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ご朱印を送って頂きました「栃木県宇都宮市・大谷寺」

2023年06月25日 | 御朱印

がちゃこさんからご朱印を送って頂きました。

大谷寺(おおやじ) 栃木県宇都宮市大谷町

石の里・大谷にある寺社で自然の岩壁に彫られた美しい磨崖仏が10体あり、全てが国の特別史跡かつ重要文化財となっています。

中でもご本尊の千手観音(高さ4m)は、平安時代(810年)弘法大師の作と伝えられています。

千手観音には、千の手と、千の目が有ります。手のひらにも目があり、いつも私達を見守っていらっしゃいます。













平和観音

戦没者供養と世界平和を祈る27mの観音像。太平洋戦争の戦死戦没者の供養と、世界平和を祈って彫刻されました。

昭和23年より6年の歳月をかけ、昭和29年に完成。昭和31年、日光輪王寺門跡・菅原大僧正により開眼供養が行われました。





弁天堂

弁天堂には白蛇がお仕えしています。

この白蛇は、かつてこの池に住んでいた毒蛇で、毒をまいて人々を困らせていました

そして弘法大師がこの地を訪れた時に、

この毒蛇を退治しました。改心した毒蛇は、白蛇となり

開運・財運の神様である「弁財天」に仕えるようになったという伝説があり

弁財天に仕える二匹の白蛇の頭を軽くさするとご利益があるそうです。











最古の人骨 (縄文最古の人骨)

11000年前の人骨。20歳前後の男性、身長154㎝。





大谷石のコースター

コースターのお土産頂きました。

「大谷石は栃木県宇都宮市の中心から北西約8mの地点にある大谷町を中心に東西約5km、南北約10kmに分布している凝灰岩(軽石火山礫凝灰岩)です。

約1,500~2,000万年前に火山から噴出した火山灰や軽石岩片が海底に蓄積し、固結して生まれました。

緑泥石など、緑色の鉱物を含み、全体的に緑がかった緑色凝灰岩(グリーンタフ)として知られています。」



がちゃこさん、ご朱印と大谷石のコースターありがとう。



 


熊本で御朱印を頂く「白蛇神社/阿蘇白水龍神權現・阿蘇神社・小国両神社」

2023年06月24日 | 御朱印

久しぶりに福岡を出て大分、阿蘇付近で御朱印を頂き、温泉に浸かってきました。

道の駅原鶴・ファームステーションバサロ 福岡県朝倉市杷木久喜宮

お猿さんだよ~。



大分玖珠の友人へ物をお届けにいきます。

お昼には日田のソウルフード「日田焼きそば」想夫恋(そうふれん)で頂きます。

けっこうなお値段ですわね









任務完了 玖珠から熊本の南阿蘇へ向かいます。





阿蘇白水温泉・瑠璃 阿蘇郡南阿蘇村一関

阿蘇外輪山を一望できる場所に立つ温泉施設。

温泉は、泉度56度のナトリウム・炭酸水素塩泉。直線と曲線をイメージした大浴場「かけぼしの湯」と

天井が十二角形の「こづみの湯」のほか、露天風呂、家族風呂も完備されています。

立ち寄り湯で疲れを癒します。

久しぶりの温泉。あ――癒される。




(HPより転載)

焼きそばがお腹に溜まり晩ご飯はコンビニので済ましました。

今夜は南阿蘇村で車泊

明日は4時起きかな?

2023/6/19

昨日は曇って涼しかったけど今日は☀が照って暑い。

白蛇神社 阿蘇白水龍神權現  阿蘇郡南阿蘇村中松

ご神体:白蛇さま

主祭神:弁財天(べんざいてん)宇賀神(うかのかみ)、八大龍王(はちだいりゅうおう)

平成12年に発見された3体の白い蛇を御神体として祀られていて、別名「白蛇神社」とも呼ばれています。

白蛇様は神の使いとして財宝招福のご利益があるとされ、お参りすると宝くじが当たるとされています。

ご祈願の際、白蛇様を財布や頭の上に乗せていただけます。











平成12年11月9日に1体、さらに、平成13年6月17日に2体、計3体の白蛇様が出現されました(画像共にHPより転載)







生きた白蛇様の霊験あらたかなお力を授かってきました。

お財布の上に白蛇さまをのせて御祈願して頂きました。

触っちゃた・・おそるおそるです。

お参りした後は、お札と白蛇様の写真を頂きました。

御札の効き目は3か月だそうです。





新阿蘇大橋  阿蘇郡南阿蘇村立野

国道57号線沿いの南阿蘇村立野と、同村河陽をつなぐ全長525m、最大橋脚高97mの橋。

2016年の熊本地震で崩落した阿蘇大橋に代わり、2021年3月、元の場所から600m下流に架橋されました。

複数の橋脚と上部の橋桁を一体化させた“PCラーメン橋”で、地震などの揺れに強いのが特徴。歩道も設置され歩いて渡れます。

橋のたもとには展望所もあり、展望スペースからは、長陽大橋や白川第一橋梁(南阿蘇鉄道)などを眼下に望むことができます。











阿蘇神社   阿蘇市一の宮宮地

神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ家族神12神を祀り、2000年以上の歴史を有する古社です。

古来、阿蘇山火口をご神体とする火山信仰と融合し、肥後国一の宮として崇敬をあつめてきました。

平成28年熊本地震により楼門が倒壊し、また拝殿が倒壊するなど、重文以外の社殿についても甚大な被害を受けました。

ただいま復旧工事を進めています。

















悲しいかな…復旧工事で殆どお姿を拝むことが出来ません。

一日も早く元の荘厳なお姿が拝める日がくるのを願います。



お昼ごはん  ざるうどんと高菜の🍙



お蕎麦は蕎麦の高騰で提供ができなくなってるそうでうどんになりました。

お店の名物の地鶏料理も諸般の事情により、メニューから消えてた・・

小国両神社(おぐにりょうじんじゃ) 阿蘇郡小国町宮原

主祭神:高橋大神(たかはしおおかみ)火宮大神(ひのみやおおかみ)

配祀神:雨宮媛命(あまみやひめのみこと)御妃神二座・御親族の神十六座

小国郷を開拓した高橋の宮・火の宮の二柱、その母神である雨宮を主催神として祀っている神社なので、両神社といいます。



楼門





手水舎



青銅の狛犬





拝殿



ご本殿



高橋宮の御神木



三神杉  兄:高橋大神、母:雨宮大神、弟:火宮大神の神が鎮まります。





綿貫の隠れ岩

その昔、綿貫次郎左衛門という侍がこの岩に隠れながら戦い、戦利を収めたそうです。

この事から勝負ごとに強くなるご利益があると云われています。





温泉に入ります

川底温泉 大分県玖珠郡九重町宝泉寺川底

「せせらぎの湯」は四つの源泉をもつ天然温泉で、豊富な湯量と天然掛け流しのお風呂が自慢の日帰り温泉施設です。



晩ご飯  ジョイフルにて





お風呂も入ったしご飯も食べたし。後は帰って寝るだけ。

のんびりトコトコ。9時ころ帰りつきました。

久しぶりにリフレッシュしました。

あれ?肋骨のひびも肩こりも完治???単純なわたしです

 


地元で御朱印を頂くパート33 八女市・福島八幡宮

2023年06月17日 | 御朱印

地元で御朱印を頂くパート33 八女市・福島八幡宮

久しぶりの神社参拝です。3月ぶり・・・。

福島八幡宮 福岡県八女市大字本町

江戸時代の寛文元年(1661)に福島城のやぐら高台に建立されました。以来今日に至るまで、人々は旧福島城内住民の氏神様として、

地域と家庭の永遠の安寧と繁栄をお祈りされております。 祭神は応神天皇、神功皇后、武内宿禰(たけのうちのすくね)の三柱をお祀りしており、

江戸時代には特に、主祭神である応神天皇を勝運の神として崇め、武士層からも厚い信仰を集めていたと言い伝えがあります。

時代の流れにより、現在では家内安全の他に、成功勝利(受験、運動試合、仕事等)でお参りされるようになりました。

御祭神

・応神天皇:文武の神

・神功皇后(息長足姫尊おきながたらしひめ):聖母神

・武内宿禰命(たけのうちのすくね):長寿の神













花手水









狛犬・木彫りのシロちゃん



和傘が飾ってありました。



ご社殿 改装中でした(2023年12月修復完了)



改修になった回廊









アイドル犬のシロちゃんは五歳。

遊んでもらえずいじけるぶー。





ご朱印







2020/5/28の福島八幡宮のご朱印を頂いたときのブログです。

コロナの時期でネットで送って頂きました。





八幡宮周辺の八女福島の古い町並み



お昼は山かけざるそばときつねうどんを頂きました。





ひさしぶりだなぁーー。



半日のお出かけでしたがリフレッシュしました

コロナワクチンの副反応のきつさで何も出来ずにいました。

やっと、動けるようになってのお出かけは楽しかったです。

皆様も健康第一ですよ。

体調には充分気をつけてくださいね。

 

 

 


ご朱印頂きました。越後一宮・彌彦神社

2023年05月29日 | 御朱印

お友達からご朱印頂きました。

越後一宮 彌彦神社(やひこじんじゃ) 新潟県西蒲原郡弥彦村

彌彦神社の御創建について、社伝によると天香山命は第六代孝安天皇元年(西暦紀元前392年)二月二日に越の国開拓の神業を終えられ

神去り坐して神劒峰(弥彦山)に葬られ、御子である第一嗣・天五田根命が廟社を築き奉祀した事に始まります。

「おやひこさま」の愛称で多くの人々から信仰されています。

※彌彦神社は古くは「伊夜比古神社」と記され、伊夜日子・伊夜彦・彌彦などとも表記されました。

現在は「やひこ」と言い習わされておりますが、歴史的には「いやひこ」と読んでおりました。(パンフレットより)

ご祭神:伊夜日子大神(イヤヒコノオオカミ)御名 天香山命(アメノカゴヤマノミコト)

因みに、一宮(いちのみや)とは、神社の社格を示す格式のひとつで、昔は各地域を一つの「国」という呼称で呼んでおり、

その各国の中で最も格式の高い神社のことを、「一宮」と呼びました。越後で一番の格式の彌彦神社ということです。

一の鳥居

高さ約8.5m、柱と柱の間が約6m。中央に掲げられている「彌彦神社」の大額は、畳一畳ほどの大きさです。





一の鳥居は浸水した場合に腐ってしまわないように、真ん中の柱だけが少し浮いているそうです(諸説あり)

この様式は両部鳥居といい、中央の親柱は地面に着いてなく6cm程浮いており、両脇の稚児柱で支えられています。



随神門(ずいしんもん)

1940年(昭和15)に、紀元2600年を奉祝して建立されました。

門内の左右には、紀伊国熊野から伊夜日子大神に随行してきた長気(おさげ)と長邊(おさべ)の兄弟神を奉祀しています。



御社殿

現在の御社殿は、1912年(明治45年)3月、門前町で発生した大火で炎上、1916年(大正5年)現在の地に再建されました。



石油蒸留釜

1884年(明治17年)頃に新潟出身の田代虎次郎氏により考案された日本初の石油精製装置である石油蒸留釜。

これは現在2基しか現存していません。





火の玉石(重軽の石)

この火の玉石は「津軽の火の玉石」・「重い軽いの石」と呼ばれ、心の中で願い事を思いつつ持ち上げて、軽いと感じれば祈願は成就し、

重いと感じたならば叶わないと言われています。





彌彦神社のご神木

伊夜日子大神様が弥彦の地に宮居を御定めになる折に、携えられていた椎の御杖を地面に立てられて

「ここが永住の地に相応しければ、根を生じ、芽を出して繁茂するであろう」と御告げになると、

御杖は大樹となって彌彦神社の位置が定まったと伝えられています。





十柱神社現社殿(彌彦神社末社)

1694年(元禄7年)長岡藩主牧野氏が奉納。

桃山時代の手法を伝える元禄年間の萱葺きの建物です。





玉の橋

神様がお渡りになる橋で、人間は渡ることができません。







鹿苑

弥彦神社の神鹿は、大正2年に春日大社より雄雌一組を譲り受けたのが始まりで、

戦後の昭和30年にさらに東京の神田明神から雄雌一組を譲り受けました。











新潟は何度も行ったけど、おやひこ様にはお参りしてないです。

一度は行ってみたいです!!

疑似体験させていただきました。ご朱印をありがとう


ご朱印を頂きましたパート2「四柱神社、善光寺」

2023年05月23日 | 御朱印

しょこらーでさんからご朱印頂きましたパート2。

長野県の松本市・四柱神社と長野市・善光寺。

四柱神社(よはしらじんじゃ) 長野県松本市大手

ご祭神:天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、

神皇産霊神(かみむすびのかみ)、天照大神(あまてらすおお天かみ)

四柱とは四人の神をさし、すべての願い事が叶う「願い事むすびの神」と最強のパワースポットとして

有名になりました。

明治5年(1872年)に筑摩県松本に設置された神道中教院で、明治7年(1874年)から四柱の神を祀ったことが始まりです。

明治12年(1879年)に現在地に社殿を造営し、村社の四柱神社として遷座しました。

明治21年(1888年)の松本大火で社殿を焼失し、大正13年(1924年)に再建しました。

大鳥居

鳩が寄り付かないように微電流が流れてるそうです。











三峯神社

町内会の方が、埼玉の三峯神社をお祀りしてるそうです。





定額山 善光寺 長野市元善町

ご本尊:一光三尊阿弥陀如来【いっこうさんぞんあみだにょらい】(善光寺如来)

善光寺の創建は聖徳太子が没して20年後くらい、飛鳥時代の642年頃とされます。

『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来は、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、

欽明天皇十三年(552)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。

この仏像は、仏教という新しい宗教を受け入れるか否かを巡る崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられました。

その後、信濃国国司の従者として都に上った本田善光【ほんだよしみつ】が信濃の国へとお連れし、

はじめは今の長野県飯田市(元善光寺)でお祀りされ、後に皇極天皇元年(642)現在の地に遷座されました。

皇極天皇三年(644)には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました。

飯田市の元善光寺は

「一度詣れよ元善光寺、善光寺だけでは片詣り」と言われてます。





仁王門

1918年建立。善光寺参りの入口となるのがこの仁王門です。仁王には仏敵からお寺を守る役割があります。



高村光雲・米原雲海作、仁王像



山門(三門)

1750年建立。善光寺本堂正面にある大きな門です。「善光寺」の文字の中に五羽の鳩が隠されている鳩字の額が有名です。





上層部は拝観可能となっており、中には智慧の仏である文殊菩薩騎獅像、四天王像、四国八十八ヶ所霊場ゆかりの仏像などが安置されています。

更に回廊からは長野市を一望でき、本堂を上方から見ることができます。







本堂

1707年建立。国宝に指定される木造建築としては4番目の大きさです。

善光寺の御本尊は一光三尊阿弥陀如来。

本堂は入り口を俗世、最奥を極楽、外陣(げじん)には人間を裁く閻魔大王を、

内陣には俗世の救済者である弥勒菩薩と地蔵菩薩が配されています。

最も奥の瑠璃壇(るりだん)には絶対秘仏のご本尊、一光三尊阿弥陀如来像が御安置されています。

瑠璃壇の下には、極楽浄土への往生が約束されるお戒壇巡りがあります。







徳川家大奥供養塔

江戸幕府3代将軍徳川家光の正室本理院、家光の乳母春日局、家光の次男綱重の正室紅玉院など、大奥関係者の供養塔です。

江戸で善光寺の出開帳が行われた際には、大奥の強い希望で前立本尊が江戸城内に招き入れられるなど

善光寺は徳川将軍家から篤く信仰されていました。





忠霊殿

戊辰【ぼしん】戦争〜第二次世界大戦で戦死された英霊方を供養しています





経蔵

1759年建立。中には八角の輪蔵【りんぞう】があり、その中には全てのお経を網羅した一切経が収められています。











鐘楼

1853年(嘉永6年)の再建。南無阿弥陀仏の六字にちなんで6本の柱で建てられてます。



回向柱(えこうばしら)

善光寺御開帳(七年に一度)のシンボルとも言えるのが「回向柱」です。





偶然ですが三回お参りしたのですが2回、御開帳の年でこのご利益にあずかってます。

輪回塔

石柱にはめ込まれている車輪状の石(輪廻車)を回すと、諸々の苦悩を抜け出すことができると言われています。」とあります。

輪廻塔は経蔵前に一対で建立され「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれています。



聖徳太子の碑(聖徳皇太子の碑)





大勧進

大勧進の寺名は、人々に仏法を説き作善をなすように勧誘策進する「勧進」を意味します。

弘仁8年(817年)伝教大師最澄さま(762~822)、が信濃路巡化のみぎり、善光寺に参籠されました。

国宝の本堂と国重要文化財の山門、経蔵がある天台宗大本山の寺院。



護摩堂

一日5回の時間を定め護摩祈願を奉修しておられます。











しょこらーでさん、ありがとうございました。