「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」ということわざがあります。どんなに立派な馬でも、観賞用であればいざ知らず、その馬に乗り、それを足として使うならば、実際には乗ってみないとその馬の特性や自分との相性はわからないものだ、と言っているのですね。
「人には添うてみよ」も同じ意味です。一緒にて、初めてわかってくる人柄、ひととなり、相性がある、ということでしょう。
私は、学校とご家庭も、まさに同じことだと思います
私は、志望校決めをするためにご相談においでになるご両親に、必ずこう申しあげます。
「ぜひ、直感を大事にしてください」
たとえば、週に○回も英会話の授業がある・・・
ネイティブの先生が1クラスに2名もつくそうだ・・・
作家が来て、作文教室を開催してくれる・・・
プロのアスリートが体操の時間を特別に指導してくれる・・・
海外での研修がある・・・
各種理科的な実験を中学の理科教室を使って催す・・・etc.etc.
今では、私立の小学校はさまざまな工夫をし、目玉となるような企画をしたり、新しい試みをしたり・・・と、本来の教育「プラスα」の部分を打ち出し、ご両親にアピールをする!そんな時代になってきています。こういうことは、伝統校の場合でも例外ではありません。
この背景には、当然、教育に熱心に取り組むという真摯な姿勢の現れであると同時に、少子化の世の中で、私立校が生き残りをかけて、創意工夫をしなければならない、という事項もあるのでしょう。
・・・となれば、この「プラスα」の部分は、一般的な業種で言うところの「サービス的要素」も含まれていて・・・そうであるならば、この部分は、チラシの中の「目玉商品」的な意味を持っている、とも言えるでしょう。
私が言おうとしていることを、わかりやすくお伝えしたいために、敢えて、こういう「例え」を使い説明をしていますが、こういう例は「教育や学校を何と心得る」とお叱りを受けてしまうかもしれませんね。
しかし、物事を的確に理解するためには、時には目先の違った見方をし、広い視野で考えなければならないと思っています。そうしなければ、特に学校や教育という問題の場合は、それが聖域視される分野だから、無条件に「尊く」「すばらしく」見えてしまいかねない、という危険性があるのです
以前、1年生に進学され、半年ほど過ぎた頃に、あるお母様から頂戴した近況報告のメールを読み、とてもほのぼのとした気持ちになったことがあります
そのお母様は、それこそ「ネイティブの先生の英語の授業」「○○の規格」「△△の試み」という目玉商品的な学校が打ち出す試みにいたく感動され、そこに大きな価値を認めて、その学校を志望校に決められた、という経緯がありました。ご両親揃って、それに対する「惚れ込みよう」はかなりなもので、側で見ていると、さすがに「そこまで傾倒してしまっては・・・」と、かなり不安になり、心配したものでした
しかし、そのお母様が書いてこられた内容は、私の予想とはかなりかけ離れたものであり、本当に心和む、すてきなものでした・・・
「・・・先生達は、お一人お一人がとてもあたたかく、子ども達を見てくださる眼差しの真剣さ、柔らかさを実感し、送り迎えをしている当初は、親として涙の出る思いでした。何気ない子どもへの言葉かけにも愛情がこもっていて、毎日、私は感激しています。この学校の空気が、わが子をやさしく包み、成長させてくださっているのだと感じています・・・」
いかがですか?
「ネイティブの先生の英語の授業」「○○の企画」「△△の試み」のような、とても現実的な、具体的な取り組みにヒットされていたはずなのに、このメールの内容は、何と抽象的な表現が多かったことか・・・
このお母様は、実際に「わが子の学校」となった「かつての志望校」で数ヶ月、その中の人間として過ごし、初めて、その学校の持つ「価値・意義・品格」という、目に見えない尊いものを五感で感じ、そして、それに魅せられていかれたのでしょうね
志望校選び・・・確かに、「何が気に入ったか?」「何が気に入らないか?」というような、具体的なことをはっきりとさせることは重要です。
けれど、実際には、そういう見方だけでは、学校を知ることはできません。その学校を理解しよう!と努めることは大切なことですが、○○が良い、△△はいけない・・・という知り方だけではなく、もっと、「何となく・・・好き」「何となく・・・好きになれない」というような、『五感で感じること』を大事にしてみてください
箇条書きにできるようなことだけで、その学校を理解することはできません。極端な言い方をすれば、その学校のお世話になるようになり、その学校の「中の人間」となって、そこで時間を重ねて・・・初めて、その学校の「良さ」というもの「問題点」というものを感じられるようになるものです。
「馬に乗り、人に添い、学校に入ってみて」、やっと理解できるもの・・・でしょう。
だからこそ、安易に「良いポイント」「悪いポイント」を書き出すようにすることで、その学校をわかったように思うのではなく、直感を信じてみることのほうが、その学校とご家庭との肌合いが感じられる・・・そういうことだと思います
「人には添うてみよ」も同じ意味です。一緒にて、初めてわかってくる人柄、ひととなり、相性がある、ということでしょう。
私は、学校とご家庭も、まさに同じことだと思います
私は、志望校決めをするためにご相談においでになるご両親に、必ずこう申しあげます。
「ぜひ、直感を大事にしてください」
たとえば、週に○回も英会話の授業がある・・・
ネイティブの先生が1クラスに2名もつくそうだ・・・
作家が来て、作文教室を開催してくれる・・・
プロのアスリートが体操の時間を特別に指導してくれる・・・
海外での研修がある・・・
各種理科的な実験を中学の理科教室を使って催す・・・etc.etc.
今では、私立の小学校はさまざまな工夫をし、目玉となるような企画をしたり、新しい試みをしたり・・・と、本来の教育「プラスα」の部分を打ち出し、ご両親にアピールをする!そんな時代になってきています。こういうことは、伝統校の場合でも例外ではありません。
この背景には、当然、教育に熱心に取り組むという真摯な姿勢の現れであると同時に、少子化の世の中で、私立校が生き残りをかけて、創意工夫をしなければならない、という事項もあるのでしょう。
・・・となれば、この「プラスα」の部分は、一般的な業種で言うところの「サービス的要素」も含まれていて・・・そうであるならば、この部分は、チラシの中の「目玉商品」的な意味を持っている、とも言えるでしょう。
私が言おうとしていることを、わかりやすくお伝えしたいために、敢えて、こういう「例え」を使い説明をしていますが、こういう例は「教育や学校を何と心得る」とお叱りを受けてしまうかもしれませんね。
しかし、物事を的確に理解するためには、時には目先の違った見方をし、広い視野で考えなければならないと思っています。そうしなければ、特に学校や教育という問題の場合は、それが聖域視される分野だから、無条件に「尊く」「すばらしく」見えてしまいかねない、という危険性があるのです
以前、1年生に進学され、半年ほど過ぎた頃に、あるお母様から頂戴した近況報告のメールを読み、とてもほのぼのとした気持ちになったことがあります
そのお母様は、それこそ「ネイティブの先生の英語の授業」「○○の規格」「△△の試み」という目玉商品的な学校が打ち出す試みにいたく感動され、そこに大きな価値を認めて、その学校を志望校に決められた、という経緯がありました。ご両親揃って、それに対する「惚れ込みよう」はかなりなもので、側で見ていると、さすがに「そこまで傾倒してしまっては・・・」と、かなり不安になり、心配したものでした
しかし、そのお母様が書いてこられた内容は、私の予想とはかなりかけ離れたものであり、本当に心和む、すてきなものでした・・・
「・・・先生達は、お一人お一人がとてもあたたかく、子ども達を見てくださる眼差しの真剣さ、柔らかさを実感し、送り迎えをしている当初は、親として涙の出る思いでした。何気ない子どもへの言葉かけにも愛情がこもっていて、毎日、私は感激しています。この学校の空気が、わが子をやさしく包み、成長させてくださっているのだと感じています・・・」
いかがですか?
「ネイティブの先生の英語の授業」「○○の企画」「△△の試み」のような、とても現実的な、具体的な取り組みにヒットされていたはずなのに、このメールの内容は、何と抽象的な表現が多かったことか・・・
このお母様は、実際に「わが子の学校」となった「かつての志望校」で数ヶ月、その中の人間として過ごし、初めて、その学校の持つ「価値・意義・品格」という、目に見えない尊いものを五感で感じ、そして、それに魅せられていかれたのでしょうね
志望校選び・・・確かに、「何が気に入ったか?」「何が気に入らないか?」というような、具体的なことをはっきりとさせることは重要です。
けれど、実際には、そういう見方だけでは、学校を知ることはできません。その学校を理解しよう!と努めることは大切なことですが、○○が良い、△△はいけない・・・という知り方だけではなく、もっと、「何となく・・・好き」「何となく・・・好きになれない」というような、『五感で感じること』を大事にしてみてください
箇条書きにできるようなことだけで、その学校を理解することはできません。極端な言い方をすれば、その学校のお世話になるようになり、その学校の「中の人間」となって、そこで時間を重ねて・・・初めて、その学校の「良さ」というもの「問題点」というものを感じられるようになるものです。
「馬に乗り、人に添い、学校に入ってみて」、やっと理解できるもの・・・でしょう。
だからこそ、安易に「良いポイント」「悪いポイント」を書き出すようにすることで、その学校をわかったように思うのではなく、直感を信じてみることのほうが、その学校とご家庭との肌合いが感じられる・・・そういうことだと思います