仕事休みを利用してラムちゃんを探しに阿蘇へ。
昨日も雪まじりの寒い一日だった。
片道1時間半かけて現場へ。
その後2時間かけて、名前を呼びながらあちこち探し歩いた。
探しながら確信したことは、私の前には絶対に姿を見せないだろうということ。
信頼関係を築くほどの期間もなく、いきなり捕まえてひどいめにあわせた人間なのだから。
歩きながらいくつもの廃屋や納屋があることに気づいた。
納屋の中には沢山のビニールや段ボール、捨て置かれた箪笥などが山になっている。
猫が雨風をよけて眠れる場所があることを確かめた。
確かに気温は室内とはくらべものにならないけれど、何とか暖はとれるはず。
最後に、猫を沢山保護しているおじさんに出会った。
ラムちゃんが逃げたところから500メートルほどのところだ。
自分の納屋に電気ストーブやコンテナを置いて、毎日餌をあげて保護しているということだった。
見かけたら知らせると言ってくれたけれど、人に慣れていないなら捕まえるのは難しいだろうとのことだった。
でも猫同士は友達になれる、と。
その言葉は救いだった。
ラムちゃんは、どこかで飼われていた猫だが、娘が引き取った時点で飼い主は現れなかった。
私の家の近辺でみかける長毛種の数匹の猫も、人間に飼われていたはずの猫だ。
長毛種が野良猫になれば、毛玉が沢山出来て毛並も汚れているはず。
美しいならつい最近まで飼い猫だったことが推測できるのだ。
それでも人に慣れていないのは、飼われていた時に幸せではなかったか、外に出てからの日々が過酷だったのかもしれない。
逃げ出した猫を探すのにこんなに苦労しているのに、一方で捨てる人間がいることが不思議だ。
ラムちゃんは白血病のキャリアだから、おそらく長く生きることは難しいだろう。
猫は人と共に暮らさなければ生きられないと言われるけれど、自由を制限された環境で飼われることは幸せだろうか?
とんでもなく遠い場所に連れて行ってしまったことに胸を痛めたけれど、もしかしたらここのほうがずっと安全なのかもしれない。
おじさんの話を聞きながらそう思った。
心配は食べるものだ。
おじさんの納屋にたどり着ければいいな。
今回里親になってくれるはずだった方には、毎日少しずつでも餌を置き続けてもらうように頼もう。
多分ラムちゃんは見つからない。
人間の私にも生活があり、辛い気持ちを抱えたまま生きていくわけにはいかない。
だからもう探さない。
沢山声をかけた方の中から、「見つかりましたよ!」と連絡がきたら何をおいても飛んでいく。
連絡がなければ、ラムちゃんの生きる力を信じる。
神様が守ってくれていることを信じる。
明日から気持ちをきりかえて暮らそう。
そう決心した。