ひとことで「1」と言いますが、実際には、いろんな種類の「1」があります たとえば・・・
ここにキャンディーが1個あります ・・・という時の「1」
右から1番目 ・・・という時の「1」
1番の椅子から、順番に座ってください ・・・という時の「1」
このカードを、1回、右に回転させます ・・・という時の「1」
さいころをふったら1が出ました。1個、進みましょう ・・・という時の「1」
私達おとなは、それぞれの「1」が、どういう「1」なのかを十分に理解した上で、「1(いち)」という音を聞き、その意味をその時々で判断しています。
しかし、子ども達は、おとなのように長年積んできた多くの経験がないため、「1」という音を聞いても、ピンくるというわけにはいきません。
すでにこの時点で、大人は子どもの理解力について、誤解をしているのですねえ・・・
なるほどねえ・・・と感じていただいた上で、お読みくださいね。
子ども達が、特に理解しづらい(だから、間違えやすい)のが、この2つの種類の「1」です。
「1個、進む」という「1」と、「右(左、上、下)から1番目」という「1」です。この「1」の違いが、なかなかすんなりと理解できないものなのです
ここで少々横道に逸れますが。
私は、昭和33年生まれです。そんな私が子どもの頃は、よく「すごろく」をして遊びました。
季節の「お正月の絵」に登場するような、サイコロをふって、その出た目の数だけ進む(時には戻りもしますが)という非常にオーソドックスな「すごろく」もありましたし、一世を風靡した「人生ゲーム」のような、サイコロの代わりにルーレットを使った「すごろく」もありました
まあ、何で数を決めても、出た数で進んだり、戻ったり・・・という遊び方は同じです。
また、おじいちゃんの碁盤や将棋盤を使って、すごろく的な遊びをした記憶もあります。
将棋盤を使うのは楽しかったですねえ 何か、大人の大事な遊び道具を使う、ということで、ちょっと偉くなったような気分も味わいましたし・・・
将棋盤でのすごろくでは、サイコロ代わりに使ったのは将棋の駒でした。駒を3つだったか4つだったかを手に持ち、さいころを転がすようにコロコロっと将棋盤にばらまくのです。
すると、ぺたんの倒れてしまうものもありますが、駒の中にはお行儀よく立ったり、横向きに立ったりするものもあります。その立ち方?倒れ方?で進む数が決められていて・・・ぺたんと倒れたら「1進む」、お行儀よく立ったら「2進む」、横向きに立ったら「3進む」・・・という具合に。
そうです こんなことからも、私達の時代は自然に、出た駒の数を、計算したりしていたのですねえ。足し算を暗算でできるわけもなく、口に出しながら「この『歩』は寝てるから1進むでしょう」と言って、実際に1目進ませ、「この『角』は立ったから2でしょう」と言って、またそこから2目進ませ・・・というふうに。
とにかく、当時は完全なアナログ時代ですから。パソコンの画面に向かい、クリック一つでルーレットがまわり、ルーレットが止まると、自動的に出た数だけ画面上で自分の駒が電子音とよもに進んでいく・・・なんて、「人任せ」な遊びはなかった、というわけです
だからこそ、子ども達は机に座り、さあ!とペーパーを前にして学習させられなくても、案外、遊びの中で、「足す」や「進む」などということを、自然に遊びの積み重ねで会得していったのでした
・・・と、すっかり余談が長くなりましたが、この話の中にも、たくさんの意味が含まれていたことを、是非、お読み取り下さいね。
さて、話をもとに戻し。
つまり、「1進む」は、すごろくで説明をすれば、今自分の駒のあるこころの「次」の目に1個進んで、やっと「1」進んだことになります。サイコロの目が「4」であれば、自分がいる「次」の目を「1」として、2、3、4・・・と駒を進ませます。これが「○個進む」ということです。
観覧車の問題を解くときも、回転推理の問題を解くときも、この問題を解くときに必要なものは、回転を「こま数」に換算して理解する、という力です
要するに、回転の問題は、実際には「何個進ませるか?何個進んだか?」ということを理解した上で、第2の対象物を同じ数だけ進める・・・というのが解き方です。おわかりになりますね。
ところが、今の子ども達の多くは、先ほども申しあげたように「○個進む」ということが、感覚的に理解しがたいようです。そのために、多くの子ども達にとっての「1」は・・・
ここに1個のキャンディーがある、という「1」であり、1番の椅子から順番に座りましょう、という時の「1」、と同じなんです。
この「1」は、そこにものが存在するという「1」です。そこにある1個のものを数える時に、当然、それを指さし「1」と数えますし、「1番」の椅子を空けて、わざわざ2番の椅子から座りません。
このことは容易に理解できるので、「1、進む」という問題の時も、ついつい、その感覚で、自分が今いるところ(マス目)を「1」として数え、次の目は「2」、その次の目は「3」・・・と、一個ずつずれて数えていってしまう、という間違いが生じてしまいます
私はホワイトボード上に描いて説明をするだけではなく、時には一人ひとりの前に座って、紙の上に絵に描いたり、実際に、私が床に描いた箱の中に立ったりしながら、
「あのね、私が、こうして『1!』っていって、次の箱に動いていきます。いい?移動するわよ、ハイ、1 ねっ、1個進んだでしょう?どう?私が動きもしないで、自分がいる場所でピョンって跳んだだけでは『1』進んだってことにはならないよねえ。」
などと説明すると、手を叩いて、そうだそうだ!と大笑いをします
ところが、実際に、ペーパーの上で観覧車の問題や、回転の問題をさせてみると、やっぱり、結構、この間違いを繰り返すものです どうしても「○個、進む」時の「1」の意味が、感覚的に希薄であることが原因なんです
また、カリキュラムの中には、方眼を使った問題もあって、「右(左、上、下)から○番目」という時には、最初のマス目を「1」と数えています。これも、子ども達をさらに混乱させる一つの原因になっているでしょう。
今回の話しは、あくまで「子ども達が、なぜ間違うのか?」の解説をしただけで、間違えさせないコツのようなものは書いていません。
なぜなら・・・ごめんなさい 瞬時に間違いをさせないようなコツは、この問題にはないからです
また、もっと言えば、どのような問題も、完全な根本的な理解がなければ、わかったような気になるだけで、実際には砂上の楼閣。
このような「1」の意味の違いというものを、しっかりと、生活の中のさまざまなもの、状況を利用し、「なるほど」と理解させなければ、確実な「わかった」は生まれません。
それこそ、今さらですが、すごろく遊びをして、「○個、進む」に慣れさせて、観覧車や回転の問題をする時に、そのすごろくの時のことを話題にしてもいいですよね。「急がば、回れ」です
私は敢えて、お母様方に「なぜ、子どもは混乱するのか?なぜ、子どもは間違ってしまうのか?」の解説をします。
まずは、お母様が「むー、なるほどねえ・・・だから、間違うのか」ということを理解できなければ、上手くリードすることさえ出来ないでしょう。
我が子相手に、「何で間違うの」と、何度も同じセリフで、怖い顔をして怒鳴るよりも、まずは、「何で間違うのかしら・・・?」という間違いのポイントを探る方が、問題解決の近道、ですよ
ここにキャンディーが1個あります ・・・という時の「1」
右から1番目 ・・・という時の「1」
1番の椅子から、順番に座ってください ・・・という時の「1」
このカードを、1回、右に回転させます ・・・という時の「1」
さいころをふったら1が出ました。1個、進みましょう ・・・という時の「1」
私達おとなは、それぞれの「1」が、どういう「1」なのかを十分に理解した上で、「1(いち)」という音を聞き、その意味をその時々で判断しています。
しかし、子ども達は、おとなのように長年積んできた多くの経験がないため、「1」という音を聞いても、ピンくるというわけにはいきません。
すでにこの時点で、大人は子どもの理解力について、誤解をしているのですねえ・・・
なるほどねえ・・・と感じていただいた上で、お読みくださいね。
子ども達が、特に理解しづらい(だから、間違えやすい)のが、この2つの種類の「1」です。
「1個、進む」という「1」と、「右(左、上、下)から1番目」という「1」です。この「1」の違いが、なかなかすんなりと理解できないものなのです
ここで少々横道に逸れますが。
私は、昭和33年生まれです。そんな私が子どもの頃は、よく「すごろく」をして遊びました。
季節の「お正月の絵」に登場するような、サイコロをふって、その出た目の数だけ進む(時には戻りもしますが)という非常にオーソドックスな「すごろく」もありましたし、一世を風靡した「人生ゲーム」のような、サイコロの代わりにルーレットを使った「すごろく」もありました
まあ、何で数を決めても、出た数で進んだり、戻ったり・・・という遊び方は同じです。
また、おじいちゃんの碁盤や将棋盤を使って、すごろく的な遊びをした記憶もあります。
将棋盤を使うのは楽しかったですねえ 何か、大人の大事な遊び道具を使う、ということで、ちょっと偉くなったような気分も味わいましたし・・・
将棋盤でのすごろくでは、サイコロ代わりに使ったのは将棋の駒でした。駒を3つだったか4つだったかを手に持ち、さいころを転がすようにコロコロっと将棋盤にばらまくのです。
すると、ぺたんの倒れてしまうものもありますが、駒の中にはお行儀よく立ったり、横向きに立ったりするものもあります。その立ち方?倒れ方?で進む数が決められていて・・・ぺたんと倒れたら「1進む」、お行儀よく立ったら「2進む」、横向きに立ったら「3進む」・・・という具合に。
そうです こんなことからも、私達の時代は自然に、出た駒の数を、計算したりしていたのですねえ。足し算を暗算でできるわけもなく、口に出しながら「この『歩』は寝てるから1進むでしょう」と言って、実際に1目進ませ、「この『角』は立ったから2でしょう」と言って、またそこから2目進ませ・・・というふうに。
とにかく、当時は完全なアナログ時代ですから。パソコンの画面に向かい、クリック一つでルーレットがまわり、ルーレットが止まると、自動的に出た数だけ画面上で自分の駒が電子音とよもに進んでいく・・・なんて、「人任せ」な遊びはなかった、というわけです
だからこそ、子ども達は机に座り、さあ!とペーパーを前にして学習させられなくても、案外、遊びの中で、「足す」や「進む」などということを、自然に遊びの積み重ねで会得していったのでした
・・・と、すっかり余談が長くなりましたが、この話の中にも、たくさんの意味が含まれていたことを、是非、お読み取り下さいね。
さて、話をもとに戻し。
つまり、「1進む」は、すごろくで説明をすれば、今自分の駒のあるこころの「次」の目に1個進んで、やっと「1」進んだことになります。サイコロの目が「4」であれば、自分がいる「次」の目を「1」として、2、3、4・・・と駒を進ませます。これが「○個進む」ということです。
観覧車の問題を解くときも、回転推理の問題を解くときも、この問題を解くときに必要なものは、回転を「こま数」に換算して理解する、という力です
要するに、回転の問題は、実際には「何個進ませるか?何個進んだか?」ということを理解した上で、第2の対象物を同じ数だけ進める・・・というのが解き方です。おわかりになりますね。
ところが、今の子ども達の多くは、先ほども申しあげたように「○個進む」ということが、感覚的に理解しがたいようです。そのために、多くの子ども達にとっての「1」は・・・
ここに1個のキャンディーがある、という「1」であり、1番の椅子から順番に座りましょう、という時の「1」、と同じなんです。
この「1」は、そこにものが存在するという「1」です。そこにある1個のものを数える時に、当然、それを指さし「1」と数えますし、「1番」の椅子を空けて、わざわざ2番の椅子から座りません。
このことは容易に理解できるので、「1、進む」という問題の時も、ついつい、その感覚で、自分が今いるところ(マス目)を「1」として数え、次の目は「2」、その次の目は「3」・・・と、一個ずつずれて数えていってしまう、という間違いが生じてしまいます
私はホワイトボード上に描いて説明をするだけではなく、時には一人ひとりの前に座って、紙の上に絵に描いたり、実際に、私が床に描いた箱の中に立ったりしながら、
「あのね、私が、こうして『1!』っていって、次の箱に動いていきます。いい?移動するわよ、ハイ、1 ねっ、1個進んだでしょう?どう?私が動きもしないで、自分がいる場所でピョンって跳んだだけでは『1』進んだってことにはならないよねえ。」
などと説明すると、手を叩いて、そうだそうだ!と大笑いをします
ところが、実際に、ペーパーの上で観覧車の問題や、回転の問題をさせてみると、やっぱり、結構、この間違いを繰り返すものです どうしても「○個、進む」時の「1」の意味が、感覚的に希薄であることが原因なんです
また、カリキュラムの中には、方眼を使った問題もあって、「右(左、上、下)から○番目」という時には、最初のマス目を「1」と数えています。これも、子ども達をさらに混乱させる一つの原因になっているでしょう。
今回の話しは、あくまで「子ども達が、なぜ間違うのか?」の解説をしただけで、間違えさせないコツのようなものは書いていません。
なぜなら・・・ごめんなさい 瞬時に間違いをさせないようなコツは、この問題にはないからです
また、もっと言えば、どのような問題も、完全な根本的な理解がなければ、わかったような気になるだけで、実際には砂上の楼閣。
このような「1」の意味の違いというものを、しっかりと、生活の中のさまざまなもの、状況を利用し、「なるほど」と理解させなければ、確実な「わかった」は生まれません。
それこそ、今さらですが、すごろく遊びをして、「○個、進む」に慣れさせて、観覧車や回転の問題をする時に、そのすごろくの時のことを話題にしてもいいですよね。「急がば、回れ」です
私は敢えて、お母様方に「なぜ、子どもは混乱するのか?なぜ、子どもは間違ってしまうのか?」の解説をします。
まずは、お母様が「むー、なるほどねえ・・・だから、間違うのか」ということを理解できなければ、上手くリードすることさえ出来ないでしょう。
我が子相手に、「何で間違うの」と、何度も同じセリフで、怖い顔をして怒鳴るよりも、まずは、「何で間違うのかしら・・・?」という間違いのポイントを探る方が、問題解決の近道、ですよ