SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

剣の舞

2023-06-30 09:49:00 | 日記

「剣の舞」の連弾版
小さなお嬢さんが
練習をはじめています。

オーケストラ版を
スマホのY−tubeで
聴かせましたら
画面に食い入るように
観ていました。
練習している
メロディを
色々な楽器が
奏でるのが
面白かったようです。

   ✨✨✨✨✨

1942年に作曲された
バレエ「ガイーヌ」
ガイーヌは
主人公の女性の
名前です。


「剣の舞」は
黒海の南岸に住む
勇猛なクルド族が
出陣する時に踊る
舞曲です。

作曲者の
ハチャトゥリアンは
少数民族の
アルメニア人でした。





舞台はアルメニア。
コルホーズで
綿花を栽培している
ガイーヌと
夫のギコたちの
農場に
国境警察隊長の
カルサコフが
やってきます。

人々は歓迎しますが
ギコは密輸業者達と
国外に逃亡しようと
企てます。
自首するように促す
ガイーヌを監禁し
ギコ達は山中に
逃げますが
ガイーヌの兄
アルメンの機転で
密輸業者は
カルサコフに
とらえられ
ガイーヌを
ナイフで刺した
ギコも捕まります。

カルサコフの看病で
回復したガイーヌは
カルサコフと恋仲になり
結婚式が開かれて
さまざまな踊りで
祝福されるのです。

これは初演の時の
あらすじですが
1957年に
大幅に改訂
されました。





ローマの噴水

2023-06-29 20:42:00 | 日記


昨日も蒸し蒸しと
暑い日になりましたね。
夜は熱帯夜に
なったようですが
噴水の写真と音楽を
聴きながら
ローマを
旅行している気分です。





    ✨✨✨✨✨

1916年
イタリアの作曲家
レスピーギが書いた
「ローマの噴水」
この作品は4楽章で
構成されています。

1.「夜明けの
ジュリアの谷の噴水




2.「朝のトリトンの噴水」




3.「真昼のトレヴィの泉

4.「黄昏の
メディチ荘の噴水」



ローマの名所の
4つの時間の
噴水を描いています。

レスピーギは
古都ローマの栄光を
噴水・松・祭りという
3つの角度から描き
「ロ―マ三部作」と
しました。
この交響詩
「ローマの噴水」は
恩師リムスキー・
コルサコフゆずりの
絢爛豪華な
オーケストレーションと
ドビュッシー風の
印象主義の手法で
描かれましたが
トスカニーニの指揮で
演奏されて
真価が認められました。

ロリン・マゼール四季
(15‘56‘‘)













背高のっぽ

2023-06-28 14:29:00 | 日記

我が家の泰山木
大きくなりすぎて
花が開花しても
見ることができません
茶色に変色して
地面に落ちた残骸を
掃除するばかりでしたが、
今朝
ようやく脚立に乗ると
見える場所で
一輪開花しました。(*^^*)




杏は少し早いですが
鳥達に食べられるので
収穫しました。






カナブン達にも
分け前を。


   ✨✨✨✨✨

狂詩曲「スペイン」




エマニュエル・シャブリエ

19世紀の
フランスの作曲家で
40歳近くまで
平日はフランス内務省の
お役人で
休日に作曲するという
「日曜作曲家」でした。

1880年に
ワーグナーのオペラ
「トリスタンとイゾルデ」
聴いて
内務省を退職して
音楽の道に
専念することを
決意しました。

それから
ヨーロッパ各地を
旅行して回りましたが
1882年にスペインで
情熱的なスペイン音楽に
強烈な印象を受け
その感動をもとに
狂詩曲「スペイン」を
作りました。

冒頭は弦の
ピッチカートで始まり
タンバリンがなる
陽気で熱いスペインの
情熱的な音楽。

ちょうどその頃
フランスは
スペイン・ブー厶で
フランスを
代表する指揮者
シャルル・ラムルーにより
初演されると
大評判になり
一気に名声が
高まりました。

その後、
シャブリエは
ドビュッシーや
ラヴェルに
先がけて
近代フランス音楽に
貢献します。

彼は公務員時代から
マネ・モネ・セザンヌと
交際し
絵画のコレクターでも
ありました。

53歳で
世を去りましたので
活動した期間は
わずか14年間でした。
最後にマネの近くに
葬って欲しいと
言い残しましたが
残念ながら
違う墓地に眠っています。





梅雨どき

2023-06-27 11:26:00 | 日記

曇り空の
蒸し蒸しする毎日。

昨夜
お風呂に入ろうと
シャワー・キャップを
かぶったところ
頭からポトッと
何かが落ちました。
洗面台をみると
小指ほどのMukade君

洗面台の水を流して
いたので
あっという間に
流れていきましたが
ドキっとします。

お風呂まわりに
彼の苦手な
樟脳を置きました。

   ✨✨✨✨✨


1892年に
ドヴォルザークは
アメリカに招かれて 
ニューヨーク・
ナショナル音楽院で
教鞭を取ることに
なりました。

この音楽院は
「現代の常識」を
先取りしていました。
女性・有色人種・
身体障害者など
当時厳しい状況に
置かれている
マイノリティの人々の
支援・擁護して
いたのですが
それが
「新世界より」の
誕生のきっかけに
なるのです。

当時音楽院で
奨学金を
受けながら
学んでいた
黒人学生
ヘンリー・バーリーが
音楽院のホールを
掃除しながら
歌っていた歌が
ドヴォルザークの
耳に入ります。
彼のために
バーリーは
沢山の黒人霊歌を
歌ってみせますが
とても気に入った
ドヴォルザークは
黒人音楽とチェコの
民族音楽の融合させた
名交響曲を
誕生させました。

鉄鋼王が
巨万の富を得て建てた
カーネギーホールで
「新世界より」は
世界初演されたあと
交響曲史上まれにみる
大成功を収めますが
その後
弦楽四重奏曲第12番
「アメリカ」
チェロ協奏曲などの
人気のある作品を書いて
実り多い滞在となります。

1893年にアメリカを
大恐慌が襲い
1929年の「世界恐慌」で
ナショナル音楽院は
資金不足により
廃校となりました。





ピ―タ―と狼

2023-06-26 11:30:00 | 日記
 
1936年の春
プロコフィエフは
11歳と7歳の
息子を連れて
モスクワの
子供音楽劇場を
訪れました。

この劇場の指導者は
ナタ―リヤ・サッツという
30歳そこそこの女性で
子供たちから
「お話のおばさん」と
親しまれていました。
プロコフィエフは
にぎやかに
はしゃぎまわる子供達を
眺めていましたが
サッツから
童話による交響曲を
書いてほしいと
頼まれると大賛成。
彼は自分で台本を書き
4日後にやってきて
備え付けのピアノで
劇場のスタッフ達に
聴かせたのです。
1週間後には
ナタ―リヤ・サッツに
オ―ケストラ・スコアが
届けられました。

サッツが曲間に
ナレ―ションを
つけたことで
大人気をよび
翻訳されて
世界中に広まりました。





   ✨✨✨✨✨


≪ものがたり≫

ある朝、
ピ―タ―(弦楽四重奏)は
牧場へと
遊びに出かけました。
しかし、
門を閉め忘れたために
アヒル(オ―ボエ)も
外に出て池で
遊びはじめます。

小鳥(フル―ト)は
飛べないアヒルを
からかい、
互いに言い争いに
なります。

そこに猫(クラリネット)が
こっそりしのびよります。

ピ―タ―が
「危ない」と声をあげると
小鳥は木の上に逃げました。

おじいさん(ファゴット)は
ピ―タ―が無断で
外に出たことを知り
「狼がきたらどうする」と
叱りました。

ピ―タ―家の中に
戻りましたが、
やがて、森のなかから
大きな狼(ホルン)が
現れて
逃げ遅れたアヒルを
丸呑みしてしまいます。

門の中からこの様子を
見ていたピ―タ―は
塀の上をよじ登り、
投げ縄を狼の尻尾に
引っ掛けて吊上げ 
捕まえることに成功します。

鉄砲を打ちながら
(ティンパニと大太鼓)
狼を追ってきた
漁師たち(木管楽器)に
ピ―タ―が木の上から
「打たないで!
生け捕りにしちゃった」
と言います。

みんなで協力して
狼を動物園に
つれて行くことなり
凱旋行進です。

狼のお腹の中から
丸呑みした
アヒルの声が
聴こえてきます。

デヴィッド・ボウイの
ナレ―ションで
ディズニ―版です。




明石家さんまさん版
(4‘00‘‘)




『ロンドン』

2023-06-25 06:12:00 | 日記




ロイヤル・アスコット競馬
が開幕です。
キャスリン妃は
今年は赤のお帽子とドレス
でした。



   ✨✨✨✨✨

1790年、エステルハージ家が財政難から
宮廷楽団を解散し、
年金暮らしをしていた
ハイドンですが
有能な興業師ザロモンに
依頼されて
ロンドン公演を大成功
させます。
2回の渡英で傑作と
いわれる交響曲12曲を
作曲。
この交響曲は
「ザロモンセット」とよばれ
ロンドンで初演されました。
最後の交響曲第104番は
「ロンドン」の通称で
呼ばれています。

又、ハイドンは
1792年6月14日に
アスコット競馬を訪れ、
レ―スに興奮したことを
書き残しています。

ハイドン交響曲「ロンドン」
アンドレ・プレヴィン指揮
ウィ―ン・フィル
(9‘21‘‘)




早口言葉

2023-06-24 08:06:00 | 日記


絶頂期に引退した
美食家のオペラ作家
ロッシーニ。
1816年に発表した
「セビリアの理髪師」で
一躍有名になりました。

あらすじは
スペインのセビリアを舞台に
強欲な医師ドン・バルトロに
閉じ込められている
美女ロジーナと
彼女に恋する
アルマヴィーヴァ伯爵が
理髪師フィガロの知恵
で結ばれるまでを
描いています。

第1幕のフィガロが
登場する場面で
歌われるアリアは
トムとジェリーにも
登場しました。(笑)




このアリアは
フィガロの
コマーシャル・ソング
なのですが
最高難度の早口言葉
なのです。
バリトンのアリアでは
最難関のようで
早口に加えて
ある版では裏声を含めて
2オクターブと完全4度の
声が必要で
しかも舞台上をせわしく
動き回りながら歌います。
こんな楽しい動画が
ありました。





ダダダ・ダ−ン

2023-06-23 08:48:00 | 日記


今日はコロナ化以来の
楽しいランチタイム。

パリからの
素敵なお土産
頂きました。

   ✨✨✨✨✨

誰もが知っている
有名な曲ですが
期末試験に出るよう
ですので
楽譜を眺めながら
生徒と楽しみました。
べートーヴェンの
第5交響曲「運命」です。



「ダダダダ−ン」を
楽譜で書くと
このようになりますが
弟子のシンドラーが
「何を表しているのですか」と尋ねると
「運命が扉を叩く音」と
べ―ト―ヴェンが答えたと
伝えられています。




この曲には
ピッコロや
コントラファゴット
トロンボ―ンが初めて
使われました。

教会で神聖な楽器と
されていた
トロンボ―ンを3本
第4楽章だけに導入  
されているのです。

当時、トロンボ―ンは
聖なる教会の
音楽の伴奏用に
使用される楽器
でしたから
世俗の交響曲に
導入したことは
さぞ物議を醸したと
思われます。

指揮 カラヤン
ベルリンフィル
冒頭の3分間のみ






アンデルセン

2023-06-22 09:35:00 | 日記


「みにくいあひるの子」や
「おやゆび姫」
「マッチ売りの少女」
「はだかの王様」など
子供の頃に親しんだ
童話ですが
これを書いたのは
アンデルセン。


有名な童話ばかりですが
これらを題材にした
音楽はほとんどなく
オ―ストリアの作曲家の
アレキサンダー・
ツェムリンスキーが
1903年に
交響詩「人魚姫」を
書いているだけの
ようです。




ツェムリンスキーの没後、
楽譜が行方不明になり
演奏ができなくなり
80年間も埋もれて
いました。

彼は作曲家であると同時に
音楽教育家でもあり
のちに12音技法を創始する
アルノルト・シェーンベルク
が、彼の元で対位法を
学んでいます。
又、のちにマ―ラ―と
結婚する
アルマ・シンドラーなど
数多くの音楽家が
ツェムリンスキーに
学びました。

   ✨✨✨✨✨

「人魚姫」第3楽章
(13‘17‘‘)



魔境の開拓(笑)

2023-06-21 09:29:00 | 日記





我が家の荒庭と
隣家の境に
この時期は
大変な勢いで
竹が生い茂ります。

毎朝、少しずつ
片付けていましたが
今朝、ようやく
すっきりしました。

切ったはずの
杏の木に
実がなっています。





鳥に発見されなければ
杏酒になります。(笑)

泰山木の花も
次から次ヘと
開花中。




   ✨✨✨✨✨

世界最高峰の
オ―ケストラの
一つである
ウィ―ン・フィルハーモニーを創設したのは
作曲家の
オット―・ニコライです。





ベルリンで
作曲家ツェルターの
指導を受けて
教会音楽を学びます。

ロ―マで
教会オルガニストになり
オペラの作品も
初演されました。

1841年に転機が訪れ
活動の拠点を
ウィ―ンに移します。

ケルンナ―ト―ア劇場の
楽長を務め
宮廷楽団員達を集めて
自主演奏団体を組織し
「フィルハーモニー・
アカデミー」という名で
演奏会を開きます。
これが現在の
ウィ―ン・フィルハーモニー
管弦楽団になりました。





彼は作曲家としても
シェイクスピアの
戯曲を題材にして
「ウィンザ―の陽気な女房達」をオペラ化しています。

そのオペラの序曲を
管弦楽団創立150周年を
記念して演奏された
音源がありました。

指揮 カルロス・クライバー
ウィ―ン・フィルハーモニー
管弦楽団

「ウィンザ―の陽気な女房達」序曲
(8‘56‘‘)



アフター・コンサート

2023-06-20 11:33:00 | 日記



無事に演奏を終え
ステージを降りてきた
男声合唱の皆さまと
握手をして
健闘をたたえました。
メンバーも
高齢化したので
これだけの
大人数での演奏は
最後となります。


残念ですが
打ち上げは
失礼して
芸文の楽屋口から
新幹線乗車口まで
タクシーで。

おかげさまで
思ったよりも
早く自宅に戻り
ゆっくり下鴨茶寮の
お弁当を頂きました。

昼食の天むすは
そのまま冷凍庫へ。





シベリウスの交響曲
途中からでしたが
「クラシック音楽館」を
聴くことができました。

指揮 パーヴォ・ヤルヴィ

① 交響曲「第4番」
 シベリウス

② パガニーニの主題による       
 狂詩曲
 ラフマニノフ





③ 幻想曲
「フランチェスカ・ダ・リミニ」
 チャイコフスキー

ダンテの神曲
「地獄篇」第5歌を
題材とした交響詩です。

  ✨✨✨✨✨


パガニーニの主題による
狂詩曲

1934年に作曲された
パガニーニの主題と
24の変奏曲から成る
ピアノ協奏曲です。
この曲は夏の休暇で
訪れたスイスの別荘で
作曲されました。
第17変奏までの
鋭いイメージから一転して
第18変奏では
甘美で魅了的な旋律が
登場します。
キラキラと美しい
ビアニストさんの
音色に思わず涙。

最後の
チャイコフスキーは
圧巻の演奏。
大迫力でした。

音楽の余韻に
満たされて
夜はゆっくり
たっぷり
休むことが
できました。





終わりました。

2023-06-19 08:30:00 | 日記

久しぶりの
芸文の楽屋。





のんきに写真など
撮っていましたが
リハーサルが始まると
な、な、なんと
オルガンの担当者が
管理しているはずの
先日3時間半かけて
作り上げた
レジストレーションの
メモリーが全て消えている。

責任者は
平謝りですが
35分しか
時間がないので
リハーサル開始。

時間を延長して
15分間で
組み直しですが
果たして間に合うのか。

最初は手が震えて
いましたが
コンピュータを
信用していない
小心者の私は
ストップ全て
本番用の楽譜に
書き留めているので
なんとか完了。
確認したいけれど
時間切れとなり
開演です。

緊張のまま迎えた
本番でしたが
1箇所、直しそびれた
ところがあり
冷や汗ものでしたが
何とか無事に
終わりました。

しかし胃は
ギュッと固まったまま。
(笑)














今日は本番。

2023-06-18 08:58:00 | 日記
昨日は
梅雨の晴れ間ですが
なんと33度の
真夏日でした。







そんな暑さの中
昨日はピアノを
使用しての
ゲネプロでした。


   ✨✨✨✨✨


今日も真夏日のよう。
午前中にリハーサル。
始めて合唱団と
オルガンと合わせます。



大変な暑さですが
良い演奏会に
なりますように。




蚤のうた

2023-06-17 07:16:00 | 日記
(帝国ホテルの
シャリアピン・ステーキ)


有名なロシアの大歌手
フョードル・シャリアピン。
1936年に来日した時
歯痛で悩まされていた
彼のために
帝国ホテルのシェフが
考案したレシピなのです。





「歌の帝王」と
もてはやされいた
史上最高の
バス歌手である
彼の十八番は
ムソルグスキーの
「ボリス・ゴドノフ」
でしたが
それ以外に
彼の歌曲「蚤のうた」が
大得意でした。

原詩にない
「ハハハ、、」の
笑い声の歌詞を
シャリアピンが
歌ったことで
大ヒット
したのです。

≪蚤のうた≫

『昔、一人の王がいて
大きな蚤を飼っていた。
王はそいつを
息子のように愛していた。

ある日、
王は仕立屋を呼び
この貴公子の服を
仕立てよ
ズボンも作れと
命令する

蚤は今では
ビロードと絹の服を纏い
上着にリボンを飾り
おまけに十字架も
ぶら下げる

かくてお城の紳士淑女は
蚤の苦しみ
お妃と侍女たちは
チクリと刺されて囓られる
でも潰してはならぬ

俺たちだったらすぐ潰す
チクリと刺されりゃ
すぐ潰す』



この詩は
ゲーテの小説
「ファウスト」から
取られています。

べートーヴェン、
ベルリオーズ、
リヒャルト・ワグナー、
ブゾーニなどが
同じ題材を用いて
作曲しています。





ドン・ファン

2023-06-16 07:40:00 | 日記

昨日は
雨の予報でしたが
少し降った程度で
蒸し暑い一日でした。

   ✨✨✨✨✨


「ドン・ファン」とは
理想の女性を求めて
遍歴を重ねたとされる
17世紀スペインの
伝説の人物です。

イタリア語では
「ドン・ジョバンニ」
フランス語では
「ドン・ジュアン」

「ドン・ファン」の
あらすじは簡単で
プレイ・ボーイで有名な
貴族の男ドン・ファンが
貴族の娘を誘惑し、
その父親を殺害。
その後、
殺した父親の石像を
ふざけて宴会に
招待したところ
石像の姿をした
幽霊として現れ
大混乱になり
ドン・ファンは
石像によって
地獄に引き込まれる
いうのがあらすじです。


この伝説は西洋において
多くの音楽や文学の題材に
なりました。
モリエールの戯曲
「ドン・ジュアン」
バイロンの詩
「ドン・ジュアン」
モーツァルトのオペラ
「ドン・ジョバンニ」
グルックのバレエ音楽
「ドン・ジュアン」
などが有名です。

美男でプレイ・ボーイの
スペイン貴族の伝説に
リヒャルト・シュトラウスも
刺激を受けたようです。

1864年にミュンヘンに
生まれたR・シュトラウスは
高校在学中に
作曲を始めます。

ウィーン国立歌劇場
総監督を務めるなど
指揮者として活躍する一方
作曲家としても若い頃から
成功を収めます。
交響詩「ドン・ファン」は
初期の頃の作品です。
1889年に
初演されました。