ぼちぼち日記

シニアの暮らし方や思い、猫たちのことなどをマイペースで記録しています。

今週の名言

2021-03-29 08:05:52 | 家族


家族とは、「ある」ものではなく、手をかけて「育む」ものです。
―日野原重明―
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母、そして私のこと。

2021-03-28 17:59:25 | 家族
家族はつながっているので、この私を母に持つふたりの娘たちにも、何かと苦労をかけてきた。
出来た親ではなく、不自由も沢山させて。
親の鑑からは程遠いところにある不足だらけの親としていつも済まなく思ってきた。
そんな私だけれど、娘たちはいつも気遣ってくれる。
今どうにか平常心を保っていられるのも、娘たちのおかげだと感謝している。


そして、また自分の母のことを想う。
ろくな教えを授けてくれなかったと母を恨みながらも、今少し違う考えが胸に広がっている。
それはいつか訪れる別れの瞬間だ。
反面教師として私の前に立つ母は、遺された私が悲しまず、その死を安堵で迎えられるように今を生きてみせているのではないか、という想いだ。
それも親が子に与えるひとつの教育なのかもしれない。

私ももはや老老介護に近づいている。
私自身がその日を迎えるのもそう遠くはないだろう。
その時私はどんな親の姿を娘たちに見せるのだろうか。

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母のこと ―2―

2021-03-28 17:28:25 | 家族
母は「刹那的なひと」だ。若い頃から物事をしっかりと考えてこなかった人、後ろを振り返ることのなかった人。
知識と知性は重なる部分があるけれど、そのいずれも身につけてこなかった人。自分の感情を優先して他者を第一に考えることのなかった人だ。

これまでの母との生活の中で、母は確かに私に良い思い出も残してくれたはずなのに、現在の母のふるまいや心の在り方がそれをどんどん打ち消していくことがとても悲しい。


母の刹那的な生き方が、幼い頃から私の心に沢山の影を落としてきた。
でも過去を総括する習慣のない母。そして今認知症も進んできたので、人生の大きな出来事も殆ど記憶していない。
当事者として共有する人は誰もいなくなったので、ここに書けない沢山の悲しい出来事は、私だけが抱えておくほかなくなったわけだ。

もし来世があるとしても、私は二度と母と会わないだろう。
母をみるのはこの世だけで十分だ。
私の従弟は自分の親を捨ててしまった。一人息子に捨てられた叔母は寂しい老後を送り、いまはもうこの世の人ではない。
私は。
母の退院日をなるべく考えたくないと思っている私は。
母を見捨てることはなくても、母への向き合い方を変えていこうと思っている。

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母のこと ―1―

2021-03-28 16:54:14 | 家族
月曜日。仕事から帰宅する途中、母が通っているデイサービスの管理者から電話がかかり、母が自宅で倒れていると近所の人から通報があった、と。
慌てて帰宅すると玄関先にデイの職員さんも心配して見に来てくれていた。
部屋に入ると、近所の方と叔母が、倒れている母に付き添ってくれていた。
テーブルの上に日本酒のパックと、おつまみ。
顔を赤くしながら畳にあおむけに倒れ、痛い痛いとわめいている。
「救急車を呼ぼうか迷っていた・・・。」と、叔母。
デイの職員や近所の方にお礼を言って、すぐに救急車を呼ぶ。
救急車の中で、消防隊員の質問に答え、病院についてからは医師や看護師に状況を伝える。
本人は子どものように痛い痛いとわめき続け、情けなさで胸がいっぱいになる。
飲酒して転倒し、肋骨を2本折っていた。
幸い入院させてもらえることになり、現在はかかりつけの病院に転院しリハビリ加療を続けている。


アルコール中毒ではないけれど若い頃から晩酌の習慣があったから、高齢になった今でも私に隠れてお酒に手を出すことあったのだろう、と思う。
でもこんなに大変なことになったのは、熊本地震以来二度めだ。
いずれも私が一番しんどい時。何だか狙っているかのようにそういう時なので神様を恨みたくなる。
転倒しては家財を壊す母。熊本地震の時は嘔吐するまで飲酒して畳を総替えしなければならなかったし、先日は引き戸のガラスを割ったのだった。


母が入院した時、あまりの開放感と母のことなど全く心配していない自分に驚いた。私は母のことが嫌いなのだと改めて気がついた日だった。
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今週の名言

2021-03-22 07:59:53 | ことば


ものを知らない人間の悲しさは、知らないということがわからないことなんです。
―橋本治―
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