ぼちぼち日記

シニアの暮らし方や思い、猫たちのことなどをマイペースで記録しています。

母のこと。

2024-11-17 20:58:18 | 家族
母の汚れ物は自宅に持ち帰り洗濯している。
病院に頼めば毎月1万円かかるのでもったいない。
でも最近失禁で替えが間に合わないことが増えてきた。



便がついたパジャマを風呂場で下洗いしながら、ふと思う。
私が赤ん坊のころ、汚れたおむつを母は洗ってくれたことがあるだろうか?

物心ついた時には祖母の家に預けられていて、母は身近にいなかったので記憶がないが、母も生まれたての赤ん坊のおしめを替えたことがあるはずだ。

自分が赤ん坊だった頃にしてもらったことを、我が子に。
そして今、老いた親の汚れた衣類を洗っている。

人はこうして輪の中をぐるぐると回りながら、順番に人生を終えていくものなのだなと、妙に納得したような気持ちになる。
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母のこと。

2024-11-13 21:43:58 | 家族
最近、主食もおかずも少しではあるが食べられる日があり、私が買っていく飴は3日ほどで3袋なくなってしまう。
食欲にムラがあるけれど、この調子ならまた元気になれそうな気がしてきた。

先日はトイレに行きたいという母の排せつの介助をした。
あまり食べていないけれど、軟便が中等量出る。



日が落ちるのが早くなり、母の食事介助をして家に帰るときは、外は真っ暗だ。
帰りながら、肉が落ち猿のように赤黒く変色している母のお尻を思い出す。
・・・しみじみ淋しい。


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母のこと。

2024-10-31 21:56:14 | 家族
母のマイナンバーカード。
住所を書き換えてもらうには、委任状が必要。
申請者と代理人の住所氏名どちらも本人が記入しなければならないが、もはや字がうまく書けなくなっている母。
一時間近くかけて何とか記名し、無事変更が出来たが、高齢者の手続き代行は親子であってもなかなか大変だ。
マイナンバーカードは高額療養費の申請に必要なのでこれで一安心。



ところで、母の洗濯物。
入浴は週2回だが、そのたびに沢山洗濯物が出る。バスタオル2枚にタオル2枚、パジャマ、肌着一式・・・。
天気が悪い日はコインランドリーに行かなければならない。
病院に頼むと月に1万円ほどの出費なので、家で洗うことにしている。

ちょっと大変ではあるけれど、干した母の衣類が風に揺られているのを見ていると、気持ちが和らぐから不思議だ。



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母のその後。

2024-10-19 20:26:29 | 家族
この10日あまりは怒涛の日々だった。
休みをもらい、小さな車で母を施設に迎えに行き、退去手続きや荷物の片づけ(その数日前は母の体調が悪く救急搬送に付き添うなどのアクシデントもあり連日市内から市外を往復)。
母をS病院に入院させてから、介護保険でお世話になったサービス事業所へのお礼や転出転入の役所関係の手続き。入院の準備や病院での話し合いなどなど・・・。


入院先のS病院緩和ケア病棟。
ここは何かと費用がかかることで知られているが、医療スタッフの対応が迅速で温かく、母が療養するにはとても良い場所だと判断した。
緩和ケアというと、癌患者などをイメージするが、母のような老衰の人も対象となることを知り、救われる思いだった。

母の部屋は、ナースステーションから近い個室をお願いした。
部屋からは遠く山が見え、ベランダには美しい花が植えられている。





最後の場所になるかもしれないのだから、出来るだけ快適な空間を整えてあげたい。
そのためには支払いが高くなっても仕方がないと覚悟を決めた。

食事は無理強いせず、好きなものを好きな時にとってもらいます、という看護師さんの言葉にも安心する。
そのおかげか、入院して以来、母は穏やかな表情だ。
食欲が出て、もう一度元気になるといいという思いと、これ以上無理やり長生きさせて本人は幸せなのかという思いが、交互に押し寄せてきて戸惑う。
いずれにしても人間の寿命。自然に任せて見守るほかないとは思う。


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私たちのこれから。

2024-10-06 19:59:06 | 家族
母が食事や水分を受けつけなくなってもう2週間近くになる。
このままでは命にも関わるため、入院させてもらえる病院と並行して施設探しに奔走した。やっとみつけたので、なるべく早く今後のことを決めていかなければならない。

先日施設に会いに行った時、母は穏やかだった。殆ど飲み食いしていない状態にもかかわらず身体的な苦痛がないのだ。
その日、私は母にこう尋ねた。
「自分の人生をふりかえって、辛いことが多かった?楽しい思い出はある?」
すると母は微笑んでこう答えたのだ。
「嫌なことは何もなかった。楽しかった。」




母の人生は不運の連続で、それは多分に本人が招いたものでもあっただろうけれど、やはり悲しく辛い人生だったと思う。
一人娘である私も、その母のおかげでずいぶん苦労を味わった。時には恨みもしたし、死んでしまえばいいとさえ思ったこともある。

でも不思議だ。
母を失いかけている今となっては、嫌な記憶は消え去り良い思い出だけしか浮かばない。

恨みや憎しみや後悔で人生を否定するのではなく、笑いあい助け合った時のこと、幸せだった瞬間だけを胸に留めることが出来る私たちは、やはり親子なのだなと思う。

母の記憶から、辛い過去が消えて良かった。
母が人生を楽しかったと思ってくれていることがわかって良かった。

これからが私たち親子にとっての正念場。
正直ひとりで抱える重圧に押しつぶされそうになるけれど、たった一人の娘として精一杯のことをしたい。
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