SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

釜石へ

2011-11-22 21:16:00 | 日記
翌朝は仙台駅からバスで釜石へ。
4時間ほどかかりますが、
着替えの場所はないので
メンバーは演奏用のダークスーツでバスに乗り込みました。



お弁当を中尊寺PAで積み込み、
車中で昼食タイムです。



12時ごろ釜石市に到着。

釜石駅の海側は大津波に全てを持っていかれ
まだ信号もなく警察官の方々が交通整理をしておられる有様です。
そして他府県ナンバーのトラックが走っておりましたが、
復興までに一体どのぐらいの時間がかかるのでしょうか?
8ヶ月経ったとは思えない状況でした。

何度か宿泊させて頂いたホテルも無残な姿。
市民会館のスタインウェイも流されたそうで
大震災を経験したはずの私も
あまりの爪痕の大きさに呆然とするばかりでした。

寶樹寺にお伺いし3曲演奏させて頂いたあとは
徒歩で10分ほどの釜石カトリック教会へ。
そしてそこでお会いしたのは
輝くばかりの笑顔で迎えて下さったエンデレル神父様。
直前までオルガンの演奏台や指揮台、
合唱団の台を手作りして下さった舟山神父様。
凛凛しいお姿に涙があふれそうでしたが、
演奏が始った途端に涙をぬぐいながら聴いて下さる皆様に
男声合唱のメンバーも歌いながら涙しておりました。

釜石のノイホフ合唱団が2曲歌って下さいましたが
その歌声の何と清々しいこと・・心が洗われるよう。
沢山の勇気と励ましを頂いたのは
私達の方だったのです。

その後エンデレル神父様による『王たるキリストの祝日のミサ』

バスまでお見送り下さった寶樹寺の舞津先生からは
74名のメンバー全員に
お手紙と絵が添えられたお土産を頂き大感動。

何と凄い方たちばかりなのでしょうか?










仙台・釜石へ

2011-11-22 16:58:18 | 日記
金曜日・・・仙台空港へ。

仙台空港が近づいてきますと、
海辺の街は姿を消し、
なぎ倒された松は
何度もテレビで見たあの日の様子を
まざまざと思い出させるものでした。


仙台司教座聖堂の正面ですが
すべての地域が復興してから最後に直すとの事です。
この教会が仙台教区のサポートセンターになっていて
全国からボランティアンの方々が来られています。



司教座聖堂前の銀杏



全国から集まったメンバーと13時半から練習開始。
休む暇もなく17時半から平賀司教様による「東日本大震災犠牲者の追悼ミサ」

19時からは追悼コンサートが行われました。