主人の所要に便乗し、大分県玖珠郡へ行ってきました。
いつもの通り、旅は前夜から。
9時半頃出発で、高速にのらずふつうの道路で行きます。
旅のお供はテッド兄ちゃんとぶうなです。
11時半頃、道の駅に到着。ここで寝ます。
道の駅・慈恩の滝くす 玖珠郡玖珠町山浦
慈恩の滝までは徒歩で約一分。万年山(はねやま)を源流とする山浦川と玖珠川が合流する場所に
位置し上段20m、下段10mの落差の滝。滝の裏側にも遊歩道も整備されてます。
翌朝、
三日月の滝・嵐山瀧神社 玖珠郡玖珠町山浦
見にくいけど棚田があります。
「三日月の滝物語」
平安時代、京の都で醍醐天皇の御孫姫、小松女院と、笛の名手の清原正高少納言は恋をしましたが、
身分の違いもあり正高卿は豊後の国に配せられます。
小松女院は、正高卿の後を慕って十一人の侍女を伴い、はるばると当地の玖珠までやってきました。
やっとの思いで三日月の滝のほとりまでたどりついた時、1人の老樵に出会い尋ねてみれば、
正高卿はすでに矢野氏の姫を娶り長野の館に住んでいると聞き、
今は尋ねても詮なきことと旅に使った笠や衣を松の木の枝に掛け、
『笛竹のひとよの節と知るならば、吹くとも風になびかざらまし』
と辞世の歌を詠み、十一人の侍女と手を組み携えて、滝の水底に身を投じました。
正高卿はこの話を聞いて驚き、里人と淵瀬を探し、小松女院と十一人の侍女の遺骸を引き上げ、
三日月の瀧のほとりに御墓所を作り、神社を建て御魂を鎮められました。
神幸橋
玖珠川に掛る神幸橋。正面は鏡山に頂上に風力発電の風車が見えます。
嵐山瀧神社
ご祭神
・田心姫命・市杵嶋姫命・・湍津姫命・小松女院
本殿
10/29の秋季例大祭に向けて御神輿が出されてました。
境内社・天満神社
木樵堂(きこりどう)
小松女院の入水を知り、責任を感じ同様に入水した老樵が清原正高公により祀られています。
御神木の朴の木(ほおのき)
葉っぱに乘ってみた
観音堂
江戸時代の元禄十四年建立された観音様です。
瀧見観音と呼ばれ、子供を慈しみ、いたわり育てる観音様その姿より、
歯痛の観音様と信仰され、瀧神社の江戸期の神仏習合時代の名残りを残すものです。
小松女院奥都城(こまつにょいんおくつき)御墓所
三日月の滝温泉
ご朱印
友達の家へ向かいます。
りゅうくんがお出迎え。「8歳の男前」
お土産頂きました。
夕飯。想夫恋(そうふうれん)で日田焼きそば。
高速に乗らず、下道をのんびり帰ってきました。
この前見せていただいた滝、私はこういうタイプ好きかも。何だかずっと見ていたい😊
神社、何だかすごい佇まい。歴史を感じる燈籠、⛩️も迫力がありますね
ご朱印帳、これからもコツコツたまっていく予感😺
水の音って心が落ち着くよ。
ちょうど、明日のお祭りの準備の氏子さんからお話し聞けたよ。
秋は神社さんのお祭りが多いよ。