SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

Goodbye September

2022-09-30 22:13:00 | 日記



あっという間に
過ぎ去った9月です。
早いものでもう10月。

   ✨✨✨✨✨

小学生のお嬢さん2人が
ショパンの幻想即興曲の
レッスンを始めました。

1834年―1835年に作曲。
多くの作曲家が
そうであるように、
完璧主義者のショパンは
満足した曲しか
世に出そうとはせずに
この曲は焼き捨てる
ようにと遺言して
いたのです。

ショパンの死後、
この曲の価値を見出した
友人のユリアン・フォンタナによって出版され、
幻想即興曲という表題も
彼によって付けられました。

この曲の難しさは
左手の音域が広いこと。

右手の音符4個に対して
左手は3個という
最小公倍数12を持つ
リズムが続くこと。

右手が広い音域を
走り回るので
ミスタッチしやすいこと
でしょうか。

3部形式でかかれていて
長い終結部の最後は
消え入るように
終るのですが
それまでの
ドイツ・オ―ストリアの
音楽にはなかった
大人の語法です。


  ✨✨✨✨✨

幻想即興曲
(5’09")











夕焼け

2022-09-29 22:05:00 | 日記
今にも降り出しそうな
曇りの一日でしたが
夕方、空が燃え上がるような
夕焼けに包まれました。

  ✨✨✨✨✨✨




茜色の空を見ながら
聴きたくなったのは
シベリウスの音楽です。

『幼少の頃、私は心の中で
ヴァイオリンの音色を
聴きながら自然をさまよった。
森の木々とともに
小鳥たちとともに』
シベリウスはヴァイオリンに
親しみ、この楽器を
とても愛した作曲家でした。

学校に通い始めるころには
姉リンダ、弟クリスチャンと
トリオを組んで
古典の作品を演奏して
いたようです。

ヴァイオリニストに
なりたいという夢を
持っていて
毎日の練習を欠かすことなく
音楽院ではメンデルスゾーン
のヴァイオリン協奏曲などを
演奏していたそうです。

ウィーン滞在中には
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の
試験を受けましたが、
残念ながら不合格
それほど思い入れのある
ヴァイオリンの協奏曲故に
理想とするイメージは
若い頃から思い描いて
いたようです。

1903年に初演でしたが、
シベリウス自身は満足せず
2年かけて改訂しました。
1905年ベルリンで
リヒャルト・シュトラウスの
指揮で演奏されます。
ヴァイオリン独奏は
カレル・ハリ―ル。

   ✨✨✨✨✨


ヴァイオリン協奏曲
ニ短調
シカゴ交響楽団
ワルター・ヘンドル指揮
ヤッシャ・ハイフェツの
演奏。(27’12”)





こんぺいとうの踊り

2022-09-28 22:26:00 | 日記
涼しくなりました。

今日の夕食は
お野菜たっぷりの
簡単ポトフにしました。




食後にドラジェを少し。




ヨ—ロッパでは誕生日や
結婚式のお祝いとして
用いられるお菓子。

   🍁🍁🍁🍁🍁

バレエ音楽
「くるみ割り人形」は
1892年にチャィコフスキ—が作曲しました。
ドイツの作家、
E.T.A.ホフマンの童話
「くるみ割り人形とねずみの
王様」を原作にした
2幕3場の作品です。

物語は、ある国の王子が
ねずみに呪われ
くるみ割り人形にされて
しまい、
クリスマス・イブに
少女クララにプレゼント
されます。
そして王子を助けたクララが
お菓子の国に招待されると
いう内容です。

音楽としては2幕の終盤に
使われる「ドラジェの精の
踊り」が有名で、
当時発明されたばかりの
楽器「チェレスタ」の
柔らかい、透明感のある
響きが特徴です。
チェレスタは鍵盤付きの
鉄琴の一種で、
チャイコフスキーは
この楽器を大変に
気に入ったようで
初演の日まで
秘密にしていました。


ドラジェはまだ日本では
知っている人が
ほとんどいなかったので
「こんぺいとうの踊り」と
訳されて
長い間、親しんできましたが
「Dance de la fee Dragee」が原題でした。






G線上のアリア

2022-09-27 23:26:00 | 日記
賛否両論に割れた
国葬が無事に
終わりました。

菅前首相の率直で
心のこもった弔辞に
思わず涙です。

  ✨✨✨✨✨✨

バッハの管弦楽組曲第3番
「Air」は英語では空気
イタリア語では「Aria」で
ゆったりしたうたの
ことです。

ドイツのヴァイオリニスト
であるアウグスト・ヴィルヘルミがこの曲を原曲の
ニ長調からハ長調に
移し変えますと
G線だけで弾けることに
気付きました。
そこでヴィルヘルミは
これにピアノ伴奏を付けて
美しいメロディーを
奏でましたので
それ以後、この曲は
「G線上のアリア」という
愛称で呼ばれるようになり
有名になったのです。

もちろんメロディーは
素晴らしいですが
バッハのべ—スラインが
又、凄い。
バッハは究極の名手だと
いうことが
よくわかるのです。

  🥀🥀🥀🥀🥀🥀

管弦楽曲第3番
カラヤン指揮





若いユ—リ・レヴィチの
演奏。







まさかの花火!

2022-09-26 22:24:00 | 日記
夕食時にワインをグラスに
注いだところ
ドカン・ドカンと
花火の音?

窓を開けると
高い建物に少し
隠れていますが
次から次へと花火が
上がっています。

思わぬ花火見物付きの
夕食になりましたが
朝起きて新聞に
目を通すと
対岸の大阪夢洲で
4万5千発が
打ち上げられたようです。

よほど空気が澄んで
いたのでしょうか
大阪とは思えない位
音も大きくて吃驚です。


   ✨✨✨✨✨

ヘンデル
「王宮の花火の音楽」

イギリスも参戦していた
オ—ストリア継承戦争の
集結を祝う
花火大会のために
国王ジョ—ジ2世に
依頼されて
1749年に書いた組曲です。

初演のリハ—サルは公開で
行われたそうですが
それを見るために
12.000人もの人が集まり
道路は人であふれ
ロンドン・ブリッジは
通行不能に陥ったそうです。

本番は1週間後に
バッキンガム宮殿に隣接する
グリーン・パ―クで
開催されましたが
あいにくの雨模様で
花火大会は失敗に終わった
ようです。

  🎶🎶🎶🎶🎶


現在ではこの曲は
高く評価され
ヘンデルの管弦楽作品を
代表するものに
なりました。

「序曲」「ブレ―」「平和」
「歓喜」「メヌエットⅠ,Ⅱ」
5曲で構成されています。


「序曲」(8‘30”)






大人のクイズ

2022-09-25 23:07:00 | 日記

秋らしい
うろこ雲の午後でした。



   🍀🍀🍀🍀🍀

「子供の情景」はシュ―マンが作曲した13曲からなる
ピアノ曲ですが
こどもがピアノを練習する
ための音楽ではなく
「子どもの心を描いた
大人のための作品」なのです。

この楽譜を手にした
リストは感動して
シュ―マンに宛てて
「この曲のおかげで、
私は生涯最大の喜びを
得ることができました。
週に2・3回は娘のために
弾いています。
娘はこの曲に夢中で
第1曲目の「異国にて」を
20回も弾かされて
ちっとも先に進みません」
書き送っています。

  🍁🍁🍁🍁🍁

1曲目の「異国にて」は
3つのモチ―フが
使われていますが
13曲の全ての曲に
見事に隠されていて
遊び心満載なのです。
(*^^*)


又、この連作の第7曲目の
トロイメライについて
アルバン・ベルクは
ドイツの音楽雑誌の中で
「トロイメライは
対位法に関して19世紀
最高峰の見本であり
完璧なピアノ曲である」
と述べています。





1838年に完成。
この頃は音楽の師である
フリ―ドリッヒ・ヴィ―ク
娘のクララと恋に
落ちていましたが
父親の猛反対で
訴訟沙汰にまで
発展していました。
この時期のシュ―マンに
ピアノの名曲が集中
しているのは
その原動力として
天才少女と言われた
クララの存在が
大きかったと思われます。





   🥀🥀🥀🥀🥀

第1曲目「異国にて」

アルゲリッチと
ホロヴィッツの演奏。
(1’30”)







カレ—のCM

2022-09-24 21:49:00 | 日記

涼しくなりましたので
久しぶりに
カレーを作りました。

   ✨✨✨✨✨



一昔前に中村紘子氏の
カレーのCMで
シュ—マンの「謝肉祭」が
流れるものがありました。

ロベルト・シュ―マン
が1834年から1835年に
かけて作曲したピアノ曲で
20曲の小品が収められて
います。


この小曲はドイツ語の
「A(ラ)」
「Es(ミ♭)」
「C(ド)」
「H(シ)」の文字で表す
4つの音で作られていて
一種の暗号になっています。

シュ―マンは24歳のときに
「ASCH」出身の
男爵令嬢エルネスティーネ・
フォン・フリッケンに
恋をしましたが
彼女の父親が反対したために
結ばれずに終わります。

この失恋の直後から、
この曲を書き始めました。
第13曲には
「Estrella(エストレラ)」
とエルネスティ―ネの名前を
思わせる題名をつけています。

シュ―マンの初期の傑作と
して知られる曲ですが
このような悲しい恋の
思い出が隠されて
いるのです。

11曲目には
「Chiarina(キアリ―ナ)」
としてのちに結婚する
小さなクララ・ヴィ―クが
登場します。
キアリ―ナはクララの
イタリア風の呼び名です。


   ✨✨✨✨✨







内田光子氏演奏。

11番 キアリ―ナ
13番 エストレラ





秋雨

2022-09-23 22:03:00 | 日記
雨のそぼ降る秋分の日は
静かな朝になりました。



ド―厶型のビニール傘で
現れたお嬢さん。

女王さまのように
カラ―コ―ディネ―ト
していました。
本人は気付いて
いませんでしたが、、、。










   🍁🍁🍁🍁🍁


協奏曲の父と呼ばれた
アントニオ・ヴィヴァルディ
の「四季」より秋。

樫本大進氏と
ベルリンフィルのメンバー。





インスタグラムから
お借りしました。

「バター付きパン」

2022-09-22 21:24:00 | 日記

午前中は歯医者さんに伺い
帰りは近くのパン屋さんに。



紅茶だけ淹れて
手抜きのお昼です。❣️





リキュールと
葡萄を添えて。
  

  ✨✨✨✨✨✨

あらっ!今夜の
「クラシックTV」も
モ―ツァルトですね。❣️


   🥀🥀🥀🥀🥀

ウィーンに出かけるたびに
帰りはザルツブルクに
向かうのが何よりの
楽しみでした。

モ―ツァルトやカラヤンを
想い起す美しい古都で
お洒落な遊び心のある
街なのです。


こんな素敵な街に
生まれ育った
モ―ツァルトですが
まさに遊びの人だった
ようです。
射的、トランプ、ビリヤ―ド、ボ―リングが好きで
言葉遊びや駄洒落
からかいや冗談は
モ―ツァルトの
十八番でした。
仮装やダンスにも熱中。
しかしなによりも音楽で
一番遊びました。
モ―ツァルトの音楽は
遊びの精神で
書かれていて
どの時代の人々も
愉しませてくれるのです。
  
  🥀🥀🥀🥀🥀

この一本指で弾く
「バター付きパン」は
モ―ツァルトの作品なのか
父レオポルドなのかは
はっきりしないようですが
よろしければ
お聴き下さいませね。



シプリアン・カツァリスの
演奏です。
(1’57”)



ロシアからの独立を願って。

2022-09-21 22:17:00 | 日記
今日は昨日よりも
更に涼しい気持ちの良い
一日になりました。

   ✨✨✨✨✨

フィンランドに生まれた
ジャン・シベリウスは
ドイツやロシアの影響を
受けながらも
祖国の文学や神話を
ヒントに
独自の音楽を作りあげて
いきます。

19世紀のフィンランドは
ロシア帝国の
厳しい支配下にあり
言論なども統制されて
いました。
新聞などもロシアに
批判的な記事を書くと
廃刊されることも珍しく
ありませんでした。
そんな折にフィンランドの
新聞業界を激励するつもりで
シベリウスが作曲したのが
交響詩「フィンランディア」
でした。
2つの序奏を持つ3部形式で
序奏で「苦難」と「闘争」が最後には「勝利」が
表現されています。


ロシアの弾圧下でも
フィンランド国民の中で
「フィンランディア」
生き続けましたが
1917年にフィンランドが
独立すると
シベリウスはこの曲の
最後の「勝利」の部分に
歌詞をつけて
「フィンランディア賛歌」に
編曲しました。

現在も国歌に次ぐ
第2の愛国歌として
広く歌われています。

(3‘58”)




フィンランディアには
2つの異なった歌詞が
作られました。
一つは1930年の終わりに書かれたもの。

もう一つは賛美歌的な
要素が強いもので
1938年に初演されました。


楽しむこと。

2022-09-20 22:36:00 | 日記
台風が去り
爽やかで涼しい
気持ちの良い朝でした。

夕方も寒いくらいで
断崖君は
お洒落な長袖で
やってきました。



「音楽する」ことを
英語では"Play”
フランス語では"Jouer”
ドイツ語では"Spielen”
これはすべて「遊ぶ」と
いう意味ですので
音楽の根本は楽しむことで
「音学」でも「音が苦」
でもありません。(笑)

   ✨✨✨✨✨

音楽の楽しさは
自分で発見すること❣️

お膳立てしてもらって
与えられたことは
あまり身に
つかないのです。

自分で発見することと
受け身であることとは
気持ちの持ち方が
全く違います。
積極的に音楽を
自分のものにしていくと
楽しくてワクワクしますが
これが上達の極意だと
思っています。

   ✨✨✨✨✨

本番が近いので
先週は厳しいレッスン
でしたが
今日の注意は最小限。
一緒に何度も
アンサンブルを
しましたら
彼はご機嫌で
帰って行きました。(*^^*)


  ✨✨✨✨✨✨


昨年の
クリスマスコンサ—ト
で演奏された
キャサリン妃の
お写真を見つけました。
素敵ですね❣️❣️


  








静かにお見送り。

2022-09-19 22:45:23 | 日記
台風が通過中。

TVで女王さまの
国葬を拝見しています。






  ✨✨✨✨✨





国葬を終えて
ウィンザー城への車列
が始まりました。

お花が投げられたり
拍手が起こったり
沿道は沢山の方々の
お見送りです。

日本時間、11時過ぎ
ウィンザー城の
ロングウォークからは
軍楽隊やバグパイプ隊
近衛兵に騎馬隊が加わり
荘厳な葬送のパレードが
始まりました。
徒歩で約1時間かけて
ウィンザー城へ。
女王さまに相応しい
儀式を拝見致していますが
愛犬のコ—ギ—2匹が
ちょこんと座っての
お出迎えに
思わず涙ぐんで
しまいました。

礼拝堂への到着は
日本時間の
0時10分でした。


   ✨✨✨✨✨


ウエストミンスター寺院の
パイプオルガン演奏台で
オルガンについての
説明ですが
よろしければ
ごらん下さいませ。


嵐の前のしずけさ

2022-09-18 22:21:00 | 日記
大型の台風が
近づいていますので
ミサのあとデパートで
買物を済ませました。
  
  
今日は雨も風もなく
嵐の前の静けさでしょうか。

  ✨✨✨✨✨

西ドイツのガーミッシュ・
パルテンキルヒェンに
大作曲家の
リヒャルト・シュトラウスが
後半の40年を過ごした
家があります。
楽劇「サロメ」の
成功により手にした
莫大な資産を投じて
バイエルン風の家を
建てたのです。




アルプス連山を
一望できる邸宅で
「アルプス交響曲」の
スケッチを開始して
1915年に完成
させました。








演奏時間は50分。
切れ目なく続く
単一楽章の
交響曲で、
アルプスの山々の
広大なパノラマで
夜明けから始まり
登山の一日の
時間の経過と共に
描いた大作です。


その中の第18曲
「嵐の前の静けさ」
朝比奈隆指揮
大阪フィルハーモニー
交響楽団
(3‘04”)




「雷雨と嵐 下山」
ヘルベルト・フォン・カラヤン。
ベルリン・フィルハーモニー
交響楽団
(4‘34”)




順序は違いますが
「頂上にて」
クリスチャン・ティレ―マン
ウィーンフィルハーモニー
交響楽団
(4‘45”)

   

何ごともなく
無事に台風が過ぎます
ように。

今も昔も。

2022-09-17 21:47:00 | 日記
1685年、同年生まれの
バッハとヘンデル。
ヘンデルはイタリア、
イギリスなどに住む
国際人でした。

バッハは国から出ることは
あリませんでしたが
フランス音楽を好み
ヴェルサイユ宮殿の
ことも知っていて
影響を受けていました。


  ✨✨✨✨✨✨

そのバッハの作品の中に
「組曲」Suiteがありますが
バッハはこのジャンルに
沢山の名曲を残しました。

先ずは
パルティータの第1番
(7曲とも全て変ロ長調で
書かれています)

①プレリューディウム
 (前奏曲)
②アルマンド ドイツの意味
③コレンテ  イタリア風
④サラバンド スペイン風
⑤メヌエット1 フランス
⑥メヌエット2
⑦ジーグ   イタリア風
       
これらは全てヨーロッパ各地の民族舞踊だったのですが
それが宮廷に入り
次第に洗錬されていったの
です。

この他にもポロネーズ、
ブレー、ガヴォット、
エアー、フォルラーヌ、
バディネリ、ロンド、
パスピエ、アングレーズ、
ルール、パヴァーヌなど
沢山の舞曲がありました。

まるでEUのようですね。
イギリスが入って
いるのですが、、、。(笑)





  ✨✨✨✨✨✨

流行のみなもとは
フランスで
当時のドイツの貴族は
フランス料理を食べて
フランス語を話して
いたのです。
今も昔も"おフランス”
(*^^*)

  ✨✨✨✨✨✨

古い録音で恐縮ですが
ディヌ・リパッティ
パルティータ第1番全曲
(17’00)




世界文化賞

2022-09-16 23:00:00 | 日記
今朝の新聞に
とても嬉しいニュースが
ありました。






クリスチャン・ツィメルマン氏が世界文化賞を受賞され
ますね。



本拠地はスイスですが
東京にもご自宅をお持ちの
ポーランド生まれの
ピアニスト氏で
18歳の時に
ショパンコンクール
第1位でいらっしゃい
ました。






学生時代のポーランドは
物質の調達は
困難でしたので
ピアノの部品の製作や
修理そして調律も
自分で行っていた
そうです。

  ✨✨✨✨✨✨

楽器を自分のコントロール下におくことを徹底しておられ
自身のピアノを世界中の
ホールに運搬して
おられます。

2001年、カーネギーホールのリサイタルのために
入念に手入れしたピアノを
ニューヨークの
JFK国際空港で運輸保安庁に
よって没収され破壊されて
しまいました。
当局によればピアノに
使われた糊から
爆発物のような匂いが
したということ
でしたが、、、。

  🎶🎶🎶🎶🎶🎶

ツィメルマン氏のバッハや
ゆっくりな緩徐楽章が
大好きなのですが
今日はお祝いですので
華やかなショパンの
グランド・ポロネーズです。
(8’56’’)