SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

ソフトクリーム

2023-08-31 09:44:00 | 日記

午前中は健診に
出かけました。
とても空いていて
終了したあとは
にしむら珈琲で 
朝食。



ソフト・クリーム
追加です。(*^^*)



 

  ✨✨✨✨✨✨


ストラヴィンスキー作曲
「ペトルーシュカ
からの3楽章」は
バレエ音楽
「ペトルーシュカ」を
作曲者自身が
ピアノ独奏曲に
編曲したものです。

演奏は大変に
難しいですが
1曲目は
「のだめカンタービレ」で
のだめがコンクールで
演奏していました。

マウリツィオ・ポリーニ



「ペトルーシュカ」

おがくずでできた
道化人形の
ペトルーシュカが
いのちを得、
人間に憧れて
バレリーナに恋を
するという話ですが
ロシア版ピノキオと
いったところでしょうか。

  

 



気品あるピアニスト

2023-08-30 07:24:00 | 日記

今日は暑い中ですが
新大阪のB-テックまで
べーゼンドルファー・
インペリアルを
弾きにお伺いしました。





演奏後には
マリオットの
コートヤードで
簡単ランチです。



  ✨✨✨✨✨


わずか33歳で
この世を去った
ルーマニアのピアニスト
ディヌ・リパッティ。
(1917ー1950)

もし長生きしたら
今世紀最大の
ピアニストの
一人になったかも
しれないと
言われています。

神に選ばれた
天才でしたが
白血病を患ったために
演奏活動ができたのは
たったの6年間でした。

レコードで
聴くだけでしたが
物心がついて
最初に好きになった
ピアニストです。
私くらいの年配の
音楽ファンで
彼の名を知らない方は
いないかもしれません。

  ✨✨✨✨✨


1950年9月16日に
リパッティは
最後の力を
ふりしぼって
「ブザンソン告別演奏会」
を開きます。
その演奏会で弾いた
ショパンのワルツ第1番
「華麗なる大円舞曲」
この世で奏でた最期の
演奏になりました。

それから2ヶ月半後に
静かに世を去ったのです。

ショパンの
「華麗なる大円舞曲」



聴き比べ

2023-08-29 11:16:00 | 日記

シャイン・マスカットが
店頭に並びはじめ
ました。
手間いらずで美味しい
秋の味覚の登場です。

暑さは相変わらずですが
食卓には秋の気配が
感じられるように
なってきましたね。


  ✨✨✨✨✨✨


ピアノの詩人と
呼ばれるショパン。
彼の作品のほとんどが
ピアノの独奏曲です。

昨日、断崖君が
スマホを取り出し
「これが弾きたい」と
言ったのは
ショパンの
ノクターンの
第2番でした。

「ノクターン」の
創始者は
アイルランドの
作曲家でピアニストの
ジョン・フィ―ルドです。
美しい和音で
構成された
伴奏にのって
右手が静かで
抒情的なメロディを
奏でます。

ショパンは
「夜想曲」を
21曲を作曲しましたが
特に第2番はCMや
フィギュア・スケ―トで
良く使われる
ゆったりした
ワルツ風な曲は
一番愛されている
ノクターンでしょうか。

又、第20番は
「戦場のピアニスト」で
人気が高まりました。


そこでノクターン第2番の
4人のピアニストの
聴き比べは
いかがでしょうか。

①サンソン・フランソワ

②マリア・ジョアン・ピリス
 (5‘14‘‘)

③アルトゥール・
 ル―ビンシュタイン
 (9‘23‘)

④ウラディミ―ル・
 ホロヴィッツ
 (13‘59‘‘)












風変わりな将軍

2023-08-29 11:13:00 | 日記

真っ青なブル―の空が
目に染みる朝
車を走らせて神戸へ。
目の前に広がる山は
濃い緑で
まだまだ暑さが
衰える気配
ありません。




オルガンを
弾かせて頂いたあとは
出張レッスンに
お伺いしました。

遅目のランチのあと
買物を済ませて
夕方までに
高校生2人が
レッスンにやって
きましたが
テニスを終えて
現れた断崖君は
赤銅色?(笑)



   ✨✨✨✨✨



世界的に有名な
アメリカの道化師
エドワード・ラヴィーヌは
足の指でピアノを弾いたり
綱渡りしながら
ジャグル(お手玉)
するのが得意でした。

操り人形のように
しゃちこばって
動作する
この俳優は
「ラヴィ―ヌ将軍」と
名乗って
フランスで活躍しました。

彼は演技の終りに
グルっと回って
止まるのですが
ドビュシ―は
楽しい気分の曲に
仕上げました。

ドビュシ―の
前奏曲集第2巻は
全曲が3段譜で
書かれていますが、
対位法や音の層を
きわだたせる
ためなのです。







サンソン・フランソワの
(2‘45‘‘)




大気不安定

2023-08-27 06:20:00 | 日記

昨夕も6時半頃から
ピカッ ガラガラ
ドッカ〜〜ンと
にぎやかなこと。

そのうちに
ピカッ・バリバリバリバリ
ビッシャ〜〜ンと
鋭い音に変わって
バラ・バラバラと
大雨の伴奏入り。

このところ
毎日のように
大気不安定
雷雨に
見舞われています。

水撒きの必要がないのは
ラクですが
雨が降り出す前の
湿気ときたら
サウナ以上です。

  ✨✨✨✨✨

そこで
ヴィヴァルディの
「四季」より
第3楽章「夏の嵐」 

300年の時を越えて
ヴェネツィアの嵐の様子が
伝わってきます。





お口直しには
爽やかな秋の第3楽章




ヴェネツィア生まれの
ヴィヴァルディは
10歳で教会付属の
学校に入り
15歳で聖職者の道を歩み
25歳で司祭に
叙任されました。

この年に
ピエタ女子養育院の
ヴァイオリン教師に
任命されました。
この養育院は
恵まれない少女のための
施設でしたが
特に素質のある少女には
音楽を勉強する機会が
与えられていました。

ヴィヴァルディは
少女達の音楽教育や
運営資金獲得のために
演奏会用の新作の作曲に
大活躍しました。

彼が生涯に残した
協奏曲は500曲を超え
オペラも50作以上
作曲しましたが
その代表作が
「四季」ですね。



喜びの島

2023-08-27 01:58:00 | 日記
残暑厳しい一日でしたが
夕方、扉を開けると
涼しい風が入って
空には秋の雲が
広がっていました。

子供達は来週から学校です。

  🥀🥀🥀🥀🥀

ドビュッシーは
パリ音楽院で
14歳の時に
エミ―ル・デュランの
和声学(作曲の勉強)の
クラスに入りましたが
厳格な教え方で有名だった
ようです。


彼は新しい響きを教える
先生ではなく
古い規則を間違えなく
伝えるタイプだったのです。

ドビュッシーは
普通ではない音の響きを、
つまり
普通ではない音の
つなげかたについて
興味を持ちはじめて
いたので
課題はいつも
先生の赤鉛筆で
真っ赤になっていました。

それでもめげることなく
頑強に続けていましたら、
先生はついに
「すべては断固として
規則に違反している。
だが才能はある」と
言ったのです。


  ✨✨✨✨✨

「喜びの島」

ドビュッシ―の
ピアノ作品は
ピアニッシモで
消えていく作品が
多いのですが、
「喜びの島」だけは
トレモロとアルペジオが
炸裂して狂乱の
フィナーレを迎えます。

フランスの
ロココ時代の画家ワト―の「シテ―ル島への船出」の
影響を受けて
1904年に作曲されましたが
超絶技巧を要求される曲で
豊かな色彩感ときらびやかな
世界観を持つ名作です。

ドビュッシー自身、
「なんと弾くのがむずかしいんでしょう。この作品は
ピアノで演奏しうる
すべての手法の集大成の
ように思われます」と
出版社宛ての手紙に
書いています。

   🎵🎵🎵🎵🎵

マウリツィオ・ポリ―ニの
演奏です。



時の踊り

2023-08-26 10:09:00 | 日記
懸案の和室の畳を
新調することにしました。


昔ながらの採寸で
寸法をはかり
来週には新しい畳が
届きます。

ところがところが
到着した軽トラックの
前輪がパンク。

暑い中、汗だくに
なりながらの
タイヤ交換でしたが
とても礼儀正しく
爽やかな若者達で
気分の良い1日。



  ✨✨✨✨✨


美貌の歌姫の
悲劇を描いた
オペラ「ジョコンダ」は
第3幕の途中に
バレエが組み込まれて
います。

そこで演奏される
「時の踊り」。
夜明け→夕べ→夜への
移ろいを優美なメロディで
描きました。




ディズニー映画
「ファンタジア」でも
使用されました。



そして1962年に
ナンシー・シナトラが
「レモンのキス」として
ポピュラー・ソングに
アレンジして歌い、
日本ではザ・ピーナッツが
ヒットさせました。

この曲を作ったのは
アミルカレ・ポンキエッリ。
19世紀イタリアの
オペラの作曲家。
「ラ・ジョコンダ」は
1876年に書いた4幕の
オペラで
原作はフランスの劇作家
ヴィクトル・ユーゴーの
戯曲です。

ブラジルとジャズ

2023-08-25 09:21:00 | 日記

南フランスの
プロヴァンスで生まれた
ダリウス・ミヨーは
1920年代に
斬新な音楽を心みる
若い作曲家として 
プーランクらと共に
フランス6人組の
一人でした。

ミヨーは20代半ばに
友人で詩人・外交官の
ポール・クローデルが
ブラジル公使として
赴任した時、
秘書として2年間
同行しました。
この地で生活に密着した
音楽を大いに吸収して
帰ったのです。

スカラムーシュより
「ブラジルの女」

(2’18’’)



1922年には
アメリカに
演奏旅行に出かけて
本物のジャズを
ハーレムで聴き
影響を受けます。


ジャズを用いた
バレエ音楽
「世界の創造」は
ガーシュインの
ラプソディ・イン・ブルー
より早く
ニューヨークで
初演されました。

ベルリン・フィル
サ−・サイモン・ラトル
(2’54’’)




生涯に440曲もの作品を
残したミヨーですが
生まれ育った
地中海地方の
明るくて快活な音楽など
あらゆるジャンルに
わたって書きました。

ユダヤ系であったため
第2次世界大戦中は
アメリカに逃れ、
カリフォルニアで
教鞭をとります。

重症のリウマチを患い
生涯の大半を車椅子で
過ごしながら
旺盛な創作活動を
全うしました。








美しい音+耳慣れない音

2023-08-24 09:52:00 | 日記
↑(プ−ランクの生誕地


20世紀前半のパリ、
新しい芸術が
せめぎ合うように
生まれては
消えていったパリ。

生粋のパリジャンの
フランシス・プ―ランク
(1899−1963)は
「フランス6人組」として
あらゆるジャンルで
沢山の作品を書きます。
耳に馴染んだ音楽と
思わせながら
前衛を持ち込む
手法です。




敬虔な
カトリック教徒として
宗教的な題材を用いた
オペラや合唱曲などの
作品があります。

オペラ
「カルメル会の
修道女の対話」



  ✨✨✨✨✨


又、これらとは
全く違う
軽妙でオシャレな
世俗的作品を
書いていますが
親しみやすい
「動物詩集」や
朗読とピアノのための
「子象のババ―ル」は
子供向けの名作です。








真珠採り

2023-08-23 12:17:00 | 日記


「真珠採りのタンゴ」
マランド楽団



   ✨✨✨✨✨

3大テノ―ルの一人
プラシド・ドミンゴ。
美声と
舞台映えする容姿で
世界中の歌劇場で
活躍しました。

「カルメン」が
代表作のビゼ―が
25歳で書いた
セイロン島を舞台にした
悲恋のオペラ
「真珠採り」

このオペラのアリア
「耳に残るは君の歌声」が
プラシド・ドミンゴの
十八番の1曲で
「真珠採りのタンゴ」の
原曲です。








溶けそうな日。

2023-08-22 09:56:00 | 日記


今日も大変な猛暑日。
エアコンの効いた
部屋から出ると
サウナのような
湿度と蒸し暑さです。

冷たく冷やした桃も
そろそろ最後かなと
思いつつ頂いています。

  ✨✨✨✨✨


PCと格闘して
ようやく楽譜の
プリントアウトが
できましが
果たして弾けるのか。
音の数を見ただけで
呆然としています。
バッハの譜面ですが
緻密すぎる。

インクを買い足して
プリントアウトした
楽譜を前に
ため息です。

バッハが
これを書いたのは
寒い時期かな?と
勝手な想像を
巡らせています。(笑)

  ✨✨✨✨✨


こちらは打って変わって
心癒やされる
世俗カンタ―タです。




































  

猛暑の休日

2023-08-21 09:30:00 | 日記

連日の暑さの中
ピアノの先生と
可愛いい生徒さんが
訪ねて下さいました。



暑い中
立派なお花を抱えて
汗をふきふき
おいで下さり
恐縮するやら
嬉しいやら。
ありがとう
ございます。



  
  ✨✨✨✨✨✨

今夜の 
クラシック音楽館は
「夏だ!祭りだ!
N響ほっとコンサート」

1.「管弦楽のための八木節」
外山雄三

2.「夏のうたメドレー」

茶摘み→村祭り→浜辺の歌
→夏の思い出→我は海の子
→海→夏は来ぬ→みかんの花咲く丘。


3.「となりのトトロの
オーケストラスト―リ―ズ」
久石 譲


  
4.「ブエノスアイレスの
四季から」
ピアソラ作曲

5.「水上の音楽」
アラ・ホ―ンパイプ
ヘンデル作曲

6.ポルカ
「クラップフェンの森で」
ヨハン・シュトラウス作曲

7.グランドキャニオンより
「山道をいく」
グロ―フェ作曲

8.「スペイン舞曲」
ファリャ作曲

アンコ―ルは
「マランボ」
ヒナステラ

   ✨✨✨✨✨

楽器体験の動画が
ありました。




ペルシャの市場にて。

2023-08-20 08:27:00 | 日記

子供の頃に聴いた
懐かしい音楽
「ペルシャの市場にて」

20世紀前半の
イギリスで活躍した
アルバート・ケテルビーの
楽しい作品です。


中近東のある町。

ラクダの隊商が
次第に市場に
近づいてきますが
雑踏の中に
「バックシーシュ」という
叫び声が聴こえます。
「Back-sheesh Alah」
(アラーの神よ、お恵みを)と物乞いの声が合唱で
歌われます。
「Empshi」は
(あっちに行け)という
意味でしょうか。

何もわからず
高らかにうたう
お気に入りのメロディ
でした。




美しい姫君が
召使い達に囲まれて
市場に入ってきます。

クラリネットで
演奏される蛇使いや
占い師、
奇術師などの姿が
目に浮かぶようです。






大ハズレの結婚

2023-08-19 07:29:00 | 日記

音楽好きの両親のもとに
生まれたハイドンは
少年時代はウィーンの
シュテファン大聖堂の
聖歌隊で過ごしますが
変声期をきっかけに
聖歌隊をやめて
作曲の勉強を
独学で始めました。

生涯に106曲もの
交響曲を作曲した
ハイドンは
「交響曲の父」と
呼ばれています。
時代が違うとはいえ
べートーヴェンでさえ
9曲ですから
ハイドンは定年後も
バリバリ働いた
巨匠ですね。


1760年、ハイドンは
マリア・アンナ・アロイジア
と結婚します。
本当は妹と結婚したかった
のですが
修道院に入ってしまったので
仕方なく姉のマリアと
結婚したのですが
大ハズレでした。
音楽に関して
全く理解が出来ず
ハイドンの書いた楽譜を
破いて
ケーキの台紙にしたり
野菜を包んだりしていた
ようです。
高価な宝石などを
買いあさる浪費家のうえに
嫌味をよくいう
我儘な性格だったので
10年の別居生活後
離婚したようです。

家庭に安らぎを
得られなかった代わりに
ハイドンは
仕事に熱心に打込み
宮廷楽長の地位に
昇りつめます。

ハイドンの音楽が温かく
心が疲れている時にも
優しく響くのは
そんな背景が
あったからかも
しれませんね。

ハイドン交響曲
「時計」2楽章