街の雑踏を歩く。
路上のパーキングメータ横に停めた愛車に向けて。
ズボンの右ポケットからキーを取り出し、開錠ボタンを押す。
愛車は、カチッという控えめな音と、全てのランプを点灯させて
主人の入室を促す。
ちょっと重めのドアを開け、運転席に身体を滑り込ませ、
勢いよくドアを閉める。
途切れない雑音の音量が一段下がる瞬間。
僅かに漏れる吐息は、自分だけの空間に回帰した安心感なのか。
エンジンに火を入れ、占有した空間とともに愛車を駆る。
流れるネオン、ヘッドライト。
一瞬の間に過ぎ去る人、風景。
どこに行こうか。
愛車は答えてはくれない。
どこへでも行けるさ。
主人にその気さえあれば。
君を所有する喜び、分かるかい?
愛車は答えない。
でも、自らが満足を提供できるナニモノかであるという誇りが漂う。
それは作り手のメッセージなのか。
単なる消費ではない。
単なる耐久消費財ではない。
そういうものだ。
そういうものだったはずだ。
車というものは。
自己表現のツールだとか、移動の手段だとか、そういうんじゃ
なくて、本当の心を表現してみないか。
過剰ではないクリック。
↓
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