地元でご朱印を頂くパート28
今回はしょこらーでさんのナビゲーターで中央区、博多区を周ってきました。
安国山 聖福寺(しょうふくじ) 福岡市博多区御供所町
建久6年(1195年)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝公よりこの地を賜り、栄西禅師を開山として創建された日本最初の禅寺です。
総門
無染池(放生池)
山門
江戸初期に櫻井神社の観音堂を移築、その後、慶応2年(1866年)に焼失。
1911年(明治44年)に再建。上層に龍の天井絵、千手観音、十六羅漢像が安置されていいます。
仏殿
天正17年(1587)年に再建され2012年(平成24年)9月8日に2年余りを掛け増改築を行い落慶法要しました。
丈六三世仏
弥陀、釈迦、弥勒の三体の金色の美しい如来仏です。弥陀は過去仏、釈迦は現在仏、弥勒は、未来仏にあたるとのことです。
庫裡 こちらでご朱印を拝受できます。
松見山 入定寺(にゅうじょうじ) 福岡市博多区上呉服町
福岡市博多区の蓮池にある真言宗寺院です。
開山は摂津国伊丹の出身の僧、唯心院圓心とされています。
開祖の圓心は、黒田長政の家臣のつてで現在の地にあった住職もいない荒れた草庵に住むようになりました。
そして慶長13年(1608年)に圓心は悟りを得る(入定)ため断食を行い、27日の断食の後に眠るように亡くなりました。
圓心は生前、初代藩主の黒田長政に「自分の死後はこの地に仏堂を建ててほしい」と望み
黒田長政が圓心の願いを聞き入れて入定したこの地に寺院を建立したのが始まりとされています。
美味しいお菓子とお抹茶を頂きました。
西昌山 本岳寺 福岡市博多区上呉服町
開創以前の本岳寺は祇園町にあり、聖福寺の末寺に属する禅宗の「本覚寺」というお寺で「西昌」という僧が住持していました。
この西昌はとても囲碁が強いと評判で、明応5年(1496)8月、京都より法華宗の日因上人が博多に赴き、
直談の上、お寺を賭けての碁を囲む事になりました。これに日因上人が勝利を収めたため、西昌は約束通りお寺を譲ったのです。
日因上人はお寺を日蓮宗に改宗、山号を先住の名をとって「西昌山」、本覚寺から「本岳寺」に変えたと伝えられています。
本堂は大正年間(1912〜1926)に最上稲荷堂とあわせて建立されました。
南岳山 東長寺 福岡市博多区御供所町
弘法大師が日本で最初に開山した密教寺院
空海(弘法大師)が日本で最初に創建したお寺です。真言密教が東に長く伝わるようにと祈願されたそうです。
弘法大師が創建したお寺としては日本で一番古い霊場です。
また、黒田家二代忠之公、三代光之公、八代治高公の墓所があります。
福岡大仏・地獄極楽めぐり
2階の大仏殿には木造座像では日本最大級の大きさを誇る福岡大仏があります。
大仏の台座内には、地獄・極楽めぐりが設置されており、おどろおどろしい地獄絵巻のレリーフの先には、
真っ暗な通路があります。
手すりをたよりにを進み、途中にある「仏の輪」に触れれば極楽に行けるとか。
六角堂
市の文化財に指定されています。内部にある六角形の仏龕(ぶつがん:仏像を安置する厨子)は回転式になっています。
毎月28日の不動護摩供えと博多ライトアップウォークの際に開帳されます。
五重塔
平成23年に完成。純木造総檜造りで美しい姿をみせています。
5階の瓦のすぐ上にある相輪の伏鉢に空海が持ち帰ったと言われる仏舎利(釈迦の骨)が納められています。
住みつきにゃんこ。
松林山 妙典寺 福岡市博多区中呉服町
永徳元年(1381)に筑後柳川で本成院日円上人によって創立されたとされ、当初は円理院と称したようです。
日蓮宗の立教開宗350年にあたる慶長8年(1603)、第18世、戒光院日秀上人の代に地元有力者であった
立花宗茂の家臣、薦野増時が現地に移し、博多における法華経の道場として、
また薦野家の菩提寺として再出発を図ることになりました。
萬松山 承天寺(じょうてんじ) 福岡市博多区博多駅前
聖一国師 円爾弁円(しょういちこくし えんに べんねん)により開山。
大宰少弐武藤資頼(だざいしょうに むとうすけより)が円爾弁円を招聘し、宋出身の貿易商・謝国明(しゃこくめい)の援助により
仁治3年(1242)に創建されました。
饂飩蕎麦発祥之地の碑(うどんそばはっしょうのちのいしぶみ)
承天寺開山の祖・聖一国師は嘉禎元年(1235)に宋へ渡り、仁治2年(1241)に帰国。
この時、仏法の教義以外にも、うどん・そば・羊羹・饅頭などの製法を伝えました。
博多の夏祭り『博多祗園山笠』の発祥の地でもあります。
博多祇園山笠は、仁治2年(1241)博多に疫病が流行した時に聖一国師が施餓鬼棚(せがきだな)に乗り、
町民らに棒で担がせて水をまきながら町中を祈祷して廻って病魔を退散させた事に由来すると言われています。
現在でも、承天寺は「清道」と呼ばれる大事な場所に指定されています。
承天寺前の細い道をぐるりと巡って男衆が住職に一礼するかたちで、その歴史は受け継がれています。
潮音山 海元寺 福岡市中呉服町
浄土宗鎮西派のお寺で応永3年(1396年)大蓮社岌山上人(ぎゅうざんしょうにん)によって開山されました。
閻魔堂には地獄の支配者とされる閻魔大王と、三途さんずの川で着物を剥ぎ取る 奪衣婆(だつえば)の像があります。
毎年1月16日と8月16日の「ゑんま祭り」では、この老婆にコンニャクを供えて病気のアクをとるという風習があります。
その為この老婆は「こんにゃく婆さん」と親しまれています。この風習はコンニャクは灰汁あくで固めて作る為、
灰汁=悪を掛けているそうです。
切り絵のご朱印。
博多べい
九州を平定した豊臣秀吉は戦災で荒廃した博多を復興するため「博多町割り」を行います。
しかし新しい町並みを造るにあたって頭を悩ましたのが、戦災後の街中に残る大量の瓦礫でした。
そこで博多の人々はこの瓦礫を新しく建てる塀に埋め込みました。これを「博多べい」と呼びます。
現在、博多区でこの「博多塀」がみれるのは、茶室がある「楽水園」や「櫛田神社」、
御供所町の「聖福寺」や「妙楽寺」等に復元されています。
博多千年門 福岡市博多区博多駅前
博多を訪れた観光客を歴史的文化財が多く残る博多の寺社町エリアへと導くウエルカムゲートです。
博多の繁栄を願う地域住民、地元企業、行政が一体となって建設に取り組み、平成26年3月に完成しました。
門の表に掲げられた扁額「博多千年」の揮毫(きごう)は
菅原道真の子孫にあたる太宰府天満宮宮司、西高辻信良氏によるものです。
見返りの扁額「萬年正続(まんねんしょうぞく)」は、
承天寺の開山聖一国師が修行した中国杭州市の径山萬壽寺(きんざんまんじゅじ)の現住職、
戒興(かいこう)氏によるもので、千年も万年も長きにわたり栄えることを祈念された言葉です
お昼ごはん
本日の歩数は17,586。よく歩いたね
しょこらーでさんのナビのおかげで、無駄なく迷うことなくお参りできました。
一人だったら3万歩はいくんじゃないかな
楽しい一日でした。
しょこらーでさん、ありがとうございました
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