SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

奇抜なオファ!

2023-11-30 09:02:00 | 日記


ジョ―ジ・ガ―シュイン(1898―1937)



1920年から30年にかけて
「キング・オブ・ジャズ」の
異名で絶大な名声を誇った
ポ―ル・ホワイトマン。




当時、売れっ子だった
ガ―シュインを
捕まえるために
ホワイトマンは
ある日の新聞に
いきなり広告をだして
「現代音楽の実験」のために
「ガ―シュインが
ジャズ協奏曲を作曲中」と
発表したのです。
 ↓



1924年1月4日付の
ニューヨーク・
トリュビューン紙を
彼の兄アイラが
見つけました。

奇抜で強引な
オファ―に
吃驚した
ガ―シュインでしたが
さまざまな
アィディアが
浮かんでいた彼は
俄然やる気を出して
取り組みました。

冒頭の 
クラリネット・ソロが
はじまると
客席は釘付けに
なりましたが
クラリネット奏者が
遊びで吹いていたのを
ガ―シュインが
気に入って
採用したのです。

ピアノの楽譜は
真っ白なままな部分が
あったようですが
ガ―シュインが即興で
乗り切りました。

ホワイトマンは
指揮しながら
涙を流し
どうやって指揮したのか
覚えていない
ほどだったのです。



ジャズとクラシックが
融合した新しさに
世界中のオ―ケストラで
演奏される
超人気作品に
なりました。

1937年
38歳の若さで
世を去りましたが
総資産は
約8億6000万
だったようです。









女王さまに献呈

2023-11-29 08:56:00 | 日記

バッハ・ヘンデルに
影響を与えた
アルカンジェロ・コレルリ(1653−1713)

ローマを拠点に
長く活動した作曲家
コレルリは
史上初の
ヴァイオリンの名手で
作曲家でした。

27歳の時に
≪トリオ・ソナタ集≫を
出版して
当時仕えていた
スウェーデンの
クリスティーナ女王に
献呈します。
クリスティーナ女王は
型破りな人物で
男装を好み
勉強好きで聡明
政治的な手腕をを
発揮しました。
20代で
突然退位して
国を出てしまいます。
旅の途中に
プロテスタントから
カトリックに改宗して
ローマに居を定めて
以後
音楽家や芸術家たちを
庇護しながら
気ままに
生活していました。

楽譜の中央に
クリスティーナ・
アレッサンドラと
書いてあります。







コレルリは
当時ロ―マで活躍した
音楽家の中で
最も名を知られ
尊敬されていました。

出版された作品集は
当時はまだ楽譜の出版が
難しかったので
わずかに6つ
72曲しかありませんが
彼の遺産は
一億7000万も
あったようです。
彼の趣味は
絵画の収集で
遺された
コレクションは
140作を超え
ブリュ―ゲルの作品も
ありました。
貴重な絵画の他
数々の楽器なども
遺しました。







リラの花

2023-11-28 09:26:00 | 日記

ロシアの5月、
リラの花が咲き乱れ
甘い香りが漂います。

ラフマニノフの
生家や別荘は
春になると
リラが満開
だったようです。

ラフマニノフは
1902年、
従妹と結婚した時に
ピアノ伴奏付きの歌曲を
作曲しましたが
その後、第5曲目の
「リラの花」を
ピアノ独奏用に編曲
しました。

ラフマニノフの
シンボルともいえる
「リラの花」
後半は
ピアニスティックで
華やかなこの曲は
人気となり
ラフマニノフの
ソロ・リサイタルの
定番となりました。

1908年頃から1918年まで
匿名のファンから
どこで演奏をしても
白いリラの花束が
届くようになりました。
贈り主はロシアのマダム
フェルカ・ルソーだった
ようです。


白いリラの花










寒い朝

2023-11-27 10:23:00 | 日記

急に冬の寒さに
なった朝でした。

今年のボジョレーを
頂戴しました。(*^^*)




とても可愛い箱に
入ったお菓子です。








  ✨✨✨✨✨✨


モーツァルトが
最も愛した楽器は
クラリネットですが
クラリネットが急速に
普及したのは
モーツァルトの
おかげかもしれません。

1791年が
最後の年になると

思っていなかった
モーツァルトは
1月にピアノ協奏曲を
完成させます。
又、コンスタンツェが
療養中のバーデンで
「アヴェ・ヴェル厶・コルプス」を作曲しました。
8月にはプラハに出かけて
オペラ
「皇帝ティートの慈悲」を
翌月にはウィーンに戻り
オペラ「魔笛」を
初演します

10月初旬に
クラリネットの
名手であった
アントン・シンドラーの
ために
「クラリネット協奏曲」を
完成させたあと
かねてから
依頼のあったレクィエムに
本腰を入れて取り組みますが
急な病で
12月5日午前0時55分に
帰らぬ人となりました。

最晩年、極貧と病苦の中で
書かれた
クラリネット協奏曲。
なんといっても2楽章の
美しさは息をのむほどの
繊細な美しさに
満ちあふれています。





ため息

2023-11-26 10:02:00 | 日記

昨夜は薬を飲んで
たっぷりぐっすり
眠りました。
体調も万全なので
インフルエンザの
予防接種を受けました。

  ✨✨✨✨✨✨

≪ため息≫

リストが作曲した
「3つの演奏会用練習曲」
第3曲目。
エチュードですが
技術だけではなく
音楽的にも高度で
大変に美しい曲で
す。

リストを下手に弾くと
音の数が多く
煩く野暮ったく
聴こえるのですが
上手く演奏すると
きめの細かい
繊細な演奏を
楽しむことができる
そんな曲でしょうか。

34歳の時に出会った
ヴィトゲンシュタイン
侯爵夫人のカロリーネと
恋に落ちた頃の作品です。


この曲を習った時は
がっかりした時の
「ため息」しか
思いつかず
甘く美しい旋律との
ギャップが
大きかったのですが
官能的でもあり
品格があるので
甘い「ため息」かも
しれません。
リストがつけた
タイトルでは
ありませんが
3曲の中で
一番有名で
リスト自身も
お気に入りで
晩年まで演奏して
いました。









お見送り

2023-11-25 19:56:00 | 日記

午前中は
息子が幼い頃から
長年お世話になった
神父さまの
お見送りでした。

義母の洗礼の準備に
毎週水曜日に我が家に
いらして下さいましたが
その後は楽しいお茶会。
帰宅した主人も加わり
和やかな時間でした。

そして主人の葬儀の司式。
その後には
息子達の結婚式のために
横浜までいらして下さり
家族ぐるみで 
お世話になった
神父さまでした。

主人共々、
阪神タイガースの
熱烈なファンでいらした
神父さま。
阪神の優勝を見届けて
旅立たれました。(*^^*)

   
 






元祖ヴィルトゥオーゾ

2023-11-24 07:50:00 | 日記

昨夜のクラシックTVは
ヴィルトゥオ―ゾ。
面白かったです。

  ✨✨✨✨✨✨


ヴィルトゥオ―ゾの
先駆けになったのは
ニコロ・パガニーニ。

23歳のときに書いた
≪24のカプリ―ス≫は
ヴァイオリン独奏用に
作曲した作品集です。
並外れた
演奏テクニックを
駆使するので
現代の演奏家にとっても
難曲中の難曲です。
後世の作曲家達に
大きな影響を
与え続けました。

破滅的なまでに
ギャンブルに
のめり込んだパガニーニ。
彼のギャンブル癖は
大金を手にした
10代の頃から始まりました。
コンサートの前に
ギャンブルで
出演料を失うなど
日常茶飯事。
いのちの次に大切な
楽器を借金のかたに
取られるまで
ギャンブルに
のめり込んで
いました。

破天荒な人生を
送ったパガニーニ。
「悪魔と契約した」と
いう噂から
教会が埋葬を
拒否したので
埋葬先を探して
周囲の人々が
奔走したのです。

≪24のカプリース≫より



秋の夜長のDVD

2023-11-23 09:17:00 | 日記



冷蔵庫が
空っぽになったので
買物ディでした。

ティ・タイムには
仙台のお土産の
エシレバター入りの
最中を頂きました。








  ✨✨✨✨✨

秋の夜長は
先日の演奏会の
DVDを観ていましたが
あっと言う間の
2時間40分。
気がつくと11時を
過ぎていました。











パッヘルベルのカノン

2023-11-22 08:35:00 | 日記

近くのお花屋さんで
花束をつくって
頂きました。



1時間ばかり
かかるので
カプチーノ・タイム。



   
  ✨✨✨✨✨


夕方のレッスンは
期末試験のお手伝い。
中学2年生ですが
バッハのフ―ガや
パイプオルガンの
構造について
調べました。

若い人たちとの
楽しい時間。
沢山のパワーを
貰っています。

彼女も少し弾ける
パッヘルベルの
カノンです。










渋すぎない?

2023-11-21 09:01:00 | 日記

今朝はしっかり
起きたものの
使いものにならず
午後はほとんど
シエスタ状態でした。

   ✨✨✨✨✨

夕方からは
レッスンでしたが
最後に断崖君が
やってきました。

最近、
スラッと背が伸びて
カッコ良い断崖君。
「彼女がいるのかな?」と
女子達は興味津々です。

ショパンを
弾いているので
彼の青春時代の
話をしました。
美しいお嬢さんに
一目惚れしたショパン。
声をかけることも
できないで
木の影からそっと
眺めるのが関の山。
憧れ続けた彼女のために
協奏曲のアダ−ジオ2曲に
想いを込めて
作曲した話しましたら
音が変わりました。
(゚∀゚)

今日は明るい曲や
テンポの速い曲
ラフマニノフの
重厚なもの
など色々用意して
いましたが
彼が選んだのは
なんと「天上の美」

ゆっくりで
瞑想的で
中間部も
悲しいほどに美しい
プレリュード。
センスは良いけれど
高校1年生が選ぶとは
思えない曲です。
さてどうなる?


















コロナ禍以来ようやく…

2023-11-20 11:05:00 | 日記






素晴らしい
お天気に恵まれて
コロナ禍が始まった
一番厳しい時に
旅立たれ、
お見送りも出来ないまま
ずっと気になっていた
恩師の奥様の
葬儀ミサと演奏を
合唱団も揃って
無事に終えることが
できました。





おかげさまで
又、新しいご縁を
結んで頂き
とても心に残る演奏に
なりました。

多分寒いだろうと
あたたかいものを
用意していましたが
駅も新幹線もホテルも
暑いこと。
コ―トはずっと
手に持ったまま。
(笑)

今朝はまだボォ〜ッと
していますので
ブログは運休(笑)させて
頂きます。  












山手線もブログも運休

2023-11-19 07:07:00 | 日記

東京に到着して吃驚!
山手線は大崎までで
新宿まで他線に
乗り変えました。
家を早く出たのは
大正解。
今日も運休です。💦💦

  ✨✨✨✨✨✨

今朝は緊張して
目がさめました。
良いお天気です。

どうかお仕事が
無事に終りますように。













名誉にもお金にも無頓着。

2023-11-18 08:56:00 | 日記

朝まで降り続いた雨は
出かける時には
止んでいましたが
どんより曇って
寒い朝です。
新幹線で東京に
向かっています。


  ✨✨✨✨✨

昨夜、反田恭平氏の
東大寺での奉納演奏を
チラッと拝見しましたが
ブラ―ムスの
交響曲第1番でした。





この交響曲は
ブラ―ムスが
べ―ト―ヴェンを
意識するあまり
作曲に慎重になりすぎて
着想から完成までに
21年かかったものです。

1876年に初演されると
指揮者の
ハンス・フォン・ビューロー
に「べ―ト―ヴェンの
交響曲第10番」と
呼ばれて
高く評価されました。

この曲の追い込みに
かかっていた頃
イギリスの
ケンブリッジ大学から
音楽博士の学位を
贈りたいと
言ってきましたが
きっぱりと断っています。

旅行は大好きでしたが
船には弱かったので
イギリスには
行きたくなかった
ようですが
それにしても
ケンブリッジ大学の肩書を
あっさり断ってしまうのは
お金にも全く
無頓着であった
ブラ―ムスらしい
エピソ―ドです。




革命のエチュード

2023-11-17 09:40:00 | 日記

今日は
バッハのカンタータを
初めて合わせました。
超絶難しい曲に
挑戦中です。
まだまだ道は
遠いですが
少し様子が
わかったので
早目のランチに
天ぷら蕎麦を
頂きました。





   ✨✨✨✨✨


ショパンのエチュード
「革命」

1830年11月、
ショパンは演奏旅行の
ためにウィーンに向けて
出発しましたが
祖国ポーランドに
二度と帰ることが出来ない
予感はあったようです。

実際に
彼が出発した直後に
ワルシャワ公国の
若い士官達が
武装反乱を起こした
「11月蜂起」が
勃発しました。

ショパンは
シュトゥットガルトで
ワルシャワ陥落の
ニュースを聞き
苦しみをノートに
書き綴っています。
「革命」の
エチュードには
荒れ狂うショパンの心が
描かれました。

今回の演奏会で
中学生が弾きましたが
先輩たちにとっては
よそごとであった
「革命」が
彼女はウクライナや
ガザの凄惨なニュースを
毎日のように
目にしているからでしょうか
冒頭の音が
あきらかに
違っていました。
嬉しいような
嬉しくないような
複雑な気持ちでしたが…




レクィエム

2023-11-16 09:09:00 | 日記

神戸まで買物に
出かけました。
晴れていますが
空気は冷たい。
週末は更に寒く
なるようです。


   ✨✨✨✨✨


イタリアの文豪
アレッサンドロ・
マンゾーニの
大ファンだった
ヴェルディが
彼を追悼するために
レクィエムを
書きました。

第1曲 レクィエム
第2曲 怒りのひ
第3曲 奉献
第4曲 聖なるかな
第5曲 神の子羊
第6曲 永遠の光
第7曲 私をおすくい
    ください


レクィエムといえば
モーツァルト、フォーレ、
ヴェルディの作品が
3大レクィエムと
呼ばれていますが
ヴェルディの
レクィエムは
もっとも
ドラマティックで
アメリカ、フランス、
オーストリア、
イギリスでも
演奏されます。
宗教曲としては
異例の人気でしたが
レクィエムにしては
あまりにも
ドラマティックすぎると
批判されました。

ヴェルディは
神の存在は
否定しませんでしたが
貧困にあえぎ
突然妻子を失うという
苦悩の中で生きたために
信仰が人間を救うとは
信じられなくなった
ようです。
それにもまして
彼が敵意を抱いたのは
作品を発表するたびに
横槍をいれてくる教会、
そして司祭達を
憎んでいました


   ✨✨✨✨✨


2020年の
コロナの時には
イタリアでも多くの方が
亡くなられましたので
2020年9月4日には
ミラノ・スカラ座の
歌手達が中心になって
ミラノ大聖堂で
このレクィエムが
演奏されました。





「Diets iraea(怒りの日)」