SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

結婚式の定番

2022-12-29 06:56:00 | 日記
今年のレッスンを
無事に終えることが
出来ました。

明日の朝には
息子達が
帰ってきます。
家の片付けは?
明日の朝に
かかっています。(笑)

   ✨✨✨✨✨

ウェディング・マ―チと
いえば、
メンデルスゾ―ンが
ウィリアム・シェイクスピア
の戯曲「真夏の夜の夢」の
劇付随音楽として作曲した
12曲のうちの9曲目の
「結婚行進曲」が
定番ですね。




そしてもう一曲
リヒャルト・ワ―グナ―の
オペラ「ロ―エングリン
より「婚礼の合唱」が
結婚式でのおなじみの曲
でしたが、
このオペラは悲劇のオペラ。

騎士ロ―エングリンが
貴族の娘エルザとの
婚礼を終えて大広間から
寝室に向かう場面で
人々が祝福する
「婚礼の合唱」なのですが、
エルザが禁則を破ったために
ロ―エングリンは去り、
エルザは悲しみのあまり
死んでしまうという結末
なのです。

ある時期まで
メンデルスゾ―ンと共に
結婚披露宴の定番でしたか
縁起が悪いと
結婚式場から
消えてしまったようです。

教会での結婚式では
花嫁さんの入堂に
ワグナーを使い、
二人揃っての退堂で
メンデルスゾ―ンを
使うことが多いのです。
私もこの2曲で
結婚式を挙げましたが、
何とか添い遂げました。
(笑)


ワ―グナ―
「ロ―エングリン」より
結婚行進曲の合唱は
8‘20‘‘から始まります。










金粉

2022-12-27 21:51:00 | 日記
たっぷり11時間は眠った
でしょうか。
8時過ぎに目覚めました。

目の痛みで眼科受診。
コンタクトは年明けまで
使えないので
不自由な年末年始に
なりそうです。






不況の今、金が驚くほど
高くなっているようです。

フランス生まれの作曲家
エリック・サティ。
1866年、フランスに生まれ
6歳で母親が病死したので
祖父母によって育てられ
ました。

10歳から教会のオルガン奏者にピアノを学び、
13歳でパリ音楽院に入学
しました。

グレゴリオ聖歌や多くの
書物に一人で親しみ、
音楽院の教育に馴染めず、
20歳で音楽院を逃げ出して
軍隊に入隊しますが、
そこも逃げ出し、
22歳でキャバレーの
ピアノ奏者になります。

25歳で知り合った
ドビュッシ―が
「中世の音楽家」と呼んだ
ように、
その頃の彼はグレゴリオ聖歌
の響きを作品の中に
おり込んでいました。


1902年、36歳の時に
「金の粉」(Poudre d‘or)
を作りますが、
この頃はカフェの
ピアノ奏者で、シャンソン
の作曲も手がけていました。

ユ―モア溢れる人物だった
サティの作品。
まじめだけでは物足りなく
遊び心を持って
最後まで一気に弾き切る
ようにと、
ス―パ―ピアノレッスンで
ミッシェル・ベロフ氏は
語っておられた記憶が
あります。

序奏のあと軽快なワルツが
始まりますが
13小節目で
ウィーンのワルツを
からかうような
音型が現れます。

中間部のワルツは
洗練されていて
フランス風でお洒落です。

千鳥足でべろんべろんに
酔っ払ったワルツもあり、
最後はウィーンの重厚な
ハーモニ―で
締めくくります。


「金の粉」
 フィリップ・アントルモン






しあわせな気分に包まれて。

2022-12-25 22:47:00 | 日記


クリスマスおめでとう
ございます。

孫のところには
サンタさんから自転車の
プレゼントが
届いたそうです。
早速、初乗りを
楽しんでいます。




   ✨✨✨✨✨
フランツ・レハ―ル作曲。
オペラ「メリーウィドウ」
(陽気な未亡人)は
その名が示す通りに
ハッピーエンドの物語です。

舞台はパリにある
ポンテヴェドロという
架空の国の公使館です。

国王の誕生日を祝う
パ―ティにやってきた
男達の視線の先には
大富豪だった
故グラヴァリ氏の
若く美しい未亡人ハンナが
いました。

ハンナが外国人と
結婚するのを防ぐために、
貴族で元恋人だった
ダニロを、
役人達が命令して
焼けぼっくいに
火を付けるように
仕向けます。

しかし身分違いで
結婚できなかった二人は
意地を張り合い
なかなか本心を
見せません。

「メリーウィドウから
第3幕の
「唇は黙っていても」の
二重唱です。

「メリーウィドウ・ワルツ」
のもっとも有名な
ワルツの部分は、
二人は踊っているだけで
歌いません。
そんな16小節ですが
聴いているだけで
しあわせに包まれます。





サンタクロースがやってくる?

2022-12-24 22:29:00 | 日記


孫はサンタさんを待って
ワクワク・ドキドキ
していることでしょう。

来週からの年末年始を
一緒に過ごします。❣️

  ✨✨✨✨✨✨

クリスマス・イブの夜、
シンシンと
冷えてきました。
「クラシックTV」は
クリスマス音楽の
歴史です。

おっ!
クリスマス・オラトリオ
(バッハ)も出ました。
さまざまな
クリスマス音楽
を楽しませて頂きました。

  ✨✨✨✨✨

「Stille Nacht」
(きよしこの夜)

1818年のクリスマスに
ヨゼフ・モ―ルによって
ドイツ語で書かれ、
オーストラリアの
オ―ベルンドルフの
聖ニコラウス教会で
初演されました。
イブの前日、
教会のオルガンが
ネズミに齧られ、
音が出ないのです。
急遽、ヨゼフが
「Stille Nacht」を書き上げ
ギター伴奏で
演奏をしました。


ウィ―ン少年合唱団
ギター伴奏で。



「Silent night」

アンドレ・リュウ
欧米で人気を誇る
音楽家です。



素敵なクリスマス・イブを
お過ごし下さいませ。

















クリスマス・キャロル

2022-12-24 08:23:00 | 日記




寒そうな雲に覆われた朝。
クリスマス寒波が
やってきました。

ひょんなことから
お掃除を始めましたら
止められない。💦

   

   🎄🎄🎄🎄🎄


明日はクリスマス・イブ
ですが、
先週、英國では
亡きエリザベス女王を
称えたコンサートが
開かれたようです。

キャサリン王妃主催の
クリスマス・キャロルの
コンサート。

キャサリン妃の
バーガンディのコートと
シャーロット王女の
カラー・コーディネートが
素敵です。
ウィリアム皇太子と
ジョージ王子も
見事にリンク。







   🎄🎄🎄🎄🎄



ウェストミンスター寺院の
演奏を見つけました。

18世紀にイングランドの
ジョン・フランシス・
ウェードが書いた
「O Come all Ye
Faithful」です。



この曲のオリジナルは
ラテン語の
「Adeste Fideles」ですが
作者が誰なのかは
わかっていません。
13世紀にフランシスコ派の
修道士のボナヴェントゥーラ
が書いたものであるという説
もありますが。
オリジナルの歌詞は
ラテン語で4節ありました。

こちらはパリの
ノートルダム大聖堂の
ラテン語の
「Adeste fideles」です。
クリスマスに歌われる
聖歌の定番です。




皆さま、良いクリスマスを
お迎え下さいませ。

美しいメロディ

2022-12-22 23:05:00 | 日記
今日は一日中、
家で過ごしました。

お昼は
今井のきつねうどん。
からだがポカポカに
あたたまります。


 
 
   ✨✨✨✨✨✨

ベートーヴェンの交響曲。
「英雄」「運命」「田園」
「第7」「第九」は
よく聴きますが、
「第2」はあまり聴く
チャンスがないかも
れません。

ベートーヴェン作曲
「交響曲第2番」ニ長調

1802年に完成し
1803年にウィーン近郊の
アン・デア・ウィーン劇場で
ピアノ協奏曲第3番などと
ともに初演されました。

この作品が作曲されたのは
ベートーヴェンの持病の
難聴が特に悪化した時期
だったようで、
この年の10月に
「ハイリゲンシュタットの
遺書」が
書かれているのです。

後にこの曲はべートーヴェン
自身により
ピアノ3重奏に編曲
されました。

特に2楽章のラルゲットは
メロディが美しく有名で
後世に歌詞がつけられて
歌曲にもなったようです。
   
カラヤン指揮
ベ―トーヴェン作曲
交響曲第2番2楽章
ラルゲット



鬼が笑いますが、。

2022-12-21 22:26:00 | 日記


来年の予定が入りました。

東京オペラシティ・コンサートホール、
愛知芸術劇場コンサートホール、
合唱の伴奏で
1ステージのみですが
3年ぶりの
グランド・オルガンです。

そして夏には
西宮芸術文化センターでの
2台のピアノを
使ってのコンサート。

秋には同じく芸文での
「ピアノ演奏会」を
開催予定です。

一日も早くコロナが
収束しますように。
合唱団の人数も大幅に
減ってしまったようで
残念で仕方ありません。

  ✨✨✨✨✨✨

アレッサンドロ・
マルチェッロ
(1634ー1750)
「オーボエ協奏曲」

イタリア・バロック音楽の
人気曲です。

作曲家のアレッサンドロ・
マルチェッロは
ヴェネツィアの名門貴族の
出身で、政治に携わり、
音楽愛好家として
演奏会を開催したり、
作曲を嗜んだりしていました。
哲学者、数学者でもあり
ヴァイオリンを弾き、
歌を歌い、絵も描く多才な
方でした。

このオ―ボエ協奏曲二短調
2楽章は
1970年の映画
「ヴェニスの愛」の
ラストシーンで使われて
広く親しまれるように
なりました。



又、宇野昌磨選手のショート
プログラムで
使用されています。




スタンディング・オベーション

2022-12-20 22:22:00 | 日記

クリスマス・カードや
年賀状書きで
時間があっと言う間に
過ぎて行きますね。





   ✨✨✨✨✨



いよいよ今週末は
クリスマスですが、
この時期に世界中で
演奏されるのが
「メサイア」です。

ヘンデルの代表作であり
オラトリオの中でも
最高峰として知られ、
1741年に作曲されてから
現在に至るまで高い人気を
誇っています。

「オラトリオ」とは
聖書を題材とした
演技のないオペラと
いえるもので
教会ではなく劇場で
上演される宗教的な
音楽劇のことです。



メサイアは3部構成で、
キリストの「誕生」と
「受難」そして「復活」が
描かれています。

「メサイア」はメシアの
英語読みであり
「救世主」という意味です。

第2部の最後の壮麗な
「ハレルヤ・コーラス」は
1743年、ロンドンで
国王ジョージ2世臨席のもと
御前演奏されたときに、
国王は「ハレルヤコーラス」
のすばらしさに
感銘を受けて
思わず立ち上がって
拍手を送られましたが、
側近も聴衆もそれに
ならったようです。

これが「スタンディング・
オベーション」の始まり
でしょうか。

ハレルヤ・コーラス。
指揮サー・コリン・デービス
(3‘50‘‘)



寒い朝。

2022-12-19 21:19:00 | 日記
熱い・熱い紅茶を先ず一杯。
リーフで淹れて
頂いています。



  ✨✨✨✨✨


昨日は中3の二人が
レッスンで
顔を合わせましたが、
高校受験に向けて
お互いの2学期の
内申点の話で
大いに盛り上がって
いました。(笑)
音楽は二人とも5。
良かったね。
あともう少し頑張ろう!


  ✨✨✨✨✨✨

さてサッカーは
アルゼンチンが優勝。





アルゼンチン出身の
ピアニストといえば
マルタ・アルゲリッチ、
ダニエル・バレンボイム、
ブルーノ・レオナルド・
ゲルバー。

又、作曲家で有名な方は
ヒナステラと
アストル・ピアソラで
しょうか。

ピアソラの音楽は
タンゴですが、
クラシック・ファンに
聴かれるようになったのは
20年ほど前からで
ヴァイオリニストの
ギドン・クレーメルが
盛んに弾き、
チェロのヨーヨ・マが
弾いた「リベルタンゴ」が
大ヒットしたからです。

少年時代から
バンドネオンの奏者だった
ピアソラは
既存のタンゴに
飽き足らなくなり
クラシックの作曲家を
目指してヒナステラに
師事して音楽理論を
学び始めました。

1954年にフランスに渡り、
パリでコープランドや
バーンスタインを育てた
ナディア・ブーランジェに
学びますが、彼女から
「タンゴこそあなたの
原点だ」と言われて
再びタンゴの世界に
もどります。

しかし彼の作るタンゴは
異端のタンゴと非難され続け
まともに聴かれるように
なったのは30歳を過ぎて
からでした。

ピアソラは理想的な音を
求めて楽団の結成と解体を
繰り返しましたが
1989年、ピアソラの楽団に
所属することは
サッカー王国アルゼンチンの
ナショナルチー厶に所属
するほどの名誉だと
されました。








おちゃめな方

2022-12-19 07:11:00 | 日記
指揮台で踊る指揮者。
身体と表情で
どんな音楽を
表現したいのかが
わかります。
バレエを習って
いらしたので
歩く姿も美しい。


今夜のクラシック音楽館。
➀伊福部昭作曲
「シンフォニア・タプカーラ」
指揮は井上道義氏で
指揮台で踊り
ひたすら楽しく
オケもノリノリ、
とても面白かったです。

②ショスタコーヴィチ
「交響曲10番」
スターリンの死は
1953年3月5日、
プロコフィエフの死と
同日でした。
ショスタコーヴィチは
盟友であったプロコフィエフの葬儀に参列して、
構想中であった
「第10交響曲」を一気に
書き上げ、同年に
ムラヴィンスキー指揮の
レニングラード・フィルに
よって初演されました。
ショスタコーヴィチの
最高傑作とも言われている
「交響曲第10番」
前半の略礼服を燕尾服の
礼装に着換えて、
シリアスな表情に変わった
井上道義氏。
迫力満点の4楽章でした。



後半
③メンデルスゾーン作曲
「交響曲第4番イタリア」

お若い時の井上氏
髪の毛がたっぷり
おありですが、
今のほうが素敵。





④モーツァルト
「フィガロの結婚序曲」

  ✨✨✨✨✨

伊福部昭
シンフォニア・タプカ―ラ
(27‘41‘‘)



 
おやすみなさいませ。





終わりました。

2022-12-17 22:36:00 | 日記
3年ぶりのコンサートが
何とか無事に終わりました。
コロナ対策のために
お客さまは半分以下での
開催になりましたが、
雨で寒い中、お越し頂き
感謝の気持ちで一杯です。
ありがとうございました。

来年、やはり3年ぶりに
開催される演奏会を
心待ちに年末年始を
過ごしたいと
思っております。



  ✨✨✨✨✨✨

今日、演奏された
パレストリーナは
1525年にロ―マ近郊の
パレストリ―ナ市に
生まれました。
非常に美しい声を持って
いましたので11歳で
ヴァティカンの聖歌隊に
入ることを許されます。

オルガン奏者、聖歌隊員を
経て、1551年に
サン・ピエトロ大聖堂の
ジュリア聖歌隊の楽長に
就任します。




2010年、大阪・名古屋の
合唱団と共に
サン・ピエトロ大聖堂で
ジュリア聖歌隊と
ラテン語と日本語で交互に
荘厳ミサをお捧げしました。
2013年には
ジュリア聖歌隊500年祭に
お招き頂きましたが、
気の遠くなるような
歴史ある聖歌隊なのです。

又、2004年には
東京の合唱団と共に
パレストリ―ナ市を訪れて
パレストリーナ大聖堂で
歌唱ミサとコンサートを
開催させて頂きましたことは
心に深く残っております。

礼拝堂作曲家の称号を得た
パレストリ―ナは、
100曲近いミサ曲のほか、
400曲近いモテットや
マドリガーレなどを作曲
しましたが、
調和の取れた技法と
言葉と旋律の融合は見事で、
カトリック音楽最大の作曲家
といわれているのです。
今日はそのミサ曲が
中心のプログラムでした。

パレストリ―ナのモテット
「Sicut Cerbus」
ジュリア聖歌隊
(2’26’ )




ゲネプロ

2022-12-17 08:01:00 | 日記
明日の演奏会の
練習がありました。




   ✨✨✨✨✨

今日は多分、べ―ト―ヴェンの誕生日だと言われています。
1770年の12月16日か
17日頃に、
ドイツのボンに
生まれました。
父は宮廷楽団のテノール歌手
ヨハン・ヴァン・べ―トーヴェン。
べ―トーヴェンの音楽教育は
父親とボンの礼拝堂宮廷楽団の音楽家たちのもとで始まり
ました。
ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、オルガンを学び、
作曲はネ―フェに学び、
徹底的にバッハの
「平均率曲集」を教わります。

現代においては、バッハの
「平均律曲集」は
《音楽の旧約聖書》
べ―トーヴェンの
ピアノソナタは
《音楽の新約聖書》と
呼ばれています。
この両曲集はそのぐらい
音楽を志す者にとっては
重要な楽譜なのです。



音楽以外の教育に関しては
小学校以上の学校には
行かなかったので、
独学で補おうとゲーテ、
シラ―、ホメロス、
シェイクスピア、カントなど
に没頭しました。
   
  ✨✨✨✨✨✨



今夜は交響曲第7番です。

「のだめカンタービレ」で
すっかり有名になった
交響曲です。

べート―ヴェンは
リズム重視で
この音楽を書きました。
そして管楽器群がかつて
ないほどに活躍します。
金管楽器を多用すると
音楽は一挙に華やかさを
増すようです。
今夜は生命力にあふれた
この曲を聴きたいと
思います。

ベート―ヴェン第7番
カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー
お時間のある時にどうぞ。
(34’06’’)



のだめカンタービレの
第7番他のフィナーレを
貼っておきます。(*^_^*)
元気をもらえます。
(5’30’’)



久々の緊張感。

2022-12-16 06:00:00 | 日記
久しぶりの演奏会を前に
緊張感のある良い時間を
過ごしています。
今回はバッハの
クリスマス・カンタータ
からのソプラノ・アリアの
演奏を予定しています。


  ✨✨✨✨✨✨

現在、最もポピュラーな
バッハのオラトリオ作品は
クリスマス•オラトリオ
かもしれません。
聖書の降誕記事を軸として
6曲のカンタータから
なっています。
各カンタ―タは
降誕節第一、第二、第三祝日
新年、新年後の日曜日、
公現節の礼拝で演奏される
ものです。

  ✨✨✨✨✨✨

バッハは敬虔なキリスト教
信者でした。

バッハの生地アイゼナッハは
プロテスタントの創始者の
ルターが弾圧から身を
隠しつつ、新約聖書を
ドイツ語に翻訳した地でした。

又、バッハが洗礼を受けた
聖ゲオルク教会はルターが
説教をした教会として
知られています。

音楽家一族といわれる
バッハ家には、当時としては
大変高価だったルター全集が
置かれていて、
就寝前のひとときに
これらを読むことが日課と
なっていたようです。
バッハの音楽はつねに
神のものとして書かれて
いました。



(トーマス教会)

1723年にライプツィヒの
音楽監督兼
トーマス•カント―ルに
就任しましたが、
ライプツィヒ市全体の
主な教会の礼拝音楽を
書く激務を負っていた上に
指導して演奏し、
そこで合唱を担当する
教会付属学校の聖歌隊の
子供達の音楽教育も担当
していました。



(2015年のライプツィヒ)

ライプツィヒに赴任した
最初の3年間に、集中的に
カンタータを作曲しました。

独唱や合唱、そして
オ―ケストラ伴奏で
演奏されるものを
教会カンタータと呼んで
います。
実際には300曲あったと
考えられていますが、
彼の死後、散逸してしまい
ました。
現在、残っているのは
200曲あまりです。

一番良く知られている
教会カンタ―タは
「主よ、人の望みの喜びよ」
ではないでしょうか。
クリスマス・オラトリオは
又、別の機会にして
今夜はこの曲で休みます。

指揮はトン•コ―プマン。

オルガンの名手として
知られていますが、
現在、日本各地で
チェンバロの演奏会を
開催中でいらっしゃいます。





物忘れ!

2022-12-14 22:24:00 | 日記
「今夜はドリアかな?」と
楽しみに冷凍庫を開けると
ない!
底までひっくり返して
探しましたが出てこない。
食べた記憶がないのに。💦

何だか急に物忘れが
酷くなったようで
後期高齢者とは良く言った
ものと再認識する日々に
なってきました。💦


  ✨✨✨✨✨

今日は午前中はバッハと
過ごしましたので、
ラフマニノフの
交響曲2番の3楽章に
致しました。

リラの花を愛した
ラフマニノフは、
ピアノ協奏曲は第2番が
大成功して
重度の神経衰弱から
蘇った事を象徴する
作品になりました。

その後、
ナタ―リアと結婚し
娘二人を授かり、
最良の時期に誕生したのが
「交響曲第2番」でした。

この曲は4つの楽章から
構成されています。
革命前ロシアの叙情を
たたえたラフマニノフの
傑作中の傑作だと言われて
います。
最も有名な楽章が第3楽章で
この交響曲を象徴する楽章
でもあるのです。
作曲家にとって栄誉ある
2度目の「グリンカ賞」を
受賞しています。

ラフマニノフ交響曲第2番
第3楽章