SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

スミレを愛した女性。

2023-03-30 22:21:00 | 日記

フィンランドが生んだ
20世紀最大の交響曲作家の
一人である
ジャン・シベリウス。

24歳の時、
17歳のアイノと恋に落ち
交際をはじめました。



27歳の時に結婚しますが
アイノは21歳で、
知りあってから4年の
歳月が流れていました。


アイノの父親は
アレクサンダ―・ヤルネフェルト大将。
母親はバルト諸国の貴族出自
エリザベト・クロット=フォン=ユルゲンスブルグです。


1903年には2人の住まいの
アイノラが完成しました。
アイノラとは
"アイノの居場所"の意味です



アイノラが完成して
移り住んだころ
アイノは園芸を
始めました。

アイノラの土地を
耕すことは
並大抵のことでは
なかったようですが
だれの助けもなく、
農機具も不十分ですが、
岩場を農地へ変貌させて
しだいに本格的な耕作を
おこなうようになりました。

トマトやキュウリ、豆類、
じゃがいもなど。
又、ユリ、薔薇、すみれなど
花々を育てていました。
アイノは特にスミレを
愛していたようです。


シベリウスの好物である
リンゴを育てて
秋の農作物品評会で
最優秀の評価も得ました。


二人はそのリンゴの木の
もとに眠っています。

シベリウスop.85
花の組曲より
「アイリス」







七転び八起き?

2023-03-29 20:19:00 | 日記




夏みかん3個を収穫して
マーマレ―ドを作りました。

昨夜は3回茹でこぼして
苦味を少しだけ残し
朝から煮詰めました。

お砂糖控えめの
美味しいマーマレードの
出来上がりです。



  ✨✨✨✨✨✨

マ―マレードが大好物
だったのは
バッハと同年生まれの
ヘンデルです。
バッハが生涯を
ドイツ国内の
限られた範囲で送り
教会のための作品を書き
続けたのに対し、
ヘンデルの活動の場は
国際的で行動範囲が広く
その生涯も起伏に飛んでいて
まさに「七転び八起き」
でした。

イタリアで修行ののち、
イギリスで成功を収め
アン女王から厚遇を受け
ロンドンに住み、
宮廷付きの音楽家となり
オペラのプロデュース業で
名声を得ますが
後半生は一転、
転落の一途を
たどります。
破産したばかりか
脳卒中で倒れて
しまいますが
不屈の闘志で
56歳の時に書きあげた
「メサイア」で
奇跡の復活を
遂げたのでした。
そんなヘンデルを
ストレスから
開放してくれるのが
マ―マレ―ドだった
ようです。


63歳の時に作られた
オラトリオ「ソロモン」
「シバの女王の入城」は
2本のオーボエで演奏される
華やかな曲で
ロンドン・オリンピックの
開会式でも演奏されました。








ヘンデルは彼の希望通りに
ウェストミンスター寺院に
ドイツ人ゲオルグ・フリード
リッヒ・ヘンデルではなく
イギリス人ジョージ・フレデリック・ハンデルとして
眠っています。

又、銀行残高は2,3億は
あったのです。






あまのじゃく氏の年俸

2023-03-28 18:34:00 | 日記

昔、二期会で
林光作曲のオペラ
「あまんじゃくとうりこ姫」
上演しました。

うりこ姫




こちらは世界一の
あまのじゃく?の
大谷選手。(笑)


栗山監督の
「翔平は天邪鬼だから
こちらから
投げて欲しいとは
言わなかった。」との
意外なコメントに
思わず笑ってしまいました。




あまのじゃく氏の
今季の総収入は
6500万ドルだそうです。
(約85億1500万円)
大リーグ第1位。
(@_@;)

 

東京✧とんぼがえり。

2023-03-26 23:14:00 | 日記

朝、9時過ぎの新幹線で

東京まで演奏会を
聴きに出かけました。
終演後、脱兎の如く
又、新幹線に飛び乗り
ました。

これが証拠写真です。(笑)


東京は、 、というか
日本全国雨でしたが
ホールは駅から2分ですから
全く濡れずに済みました。
(*^_^*)


東京駅は大混雑。
混雑が大嫌いなので
新大阪に到着してから
駅構内のYOKOOで
ビフカツと生ビ―ル。


今夜は牛ではなく
養豚業まで始めてしまった
美食家のロッシーニ氏が
最後に書いたオペラの
序曲はいかがでしょう。
高速で飛ばすので
スカッとします!

「ウィリアム・テル序曲」
指揮 チョン ミュンフン
東京フィルハーモニー
交響楽団
(3'26")



ちなみに養豚業を
始めたのは美味しい豚を
食べるためではなく
豚にトリュフを探させる
ためでした。(@_@;)

牛ヒレ肉のステ―キ
フォアグラソテーと
トリュフソース
"ロッシー二風"

 


恋に落ちた侍!

2023-03-25 21:19:00 | 日記



まだWBCの興奮が
醒めやらないのに
ヌートバー選手が
「侍ジャパンが恋しい」と
話をしている記事を目に
しました。
夢のように素晴らしく
楽しいチー厶だったのだなと
改めて感じさせられました。
  

  ✨✨✨✨✨✨


「恋の悩み知る君は」
メゾ・ソプラノ
チェチリア・バルトリ

「フィガロの結婚」について
以前に書きましたので
簡単ですが。


スペインのセビリアに近い
アルマヴィヴァ伯爵邸の
一室。
伯爵家に勤める
フィガロとスザンナは
今日に迫った結婚に際し
伯爵が先にスザンナに
手を付けようとするのを
使用人達が
伯爵夫人を巻き込んで
こらしめようとする
お話ですが
第1幕の後半に登場する
ケルビーノが観客の人気を
さらってしまうのです。

彼女は、いえ彼は(笑)
伯爵付きの小姓なのに
伯爵夫人に恋をしていて
自作の歌を捧げるのです。
それがこの歌です。
又、ケルビーノは
変声期前の少年ですが
揉め事をおこし
女性に変装させて
かくまわなければ
ならないのです。

宝塚の男役のようで
しかも若さが条件ですから
なかなか難しい役どころ
なのです。

スザンナとケルビ―ノ。




伴奏のピッチカートは
ドキドキする心臓の音を
あらわしています。

ホラ吹き男爵

2023-03-24 22:59:00 | 日記

作夜はお近くのご夫妻が
覗いて下さいましたので
楽しいティ・タイムに
なりました。

  ✨✨✨✨✨

今夜は楽しい管弦楽組曲
です。

「ハーリー・ヤ―ノシュ」は
ハンガリーのおとぎ話で
主人公のハーリーは
初老の農民ですが、
「7つの頭のドラゴンを
退治した」とか
「ナポレオンに打ち勝って
捕虜にした」などと
荒唐無稽な武勇伝ばかり語る憎めない人物で
ハンガリー版
「ホラ吹き男爵」と
いったところでしょうか。

ハンガリーの作曲家
コダ―イ・ゾルタンが
演奏会用の組曲として
作りました。

ベルリンフィルが
演奏する
第2曲ウィーンの音楽時計。
指揮 サイモン・ラトル




この組曲の第3曲目と
第5曲目には
ハンガリーの民族楽器の
ツィンバロンが登場します。



この楽器は弦を
2本のバチで叩いて
演奏するのです。

ツィンバロンが登場するのは
(77‘36’’)と(16‘50‘‘)




半世紀ほど前に
フェスティバルホ―ルでの
大フィルの定期演奏会で
弾かせて頂きましたが
ツィンバロンが
無い時代でしたので
なんとピアノに
画鋲を張って音を
出しました。(@_@;)



侍ジャパンの凱旋

2023-03-23 23:36:52 | 日記



今朝はWBCロスで
目が覚めましたが
大谷選手はすでに始動!
(*_*)
おかげさまで
こちらのエンジンも
かかりました。
\(^o^)/


今日は小学校の二人が
卒業式でした。🌹🌹


   ✨✨✨✨✨

侍ジャパンが
午後3時すぎに日本に
戻ってきましたが
出迎えのファンの数に
吃驚です。


今夜は「凱旋行進曲」
ですね。
トランペットの
ファンファーレで始まる曲、
日本ではサッカ―の応援歌
としてすっかり有名に
なりました。

オペラ「アイーダ」では
第2幕第2場の
「凱旋の場」で演奏され
この作品のハイライトに
なっています。
大合唱、バレエ、
アイーダ・トランペットの
輝かしい響きが
素晴らしいです。


ウィーン国立歌劇場
ウィーン・フィル。






歓喜のうた

2023-03-22 23:12:00 | 日記


WBCのヒーロ―
大谷翔平選手

凄い時間でした。
なんど観ても感動で嬉し涙。
言葉がありません。


  ✨✨✨✨✨✨

今夜はべートーヴェンの
「歓喜のうた」を聴くこと
にします。
べート―ヴェンは32歳の時、
あまりの絶望から
ハイリゲンシュタットの
遺書を書きましたが
失意のどん底から鮮やかに
復活してみせた
真のヒーローでした。

「歓喜のうた」
フラッシュモブ
(5‘41’’)




こちらはカラヤン指揮
ベルリンフィルです。
(3‘21’’)







総力戦

2023-03-21 23:20:00 | 日記
(見出し画像は
大谷選手のインスタより
お借りしました。)


朝は仕事でしたが
帰宅してから
たっぷり観戦。

サムライ・ジャパンから
山ほどの勇気を
もらいました。🌹🌹


  ✨✨✨✨✨✨

今夜はこれを聴いて
休むことに致します。

マーラ―作曲 交響曲第8番
「1000人の交響曲」



初演は1910年で
マーラー自身の指揮によって
行われました。
この時の編成は
オーケストラ171名
独唱者8名
合唱団850名という大編成の
1000人超えでしたので
「1000人の交響曲」と
呼ばれるようになりました。

『この交響曲では、
宇宙全体が歌い奏でます。
それは人間の声ではなく
遊星と太陽の音楽なのです』
とマーラーが語っています。

この作品は妻のアルマに
献げられました。

マーラー交響曲第8番
フィナーレ
(5‘50’’)








ようやく復旧。

2023-03-20 22:43:00 | 日記

おかげさまで
スマホが復旧。

初期化しました。💦
ゆっくり戻しますので
どうそよろしくお願い
申し上げます。
 
   ✨✨✨✨✨





誰もが知っている
バレエ音楽「白鳥の湖」は
ロシアの作曲家
ピョートル・チャイコフスキーが1876年に書きました。

   
1893年には
最後の交響曲
第6番「悲愴」を
書きますが
べートーヴェンの
ピアノ・ソナタ「悲愴」を
意識したと言われています。

また、チャイコフスキーは
この交響曲に
かなりの思いを込めたようで
泣きながら作曲したとも
言われています。
この曲の感情の起伏は
楽譜に記された
演奏記号からうかがえます。

第1楽章では
ファゴットの独奏に
pが6つも並ぶ
ppppppの記号が記されて
います。





「悲愴」というタイトルは
チャイコフスキー自身が
つけました。
同年に彼自身の指揮で
初演されましたが
9日後の突然の死で
彼の遺作となります。

第4楽章は地の底に落ちる
ような嘆き、悲しみが
描かれたメロディが
続きます。
チャイコフスキー自身が
死を意識したかのように
悲しい曲で
最後は灯が消えるように
静かに終わります。


交響曲第6番第4楽章
指揮 カラヤン
ベルリン・フィル






難関突破

2023-03-18 23:14:00 | 日記
断崖君とお嬢さん、
そして小学生のお嬢さんの
3人の受験生が揃って合格。
断崖君からのラインに
「凄いね❗おめでとう」と
返信しましたら
「ありがとう。エヘヘ」と。
  
手のかかるやんちゃ坊主の
快挙にほっこりしています。
  
   ✨✨✨✨✨✨


「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は
ドイツ語で「小さな夜の曲」の意味です。
題名はモーツァルト自身が
つけました。
彼が生涯に残した
600曲以上の楽曲のなかでも
有名すぎるほど有名な
室内楽曲です。
完成したのは
1787年10月10日ですが
なんのために書かれたのかは
はっきりしていませんが
冒頭はドミソの音しか
出てきません。
モーツァルトは
シンプルにして完璧な
ドミソの旋律を
沢山書きました。
正式には
「セレナード」
ト長調K525です。


ネビル・マリナー指揮 
(5’48")







世界一に向けて。

2023-03-17 21:29:00 | 日記

試合を終えて午前2時半に
日本を飛び立った
侍ジャパン。





大谷選手の
インスタグラムより。

6枚目の写真で
吹き出しました。

(インスタをお借り
しました。)

   ✨✨✨✨✨

「威風堂々」第1番
世界一のオーケストラ
ベルリン・フィルの演奏で。




「威風堂々」はイギリスの
エドワード・エルガー作曲の
管弦楽のための行進曲です。
勇壮な行進曲に続いて
中間部にはゆったりした
メロディは
エドワード7世を感動させ
すぐに「希望と栄光の国」と
題する合唱曲に改作
されました。

原題「Pomp and Circumstance」は
シェイクスピアの「オセロ」
の台詞の一部から
取られています。






手に汗握り💦💦

2023-03-16 22:33:00 | 日記

メジャー選手が多い
イタリアに対して
鬼気迫る大谷選手の投球。

そしてバント❓凄い。

   ✨✨✨✨✨

ショスタコーヴィチ交響曲
第5番4楽章。

ドュダメル指揮
ベルリン・フィル。



ハラハラ・ドキドキ
4回・5回の危機的状況を
切り抜けていく
今夜の侍ジャパンに
スターリンの恐怖政治下、
いのちがけの
危機的状況で書かれた
ショスタコーヴィチの
交響曲第5番で応援です。

彼の全作品中一番の
人気作品です。
この壮大な終楽章は
悲しみと苦難にあって
生き抜く人々を励ます
音楽です。
 
  ✨✨✨✨✨✨

村上、打ちました❗
東京ドー厶のラストゲーム。
がんばれ・がんばれ。

ダルビッシュが登板❗
ゴージャス過ぎるゲーム。

楽しませてもらいました。
おめでとう❗❗








パトロネス

2023-03-15 23:59:00 | 日記




午後から半日かけて
2台のピアノの調律と
メンテナンスでした。





アップライト・ピアノの
ペダルの支えの部品を
交換しなければ
ならないようですが
手に入らないかもです。
グロトリアン・
スタインヴェーグ、
40年以上よく働いて
くれました。


 


  ✨✨✨✨✨✨

リバーサル・オーケストラは
今夜が最終回。
チャイコフスキーの
交響曲の5番でした。




客席に神奈川フィルの
コンサートマスターが
ありましたね。(*^_^*)



  ✨✨✨✨✨
   
交響曲第5番より3楽章。
バレエ音楽の名人だった
チャイコフスキーの
ワルツです。

指揮 カラヤン
ベルリン・フィル
(6’04")



チャイコフスキーの教え子に
優秀なヴァイオリニストが
いました。
彼はある未亡人の家に
出入りしていましたが
時々、彼女から
チャイコフスキーに
小品の依頼がありました。
不思議なことに
小品の割には
多額の謝礼が
支払われるのです。
この未亡人こそ
チャイコフスキーの生涯に
重要な役割を果たした
ナジェージダ・フィラレトーヴナ・フォン・メック夫人
でした。

彼女はチャイコフスキーの
音楽を深く愛好していたので
作曲に没頭できるように
援助を申し出たのです。

夫人との交際は13年間
続きましたが
1200通にも及ぶ手紙の
やりとりがありながら
ただの一度も会うことは
ありませんでした。(*_*)

  ✨✨✨✨✨✨

今夜はこの辺で。
おやすみなさいませ。