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彼は、彼女の視線が空間を彷徨った一瞬を見逃さなかった。
事前に彼が想定していたオプション、そのどれにも当てはまらない光景が
彼の脳裏に焼き付く。所詮、彼が考えていたことは、彼女が「Yes」を言う
バリエーションでしかなかったのだ。そこには、はにかむのでもなく、笑顔
を振りまくでもない彼女が、無表情を銅像よろしく凍りつかせている。
暫くの間、彼の眼差しが彼女の視線と絡み合うことはなく、彼の所在無さ
と彼女の無表情が、二人の空間をクリスマスの雰囲気から冬の情景へと
変わらしめていた。
「少し考えさせて。」
彼女の精一杯の気遣いは、彼には最後通牒に聞こえた。肩を落とした彼
に次の台詞は出ない。彼女とて話題を変えるような機転を利かす余裕は
なく、二人の思念は現実を超越した妄想へと逃避した。
念というものに力があるのか。それとも、人とは念の中に逃避する性向を
持つ生き物なのか。いずれにせよ脳内に格納された記憶が、複雑な処理
を経て思考に至る膨大なプロセスにおいて、何者かが介在したとしても、
それに気付く術はない。たとえば他者の念や残留した思念が、同時並行
的に反応していくシナップスの受容体として機能したとしても、DNAレベル
で制御される神経反応の一つ一つが意識されることはなく、一瞬の内に
循環されていくことだろう。
「あなたたちは充分に幸せなのに、未だ不満があるの?」
二人の深層意識の中に、あるいは潜在意識の一つとして、若い女性の声
が同時にささやきかけた。
窓外に広がる美しい夜景。その中には、遠くからでもそれと分かる新宿の
高層ビル街があって、昨年、二人で始めてのクリスマスを過ごした老舗の
ホテルも含まれている。今も昨年の二人のように、多くの恋人達が愛を確
かめ合っていることだろう。そういった幸福の念が、輝くネオンの光とともに
二人にも届いていた。昨年に二人がそこに残してきた、幸せと美しい未来
への予感をも伴って。しかし、届いた念はそれらだけではなかった。
無念、あるいは喪失感。
一瞬に凝縮された思いは何者をも凌駕する力を有し、一つの生命体の如く
伝播する対象を探す。実体を伴わぬそれは、永遠に満たされることがない
という宿命を帯び、自己解決の術を持たないことで絶望が助長されていく。
ここに芽生えたのは、実社会におけるテロリズムの動機と酷似していた。
より良い未来が完全に否定されたと感じる時、自滅的暴力によって他者に
自らの絶望を周知させようとするのは、人が人たる所以とでも云うのだろう
か。未熟として片付けるには、あまりに節操が無いではないか。
悲劇とは連鎖しようとする。断ち切る策は、対極の感情か。あるいは一層
の悲劇か。
<続く>
錯綜妄想クリック。
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