ぼちぼち日記

シニアの暮らし方や思い、猫たちのことなどをマイペースで記録しています。

老年期に突入—⑩

2024-06-15 11:46:21 | 少しまじめな話
6月より年金支給額が2.7%あがった。
女性の年金の平均は、およそ10万円とのことで、私もその程度。
国民健康保険料と市県民税、介護保険料などの税金を支払ったら、手元には半分しか残らず衝撃であった。(税金額は前年の所得を基準とするのでどうしても高くなることは承知していたものの・・・)



先日、高齢の外国人旅行者に「歳を取ることに対してどう思うか」とインタビューしている番組を見た。
定年して仕事から解放され、経済的にもゆとりが生まれ自由な時間を楽しめていると語っている人が多かった。
もちろんこの人達がすべての高齢者の姿を示しているわけではないけれど。

格差社会。
日本で暮らすその他大勢の高齢者の現実はかなり厳しい。
働くことが生き甲斐と言う人もいるけれど、年金の半分近くが税金でもっていかれ、大した貯金もなく、乏しい収入では食べていけないからという理由のほうが圧倒的に多い。


さて、私はといえば、定年退職して1ヶ月ほどでどこか仕事を探すつもりだったのに、早3ヶ月が経とうとしている。そろそろ失業一時金も底をつく。
流石に焦りを覚えて先日とある場所に面接に行ってきた。

応募者が数人いるとのことで結果待ちだが、採用されたとしてもそこの仕事もハード。腹をくくって、気力体力を振り絞る必要があることを痛感。

「生涯現役。あなたの生き甲斐を応援します!」
大噓だ。高齢者にぎりぎりまで自助努力させようという魂胆がスケスケで怒りしかないな。
(; ・`д・´)
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パフォーマンス。

2024-06-09 13:56:18 | 少しまじめな話
都知事選の行方に関心をもっている。
立候補者の多さもカオスだなと思うのだが、なかでも蓮舫さん。
まず都知事選に立候補するに至ったその思考回路に興味あり。
少し前だが、都庁で食糧配布現場を視察しているニュース映像を見た。
蓮舫さんは、沢山の人が食べるものにも困っている事実を知り衝撃を受けたらしい。そうコメントしていたので、そうなのだろう。

「え、今ですか?」
「議員活動長いでしょう?選挙前になって初めて知って驚いたんですか?」
・・・・・その場にいたら聞きたかった。



またまた韓国ドラマだけれど、政治家の腐敗を扱った作品も多くて、こんな付け焼刃のパフォーマンス光景がよくドラマの中に出てくる。
実に納得がいってしまう。
この状況はドラマ仕立てにすると面白いだろう。
ドラマでは必ずインチキが暴かれる筋書き。
そして韓国の国民は結構な頻度でデモをする。

物価は一向に下がる気配はなく、犯罪や事故があふれかえっている。
先が見えない。希望の光が見えない日本。
ここで諦めたら終わりだ。
本心で行動しているか否か。見極めは難しいので、私たちはよく注意してみなければいけない。



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老年期に突入—⑨

2024-05-12 10:03:45 | 少しまじめな話
特に何か変化があるわけではないのに、憂鬱な日とそうでない日がある。一日を元気で始められる日とそうでない日が。
大抵の人が同じだろうと思うけれど、年齢がいくとそれが顕著になるような気がする。
今は仕事をしていないのに、何かに追われるような。気力が追いつかないような気分。

5月病なるものがあるが、自殺者が最も多い月は5月ときいたことがある。
新年より春を迎える時に、人はより不安を感じるのだと思う。
勢いよく萌え出る木々の葉は、季節が一巡していることを教える。
美しい花をうれしく眺められる日もあれば、年月を重ねること、日々の暮らしを続けることを億劫に感じる日もある。
楽しいことや嬉しいことを上回るめんどくささと、近い将来への不安。



元気でいようと日頃は頑張っているけれど、自然体というわけではない。
元気な高齢者を意識しつつ頑張って生きていかなければならない。
努力してそうしている。
高齢になるとこんな思いになりがちなので、気を付けなければいけない。




先の読めない今の社会。
もう少し泰然として生きられたらいいのに。
もっと本を読んで、先人の知恵を借りよう。
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老年期に突入ー⑧

2024-03-10 20:10:21 | 少しまじめな話
大好きな男性作家がいて、大学時代にその人の本をよく読んでいた。
冒険家で磊落な印象。笑顔が素敵で憧れていた。
でもいつしかその人の本を読まなくなり、すっかり忘れていたのだけれど、先日図書館で久しぶりに彼の本を手にとった。
そして読後、最近の写真を検索して、あまりの別人ぶりに衝撃を受けた。
何十年という歳月が彼を完全な老人に変えていた。
若かった頃の逞しさは片鱗もなく、ただただおじいさんだった。
勿論外側が変わったからとその人の本質が失われるわけでないことは承知しているけれど、すごくショックだった。


歳月は残酷だ。
時間は容赦なくそのひとの内も外も変えていく。
私の周囲を見渡しても同じ。勿論私自身も。
こんなふうに落ち込んだり、抵抗を試みたり。
そうして少しずつ現実と折り合いをつけながら老人になっていくのだろうな。



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新しい年に。

2024-01-07 18:48:05 | 少しまじめな話
年末から娘たち夫婦が来てくれて、韓国に住む娘婿は本場のマッコリまで持ってきてくれて。
(発酵酒なので、持ち込みにかなり苦労して)




とても楽しくて
新年を明るい気持ちで迎えられるはずだった。

でも、1日に起きた石川県能登地方の大地震。
もはやおめでとうという気にもなれず、希望が急速にしぼんでいくようだった。



よりによってなぜこの日?
立派な門松を前に倒壊している家や、寒さの中給水を待つひとの列。
雨や雪が降り、寒さも厳しいなかで今なお救出されていない人。
水もトイレも、暖房も、何もかもが不足している。
お年寄りや小さな子どもたちはどんなに辛いことだろう。

リアルな映像が熊本地震のあの日の記憶を呼び起こして、私自身も眠れない夜が続いた。
各地から日赤の医師や看護師や、自衛隊などの応援隊が駆け付けている。
でも、私たちのような一般市民が現地に行けば、かえって足手まといになり、迷惑をかけることのほうが多い。
こうしてぐずぐず思い悩んでいるのも、当事者には何の助けにもならない。
役に立つのは、きっとお金だ。
大したことはできないけれど、応援の気持ちをこめてお金を送ろう。

そういえば、あの熊本地震の時に、お金を送ってくれた友人や割れてしまって困るだろうと、食器などを送ってくれた友人がいた。
言葉だけではなく、心のこもった見舞いがどんなにあり難かったことか。今でもあの日の感謝の気持ちは変わらない。



それから考えた。
私たち人間は、決して自然をコントロールすることはできない。
これまで何度叩きのめされてきたことか。
でも、生きている間は何度でも立ち上がる。
そうして生きていくほかはない。
それぞれがおかれた場所で、精一杯生きる。
日々を大切に生きる。
自然災害の辛さを知っているからこそ、毎日を笑顔で生きよう。
あらためてそう誓った。
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