Harvest*

日々の中で感じたことや思ったことの記録

十和田湖と占場の思い出

2013-05-26 22:30:37 | ドライブ・散歩
十和田湖へ行ってきました。
前回は雪のため辿り着くことができなかったけど、
今日はいい天気なのでさすがに大丈夫だろうとドライブ。

途中、前回寄った七滝へも寄りました。


穏やかに流れ落ちる滝の水。浄化よりもやさしい癒しという感じ。
今日の滝は穏やかで、前回偶然訪れた時のような轟々とすべてを流し尽くすような
圧倒的な水のエネルギーを感じません。
前回のあの天気の日にここを訪れたことに意味があったんだろうなぁ…としみじみ。
すべてのことは完璧なタイミングで起こっているんだなぁ。

紫明亭展望台から


十和田湖の水面


木陰にビニールシートを敷いてお昼ごはん。ぼーっとしたり。


昼食後に十和田神社へ。開運の小道を通って。
もののけ姫に出てきそうな景色。巨岩たちがいっぱい。
神社の方へ近づくと人の気配も減ってホッとします。静かで気持ちがいいです。



時々人の気配の感じないところにぶらりと行きたくなります。
そんな時、十和田湖の占場に行くのが好きでした。
占場はロープをつかみながら、ごつごつとした岩場を登ったり、
急な鉄梯子をかなり降りていかないと辿り着かないため、
滅多なことがない限り誰もこないのですごく好きな場所でした。

十和田神社へ訪れると、数年前に初めて占場を訪れた時に出逢った人のことを思い出します。

その人は、占場へ辿り着くための急な鉄の梯子の手前でたくさんの汗をかきながら座り込んでいました。
その時ちょうど、急な鉄梯子を下るかどうかで迷っていたので
座り込んで休んでいたその人に下の占場の様子を尋ねてみました。
その人は下の様子と一緒に何をするところなのかを詳しく教えてくれました。

およりという紙に願いを書いて、湖面に浮かべる。
願いが叶うと、紙は沈む。
叶わないと、そのままおよりは流されていく。
そんな内容でした。

そのおばさんは、どの病院に行ってももう助かる見込みがない、と最期通告されていて、
藁にでも縋る思いでここに来た、と言っていました。
どんな方法でも良くなりたい、と神頼みのつもりでここへ来た、と。
なかなかおよりが沈まずに、どうか沈んで!とお願いしたらおよりが沈んだと言います。
およりが沈んで心底ほっとした様子。
病気をおしてまで、この険しい道のりを来たようで
汗をたくさんかいていたのはその為だったのか…と思いました。
よくよくおばさんを見ると髪がウィッグであることに気がつき、
病気で髪を失ったんだろう、ということを感じさせました。
おばさんの汗をかいて息を切らしている様子を目の当たりにすると、
自分にはそのおばさんのように深刻な差し迫った悩みなんてないことに気づかされました。
そう気がつくと、この占場という場所がとても神聖な場所に思えました。

自分の抱えている悩みなんてちっぽけだ。
なんだか大事なことを教えられたような気がしました。
たったそれだけの出会いと会話でしたが、今でもその人のことを思い出します。
願いがかなって、今でも元気でいるといいなぁと思います。

そんなことがあってから、なぜか十和田神社の占場という場所がなんだか好きで、
一人でブラリと訪れてはごつごつとした道を上り、
鉄梯子をくだり、占場の湖面まで行き、そこの岩場に座り込んで
ぼけーっとただ景色を思う存分眺めるだけながめて帰る、ということを何度かしました。
占場の日陰の湖面の穏やかな水の音、たまに聞こえる鳥の声、
人の気配の感じないそこにただいるだけでなんだかホッとし癒される思いでした。

今回も占場まで行けたらいいなぁと思いましたが
今は鉄梯子が老朽化したかなにかで立ち入り禁止になってしまったらしく
あの静かで神聖な場所へは訪れることは出来なくなってしまっていました。

ちょっと残念。
でも十和田神社の拝殿の方の空気も澄んでいて好きなのでそっちを存分に味わえたらいいなぁと
神社付近をブラブラ。

鳥居


拝殿


拝殿の近くまでいってとった写真に、たまたま少し太陽の光が差し込んでいたのですが
その写真にたくさん綺麗な青やら紫やら虹っぽい色の丸が写り込んでいました。
普通に考えたらレンズフレアなんですが、とても綺麗な感じだったので
きっと神社はいい気で溢れているんだなぁ…と思いました。

青森県側は乙女の像やら十和田神社があるので、観光の人たちでニギヤカです。
今回一人で訪れたのは静かな湖でぼけーっとしたかったからなので
秋田県側の十和田湖へ寄ってゆっくりしてきました。


湖の水に裸足でつかったりして満喫。
最後に湖に面している喫茶店でコーヒーを飲みながらボケーっとしてきました。
気持ちがよかった!



義星のレイ

2013-05-23 01:11:35 | 日記

先日、突然北斗の拳の漫画のとあるシーンが浮かびました。

北斗の拳は、学生のとき友達が「これ、ほんとアツいから!絶対面白いから!」と文庫版を全巻貸してくれたことがあって、一度だけ全部読んだことがあります。

なんとなくフーンという気持ちで読んでみると、男たちの命を賭した熱い闘いと友情にガツンとやられて結局読み出したら止まらなくなり、最後まで夢中で読んだ思い出が。

読んだのはもう10年も前の話です。

ストーリーももうすっかり忘れてしまって「ひでぶ!」とか「あべし!」という擬音しか覚えていないのですが
突然あるシーンが思い出されて急に北斗の拳が読みたくなりました。

ケンシロウの仲間がなんだか小屋のようなところにはいって絶命するシーンなのですが、そこがものすごーく気になって仕方がなくなりました。

で、あまりに気になるので、北斗の拳のサイトに行くと、うっすらと当時の記憶が思い出されて、その小屋の中で絶命したキャラクターが南斗水鳥拳のレイだとわかりました。

あー、わかってスッキリした!と思いきやまたもや日常の中でちらちらとその絶命した小屋が思い出されるもんだからその部分だけ本買ってみようかなぁ…とブックオフに行ってみました。

文庫版の北斗の拳のコーナーに行って、何巻だろうなぁ…と思いながらなにげなく手に取った巻を開いてみると、ちょうどレイが死ぬところのページだったので、むむむ…これは…!となにかを感じ、その巻と前の巻だけを購入しました。

じっくり読んでみるとレイは、マミヤのために涙を流し、命を捧げ、小さい子供が傷つけられていると「てめーらの血は何色だー!」と激昂し、妹や仲間のためにつくすナイスガイでした。

小屋に籠って絶命までのストーリーを読みながら思い出していく中で、レイが絶命するシーンでもう号泣。

久しぶりに漫画を読んで思い切り泣きました。

だーっと泣くと、自分の中の何かが一緒に解放に向かうような、癒されるような感じがしました。

先々週、ヒプノセラピーに行ってきたんですが、その前世やらいろいろな思いの解放に、レイの生き様、死に様を読む必要があったんだろうなぁ…と思いました。




スクナヒコ

2013-05-19 15:02:32 | 神社仏閣

きのう太平山三吉神社へ行ってみました。

5月にはいってから、定期的に頭の中に「スクナヒコ」という単語が何度も浮かんできていました。

それがあまりに唐突というか、ぼーっとしていると突然「スクナヒコ」と浮かぶので、なんだろう?と思って調べてみると、スコナヒコというのは少彦名大神だということがわかりました。

気になったので近場に少彦名大神がご祭神のところはないかな~と探してみると、太平山三吉神社のご祭神であることがわかりました。

よく通る道を曲がってすぐにある神社だったので、気軽に行ってみることにしました。

少彦名大神、大己貴大神(おおなむちのおおかみ)と三吉霊神(みよしのおおかみ)が太平山三吉神社のご祭神のようです。

行く前日、なんとなく少彦名大神について詳しく調べていると、医療や疾病平癒、薬などというキーワードを多く見かけました。

スクナヒコ神が医療や疾病平癒に関わる神様であると知った時、ふっと最近入院した母方の祖父のことを思い出し、おじいさんに病気平癒のお守りをあげようと思いました。

それで先々週の土曜日に神社で病気平癒のお守りを授与してもらい、次の日に病院へ行きおじいさんへ渡すことにしました。

母に病気平癒守をおじいさんに渡すことを伝えると

「おじいさんはもう寿命だから、お守りをあげてどうこうできるような感じではない」

と言われました。

そう言われて少しひるむ自分。

そもそも人にお守りなんて渡したこともないしやっぱり渡さないほうがいいんだろうか…という気持ちが頭をもたげる。

でも折角授与していただいたしなぁとも思い、やっぱり渡そうと病院へ赴くと、おじいさんはチューブで繋がれていて息をするのもしんどそうな感じでした。

わたしも、実際に行っておじいさんの様子を初めて目の当たりにすると、思っていたよりもなんだか深刻な様子だったのでたしかにこれは寿命かもしれないなぁ…とも思いつつも、寝たきりのおじいさんに向かって

「お守り置いていくね」

といってしばらく一緒にいたあと病院をあとにしました。

おじいさん、ちょっとヤバいかもしれないと思いつつも内心はあのお守りが効くといいなぁ、効いて欲しいなとも思ったのでした。


それから一週間ほど経ったある日、母からおじいさんが少しずつではあるけれど物を食べれるようになってきて、言葉も少し話せるようになってきているとききました。

(お守り効果だといいなぁ…)

なんてうっすらと思っていると、母までも

「もしかしてあのお守り効いているのかな」

と一言。

スクナヒコと何度も頭に浮かんだのはもしかして今回のお守りのことだったのかな?とふと思ったりしたのでした。



きのう再び太平山三吉神社からほど近い場所を通りかかった時に空を見ると彩雲を見かけました。

七色の雲が光っていて綺麗で清々しい気持ちになり、なぜかまた太平山三吉神社へ行ってみようかなという気持ちになって、少彦名大神にご縁をありがとうございますとお守りのお礼を伝えにお参りをしてきました。

天気のせいもあってか、先々週訪れた時とは全然雰囲気が違い、とても静かで清々しかったです。


天気がよかったので、境内の中にあるベンチに座り、秋田市と山を見つめながらぼーっとしてきました。

八重桜がとても綺麗に咲いていました。


不思議なことに、神社に行ってからは頭の中にスクナヒコ、と突然浮かんでくることはなくなりました。

ご縁に感謝です。




輝いている顔

2013-05-16 02:06:24 | 日記

先日、数ヶ月ぶりに友人と会いました。

久しぶりに見た友人は、なんだかとてもスッキリしていて、輝いていました。

外見が大幅に変わったとかではなくて、放つエネルギーが明るくなったような、顔周りが特に輝いているというか。

こいうのって、なんて言ったらいいのか。

わたしは何事も体感が強いので、そういう感じ、としかいいようがないのですが一目で、前よりも輝いている!と肌で感じました。

その友人の変化にも驚いたんですが、他にも二ヶ月ぶりに会った人がいて、その人もすごくスッキリとした明るいエネルギーを放っていてみんな、どうしちゃったんだろう。

春だから?なんて思いつつも、そういう人たちと時を過ごすのはこっちも刺激されていいなぁ、なんて思いました。

人は自分を写す鏡というなら、わたしもその人たちみたいに、顔周りのオーラが前よりもスッキリとして輝いていたらいいなぁ~なんて思いました。


ミカエルボトル終了とマハコハン使い始め

2013-05-09 00:19:03 | オーラソーマ

昨日の朝、オーラソーマのミカエルのボトルが空っぽになりました。

10日ほどで使い終わりました。

喉、胸からへそのあたりの胴体にぐるっと一周塗っていたのですぐになくなってしまいました。

使ってみた感想は、なんとなくですが以前にも増してなんだか導かれているような感覚を感じたりすることがある、ということでした。

具体的に良いシンクロが起きることが多いので、自分が思うことや感覚を信じられるようになってきた、という信頼の気持ちが前よりもちょっと強くなったかな?と思っています。

そして、なんだか自分が生まれる前に決めてきた人生を生きたいな、と素直にそう思えるようになりました。

ミカエルボトルを塗っている間は、本来の自分の方へ導かれている感がする、という感じが強かったです。


そして、昨日の夜からマハコハンのボトルを使い始めました。

一つのボトルとワークしたら一週間あけた方がいいというのも見ましたが、使いたいから使おうと思いました。

早く塗りたくてしょうがない!というのがマハコハンのボトルでした。

なんだかとても愛しい色です。

シェイクしても綺麗です。澄んだターコイズ。

塗ると喉と胸がものすごく苦しくなる、という効果が出ています。

なんとなくマハコハンのボトルがいわんとすることがわかる気がします。

胸と喉が苦しいのは、自分に本当の気持ちを気づかせてくれためにしてくれている気がします。

今までも、気がついていて気づかぬフリをしていた職場での気持ちの部分です。

そこに気づきなさいよ、とマハコハンは教えてくれているような感じがします。

自分を誤摩化すのはもうやめて、本当の自分の気持ちにしたがってください、そう、ボトルがいっている気がします。

流れをせきとめているものは何?

マハコハンはそう問いかけます。

それは胸と喉にある。

本当は自分でも気づいています。

あとは行動を起こすのみ…そんな今の状態です。