小学校受験を考えていますが、何も特別には教えていません、という言葉。
これは、入会のお問い合わせをいただいた時や、ご相談にみえた時によく聞く言葉です。
しかし、私はこのお言葉を聞いた時には、必ずこう答えます。「特別に何かを教えようとするよりも、まずはお子様が自分で『考える』という習慣をつけさせてあげてくださいね」と。
「どうして、おやかんから湯気がでるの?」
「どうして、蒔いた種から芽が出てきたの?」
「どうして、積もった雪はお昼になったらとけちゃったの?」
幸いにも、我が子がこんな暮らしの中の、身近な「?」や「!」に目を向け、不思議を感じた時、決してスルーしてしまったり、面倒がったりしてはいけません。
そして、もう1点とても大事なことは・・・
それは、ここぞとばかりに、必死に説明をしてはいけない、ということです
教育的レベルの高い親ほど、こういう時「学術的に、正確に」子どもに説明をします。時には難しい言葉を並べ立て、そしてその難しい言葉の説明を始めてしまいます
そのうちに、だんだんと真剣に聞くことに疲れてしまい・・・興味を失くしていってしまうのです。せっかく子ども達は「なぜ?」「どうして?」「不思議!」と思ったにも関わらず、親のせいで興味を失くしてしまう・・・
きっと、こんな経験があるのではありませんか?
子ども達が「なぜ?」「どうして?」「不思議!」を示した時、親がすべきことは
「どうしてだと思う?」「本当に不思議だよね。なんでだと思う?」と、子ども自身が『考える』というチャンスを与えてあげることです。そして、子どもがどんなにへんちくりんなこと、突拍子もないことを言い出しても、「・・・なわけないじゃな」とか「何いってんの」のような、ひどい受け答えをしないことです。
今を生きる子ども達、特に教育的レベルの高い家庭に育った子ども達は、親から与えられる幼い頃から前倒しの知育教育や、教えられて学ぶ家庭教育にどっぷりと浸かっています。そのために、「自分のつたない経験や知識をつなぎ合わせ、あれこれと考える」という素敵な、クリエイティブな作業をあまりしたことがないのです
考えない子ども、それは自分で何もできない子ども、です
そんな子どもに育てないこと。私立小学校が求めている子ども、社会が求めている立派な子どもとは、「自分で考えられる子ども」であることを忘れずに
「幼児教室マナーズ」のホームページが新しくなりました。 是非一度、ご覧ください。
これは、入会のお問い合わせをいただいた時や、ご相談にみえた時によく聞く言葉です。
しかし、私はこのお言葉を聞いた時には、必ずこう答えます。「特別に何かを教えようとするよりも、まずはお子様が自分で『考える』という習慣をつけさせてあげてくださいね」と。
「どうして、おやかんから湯気がでるの?」
「どうして、蒔いた種から芽が出てきたの?」
「どうして、積もった雪はお昼になったらとけちゃったの?」
幸いにも、我が子がこんな暮らしの中の、身近な「?」や「!」に目を向け、不思議を感じた時、決してスルーしてしまったり、面倒がったりしてはいけません。
そして、もう1点とても大事なことは・・・
それは、ここぞとばかりに、必死に説明をしてはいけない、ということです
教育的レベルの高い親ほど、こういう時「学術的に、正確に」子どもに説明をします。時には難しい言葉を並べ立て、そしてその難しい言葉の説明を始めてしまいます
そのうちに、だんだんと真剣に聞くことに疲れてしまい・・・興味を失くしていってしまうのです。せっかく子ども達は「なぜ?」「どうして?」「不思議!」と思ったにも関わらず、親のせいで興味を失くしてしまう・・・
きっと、こんな経験があるのではありませんか?
子ども達が「なぜ?」「どうして?」「不思議!」を示した時、親がすべきことは
「どうしてだと思う?」「本当に不思議だよね。なんでだと思う?」と、子ども自身が『考える』というチャンスを与えてあげることです。そして、子どもがどんなにへんちくりんなこと、突拍子もないことを言い出しても、「・・・なわけないじゃな」とか「何いってんの」のような、ひどい受け答えをしないことです。
今を生きる子ども達、特に教育的レベルの高い家庭に育った子ども達は、親から与えられる幼い頃から前倒しの知育教育や、教えられて学ぶ家庭教育にどっぷりと浸かっています。そのために、「自分のつたない経験や知識をつなぎ合わせ、あれこれと考える」という素敵な、クリエイティブな作業をあまりしたことがないのです
考えない子ども、それは自分で何もできない子ども、です
そんな子どもに育てないこと。私立小学校が求めている子ども、社会が求めている立派な子どもとは、「自分で考えられる子ども」であることを忘れずに
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