ウチにはネコがいる。
オス、8歳。
人間で言うと、高齢期に入ったところだ。
短毛だが、ティッキング(生え際から毛先にかけて色か変わる毛のこと)は
とても美しい。
体型も優雅で、座っていると「バレーキャット」の別名が大いに理解できる。
甘えた鳴き声はとてもかわいらしく、鈴を鳴らすようと形容されるゴロゴロ
声には耳を奪われる。
自慢に聞こえるかもしれないが、アビシニアン(猫種)と同居している人なら
同意してくれるはずだ。他の種でも、猫好きには通じると思う。
人間と他の動物の差異として、「笑顔」が挙げられることがある。
笑うのは人間だけだと。
第三者的に笑っているのが一目瞭然、という意味でそれは正しいだろう。
猫の表情は豊かなものだが、ウチの猫は笑う。
おいらにしか分からないけども。
そんなこんなを含めて、何とも愛しい存在である。
その彼が、老齢に入ったからだろう、寝ている時間が長くなった。
猫ってのはよく寝るものだが、以前と比べて相対的に。
他にも、老いが彼を被って行くのが見える。
現実は受け入れねばならない。
この先に訪れるだろう結末についても、受容できないなら最初から同居
を選択してはならない。
受け入れられるように心の準備をしよう。
そして、深い愛情と大きな感謝を彼に捧げよう。
しかし、人間本位だなぁと思う。
彼の一生は、人間を癒すためにだけ存在したのだろうか。
猫と暮らしてみて、感じたことがある。
人間と似ている。というか、まるで人のようだと思うことがある。
仏教を信じるなら、彼等の来世はきっと人間になるに違いない。
現世は修行の場であり善行を積む場なのだから、彼等は人間を
たくさん癒したことで人間に昇格するのだ。きっと。
さて、おいらの来世は人間から菩薩に昇格できるのか・・・?
| Trackback ( 0 )
|