10/2 宮崎旅3日目
友達が狭野神社があるよと教えてくれたので
東霧島神社に行く前に参拝させていただきます。
狭野神社 宮崎県西諸県郡高原町
第5代孝昭天皇の御代に、神武天皇ご生誕の地にご創建されたのが始まりと伝えられている。
神武天皇はご幼名である狭野尊(サノノミコト)は、皇族のご幼名を生まれ育った地名を付ける慣習があったことから、
当地の地名の狭野が由来すると伝えられており、当社より西に1km程にある末社の皇子原神社がご生誕の地と言われている。
旧社格は県社で、後に官幣大社宮崎神宮の別宮となった。現在は再び独立の神社となり、神社本庁の別表神社になっている。
霧島六所権現の一社である。(社伝より)
狭野神社の入口は3か所あり、最も長い距離を歩く参道は国道沿いから入る表参道で約1.3km。
一番多く使われるのは南参道の鳥居から神前まで約260m。西参道からは60m。
狭野神社南参道
拝殿
神門
狭野杉 400年の樹齢を重ね、大正13(1924)年に国の天然記念物に指定された。
御朱印
すてきなお言葉が添えられていました。
東霧島神社(つまきりしまじんじゃ) 都城市高崎町
神々が集まるという意味で「あずま霧島」と呼ばれていた。
霧島山の東端に位置することから「つま」と呼ぶようになった。
第5代孝昭天皇の御代の創建とされ、霧島六社権現宮のひとつ。
主祭神は霊界の主宰人としての御霊位が最も高い伊弉諾尊(イザナギノミコト)、
地神5代の天照大御神より神武天皇にいたる皇祖を合祀している。
看板犬りゅうちゃんがお出迎え。
鬼磐階段
この地方は鬼のように恐ろしい豪族が支配していた。
その豪族を退治してくれと頼まれた霧島の神様は、豪族たちと
「一晩で神殿まで続く道に、1,000個の石を積み上げて階段を作れなければこの地を去ること」
という約束を交わした。
最初は無理だろうと思っていた神様ですが、豪族たちがすごい勢いで石を積み上げていったため、
慌てて東の空を明るく照らし、長鳴き鳥を集めて鳴かせたところ、
夜明けと勘違いした豪族は石を999個まで積んだところで一目散に逃げ出してしまった。
以来、今でも霧島の神様には、鶏をお供えすることが禁じられている。
石階段を振り向かずにこの階段を心を込め願い事をとなえながら登ると願いが叶うと言い、
『振り向かずの坂』とも言う。
石段は170段あり、上に行くに従い傾斜が急で高低差があり、私は這いつくばりました
振り向かずに登ったわよ。
でも、きつくて「願い」唱える余裕なんてない
龍神さま
「鬼磐階段振りむかずの坂」を登りつめた神門脇にそびえ立つ400年の大杉に龍神が現れ、
摩訶不思議の現象を呈し、一目を浴びていた。
※2018年9月末、台風24号の被害により樹齢400年の大杉が龍神の形を残したまま倒木、
お社を守る様に倒れた為本殿に被害が及ぶ事はなかった。
倒木前の龍神さまのお姿。
霧島観光ホテルさんから画像お借りしました
御神木 大クス
樹齢1000年とも言われるこの大クスは本殿へ登る石段の左側に幹を大きな洞をかかえるようにしてそびている。
この洞をくぐり、右に3回、左に3回めぐり、乳水・龍神水をいただくと無事出産安全であり、
病魔を払い、良き運が授かるという。
神石
この石はイザナギの尊の涙が固まったものとして伝えられている。
天地創造の神・イザナギの尊、イザナミの尊が誕生し、夫婦となったあと、
地上の生活に必要な様々な神を生み出した。
そんな中「火の神」を生み出したことででイザナミの尊が亡くなってしまう。
イザナギの尊はその死を悲しみ、その涙が固まり「神石」となった。
イザナギの尊は、腰に付けていた「十握(とっか)の剣」で今後再びこのような災難に世の中の人が遭わない様に、
という願いを込めて三段に切ったといわれている。
裏に回ると、見事にスパッと切られている!
御朱印
通常御朱印と期間限定御朱印(右)
並べて貼っておくとご利益アップらしい。
道の駅 山之口 都城市山之口町
各観光地とつながる、旅の拠点
国道269号の宮崎市から都城市間は「青井岳渓谷ライン」の愛称で親しまれ、
この中間点に位置している。
ごぼ天うどん
ジャンボ生ピーナッツ でかい!
今夜の宿泊地、道の駅・フェニックスへ向かいます。
道の駅 フェニックス 宮崎市内海
道の駅 フェニックスHPより画像をお借りしました
中秋の名月 偶然ですが火星が写ってる?
夜明け。太陽が昇ってきた。
中学校の修学旅行でここ来たんだけど全く記憶にありません。
覚えてるのは添乗員のお兄さんがかっこよかったことだけ。
さて、
鵜戸神宮、霧島神社 江田神社でお詣りの後に
友達のお宅に寄ります。
パート3に続く。