1985年アルバム「KAMAKURA」を発表。このアルバムは完成度が高くサザンの最高傑作とも言われているようです。翌年、原由子の産休もありサザンは活動停止、その間桑田さんはロックバンドKUWATA BANDを結成。これがなかなか良く「BAN BAN BAN」等のヒットを飛ばしました。
この時は洋楽のカバーをやってましたが、とくにディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」がよかった!衣装も全員黒でまとめかっこよかったです。
サザンとしても桑田佳祐としても絶頂期にあった時期だったと思います。
KUWATA BANDとしてLIVEアルバムを1枚出していますがこれがまた良い!
ジャケットもサザン、桑田さんらしいのですがまた違う味でなかなかよかったです。(写真)
さて、私はサザンのコンサートに1回、札幌で行っております。確かFM北海道開局記念のコンサートだったと思いますが、そうするとまた1982年頃!?
いろいろ思い出すにつれ、この年は私のキー・イヤーのようです。(苦笑)
このときすでに洋楽のカバーやロックのメドレーをやってたような気がしますが、記憶が定かではありません。
ただ、まさにライヴバンドに恥じないノリノリのステージでした。
桑田さんのヴォーカルにはキーがどうのとか、そんなレベルを超えたものを感じました。
また、奥さんの原由子さんはサザンの中でキーボードだけでなく、ハーモニーにおいて非常に重要なポジションを占めていると思います。
サザンオールスターズがここまでビッグなバンドに成長したのは桑田さんの天才的かつ狂人的音楽センスに他ならないと思いますが、妻であり当初からのメンバーである原由子の存在も大きく、まさに、内助の功的な役割だったと思います。
最近は少し落ち着くどころかますますクレイジーなサザンですが、これからも日本を代表するロック・バンドとしていい曲を作ってくれることでしょう。
この時は洋楽のカバーをやってましたが、とくにディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」がよかった!衣装も全員黒でまとめかっこよかったです。
サザンとしても桑田佳祐としても絶頂期にあった時期だったと思います。
KUWATA BANDとしてLIVEアルバムを1枚出していますがこれがまた良い!
ジャケットもサザン、桑田さんらしいのですがまた違う味でなかなかよかったです。(写真)
さて、私はサザンのコンサートに1回、札幌で行っております。確かFM北海道開局記念のコンサートだったと思いますが、そうするとまた1982年頃!?
いろいろ思い出すにつれ、この年は私のキー・イヤーのようです。(苦笑)
このときすでに洋楽のカバーやロックのメドレーをやってたような気がしますが、記憶が定かではありません。
ただ、まさにライヴバンドに恥じないノリノリのステージでした。
桑田さんのヴォーカルにはキーがどうのとか、そんなレベルを超えたものを感じました。
また、奥さんの原由子さんはサザンの中でキーボードだけでなく、ハーモニーにおいて非常に重要なポジションを占めていると思います。
サザンオールスターズがここまでビッグなバンドに成長したのは桑田さんの天才的かつ狂人的音楽センスに他ならないと思いますが、妻であり当初からのメンバーである原由子の存在も大きく、まさに、内助の功的な役割だったと思います。
最近は少し落ち着くどころかますますクレイジーなサザンですが、これからも日本を代表するロック・バンドとしていい曲を作ってくれることでしょう。
今や、日本を代表するモンスターバンドになってしまったサザンですが、1978年のデビュー当時はコミックバンド?と思った方も多いかったのではないでしょうか。
「勝手にシンドバッド」という曲のタイトルもそうですが、桑田さんの たたみかけるような早口のヴォーカルは何を言ってるのかよくわからないし、サウンドも何か懐かしいような歌謡曲かグループサウンズのような感じでした。
すでに世良公則とツイストは爆発的な人気を博していて、その正統派のロックと比べるとあまりに違うタイプのバンドでした。
しかし、「いとしのエリー」の大ヒットでツイストと肩を並べるロックバンドに追いつくもののシングルヒットが続きませんでした。
そんな中でもサザンはコンスタントにアルバムを発表し1971年のアルバム「ステレオ太陽族」は「Hello My Love」、「MY FOREPLAY MUSIC」「栞(しおり)のテーマ」といい曲が入っていた良いアルバムでしたがシングルのビッグヒットは生まれませんでした。
しかし、翌年「チャコの海岸物語」が予想外の大ヒット?で再びブレイク。
この後ヒットが続くようになります。
サザンは多作ではありますがアルバムの中には駄作も多く、その辺の力の抜きどころというかムラがあるところが桑田さんの天才的なところなんでしょう。
ツイストがそのまま下降線を辿っていったのに対し、サザンはスランプを乗り越えると桑田さんのメロディメーカーとしての才能はとどまるところを知らず次々とヒット曲を産みます。
栞のテーマ (1981)、チャコの海岸物語 (1982)、匂艶 THE NIGHT CLUB (1982)、Ya Ya (あの時代を忘れない) (1982)、ボディ・スペシャルII (1983)、ミス・ブランニュー・デイ (1984) 、メロディ (Melody) (1985)、みんなのうた (1988)、真夏の果実 (1990)、シュラバ★ラ★バンバ (1992)、涙のキッス (1992)、エロティカ・セブン (1993)、あなただけを ~Summer Heartbreak~ (1995)、愛の言霊 ~Spiritual Message (1996)、太陽は罪な奴 (1996)、LOVE AFFAIR ~秘密のデート~ (1998)そして2000年ついにあの名曲TSUNAMIを発表。記録的な大ヒットを記録しました。
ほかにも夏をあきらめて、OH!クラウディアなどいい曲がたくさんありますね。
「勝手にシンドバッド」という曲のタイトルもそうですが、桑田さんの たたみかけるような早口のヴォーカルは何を言ってるのかよくわからないし、サウンドも何か懐かしいような歌謡曲かグループサウンズのような感じでした。
すでに世良公則とツイストは爆発的な人気を博していて、その正統派のロックと比べるとあまりに違うタイプのバンドでした。
しかし、「いとしのエリー」の大ヒットでツイストと肩を並べるロックバンドに追いつくもののシングルヒットが続きませんでした。
そんな中でもサザンはコンスタントにアルバムを発表し1971年のアルバム「ステレオ太陽族」は「Hello My Love」、「MY FOREPLAY MUSIC」「栞(しおり)のテーマ」といい曲が入っていた良いアルバムでしたがシングルのビッグヒットは生まれませんでした。
しかし、翌年「チャコの海岸物語」が予想外の大ヒット?で再びブレイク。
この後ヒットが続くようになります。
サザンは多作ではありますがアルバムの中には駄作も多く、その辺の力の抜きどころというかムラがあるところが桑田さんの天才的なところなんでしょう。
ツイストがそのまま下降線を辿っていったのに対し、サザンはスランプを乗り越えると桑田さんのメロディメーカーとしての才能はとどまるところを知らず次々とヒット曲を産みます。
栞のテーマ (1981)、チャコの海岸物語 (1982)、匂艶 THE NIGHT CLUB (1982)、Ya Ya (あの時代を忘れない) (1982)、ボディ・スペシャルII (1983)、ミス・ブランニュー・デイ (1984) 、メロディ (Melody) (1985)、みんなのうた (1988)、真夏の果実 (1990)、シュラバ★ラ★バンバ (1992)、涙のキッス (1992)、エロティカ・セブン (1993)、あなただけを ~Summer Heartbreak~ (1995)、愛の言霊 ~Spiritual Message (1996)、太陽は罪な奴 (1996)、LOVE AFFAIR ~秘密のデート~ (1998)そして2000年ついにあの名曲TSUNAMIを発表。記録的な大ヒットを記録しました。
ほかにも夏をあきらめて、OH!クラウディアなどいい曲がたくさんありますね。
グリークラブの年間のスケジュールは、冬の定期演奏会をメインに地方を回る夏の演奏旅行、春と秋の市民合唱際への参加、カルテット大会などが主な行事でした。
その間に大学の合唱団同士でレクリエーションがありましたが、その中の一番大きな行事が春の連合ピクニック(連ピク)でした。
札幌近郊の大学の合唱団が集まり、支笏湖へ行ってゲームやジンギスカンやボートに乗ったりして親交を深めるのです。
各大学混合の班がつくられますが、この時はメンバーは教えてもらえませんでした。
最初に顔合わせをするのですが、誰がくるかわからないままに集合場所に行って喫茶店で色々と役割を決めるのです。これは目隠しデートと呼ばれ、1年目の我々は期待と不安でドキドキながら待ち合わせ場所へ行きました。
もっとも1年生ですので、メンバーの名前がわかったところでどんな人かはわかりませんが(苦笑)
集まったメンバーは男性3人女性3人だったと思います。
その中で1学年上の女性が綺麗な人でひときわ目立っていました。
その人、U先輩はなんと、あのSS君と同じ大学だというではありませんか。
これがきっかけとなり、私はSS君とU先輩を巡ってし烈な争いを・・・したかどうかは後にしまして、とにかく憧れの先輩として大学時代の4年間、我々のマドンナ的存在となるのでした。
ただそのときは綺麗なお姉さんという感じで、先輩ですから、私は同じ1年目の切れ長の大きな目が印象的な女の子に標準を絞り、一緒にボートに乗ってもらおうと思うのですが。。。残念ながら、くじ引きで負けて違う女の子とボートに乗ることになるのでした。
この1978年はアイドルではピンク・レディ「UFO」の大ヒット、榊原郁恵が「夏のお嬢さん」でブレイク、ニューミュージックでは八神純子がデビュー。また高橋真梨子が「あなたの空を翔びたい」でソロデビューした年でもありました。
その間に大学の合唱団同士でレクリエーションがありましたが、その中の一番大きな行事が春の連合ピクニック(連ピク)でした。
札幌近郊の大学の合唱団が集まり、支笏湖へ行ってゲームやジンギスカンやボートに乗ったりして親交を深めるのです。
各大学混合の班がつくられますが、この時はメンバーは教えてもらえませんでした。
最初に顔合わせをするのですが、誰がくるかわからないままに集合場所に行って喫茶店で色々と役割を決めるのです。これは目隠しデートと呼ばれ、1年目の我々は期待と不安でドキドキながら待ち合わせ場所へ行きました。
もっとも1年生ですので、メンバーの名前がわかったところでどんな人かはわかりませんが(苦笑)
集まったメンバーは男性3人女性3人だったと思います。
その中で1学年上の女性が綺麗な人でひときわ目立っていました。
その人、U先輩はなんと、あのSS君と同じ大学だというではありませんか。
これがきっかけとなり、私はSS君とU先輩を巡ってし烈な争いを・・・したかどうかは後にしまして、とにかく憧れの先輩として大学時代の4年間、我々のマドンナ的存在となるのでした。
ただそのときは綺麗なお姉さんという感じで、先輩ですから、私は同じ1年目の切れ長の大きな目が印象的な女の子に標準を絞り、一緒にボートに乗ってもらおうと思うのですが。。。残念ながら、くじ引きで負けて違う女の子とボートに乗ることになるのでした。
この1978年はアイドルではピンク・レディ「UFO」の大ヒット、榊原郁恵が「夏のお嬢さん」でブレイク、ニューミュージックでは八神純子がデビュー。また高橋真梨子が「あなたの空を翔びたい」でソロデビューした年でもありました。
今日は寒かったので「芋の子汁」を作ってみました。
岩手の「芋の子汁」はあくまで芋が主役。野菜がたっぷりで味噌か醤油あじというのが基本のようです。
肉はあくまで脇役。
今日は里芋、牛蒡、人参、大根、コンニャクの他に山形月山の「はなたけ」というきのこと豚肉も入れて味噌味にしてみました。
今日は水煮野菜、皮むき里芋を使ったお得意の手抜き料理ですが、きのこを入れるとやっぱり美味しい!あと長ねぎも欠かせませんね~
初めてにしてはまずまずの出来かな!?
岩手の「芋の子汁」はあくまで芋が主役。野菜がたっぷりで味噌か醤油あじというのが基本のようです。
肉はあくまで脇役。
今日は里芋、牛蒡、人参、大根、コンニャクの他に山形月山の「はなたけ」というきのこと豚肉も入れて味噌味にしてみました。
今日は水煮野菜、皮むき里芋を使ったお得意の手抜き料理ですが、きのこを入れるとやっぱり美味しい!あと長ねぎも欠かせませんね~
初めてにしてはまずまずの出来かな!?
1977年に第14回ヤマハポピュラーソングコンテストでグランプリを獲得。
最初に「あんたのバラード」を聴いたのはラジオから流れてくる世良さんの声でした。ポプコンではなくて「世界歌謡祭グランプリ」といっていたと思います。
その時は、なんかバタ臭い歌だな~というのが第一印象であまり好きにはなれませんでした。
しかし、ある日テレビで「あんたのバラード」がCMで流れ、熱唱する世良さんの姿が映し出されると、私のイメージは180度変わりました。
かっこいいバンドだな~!ハスキーな声で派手なアクションでセクシーに歌う世良公則にはすごい魅力を感じました。
デビュー曲の「あんたのバラード」はその後もロングセラーとなりました。
ロックバンドでこれだけメジャーになったのはツイストが初めてだったと思います。
それはやはり世良公則の魅力だったのだと思いますが、アイドル視されていたのも事実かもしれません。当然、その頃から始まったザ・ベストテンなどの歌番組にも出ましたのでロックバンドとしては露出度が高かったのです。
第2弾「宿無し」は「あんたのバラード」に比べるとコンパクトなおとなしめのロックンロールという感じで、ちょっと肩透かしという感じがしました。
そして、ついに名曲「銃爪(ひきがね)」が出ます!
この曲を初めて聴いたときは最高にかっこいい曲だと思いましたね~
曲とヴォーカルが見事にマッチしたメチャクチャかっこいいロックでした。
当然、この曲は大ヒット!ツイスト最大のヒット曲となりました。
しかし、その後は「性」「燃えろいい女」といまいちパットしない。(苦笑)
世良さんの派手なアクションも少し飽きられてきたのかもしれません。
1980年発表の「LOVE SONG」がランクインしたのを最後に翌81年解散。
世良さんはその後俳優、ソロミュージシャンとして活躍していますが、最近はあまり見かけないような気がします。
いつか「あんたのバラード」をしっとりと歌ってみたい。人気がピークの頃そんなコメントを目にしたことがあります。
何年か前にテレビで「あんたのバラード」をしっとりと歌っている世良さんを見て、こういう歌い方が出来るようになったんだな~と思いました。
最初に「あんたのバラード」を聴いたのはラジオから流れてくる世良さんの声でした。ポプコンではなくて「世界歌謡祭グランプリ」といっていたと思います。
その時は、なんかバタ臭い歌だな~というのが第一印象であまり好きにはなれませんでした。
しかし、ある日テレビで「あんたのバラード」がCMで流れ、熱唱する世良さんの姿が映し出されると、私のイメージは180度変わりました。
かっこいいバンドだな~!ハスキーな声で派手なアクションでセクシーに歌う世良公則にはすごい魅力を感じました。
デビュー曲の「あんたのバラード」はその後もロングセラーとなりました。
ロックバンドでこれだけメジャーになったのはツイストが初めてだったと思います。
それはやはり世良公則の魅力だったのだと思いますが、アイドル視されていたのも事実かもしれません。当然、その頃から始まったザ・ベストテンなどの歌番組にも出ましたのでロックバンドとしては露出度が高かったのです。
第2弾「宿無し」は「あんたのバラード」に比べるとコンパクトなおとなしめのロックンロールという感じで、ちょっと肩透かしという感じがしました。
そして、ついに名曲「銃爪(ひきがね)」が出ます!
この曲を初めて聴いたときは最高にかっこいい曲だと思いましたね~
曲とヴォーカルが見事にマッチしたメチャクチャかっこいいロックでした。
当然、この曲は大ヒット!ツイスト最大のヒット曲となりました。
しかし、その後は「性」「燃えろいい女」といまいちパットしない。(苦笑)
世良さんの派手なアクションも少し飽きられてきたのかもしれません。
1980年発表の「LOVE SONG」がランクインしたのを最後に翌81年解散。
世良さんはその後俳優、ソロミュージシャンとして活躍していますが、最近はあまり見かけないような気がします。
いつか「あんたのバラード」をしっとりと歌ってみたい。人気がピークの頃そんなコメントを目にしたことがあります。
何年か前にテレビで「あんたのバラード」をしっとりと歌っている世良さんを見て、こういう歌い方が出来るようになったんだな~と思いました。
私がキャメルを知ったのは中学を卒業する頃だったと思います。
やはり、ロック好きな友人が「スノーグース」を聴いてみたところ、予想外によかった!と感激していたのが印象的でした。
という記憶があるのですが、調べたところ「スノーグース」の発売は75年。
75年ということは高校に上がる年なので、1月か2月の発売なのか。
その辺までは記録が残っていないのでなんともいえませんが、もしかしたら記憶違いなのかもしれません。
1975年頃のプログレといえば前述しているキング・クリムゾン、ELP、ピンク・フロイド、Yes、ムーディ・ブルースといった強力なバンドは解散もしくは停滞気味であった時代ではあるものの我々リスナーにとって、その強力なラインナップに割り込むには至難の業だったのです。
しかし、確かに前評判でもキャメルの「スノーグース」は名盤といわれていましたので、私も頭の中には残っていたわけです。
ただその頃(75年ごろ)は、まだキャメルまで聴く余裕がなく、私がキャメルにはまるのはMY MINDレーティングスによると77年ごろだったようです。
この年のレーティングスに初登場し、なんと年間ランキングはピンク・フロイドと同点の第3位!
ランクインした理由はもちろん「スノーグース」というすばらしいアルバムのせいでした。
「スノーグース」はポール・ギャリコの短編「スノー・グース(白雁)」に感銘を受けて制作したアルバムで、全曲インストゥルメンタルなんですが、組曲のようになっていてメロディアスで叙情的で一度聴いてすっかり魅せられてしまいました。
特徴はギターとメロトロンとフルート!これは珍しかった!
「スノーグース」のほかにも「ムーン・マッドネス」「ミラージュ」「ブレスレス」などいいアルバムはあるのですが、「ブレスレス」ぐらいまでがピークでしょうか、その後「ヌード」までは聴いていたと思います。
私的には何といっても「スノーグース」!この一枚がキャメルといっても過言ではありません。
やはり、ロック好きな友人が「スノーグース」を聴いてみたところ、予想外によかった!と感激していたのが印象的でした。
という記憶があるのですが、調べたところ「スノーグース」の発売は75年。
75年ということは高校に上がる年なので、1月か2月の発売なのか。
その辺までは記録が残っていないのでなんともいえませんが、もしかしたら記憶違いなのかもしれません。
1975年頃のプログレといえば前述しているキング・クリムゾン、ELP、ピンク・フロイド、Yes、ムーディ・ブルースといった強力なバンドは解散もしくは停滞気味であった時代ではあるものの我々リスナーにとって、その強力なラインナップに割り込むには至難の業だったのです。
しかし、確かに前評判でもキャメルの「スノーグース」は名盤といわれていましたので、私も頭の中には残っていたわけです。
ただその頃(75年ごろ)は、まだキャメルまで聴く余裕がなく、私がキャメルにはまるのはMY MINDレーティングスによると77年ごろだったようです。
この年のレーティングスに初登場し、なんと年間ランキングはピンク・フロイドと同点の第3位!
ランクインした理由はもちろん「スノーグース」というすばらしいアルバムのせいでした。
「スノーグース」はポール・ギャリコの短編「スノー・グース(白雁)」に感銘を受けて制作したアルバムで、全曲インストゥルメンタルなんですが、組曲のようになっていてメロディアスで叙情的で一度聴いてすっかり魅せられてしまいました。
特徴はギターとメロトロンとフルート!これは珍しかった!
「スノーグース」のほかにも「ムーン・マッドネス」「ミラージュ」「ブレスレス」などいいアルバムはあるのですが、「ブレスレス」ぐらいまでがピークでしょうか、その後「ヌード」までは聴いていたと思います。
私的には何といっても「スノーグース」!この一枚がキャメルといっても過言ではありません。
今日は、男声合唱について少しご説明しましょう。
ご存知かもしれませんが男声合唱のパートは4つに分かれています。
まずベース。
バスともいわれます。一番低い音階を担当するパートで、リズムを刻み曲に厚みをつける縁の下の力持ち的なパートです。歌う人は太めでがっちりしたタイプが多いというイメージがありますが、それはあくまでイメージです。(苦笑)
次にバリトン。
バリトンはベースの上の音階を歌うパートで、主にハーモニーをつける音階のためメロディが難しい。日本人の男声の一般的な音階といわれていましたが、最近はもっと高くなっているような気がします。
次にセカンドテナー。
セカンドテノールとも呼ばれます。普通はセカンドと呼んでいました。
このパートもハーモニーをつけるパートですが、時々主旋律を歌うこともあります。バリトンとともに内声とよばれる重要なパートです
そして、最後はトップテナー
男声合唱の花形。主旋律を歌うことが多く、一番高い音階を担当するパートです。
主に主旋律を歌うので一番目立ちますが、単に高い声を出せるだけでなく表現力も求められ、しかも、曲の良し悪しはトップのせいにされることが多い。非常にきついパートです。
必然的に責任感のある気の強い性格(歌に対して)が形成されます。(苦笑)
しかし、それだけに良い演奏が出来たときの感動は外のパートよりも大きかったのではないかと思いますが、それもすべてみんなのお陰、ほかの3パートの支えがあってこそのトップテナーなのです。
しかし、私がそんな演奏が出来るようになるのはまだまだ先のことでした。
ご存知かもしれませんが男声合唱のパートは4つに分かれています。
まずベース。
バスともいわれます。一番低い音階を担当するパートで、リズムを刻み曲に厚みをつける縁の下の力持ち的なパートです。歌う人は太めでがっちりしたタイプが多いというイメージがありますが、それはあくまでイメージです。(苦笑)
次にバリトン。
バリトンはベースの上の音階を歌うパートで、主にハーモニーをつける音階のためメロディが難しい。日本人の男声の一般的な音階といわれていましたが、最近はもっと高くなっているような気がします。
次にセカンドテナー。
セカンドテノールとも呼ばれます。普通はセカンドと呼んでいました。
このパートもハーモニーをつけるパートですが、時々主旋律を歌うこともあります。バリトンとともに内声とよばれる重要なパートです
そして、最後はトップテナー
男声合唱の花形。主旋律を歌うことが多く、一番高い音階を担当するパートです。
主に主旋律を歌うので一番目立ちますが、単に高い声を出せるだけでなく表現力も求められ、しかも、曲の良し悪しはトップのせいにされることが多い。非常にきついパートです。
必然的に責任感のある気の強い性格(歌に対して)が形成されます。(苦笑)
しかし、それだけに良い演奏が出来たときの感動は外のパートよりも大きかったのではないかと思いますが、それもすべてみんなのお陰、ほかの3パートの支えがあってこそのトップテナーなのです。
しかし、私がそんな演奏が出来るようになるのはまだまだ先のことでした。