雨が降り続く今日、母の暮らす施設へ。
すこしでも季節を感じてほしくて、普段食べるお菓子に加えて、好きだった上生菓子を買っていく。
もう何度も食べているのに「はじめて食べる」と、喜ぶ母。
室内に尿臭があり、ゴミ箱をみるとパジャマのズボンがまるめて入れてあった。
多分失禁したのをそのまま突っ込んだのだなと思いながら、さりげなく片づける。
母の認知症は微妙に進んでいる。
毎月訪問している私のことも、子どもとわからなくなる時が多い。
今何を言ってみても全く無意味なことはわかっているけれど、母は相当な決断をして私を産んだのだと思いたい。
母のゆるぎない強い意志で生まれてきた私。そう思えば過酷な子ども時代にも意味があったと思える。
認知症になっても、大切な子の記憶だけは最後まで残るはず。
そう思いたい自分。自分の存在証明のつもりなのか?
毎度のことながら呆れている。
先日妊娠中の次女と何故か子どもの習い事の話になって、ふと長女のことを思い出した。
思い出すというより、常に胸の奥にひっかかっている昔の出来事。
普段子どもに声をあげたり叩いたりしたことのない自分が、玄関に立つ長女の背中を強く叩いている映像とともに。
その時の長女の姿を今でも鮮明に覚えている。
原因はつまらないこと。
エレクトーンの練習を嫌がってやめたいと言ったからだ。
習い事を途中で投げ出そうとしたから。それまでに何度か繰り返された攻防。
そして娘の頑固な態度に。
今なら言える。
嫌ならやめればいい、と。
やりたいと思って取り組んだことも、自分が思っているものと違ったらやめてもいいんだ。別に大した問題じゃないよ、と。
でも、あの時私は未熟で若く、それを強いることが教育と思いこんでいた。
大人になった長女が、子ども時代を肯定的に受け止めてくれているのは、親として未熟であった私が、子どもを愛していなかったわけではないと理解してくれているからなのだと思っている。
子どもは、親から実に沢山の干渉を受けて子ども時代を生きる。
子どもに温かい記憶を残してあげられるような親になるのは、そう簡単なことではないな。
母と、そして私。
とても小さくなったけれど、まだ親としての役割が終わっているわけではない。