンカーになりかけていて、昼間外に出るのに勇気が必要だったので、酒を飲んで気持ちを盛り上げてから出掛けたりしていました。
パピヨンを読んでいると、アルコール依存に陥ってゆくしくみや、一旦依存症になるとそこからのリバウンドが恐ろしいとか、完璧主義や真面目で几帳面な人ほどそういうのに陥りやすいだとかが書かれていて、初めて知ることばかりでした。
病気がそうさせているんだ、ということも。
わたしは当時キッチンドリンカーになりかけヤケになっていても、実は心のもう一方では「こんなこと(酒を飲んで酔いにまかせること)して何になる?」と冷静に自分を見ているような部分が共存していたのでわりとすぐに事態は収まり大丈夫でしたが、一歩間違えれば依存症だってありえたわけで。
わたしの父も酒を飲むと結構人が変わるので、そこらへんはなんとも読んでいて共感を感じる部分がありました。
父は普段はあまり娘のわたしと会話もないんですが、酒を飲むことによって少しコミュニケーションがとれるのです。
正直に言うとそんなお酒を飲まないと娘と会話をしない(あるいはできないのか)父が嫌でした。
どうして酒の力を借りて饒舌になるのだろう?と。
お酒を飲まないと笑って娘と会話できないのかなぁ、と。
そのことがずっと悲しかったのでした。
だからといって、父ばかりが悪いのではなく、わたしも普段から積極的に父と話そう、という意識がないのです。
話しかけても反応が薄いことはすでにわかっているので、話しかけて興味のないような顔で無視をされて傷つきたくないのです。
うちの父も、普段は真面目なんですよね。
でも酒を飲むと饒舌になり、飲み過ぎると管を巻き、母が「飲み過ぎだよ」とたしなめると「うるせえっ」といった感じで、べろんべろんになりながらもまだ飲もうとするのです。
やっと立ち上がれるような状態なのにも関わらず。
そうなると本当にタチが悪い。
いままで言えなかった怒りを爆発させるように何度も同じ悪態をつきながら、ケンカを始めたりして。
小さい頃、夜中にもうべろんべろんで立っているのがやっとなのに「今から街に飲みに行く」と言って聞かない父を母が必死で制止していたことがありました。
母は父を心配して「こんな状態で出て行ったらあぶない」と何度も言う。
父の兄も酒が原因で交通事故で亡くなっていたので母はそういうことを特に心配していたのかもしれません。
それで二人で「行くからどけ」「あぶないから止せ」と両者譲らずケンカになって。
わたしはその日風邪をひいていて熱が38度あったのですが、両親の喧嘩の物騒な音を聞きつけて部屋を出ると、酔っ払った父が母を殴ろうとしていたところでした。
それを見てわたしはカッとなり母を守らないと!と思い「やめてー!」と間に入って母をかばうとそのまま父に思いっきり殴られました。
いや~衝撃でした。
殴られた衝撃と、風邪で頭がぼーっとしていたこともあって目の前に星がちらついてクラクラしました。
その後母がわたしを庇い、父は制止を振り切って飲みに行ったのかその先は覚えていません。
ただ、母が「大丈夫だった?」と心配しながら汗びっしょりになっているパジャマを取り替えてくれたことだけは覚えています。
多分小さい頃のこの経験があって、わたしは酒を飲む父が嫌いなんですね。きっと。
それだというのに、わたし自身がプチキッチンドリンカーになりかけることがあったとは…。
人生は皮肉だな~。
酒飲み一族め。
だからランディさんのこの本の飲んだくれた父の描写は見ていて辛かったです。
でも今になって、酒を飲み荒れていた父の気持ちも自分がドリンカーに成りかけた経験のお陰で少しだけわかる気もします。
父はちょうどその頃、人に裏切られお金の面で大変な思いをしていたそうで、きっとそのことがストレスになっていたんだろうな、と。
飲まなきゃやってられない、という気持ちだったのかもしれない。
飲んですべてを忘れたかったのかもしれない。
今はそういった飲んで怒鳴ったりすることがないのを見ると、やっぱりあの頃はストレスが溜まっていてそれを誰にも言えなかったのかもしれない。
今はそう思えますが。思えますが!
小さい頃のわたしはそんなこと知るよしもないので、その時の怒りや悲しみがたまっているのかなぁ…とも感じます。
パピヨンはおととい読了していたのですが、どうして「この本を読まなきゃ!」と急に直感が湧いたのか読み終わっても実感がなかったんですよね。
今まで「この本…!」というなにかを感じて読んだ本は、読んでいる途中で本の内容と自分自身にすごいシンクロがあったり、本の中の異世界に行って一緒になって体験して思いっきり泣いてその中で癒される、という感じのものが多く、「この本に会うべくして会った!」という強い感覚がありました。
そういう作品にあうと、なんとなくその作家の持つ「癒しの力」を感じたりして、そういった本に出会えるとすごく嬉しいのですが、今回のパピヨンは実はそれほど深~い感動もなく。
本の中の介護と看取りの部分よりもロスさんのことの方が気になっていて。
一体どうしてこの本だったんだろう?
と読了してからもなんだか「うーん」となっていました。
そんな今日、ひいたオラクルカードの内容が
「あなたが自分の深いところにある悲しみに気づき涙を流せるよう助けましょう」というのものだったり、そのものズバリ「Father Healing」だったりで。
過去に形成された父親への怒り、悲しみ、怖れから自由になる意志があれば良い、手放そう、というカードで。
それで、そこにあった父に対する問題の手放しのアファメーションを唱えてみました。
手放すぞ~!と。
すると、ここまできてようやくなんでこの本を読んだのかがわかりました。
父に対する思いを手放すために、この本で酒飲み親父に酷い目にあった娘の葛藤話を読む必要があったんだろうなぁ…と。
この本を読もうと思い本を抱えて家に帰って来る途中、なんでこんなにぞろ目に会うんだろう?とやたらとエンジェルナンバーに遭遇していて、その時にこの本のことについての自分の気持ちを記録しておけ、となにか言われているような気がしたのですが、そういうことだったのかぁと一人納得しました。
本の感想は書きたかったのだけども、ロスのことと、ランディさんの父の介護と看取りのことをうまく書けなくて一度感想書くの諦めようと思っていました。
今回の父の事以外にも、この本を読みながら、わたしは人の死に関して薄情なんだろうか?とか、自分の寿命、人の寿命に関して思うことがあって。
で、そっちの方ベースで書こうとしてもまったく散漫にしかならないし、なんか違うな~と。
それが、今日はもう一度この本の読了感想にリベンジしようと思っていざ書き始めてみると、いつの間にか田口ランディさんの父の酒癖の悪さから昔自分が殴られたことを思い出して、自分の経験について書いている、という。
忘れていたわけではないのですが、なぜかそのことを今日思い返してここに書いてみると、殴られたことがすごく悲しかったんだ…とわかりました。
そう思うと、オラクルカードで引いたFather Healingカードも、自分の深いところにある悲しみに気づき涙を流せるよう助けましょう、という泣澤女神のカードメッセージもすごくありがたく思えて。
今ここで、その思いを手放してゆきなさい、とそのことについて何度も「気づいて!」と送られていたのだなぁと。
そして、今つけているエッセンス、ラオツー&クワンインがそういった過去のショック感を感情レベルで変容させてくれるエッセンスということもあって。
ああ、今年に入ってからのこの流れ、自分のショック感、押し込めていた悲しみを手放せ、ということに全部繋がってゆくんだなぁ…と。
なんだか今回はこの文を書きながら自分の思いに気がつけた気がします。
ああ、でもこのパピヨンの本についてはいっぱい気になるところがあっていろいろ書きたい!のに全然それがまとまりません。
多分今はとにかく父に関する思いの手放しが最重要のようだし、エリザベス・キューブラー・ロスについては、気になるので別の本も読んでみようと思いました。
ああ~長かったー!