SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

3年ぶりに。

2022-10-31 22:10:00 | 日記
コロナ化で開催することが
できなかった教会コンサート
が実現できそうです。
オルガンの様子を
見に伺いましたら
今夜はチェロとチェンバロの
コンサートのようで
楽器が搬入されて
いました。




   ✨✨✨✨✨

チェンバロを現代に
蘇らせた大功労者の
ワンド・ランドフスカ
(1879ー1959)は
7月5日にポーランドの
ワルシャワに生まれました。
恵まれた家庭で
4歳からピアノを習い初め
ました。
1898年にベルリンに留学。
1900年にパリに移り、
スコラ・カントルムで
ピアノを教え始めます。
同郷のヘブライ民族研究家のアンリ・ルーと
21歳で結婚。

1906年より、
チェンバロ普及活動を
始めました。
ある演奏会で4歳年上で
ストラスブール大学神学科の
アルベルト・シュバイツァー
と出会います。
彼はすでに素晴らしい
オルガニストでした。

1912年に自身の設計による
プレイエル社製の
大型チェンバロを
バッハ音楽祭で演奏し
大反響を得ます。

1923年、4台のプレイエル・
チェンバロと共に
アメリカに渡って、演奏会を
開き、ビクターで録音を
行います。
そしてストコフスキー指揮の
フィラデルフィア管弦楽団と
共演しました。

1949年、70歳から
「平均律曲集」の録音を
始めます。

1959年、コネチカットの
レイクヴィルの自宅て永眠。

ランドフスカは晩年まで
病気らしい病気もせず、
自然の中で存分に
チェンバロを奏で
散歩を好み、
食事の前に、
甘みと香りの強い
ベネディクティン酒
を嗜んだあとに、
ステーキとサラダにフルーツ
という若い頃からの
メニューを亡くなる直前まで
続けていたようです。

  ✨✨✨✨✨

バッハ チェンバロ協奏曲
第5番 (10’19")




ランドフスカの
平均律第1巻の5番です。
(3’09")





日本に生まれて。

2022-10-30 22:59:00 | 日記







お鮨や季節の和食などを
頂く時は
日本に生まれて
しあわせと感じる
瞬間です。


  ✨✨✨✨✨✨


子供の頃から
ヨーロッパの作品ばかりを
弾いていましたが、
音楽から離れていた時期に
日本人の作曲家の方と
出逢いました。

日本の風景や
日本人の心情を
音にしていく作業は
深い喜びがあり、
又、それを聴いて頂き、
御一緒に演奏させて
頂けることは、
何にも代えがたい
貴重な時間でした。
先生が世を去られて
22年が過ぎて
しまいました。


 
 







産声とラの音。

2022-10-29 22:12:00 | 日記



今日も少し肌寒い位の
秋晴れのお天気に
なりましたが、
紅葉はまだまだ先の
ようです。

ティー・タイムには
熱いお茶を淹れて
ダニエルの可愛い
クッキーを頂きました。




  ✨✨✨✨✨


弦楽器と合奏する時、
何も考えずにラ(A)の
を出すのは、
長い間の習慣になって
いましたが、
何年も前にNHKが、
人間の産声を集めて
調べた結果、それが
ラ(A)の音だったことを
ある本で知って
吃驚しました。
(゚∀゚)

今のピアノは440ヘルツから
442ヘルツで調律されて
いるのですが、
NHKラジオの時報も
440ヘルツ。

バッハやモ—ツァルトの
時代に比べると、
今の時代の音は全体に
高くなっていますが、
時代の流れと共に、
早いテンポと緊張感が
要求されて、
音の高さも上がって
きているようです。

しかし世界中の
全ての人が出すことが
出来る声が
楽器の音合わせに
使われていると知って、
吃驚するやら、
嬉しいやら、、、、。


どおりでオ—ケストラの
チュ—ニングが
大好きで、
心が踊る理由がわかった
気がしたのです。\(^o^)/



生まれたばかりの孫の
写真です。

   🥀🥀🥀🥀🥀

オ—ケストラの
チュ—ニング。



チュ—ニングだけでは
さみしいので
モ—ツァルトが
亡くなる年に書いた
Abe verum corpus」
です。
わずか46小節の
混声合唱のための小品ですが
お時間がおありでしたら
どうぞお聴き下さいませ。








追いかけっこ

2022-10-28 22:46:00 | 日記


今日も秋晴れの気持ちの
良い日でした。

ご近所のお宅の
ブーゲンビリアが
ぐんぐん伸びて見事です。

  ✨✨✨✨✨✨

小さな方が名曲アルバム
プラスというDVDを
持ってきて、
貸してくれました。(*^^*)
「白鳥の湖」や
パッヘルベルのカノン」を
弾いてみたいそうです。


   🥀🥀🥀🥀🥀

カノンを書いた
ヨハン・パッヘルベルは
(1653ー1706)
バロック期に活躍した
ドイツの作曲家で
オルガン奏者で、
バッハにも大きな影響を
与えました。

カノンとは同じ旋律を
時間をずらせて重ねていく
もっともシンプルな
複音楽です。

パッヘルベルのカノンは
3つの声部が、
2小節の優雅な主題を28回
まったく同じ間隔で
繰りかえして、
追いかけていく
代表的なカノンで、
特徴はチェロ奏者が
低音部を、
チェンバロ奏者が
適切な和音をつけて
演奏します。

パッヘルベルのカノンの
世界的なヒットは
1968年にパイヤール
室内楽団が演奏し、
それをレコード録音
してからでした。





パッヘルベルのカノン
(2’35")




バッハの14のカノン

(パッヘルベルより
複雑ですが、1’47"位から
素敵になりますからぜひ。)
(4’57")





それでは良い週末を
お過ごし下さいませ。



お米で作ったお菓子

2022-10-27 22:41:00 | 日記
今朝は若いお客さまが、
いらして下さいましたが
お話が楽しくて
すっかり時間を
忘れていました。🥀




お土産に芦屋の
パヴェアルチザンの
お菓子を頂戴致しました。
グルテンフリーの
お米で作ったお菓子です。




   ✨✨✨✨✨

今夜のクラシックTVは
清塚信也氏の
ショパンの名曲の
数々でしたね。
最初はノクターンのOp9-2
の演奏から始まりました。
ショパンは20曲以上の
ノクターンを作曲
しましたが、
ノクターンを最初に
書いたのは
アイルランドの
作曲家・ピアニストである
ジョン・フィ—ルドで、
彼は18曲ほどノクターンを
作曲しています。
これはジョン・フィールドの
楽譜です。



ノクターンはラテン語の
「nocturnus」からきた
フランス語で、
日本語では「夜想曲」と
訳されています。

フィ—ルドが創始した
ノクターンは
ショパンにより
更にロマンチックな
楽曲になりました。

好きなノクターンは
色々ありますが、
先ずは甘美な第1テ—マ、
第2テ—マの重音が
対照的で、コ—ダも明るく
希望に満ちたOp27no.2です

お時間がおありでしたら
どうぞお聴き下さいませ。


独奏 ルービンシュタイン
(6’08")




4分33秒

2022-10-26 21:11:00 | 日記

毎日、スマホから
更新していますが
先週の木曜日、
記事を書いたあとに
youtubeを
貼り付けようとすると
記事が全て消える不具合が
起こっていました。

先ほどGooブログからの
記事を発見。
アプリをバ—ジョン・アップ
しましたら、
元に戻りました。

そろそろ機種変更かと
色々調べていたのですが、
まだ使えそうです。(*^^*)







   ✨✨✨✨✨✨



アメリカ前衛音楽の作曲家
ジョン・ケ—ジは
何が何だか理解しがたい
音楽を書きました。

題名だけは良く知られて
いるのが、
1952年に書かれた
「4分33秒」という
ピアノ曲です。

この曲は演奏者が舞台に
登場してから、
楽器を前に何もせずに
過ごし、
4分33秒が経過してから
舞台を退場するのですが
「演奏はいつ始まるの?」
「何も弾かないの?」など
ピアニストの異常な行動に
聴衆はひそひそ声や
隣の人の呼吸する音、
身じろぎして椅子のきしむ音
などを聴くことになります。
ケ—ジはそれも音楽と
みなしたようです。

音のない「4分33秒」にも
楽譜は存在していて
3楽章で構成されています。




「4分33秒」は初演時に
ピアニストによって
演奏されたために
ピアノ曲とみなされる事も
ありますが、
オ—ケストラの演奏も
可能です。

  
  ✨✨✨✨✨✨


ベルリン・フィルハーモニー
の「4分33秒」です。
指揮キリル・ペトレンコ







ジョン・ケ—ジの
実験音楽は「禅」などの
東洋思想の影響を受けて
いるようです。


 映画やCMで流れる名曲。

2022-10-25 22:12:00 | 日記
「カルミナ・ブラ—ナ」は
1803年に、ドイツ南部の
バイエルン州にある
ベネディクト会ボイエルン
修道院で発見された
詩歌集です。



ドイツの作曲家である
カ—ル・オルフ
(1895—1982)が
この詩集の中から
24篇を選び、作曲した
世俗カンタ—タは
1937年にフランクフルト
歌劇場で初演され
大成功を収め、世界中に
知られるようになりました。

少年合唱、ソプラノ、
テノ—ル、バリトンの
ソリストに大規模な
オ—ケストラの大編成で
演奏時間は約1時間です。

特に導入曲の
「おお、運命の女神よ」は
ドラマや映画、アニメ、
ゲームなどや、
スポーツ番組でも
使われていて、
聞き覚えのある作品では
ないでしょうか。

ロンドン・フィルハーモニー
交響楽団。
「おお、運命の女神よ」
の最後の部分です。
(2’48")



神業!

2022-10-24 22:21:00 | 日記
オ―ケストラのうしろで
最低声部を受け持つ
コントラバス。
唸るような音を響かせる
楽器です。

1941年、ロスアンジェルスに生まれた
ゲイリ―・カ―氏(80歳)

バ―ンスタインが主催する
「ヤング・ピ―プルズ・コンサ―ト」で
チェロの名曲「白鳥」を
弾いてセンセ―ションを
巻き起こしました。

カ―氏の家系は
代々コントラバス奏者で
彼も子供の頃から
当たり前のように
コントラバスを始めました。

以前はコントラバス奏者が
リサイタルを開くなど
考えられなかったのですが
彼はソロ楽器としての魅力と可能性を伝え続けて
おられるのです。

どこのオ―ケストラにも
所属せず、
ソロ活動だけで生計を
立てた初めての
コントラバス奏者です。

2001年に引退されたあとは
後進の指導に専念されて
います。


ドヴォルザ―クの
チェロ協奏曲を
朝比奈隆指揮
大阪フィルハーモニー
交響楽団との
ライブ録音で
発売されています。


黒柳徹子さんと
懐かしい芥川也寸志氏。





さむ〜いゆめ。

2022-10-23 23:11:00 | 日記
昨夜は寒くて
目が覚めたのですが、
すぐに睡魔に襲われ
寝入ってしまいました。
朝、起きると胸がゾワゾワ。

風邪気味のようで
ギョッとしましたが
外出は止めて
薬を飲んで、
昼寝をしましたら
スッキリ目覚めて
ヤレヤレでした。

寒暖差の大きな
毎日ですので
どうかお気をつけて
お過ごしくださいませ。

   

  🍁🍁🍁🍁🍁

今夜のクラシック音楽館は
2022セイジ・オザワ
松本フェスティバルです。
シャルル・デュトア指揮。

①武満徹 「セレモニアル」
 
②ドビュッシ―
管絃楽のための映像

③ストラヴィンスキー
「春の祭典」

   🥀🥀🥀🥀🥀

「春の祭典」
ストラヴィンスキーが作曲し
1913年にパリの 
シャンゼリゼ劇場で
初演された伝説の
バレエ音楽です。

パリにロシアから
バレエ団を率いて
やってきたのは
ディアギレフでした。
同じくロシアの
バレエダンサーである
ニジンスキ―が
振り付けをし、
超人的な業で神秘的な
舞を見せたそうです。


20世紀音楽史上最大の
スキャンダルと言われた
この初公演は、
耳慣れないリズム、和音、
旋律、見慣れない踊りの
オンパレードで、
聴衆は大騒ぎ。
怒号が聞こえ、
ついには
観客同士のつかみ合いが
始まりましたが、
そんな中でダンサ―達は
踊り続けました。

初演の大騒ぎが宣伝効果に
なったのでしょうか。
2回目の公演は満席、
続く公演でも反対派は
次第に少なくなり、
ブ―イングはブラボーに
変わっていきました。

今ではすっかり
クラシックの
古典になっています。





演奏会の最後に
小澤征爾氏が
車椅子で登場されました。

観客は総立ちで
拍手しています。



秋の空

2022-10-22 22:03:00 | 日記
曇りの朝でしたが
お昼すぎには
陽が射してきました。

秋の空は雲が美しく、
見飽きることが
ありません。


   ✨✨✨✨✨


先日、来年の5月6日に
英国のチャ―ルズ国王の
戴冠式がウェストミンスターで行われると
発表がありました。


   ✨✨✨✨✨


1788年、
モ―ツァルトの作品の中で
最後から2番目に
ピアノ協奏曲「戴冠式」が
書かれました。
モーツァルトは生涯に
沢山のピアノ協奏曲を
書きましたが、
この作品は、
前作から1年以上もの
間があいて
書かれたものです。

モーツァルトは、
ウィーンに来た頃から
予約制の演奏会をたびたび
開催していましたが
1782年から1785年までの
最盛期の予約はあっという間
に満員になっていました。

ところが晩年には
予約の名簿を回しても、
ひとりしか名前が
ないこともあり、
1787年には、
一度も演奏会を
開くことが
できませんでした。

追い打ちをかけたのが
1788年に勃発した
オーストリアとトルコの
戦争でした。
これによってウィーンの
音楽文化は大きな打撃を受け
ようやく初演されたのは、
1789年になってからでした。



「戴冠式」の愛称は
1790年に行われた
神聖ローマ皇帝
レオポルド2世の戴冠式の
祭典で演奏されたことに
由来します。


自筆譜は、多くの部分で
ピアノ独奏の左手が
書かれていません。
モーツァルトは
即興的に左手のパートを
弾いていたようです。

未完の左手は、
モーツァルトの没後、
1794年に初版された際、
出版者のヨハン・アンドレに
より補完されたのです。
  

  ✨✨✨✨✨


この曲は小学6年生の時に
BK(NHK大阪放送)の
オーケストラと弾かせて
頂いた懐かしい曲ですが
左手が補完だったことは
全く知りませんでした。
(゚∀゚)
   

   ✨✨✨✨✨


内田 光子氏
「戴冠式」(32’43")



小さなお祝い会

2022-10-21 21:10:00 | 日記
昨日、べ―ゼンドルファ―を
弾かせて頂いたあとの
ランチは、
お祝い会になりました。

   🍾🍾🍾🍾🍾



シャンパンで乾杯のあと
は秋の和食です。

先付


土瓶蒸し



お造り二種



鱧と松茸の玉地蒸し、銀杏。


組肴




焼皿
サ―ロイン炭火焼


止鉢
鯛と茸の御飯、赤出汁




あらっ!
まぁ可愛いブ―ケ。
皆さまのお祝いなのに何故?
素敵なサプライズに大感激
でした。


デザートと美味しいコ―ヒ
を頂き、しあわせな時間を
過ごさせて頂きました。

梨、葡萄、芋餅のぜんざい








昨夜は入らなかった画像、
時間がかかりましたが
ようやく何とか、、、。

残念ながらyoutubeが
入りませんので
今日はここまでで
失礼致します。






未完成

2022-10-19 21:40:00 | 日記
秋晴れの爽やかなお天気。
街に出ましたら
ハロウィンであちらこちらに
カボチャです。🎃


  ✨✨✨✨✨✨

世界で三大人気の交響曲は
①べ—ト—ヴェンの「運命」

②ドヴォルザークの
「新世界」

③シュ—ベルトの
「未完成」のようです。

   🎶🎶🎶🎶🎶

世渡り下手なシュ—ベルトは
親に倣い、
教職に就いたものの、
いつも頭の中に音楽が
湧き上がってくるので、
書き留めるのに忙しくて
授業にならず、
クビ同然で教師を辞める
ことになりました。
そのまま一生
失職してしまい、
どん底といってよいほどの
貧乏な生活だったようです。

   🎶🎶🎶🎶🎶

シュ—ベルトは9つの
交響曲(1曲は消失)を
作曲しましたが、
彼が生きているあいだに
公開の演奏会で演奏される
ことは一度もありません
でした。

又、「ドイツ歌曲の王」と
呼ばれるほど、人々から
愛され親しまれている
歌曲を603曲も作ったにも
かかわらず、
駆け引きの出来ない性格故に
経済状態は全く良くならず、
家はおろか、ピアノも
持てなかったようですが、
音楽好きな友人達にいつも
支えられていたようです。


この「未完成」が
陽の目を見たのは、
シュ—ベルトが31歳の
若さで世を去ってから
37年も経っていましたが、
今では世界中で愛され
奏でられる名曲に
なりました。

特にロマンチックな
2楽章は絶品で、
天上の花園を
思わせるような
美しさです。


シュ—ベルト
「交響曲第8番ロ短調
未完成。

レナード・バ―ンスタイン
(26’43")



なつかしいCM

2022-10-18 22:59:00 | 日記
ことのほか暑かった
今年の夏、
一番良く飲んだお酒は
ウィスキーの
オン・ザ・ロックです。




昔、懐かしい
ウィスキーの
CMがありました。


ヘンデルの作曲した
オペラ「セルセ」の
第1幕の冒頭のアリア、
「オンブラ・マイ・フ」
(なつかしい木陰)で
オンブラとは陰のことですが
キャスリーン・バトルの歌は
人気のCMになりました。


ペルシャ王のクセルクセスが
「いとしく愛らしい緑の木陰
がこんなにも甘美であった
ことはない」と歌います。
この曲はヘンデルのラルゴ
とも呼ばれて有名ですが、
Largo(ラルゴ)は、
英語ではLarge(ラージ)
「ゆるやかに」ではなく、
「大きく、広々とした」と
いう意味なのです。


もともとは「カストラート」
という、去勢することで
ボーイソプラノのような
声を持つ男性歌手のために
書かれましたが、
現在はおもにソプラノ歌手に
よって歌われています。

キャスリーン・バトルの演奏

①「オンブラ・マイ・フ」

②カルミナ・ブラーナより
「イン・トゥルティーナ」

③シューベルト
「夜と夢」が入っています。

(8’34")




残念ながら。

2022-10-17 23:11:00 | 日記
小雨の降る中、
買い物に出かけましたら
ハロウィンの飾り付けで
にぎやかでした。



実は先週、主人の命日
でしたのに、コンクールが
気になっていて、
忘れていたのです。

   💦💦💦💦💦

とても怖がりですので
一人暮らしなど、
とても考えられ
なかったのですが
不思議なことに、
姿が見えなくなってから、
毎日、見守られているという
安心感があるのです。
おかげさまで、
あっという間に
17年目を迎えました。

喧嘩もしましたが、
今は良い思い出しか
残っていなくて、
感謝の毎日です。


  

   ✨✨✨✨✨

昔、義父が旅立った時に
家族3人で千里と芦屋を
往復していましたが
車中でヴァイオリン協奏曲
良く聴いていました。
ブルッフもその中の1曲で
とても懐かしいです。

ブルッフはドイツ生まれの
作曲家・指揮者・教育者
でした。
「ヴァイオリン協奏曲1番」
は3楽章で構成されて
いますが、
1楽章、2楽章は切れ目なく
演奏されます。
彼の作品はメロディーの
美しいことで
定評があります。
特に2楽章のアダージョは、
独奏ヴァイオリンが
ことのほか
美しいメロディー
奏でます。

1910年、72歳になった
ブルッフに、
24歳の山田耕作が
弟子入りします。
この年に彼はベルリンに
留学したのです。
リヒャルト・シュトラウス
に師事したかった
ようですが、
授業料があまりにも
高かったので、
あきらめざるを
得なかったのです。

  🍁🍁🍁🍁🍁

残念ながらyoutubeが
どうしても入りませんので
今夜はあきらめる事に
いたしました。