Harvest*

日々の中で感じたことや思ったことの記録

日だまり空間の人

2013-08-14 22:42:27 | 日記

最近、お風呂に塩を入れて入浴をしている。

急にそうしたくなりだして、お風呂の度に塩を入れるようになった。

お風呂に塩を入れないとなんだかスッキリしない。

今日も塩入りのお風呂にのんびり浸かっていると、ぼんやりと昔のことが思い出された。

東京で暮らしていた時に遭遇した、たまたま乗り合わせただけの見知らぬ女の人のこと。

もう顔も覚えていないし、そもそも見知らぬ人なので、覚えているのはスーツ姿だったということと、その人が持っていた雰囲気のことだけ。

ただ、その雰囲気がある意味強烈で、今でも思い出せるくらい印象的だった。

ある梅雨のジメジメした雨の日にバスに乗っていたときのこと。

あまりのジメジメっぷりと、乗客たちの熱気で、わたしは朝から不快な気持ちになっていた。

停留所でバスが停まって、また新たに人が乗り込んできてさらに不快指数が上昇した。

でもそれからちょっとして、いつの間にかなんだかほんわかとした感じに気がついた。

なんだろう、このほんわかしたポワポワした感じ~!と思っていたらどうやら前にいる女の人が発信源ぽいことに気がついた。

その人を見ると、すごく穏やかそうにしている。

清浄そうな感じがする。

すごい穏やか力だ~…と感動。

それからバスを降りるまで、ずっとふんわりした空間に包まれていた。

その人のほんわか空間のおかげで、いつの間にやら不快な気持ちもどこかへ消えてバスに乗車している間、すごく穏やかな気持ちで過ごせた。

バスを降りてからも、なんだか夢心地で、あの人はなんだったんだろう~?と思いつつも、ああいう穏やかな人になりたいもんだなぁ…とも思った。

今思うと、きっとあの人はとってもいい波動を放っていたんだろうな~なんて思う。

天然の癒し系のような。

まったく見ず知らずの人でも、こうやってわたしの記憶の中に残って、影響を与えてくれるってある意味凄いことだよなぁ…。

そうやって、いろんなところでいろんな人たちと関わって、知らないうちに影響を受けたり与えたりしているのって面白いなぁ。

お風呂の中でその人のことを思い出しながら、そんなことを思った。


車の中で浮かんだこと

2013-08-10 01:45:42 | 日記

今日、なんとなく唐松神社に行ってみた。

なんとなく行くにはなかなかの距離だけど、車を走らせている間の一人っきりのリラックスできるあの時間は好きだし、距離や時間のことはあまり苦にならなかった。

車に乗って長距離を運転していると、自分の内面を見つめられたりしてとても有意義に過ごせる気がする。

もちろん、運転も十分に気をつけながら。

今日は車の中で、アニメの「まどか☆マギカ」の最終回が浮かんでいた。

わたしは本当にあのアニメの最終回が大好きで、最終回だけ、定期的に見たくなるときがある。

最終的にまどかは、魔法少女たちが絶望に染まらないように、過去現在未来、すべての時間の魔法少女の死の瞬間にパッと現れて絶望を吸収し、すべてを受け止める存在になる。

そんなまどマギのシーンが浮かんだときに、数年前に看取った愛犬の最期の光景が一緒に思い出された。

その光景が浮かんだ時、「あ、そうか、まどかみたいなことってできるんだな」と思った。

そう思ったら死に間際の愛犬の姿とあの時の動揺している自分の後ろ姿が少し離れて見えたので、数年前のあの瞬間にいた自分と愛犬を白い光で包んでみた。

イメージなので実際の効果のほどはわからないけれど、車の中で運転に集中しつつもなぜだか涙が出てきた。

その時、なんとなくもっともっと遠い遠い未来から、今の運転している自分に向けても、同じようにあたたかい光が注がれていることを感覚的に感じた。

未来?もしかしたら過去からかもしれないし、今なのかもしれないけども…。

どの時間からでも同じか、とも思った。

文字で書くとなんだか仰々しいし、うまくまとまらないなぁ…。

でもなんだか自分の中でピンときた瞬間だった。

レイキでも過去や未来にレイキを送る、というのがあるけども、マントラやシンボルの手順を意識しすぎてしまって。

…というか、過去や未来にもレイキを送れること、今日までスコンと忘れてた…。

う~ん。

レイキの感覚よりも、自分には光をイメージする方がやりやすくて馴染みやすい気がするなぁ…。

そんなことを運転しながら考えたりして、車の中で勝手にわたしは一人で泣いて、スッキリしたりしていた。

そこそこの長距離運転も、定期的に自分に必要なのかもしれないなぁ。


出来事の意味と親友のこと

2013-08-03 00:47:23 | 日記
今日、海へ行った帰りに寄った店で偶然中学時代の親友とばったり会った。
早いお盆休みをとって帰省していた親友だった。

彼女は早くに結婚をし子供を産んで、今は遠いところへ住んでいる。
おととい、帰省してきた彼女と一緒にゴハンを食べながら、積もる話をたくさんした。
仕事の事情でなかなか地元に帰って来れない彼女と前回会ったのは3年前だった。

彼女は今でも、わたしのことを中学校時代のあだ名で呼んでくれる。
お店の中で、後ろから当時のあだ名で呼びかけられた時、
ものすごく懐かしい気持ちになった。

しっかり者でおせっかいやき。
中学の頃、「友達の中で誰が一番最初に結婚するか」という話になった時、
みんな口を揃えて彼女を指名したことをふと思い出した。
みんなの予言?どおり、本当に彼女は友達の中で誰よりも先に結婚した。

わたしの数少ない友達の中でも、本当に会うとホッとして、親友と呼べるような人。

彼女と久しぶりに会ったことによって、
その彼女と友達になった経緯が急に甦ってきて
あ、あの時のあの出来事って彼女と親友になるために必要なことだったんだ、と
突然、なにかが繋がったような気がした。

中学校1年生の5月、遠足の班決めがあったときのこと。
好きな友達同士で5人以上のグループを作る、ということがあった。
小学校から一緒だった友達たちのグループに入ろうと近寄ると、
なんだか微妙でおかしな空気が流れた。

なんだろう?変な感じ。
一緒になろうよ~と言っても今までの友達たちは目をそらした。
すぐに、歓迎されていない、とわかった。
その中の一番仲がよかった友達が、申し訳なさそうにコッソリ耳打ちで事情を伝えてくれた。

中学校になってから友達になった新しい子が、
わたしたちのグループの中で、わたしとだけ一緒の班になりたくない、と
遠足の班決めが行われる前々から友達たちに言っていたらしい。
理由は、わたしが「面白くない」からだった。
たしかにわたしはどちらかといえば、そのグループの中では大人しくて、
何を考えているかわからないと思われていたのかもしれない。
その子は、クラスの中でも女ボス的な存在だったので
周りの友達はそれに逆らえなかったらしい。

そんなことを聞いて、頭の中が真っ白になって泣きたくなった。
じゃあ、なんで今の今までなにごともなかったフリをして
一緒に仲の良いフリをしていたんだろう…。
ショックでたたずんでいる間も、どんどん班が出来上がっていく。
そんな時、一人足りないという班があって
その班の人たちが快く仲間に入れてくれた。

その中にいた一人が彼女だった。
班決めがきっかけでそれからどんどん仲良くなった。

急に今、こうして彼女と親友でいる現在と、当時の出来事が繋がった。
あのショックな出来事がなかったら、あの子があんな事を言わなかったら、
わたしと彼女は親友にはならなかったのかもしれない…。
人から裏切られた悲しい思い出だけが残ったように当時は思っていたけれど、
その出来事にはいろんな意味があったんだな…と急に思い至った。

わずかなひとときではあったけれども、
あの時のわたしは、クラスの中でひとりぼっちで
とても悲しくて惨めな思いをした。
だからなのか、その一件以来、
人から避けられていたり、変わり者扱いをされて浮いている人に
自分から話しかけるようになった。

そういう人たちと仲良くなってわかったことは、
仲間はずれにされていたり、馬鹿にされていたり、
冷やかされていたりする人の方が、そういうことをする人たちよりも
とてもいい人だった。
自分がされたことを人にやり返したりすることも一切ないし、
なんだか純粋な感じがした。

あの出来事は、トラウマにもなったけれど、
それと同時に親友を与えてくれたし、
わたしに人を見る目も養わせてくれていた。

あの時のことにこんな意味があっただなんて。
きっと他にも気づかないだけで、そういうことがいっぱいあるんだろうなぁ…。