ジョ―ジ・ガ―シュイン(1898―1937)
1920年から30年にかけて
「キング・オブ・ジャズ」の
異名で絶大な名声を誇った
ポ―ル・ホワイトマン。
当時、売れっ子だった
ガ―シュインを
捕まえるために
ホワイトマンは
ある日の新聞に
いきなり広告をだして
「現代音楽の実験」のために
「ガ―シュインが
ジャズ協奏曲を作曲中」と
発表したのです。
↓
1924年1月4日付の
ニューヨーク・
トリュビューン紙を
彼の兄アイラが
見つけました。
奇抜で強引な
オファ―に
吃驚した
ガ―シュインでしたが
さまざまな
アィディアが
浮かんでいた彼は
俄然やる気を出して
取り組みました。
冒頭の
クラリネット・ソロが
はじまると
客席は釘付けに
なりましたが
クラリネット奏者が
遊びで吹いていたのを
ガ―シュインが
気に入って
採用したのです。
ピアノの楽譜は
真っ白なままな部分が
あったようですが
ガ―シュインが即興で
乗り切りました。
ホワイトマンは
指揮しながら
涙を流し
どうやって指揮したのか
覚えていない
ほどだったのです。
ジャズとクラシックが
融合した新しさに
世界中のオ―ケストラで
演奏される
超人気作品に
なりました。
1937年
38歳の若さで
世を去りましたが
総資産は
約8億6000万
だったようです。