ぼちぼち日記

シニアの暮らし方や思い、猫たちのことなどをマイペースで記録しています。

足元だけをみて歩く。

2025-01-30 19:58:23 | 少しまじめな話
母の病院から連絡を受けて仕事帰りに洗濯物を取りに行ったのだが、その量の多さに絶句。病棟ではぎりぎりまで貯めてから渡すという慣行なのか、洗濯機を3回まわさないといけないほどの量なのだ。
怒りを抑えつつ家に帰って洗濯し、急いで外に干す。
幸い明日は天気の予報なので夕方には届けられるだろう。



人生の道のり。
若い頃には何が起こるかわからない不安とともに、喜びや楽しみも待っているはずという期待があった。
困難にみまわれても、忍耐心をもって。そうすれば道は開ける。
先のことまで考えて行動することが大事だと、自分に言い聞かせていた。
でも、歳をとってゴールが見えかかっている今の私は、足元だけを見て歩く。
山のように待ち受けている日々の雑事。
これから起こるだろうという事、しなければならない事を先に先にと考えると、億劫で辛い気持ちになるから。
だから前を向かないで足元をみて一歩一歩進んでいく。



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愛する人。

2024-11-17 20:14:36 | 少しまじめな話
先日の長女との会話。
「お母さんはこんなに真面目なのにどうして素敵な人と出会えなかったのだろう?」
娘二人はかなり個性的なので、結婚しないのではないかと思っていたが、結局どちらも良い伴侶に巡り合えた。
勿論良いか悪いかなど添い遂げてみなければわからないけれど、愛し合い日々が幸せであればそれで十分だろう。


私は娘たちの父親と共に最後まで生きることが出来なかったし、かけがえのない大切な人であったかと問われれば、「残念です」と答えるほかない。
結婚は軽率であったが、この出会いがなければ娘たちとの縁もなかった。

「誰か良い人がいればいいのに」と長女。
「お母さんは一人でやっていけるから神様は誰とも引き合わせないんだよ。」と、私。

好きな短歌がある。
枕木の数ほどの日を生きてきて 愛する人に出会はぬ不思議
―大村陽子―

諦めや淋しさというのではなく、不思議だなと静かに思う。
愛する人と出会えない人生もあるのだ。


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優しさが足りない。

2024-08-27 22:08:18 | 少しまじめな話
ヤマト運輸で倉庫内作業をしている男性が、劣悪な環境を改善してほしいと会社に訴え、ストライキを起こした。その勇気に拍手を送りたいし、共に立ち上がる人が多いことを願う。
それにしても、倉庫内は40度を超える暑さだったことを指摘された会社は、温度計が壊れており36度だったと答えたとか。



自販機の補充業務作業の男性が、炎天下徒歩で地点移動させられ(車に人員過多で乗せられなかったと会社側説明)、熱中症で死亡した事例も。

おそらくこんな事は氷山の一角だろう。
工事現場で働く人や交通誘導員、その他沢山の人達が、この炎天下で働いている。

日本の夏は変わった。もはや熱帯。
昔と激変しているというのに会社の対応はいったい何だろう。
吐き気と頭痛に苦しめられている人に、温度計が壊れていたと言い放てる心は?


どこの部署であっても、どんな形態で働いていても、会社は全ての職員を大切にしなければならない。その人達の命と暮らしを最優先に守らなければいけない。
それが本当の企業倫理だと思う。
思いやりのない会社からは、顧客も離れていくことを忘れてはいけない。
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尊敬している人。

2024-07-14 20:47:48 | 少しまじめな話
家の中の書類などを整理している時に、もうずいぶん前にもらったFさんの手紙が目にとまった。
癌の手術後3年が経過。ドキドキしながら検査を受け、異常がなかったことの報告とともに、仕事で部署異動となったことなどが記されていて、次のような文章を綴っていた。
「人から信頼されていると感じると頑張れます。仕事ができると思うと自信がつきます。自分の考えが相手に伝わると相手の話も理解しようと努力します。・・・・もう朝がやってくるのが楽しみです。」

Fさんはずっと昔同じ職場で働いていた人だった。
お互い別の道を歩んでいる現在、今は年賀状のやりとり程度となっているが、忘れたことは一度もない。
口数が少なく地味で、いわゆる要領のよい人ではない。
でも、裏表がなく誠実で、人として信頼できる。そしてとても強い人だ。



大好きな友人とは別に、私には無条件に尊敬している人が4人いる。
自分にも他者にも誠実に向き合い、責任をもって生きている人達だ。年齢など関係ない。事実この歳になっても、私など彼らの足元にも及ばないのだから。

癌の再発に怯える夜もあったはずだが、Fさんは仕事を辞めなかった。介護の仕事だから、しんどい日も多かったはずだ。
朝がやってくるのが楽しみですというFさんの直筆を見つめ、ホッとしたあの日の気持ちを思い出しながら、こんな人と知り合えて幸せだとあらためて思った今日であった。


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親である母と親である私。

2024-06-26 17:24:53 | 少しまじめな話
雨が降り続く今日、母の暮らす施設へ。
すこしでも季節を感じてほしくて、普段食べるお菓子に加えて、好きだった上生菓子を買っていく。



もう何度も食べているのに「はじめて食べる」と、喜ぶ母。
室内に尿臭があり、ゴミ箱をみるとパジャマのズボンがまるめて入れてあった。
多分失禁したのをそのまま突っ込んだのだなと思いながら、さりげなく片づける。


母の認知症は微妙に進んでいる。
毎月訪問している私のことも、子どもとわからなくなる時が多い。
今何を言ってみても全く無意味なことはわかっているけれど、母は相当な決断をして私を産んだのだと思いたい。
母のゆるぎない強い意志で生まれてきた私。そう思えば過酷な子ども時代にも意味があったと思える。
認知症になっても、大切な子の記憶だけは最後まで残るはず。
そう思いたい自分。自分の存在証明のつもりなのか?
毎度のことながら呆れている。


先日妊娠中の次女と何故か子どもの習い事の話になって、ふと長女のことを思い出した。
思い出すというより、常に胸の奥にひっかかっている昔の出来事。
普段子どもに声をあげたり叩いたりしたことのない自分が、玄関に立つ長女の背中を強く叩いている映像とともに。
その時の長女の姿を今でも鮮明に覚えている。

原因はつまらないこと。
エレクトーンの練習を嫌がってやめたいと言ったからだ。
習い事を途中で投げ出そうとしたから。それまでに何度か繰り返された攻防。
そして娘の頑固な態度に。


今なら言える。
嫌ならやめればいい、と。
やりたいと思って取り組んだことも、自分が思っているものと違ったらやめてもいいんだ。別に大した問題じゃないよ、と。
でも、あの時私は未熟で若く、それを強いることが教育と思いこんでいた。

大人になった長女が、子ども時代を肯定的に受け止めてくれているのは、親として未熟であった私が、子どもを愛していなかったわけではないと理解してくれているからなのだと思っている。

子どもは、親から実に沢山の干渉を受けて子ども時代を生きる。
子どもに温かい記憶を残してあげられるような親になるのは、そう簡単なことではないな。
母と、そして私。
とても小さくなったけれど、まだ親としての役割が終わっているわけではない。

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