SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

世界を二分した人気者

2024-01-31 09:33:00 | 日記


レナ―ド・バ―ンスタイン

20世紀後半の
アメリカを代表する
作曲家です。
交響曲や合唱曲、
声楽、器楽、
クラシックやポピュラーを
問わず沢山の作品を書き
世界中で活躍した
指揮者でありピアニスト
でした。

ウクライナ系ユダヤ人の
移民の子供として生まれ
文化的ではない
家庭環境でしたが
10歳からピアノ習い始め
ハ―バ―ド大学に進学。
卒業後は
カ―ティス音楽院で
ピアノ・指揮・作曲を
学びますが
この頃の興味は
指揮だったようです。



タングルウッド

マサチューセッツ州の
タングルウッドで
指揮者ク―セヴィッキ―に
認められ
ニューヨ―ク・フィルハ―モニ―の副指揮者として
招かれますが
ブルーノ・ワルタ―という
大指揮者の代役で
大成功を収め
カラヤンと並ぶ
スター指揮者となり
カラヤンと共に
世界を二分する
人気指揮者と
なりました。

レナード・バーンスタイン

ヘルベルト・フォン・カラヤン





バ―ンスタインは
指揮者を目指す
若者達に優しく
小澤征爾氏も
その恩恵をこうむった
一人でした。
タングルウッドの
講習会に参加し
ク―セヴィッキ―賞を
授与され
ニューヨ―ク・フィル
の副指揮者に就任し
バ―ンスタインの
助手を務めましたが
突然の代役で
ボストン交響楽団を
指揮して大成功を
収められます。



小澤氏はカラヤンと
バ―ンスタインの
二人に師事されたので
彼のご本には
面白いエピソードが
書いてあります。
(*^^*)

小澤征爾ホール













料理上手

2024-01-30 09:20:00 | 日記
薔薇の花
(エクセレンツ・フォン
シュ―ベルト)

   
昨日は久しぶりに
ビ―フ・シチューを
頂いて思い出したのが
グラッシュでした。




フランツ・シュ―ベルト
音楽好きの父は
学校を経営し
校内のホ―ルで
演奏会を開いていました。

母は元料理人で
家庭でも
美味しい料理を
時間をかけて
作っていました。
そんな母の姿を
見ていたから
でしょうか。
友達や仲間を呼ぶ時には
必ず自分で料理した
ようです。

グラッシュを
手間をかけて
作っていましたが
仲間達には
大評判だったようです。


美味しい食べ物が
大好きで
ワインを
飲みすぎるので肥満気味。
ついたあだ名は
「マッシュル―ムちゃん


31年の短い生涯でしたが
神々しい美しさを
表現した
作曲家でした。

クリムトが描いた
シュ―ベルト






ホ―ル練習

2024-01-29 19:24:00 | 日記

朝9時から
オルガンの
レジストレーション
でした。



今夜はオ―ケストラの
演奏会でしょうか。
ステージ上に
準備しています。

  ✨✨✨✨✨✨



遅目のランチは
東京駅で
牛頬肉のビ―フシチューと
カニクリームコロッケに
赤ワインとパンを
プラスして頂きました。




あとは新幹線で
爆睡です。💦💦

富士山が雲の中に
隠れているのを
確認して
安心して眠りました。(笑)













放浪の旅

2024-01-28 04:28:00 | 日記

今朝は早起きして
ミサのオルガンを
弾かせて頂きました。

午後はレッスンを
終えたあと
東京に向かいます。
雨の予報ですが
電車、新幹線を乗り継ぎ
ホテルまで
雨でも雪でも
濡れずに
到着予定ですが
万が一を考え
前日入りします。

  ✨✨✨✨✨


旅好きの作曲家は
サン・サ―ンス。

39歳の時に
19歳の
マリ・ロ―ル・エミリと
突然、結婚して
周囲を驚かせました。

その年の暮には長男が
2年後に次男が
誕生しました。
長男が自宅の窓から
転落死。
そして6週間後に
生後7ヶ月の次男が
病死してしまいます。

父親が早くに世を去り
母子家庭で育った
サン・サ―ンスは
フォーブル・サントノ―レ
大きなアパートに
住んでいましたが
母がこの結婚を
認めませんでした。

休暇中に
妻と旅に出ますが
突然、ホテルから
失踪してしまい
彼は2度と妻のもとに
戻りませんでした。

6年の結婚生活でしたが
その間に
オペラ「サムソンとデリラ」
で大成功をおさめ
「動物の謝肉祭」や
「交響曲第3番オルガン付」
大作を書いています。

母親が世を去ると
パリの住宅をたたみ
14年間にわたる
放浪の旅に出ました。

カナリヤ諸島や
スペイン、セイロン、
マルタ島、北アフリカ、
スイスなど
外国を旅しながら
ホテルで作曲し
哲学論文などを
執筆していました。

「動物の謝肉祭」より
「水族館」









2刀流

2024-01-27 08:34:00 | 日記

寒さは
少し緩みましたが
寒い日には
ホット・チョコレ―ト。
板チョコを削って溶かし
ミルクたっぷりで
頂きます。


   ✨✨✨✨✨


ハンガリーを代表する
音楽家のバルト―ク。




父は校長で
熱心なアマチュア音楽家
でした。
母はピアノ教師で
幼い頃から
音楽に慣れ親しんで
いましたが
早くに父が世を去り
女手一つで
子供を育てることに
なります。

しっかりものの母は
学校教師として
赴任先を転々として
現在のウクライナ西部に
移ります。
この街でピアノを教えて
子供を養いました。

9歳のバルト―クに
ピアノの
手ほどきをした母は
バルト―クを
本格的に音楽家に
育てようと決心します。

演奏会にデビューさせ
成功を見届けたあとは
スロヴァキアの首都
プラチスラヴァに
移り住みます。
良い教師に恵まれ
演奏活動で
舞台度胸を磨き
音楽修行を積みました。

17歳の冬に
ブタペスト王立音楽院入学
母の元を離れて
新たな勉強の場へと
旅立ちましたが
ステージ・ママの
ピアノ教育は素晴らしく
国際コンク―ル2位の
経歴を手にします。
1位は20世紀最大の
ピアニストの
バックハウスでした。



ピアノ曲
「アレグロ・バルバロ」




\(^o^)/)

2024-01-26 13:08:13 | 日記

断崖君、
本番5日前に暗譜
できました❗
はじめての快挙。(笑)


  ✨✨✨✨✨

高校の「音楽会」

断崖君
ソロを弾けば良いものを
突然、友達5人と
アンサンブルを
することになり
曲目変更。

「こんなダサい曲」
むくれていましたが
友人達のために 
一念発起したかな?
先週まで片手で
ハラハラでしたが
昨夜は暗譜で
きれいに弾き
ご満悦でした。(*^^*)


もう一人のお嬢さんは
月光ソナタの3楽章を
弾くことになりましたが
本番が近づくにつれ
とても緊張しています。

A Whole New World
「アラジン」




べ―ト―ヴェン
「月光ソナタ」3楽章



楽しい良い時間に
なりますように
願っています。





名教師

2024-01-25 09:01:00 | 日記


ドイツ北部の
ハンブルクで生まれた
ブラ―ムス。
父はオ―ケストラの
コントラバス奏者でした。

7歳のブラ―ムスを
ピアノ教師の
オット―・コッセルの
ところに連れて行きます。

メキメキと腕を上げた
ブラ―ムスは
10歳で公開演奏会に
デビューします。
その客席にいた
アメリカ人の
興行師の目にとまり
アメリカ演奏旅行を
持ちかけられますが
実のところは
神童の見世物興行
だったのです。
師のコッセルは
この計画に
ストップをかけ
父の野望を
思いとどまらせます。



優れた教師のおかげで
音楽とじっくり取り組む
大器晩成の大作曲家と
なりました。



ブラ―ムスの母が
よく作っていた
ザルツブルガ―ノッケル
(ザルツブルク風スフレ)



自己流

2024-01-24 08:54:00 | 日記

甘いものが
好きなワグナー。
バイエルンの
ババロアです。


ほとんど独学で
音楽の勉強をはじめた
ワグナー。
正式な技術を
身につけることは
ありませんでした。

人から言われたり
決められたことを
やることが大嫌いで
ピアノは幼い頃に
自己流でマスターし
ピアノ教師が
正確な指使いを
教えようとしても
絶対に従わない
頑固ものだったようです。


職人的な技術を
持たなかった故に
無謀ともいえる
常識外れの作品を
次々と書きあげます。

才能があったのは
確かですが
バイエルン国王から
お金を引き出すことも
天才的で詐欺師の
ようでした❗
国王は
約9億近いお金を
ワグナー
一人のために
使いました(゚∀゚)

ワグナーが設計した
バイロイト祝祭劇場









出発は人形劇

2024-01-23 09:41:00 | 日記

「Sound of music」の
人形劇のシ―ン。
楽しそうでしたね。



ワグナーは1811年に
ドレスデンに引っ越して
ここでアイドルに
出会います。

カルル・マリア・フォン・
ウェ―バ―。

9歳のワグナーは
ウェ―バ―の歌劇
≪魔弾の射手≫に憧れ
自己流の指使いで
ピアノを弾き 
人形芝居のセットを
見つけて
10歳の時には人形劇を
書き上げます。

12歳になると
学校の友人達と舞台を
手作りして
見よう見まねで
≪魔弾の射手≫を上演
しました。

その後、芝居への情熱が
高まって行き
オペラを総合プロデュースし
楽劇を創始するのです❗

タンホイザー序曲
ベルリン・フィル
指揮アンドリス・ネルソンス






まったり。

2024-01-22 09:41:00 | 日記

忙しい週末でしたので
クラシック音楽館を
楽しみに待っていました。


リストの
「ハンガリー幻想曲」は
大学卒業後の
若かりし頃
初めて
大フィルと共演した
懐かしい曲です。

又、ハ―リ・ヤ―ノッシュも
ツィンバロンとピアノの 
両方を
フェスティバル・ホ―ルの
大フィル定期演奏会で
弾かせて頂きましたが
ステージで弾いたものには
特別な思い入れが
あります。

指揮 ゲルゲイ・マダラシュ




①バルト―ク
「ハンガリーの風景」

②リスト作曲
「ハンガリー幻想曲
ピアノ 阪田 知樹

③ コダ―イ作曲
「ハ―リ・ヤ―ノシュ」

  ✨✨✨✨✨


オペラ・シティ
タケミツホ―ルでの
①フォーレ作曲
バイオリン・ソナタ第1番を
聴きました。

②モ―ツァルト
「ロンド」
打って変った音色に
思わず聴き入りました。

③フォ―レ
「子守歌」
フォ―レらしい
やさしい音色の
美しい曲。


ヴァイオリン
ギル・シャハム
ピアノ
江口 玲

素晴らしい演奏の
おかげで
熟睡することが
できました。
(*^^*)



雨の東京

2024-01-21 21:46:54 | 日記

昨夜は練習を終えて
ホテルに戻り
日にちが変わって
就寝したにも
かかわらず
なんと5時半に
雨の音で
目が覚めました。

雪は免れましたが
今朝は大雨です。

ホテルは
新宿ですが
全く濡れずに
どこにでも
行くことが
できるのでも
便利です。
自宅まで傘無しで
帰れるかな?

富士山は
雨で見えないので
心静かです。(笑)


名古屋を過ぎると
晴れ間が見えました。







演奏会。

2024-01-20 09:49:00 | 日記

昨日は
教会のパイプオルガンを
弾かせて頂きました。


フランス製の
新しいオルガンで
とてもコンパクトで
さまざまな
工夫がこらされています。
上鍵盤は
引っ張り出せるように
なっていて(゚∀゚)
フル・オルガンに
なりますが、、。

思いがけない操作に
本番までに
間に合うかな?









今日は
ハ―ドな一日に
なります。

午後本番を終えたあと
移動して 
夜にもう一つの本番の
リハ―サルです。

昨日の暑さ?とは違い
気温はぐっと
下がりました。
もしかして雪かも。


東京へ。

2024-01-19 11:08:00 | 日記

今朝は早くに
東京に向かいます。
晴れや雪の予報に
着るものに
悩んでいます。

車内販売は無いので
飲みものを購入。
お弁当は吉野の
お寿司にしました。





   ✨✨✨✨✨

昨日の
クラシックTVは
フランスの
作曲家フォ―レでした。

子供の頃から
レクィエムが
一番好きです。
何度聴いても
弾いても
心が落ち着く曲です。

ラシ―ヌ讃歌は
オルガンの出番は
ありませんが
レクィエムと一緒に
演奏することが
多いです。











まるで天使

2024-01-18 11:20:00 | 日記

沢山の作曲家を
拝見していますが
肖像画や写真を
載せたくないかな。(笑)

西洋の方々は
若い頃は
天使のように
可愛らしいのですが
年を重ねるにつれ
容貌は大変化。
リストも
中年以降の肖像画は
威厳はあるけれど、、、。💦

そんな作曲家の中で
イケメンだったのは
ベンジャミン・ブリテン
(1913−1976)
でしょうか。



イギリスを代表する
作曲家で
子供達のためには
健康で明るい音楽を
残しました。
「青少年のための
管弦楽入門」や
「クリスマス・
キャロルの祭典」

この曲はクリスマスの
伝統的な歌で
イギリスの子供達は
この歌を歌って
お小遣いをもらうのです。






ベンジャミン・ブリテン
という名の
薔薇の花
がありました。



また、1984年には
アメリカの
アリゾナ州にある
ロ―ウェル天文台の
エドワード・ボ―エルが
自ら発見した小惑星に
「ブリテン」の名を
付けました。





小麦粉?

2024-01-17 09:16:00 | 日記

寒い毎日は
朝起きると
温かいシチューや
ス―プなどを
せっせと
作るのが楽しみで
副菜の用意もして
おきます。


   ✨✨✨✨✨



ザルツブルク生まれの
モ―ツァルト。

父レオポルドは
ザルツブルクの
宮廷作曲家で
ヴァイオリストでした。

姉のナンネルによると
モ―ツァルトは
4歳の時に父から
鍵盤楽器を
習い始めたようです。

は現役の演奏家で
売れっ子の作曲家
大ヒット教則本を書く
教育家でした。
ナンネルや
モ―ツァルトのために
≪ナンネルの音楽帳≫という
楽譜集を作っていました。

幼いモ―ツァルトにとって
楽しみだったのは
父の稽古が
「遊びがてら」で
始まったことでした。

父の音楽帳への
書き込みや
ナンネルの回想によると
5歳のモ―ツァルトは
くつろいだ雰囲気の中で
30分くらいで新曲を
たやすく弾けるように
なったようです。

6歳の時には
ハプスブルク家の宮廷で
ピアノを演奏しましたが
その時の絵があります。

エドゥアルド・エンデル作




そのご褒美には
マリア・テレジアから
大礼服を与えられましたが
その時の様子を
ピエトロ・ロレンツォ―ニが
描いています。
 


当時、正装の時には
かつらをつける
しきたりがありました。
そのかつらは
真っ白でなければならず
白さを際だたせるために
小麦粉を頭に
振る人もいたそうです。(笑)