初めましての方は、目次も見てみてね!
☆『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。
おはようございます。
天地の道理の、そのまままに、どこにも生きようのない、探しようのない、皆様。
母親が寝ている横で、勝手にPCを借りて、ブログ更新をしている豊田です。
今日は5時10分に目覚めました。
5時に携帯のアラームが何回か鳴ったのですが、あと少しと消してしまいます。
西郷隆盛は起きた瞬間に布団を蹴飛ばしたそうですね。
短時間睡眠しかしなかったという偉人の話はよくあります。
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グルジェフさんも、明石家さんまも、ナポレオンも、まあ、偉くなった人は短時間睡眠が多いですね。
「思い残すことなく、短時間眠れ!」というのはグルジェフさんの格言です。
僕も一時期は4時間半睡眠に挑戦していましたが、結局、休みの日に寝てしまうので、意味がなかったww
人によって違うのは、なかなか、おもしろい。
で、みんな寝ているので、静かな中で、洗面を済ませます。
千鶴さんが帰ってきてから、まともな人間のような生活に、戻っていますね。
このまともな人間の生活が、まあ、ストレスになることもあるわけです。
実は、この、めんどうな生活が、健全なのですが、ダメ人間ダメマは、いい加減すぎて、疲れて怒るというパターンですねww
しかし、なんか、やっぱり、人間って、存在しているだけで、効果、というか、意味があるようです。
それは、この3か月半の、独りでいた時期と、今の、また、以前の時期の気分とか、行為の違いに現れている。
つまり、徹底的に、人との縁によって、人があるのであります。
洗面を済ませると、和室で座禅15分を行います。
座布団を2枚重ねて、上の1枚を半分に折り、その上に座る。
左足の上に右足を載せる形式で、お尻を後ろに突き出して、床に侍る。
その状態で、更にお尻を上に、腰の角度を調整して、背骨が垂直になるようにする。
座布団に腰を据えると、左右に、上半身を捩じって、肩からわき腹にかけてのバランスを戻す。
首を直す。
正面に向かうと、携帯の時間を見て、16分後に、アラームを設定して目を瞑ります。
そこから、また、いろいろしているのですが、秘密です。
まあ、過去記事には書いた覚えがありますが、要するに感受性を鍛えるということをしています。
本来は、座禅は、半眼で、下の方を見ながら「何もしない」ということが基本ですね。
耳は聞こえるままに、眼は見えているままにしておく。
何もしなくても、カラスが鳴けば「カアー」と聞こえてくる。
実際には、この「カアー」ではなくて、実際の認識前の音が、耳が先か、鳴くのが先か、分けられないほどに同時に、起こっている。
その実際の、在りようの中で、自受容三昧。
つまり、この、ここに、いるという、そこに手放ししているのが、座禅である。
が、まあ、僕はちょっと特殊なことをしています。
完全なる努力と完全なる気づきというのは、ここに存在している力に寄るのです。
さて、座禅を終えると、千鶴さんが目を覚ましていたので、少しだけ会話を交わしてから、読書タイムです。
コーヒーを入れて、煙草を吸いながらの最高の至福。
しかも、朝の柔らかな光と、澄んだ空気の中で、畑を眺めながらの、この時間は、また素晴らしい。
何も考えないと、この、ここの、奇蹟が、信じられないほど、心に響くときもあるのです。
大自然の、その、豊かな存在の、不思議。
天地の姿、その摩訶不思議なる力。
本には、生死のままに座るとありました。
仏のある、なし、を問わずに、ただ、この、あるがままに寛ぐということですね。
これは、他の可能性を、排除して、自分が、自分である、そこに、いるということです。
つまり、ただ、このままで、働きのままで、与えられたままで、満足する。
自受容三昧です、笑
何か、他の可能性を追い求めようとするのだけれども、ただ、そのままにいる。
誰かが死んだときに「あの人はどこへ行ったのですか?」と人が聞く。
先輩の僧が「あの人を埋めた土の上には3年もたてば、草が生えておるじゃろうな」
その意味は話さないらしい。
まあ、でも、この話の響きから、感じ取れるものは誰しもあると思います。
生死のままにというのは、そういうことでしょう!
読書を終えると、千鶴さんが玄関脇へ出てきて「3歳になったら七五三なり」と言う。
??
でも写真は「○○○」では撮らないらしい、笑
どうもインターネットで非常に評判の悪いスタジオがあるらしく、その情報を目にしたのだろう。
インターネットの中でも、様々な口コミが広まるので、影響が社会にも出ているんだろうな。
感謝する人もいれば、罵倒する人もいる。
本当に、いいものであれば、長く残るかもしれない。
こういう一般の人間が、書くことができる環境があることで、ある程度の公正さが、保てる部分もあるだろう。
もちろん情報操作もあるだろうが、見ている人は、見ているのであり、実際の社会には健全な目を持つ人の方が多いのである。
結局、まあ、ノードダモーレという結婚式を挙げたところがいいんじゃないかということで、話を終える。
そのあと母親の家へ来て、ブログの更新をしていたのでした。
母親は、僕が、集中して書いている間に、起きてきて、歩いて行ったような気がするが、また寝ている、笑
今日は、月曜日で仕事が始まるので、心機一転、頑張ろう!
読んでいる本にもあったが、与えられた、今ここに開き直るとは、良い言葉だなww
グルジェフさん曰く「受動的にされた努力は失われてしまうが、能動的になされた努力は必ず報われる」らしいよ。
額に汗して働いたら、生活も、なんとかなるかなあ。
んじゃ、またでーす!
⇒⇒VOICE OF JOKER 目次
☆『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。
おはようございます。
天地の道理の、そのまままに、どこにも生きようのない、探しようのない、皆様。
母親が寝ている横で、勝手にPCを借りて、ブログ更新をしている豊田です。
今日は5時10分に目覚めました。
5時に携帯のアラームが何回か鳴ったのですが、あと少しと消してしまいます。
西郷隆盛は起きた瞬間に布団を蹴飛ばしたそうですね。
短時間睡眠しかしなかったという偉人の話はよくあります。
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グルジェフさんも、明石家さんまも、ナポレオンも、まあ、偉くなった人は短時間睡眠が多いですね。
「思い残すことなく、短時間眠れ!」というのはグルジェフさんの格言です。
僕も一時期は4時間半睡眠に挑戦していましたが、結局、休みの日に寝てしまうので、意味がなかったww
人によって違うのは、なかなか、おもしろい。
で、みんな寝ているので、静かな中で、洗面を済ませます。
千鶴さんが帰ってきてから、まともな人間のような生活に、戻っていますね。
このまともな人間の生活が、まあ、ストレスになることもあるわけです。
実は、この、めんどうな生活が、健全なのですが、ダメ人間ダメマは、いい加減すぎて、疲れて怒るというパターンですねww
しかし、なんか、やっぱり、人間って、存在しているだけで、効果、というか、意味があるようです。
それは、この3か月半の、独りでいた時期と、今の、また、以前の時期の気分とか、行為の違いに現れている。
つまり、徹底的に、人との縁によって、人があるのであります。
洗面を済ませると、和室で座禅15分を行います。
座布団を2枚重ねて、上の1枚を半分に折り、その上に座る。
左足の上に右足を載せる形式で、お尻を後ろに突き出して、床に侍る。
その状態で、更にお尻を上に、腰の角度を調整して、背骨が垂直になるようにする。
座布団に腰を据えると、左右に、上半身を捩じって、肩からわき腹にかけてのバランスを戻す。
首を直す。
正面に向かうと、携帯の時間を見て、16分後に、アラームを設定して目を瞑ります。
そこから、また、いろいろしているのですが、秘密です。
まあ、過去記事には書いた覚えがありますが、要するに感受性を鍛えるということをしています。
本来は、座禅は、半眼で、下の方を見ながら「何もしない」ということが基本ですね。
耳は聞こえるままに、眼は見えているままにしておく。
何もしなくても、カラスが鳴けば「カアー」と聞こえてくる。
実際には、この「カアー」ではなくて、実際の認識前の音が、耳が先か、鳴くのが先か、分けられないほどに同時に、起こっている。
その実際の、在りようの中で、自受容三昧。
つまり、この、ここに、いるという、そこに手放ししているのが、座禅である。
が、まあ、僕はちょっと特殊なことをしています。
完全なる努力と完全なる気づきというのは、ここに存在している力に寄るのです。
さて、座禅を終えると、千鶴さんが目を覚ましていたので、少しだけ会話を交わしてから、読書タイムです。
コーヒーを入れて、煙草を吸いながらの最高の至福。
しかも、朝の柔らかな光と、澄んだ空気の中で、畑を眺めながらの、この時間は、また素晴らしい。
何も考えないと、この、ここの、奇蹟が、信じられないほど、心に響くときもあるのです。
大自然の、その、豊かな存在の、不思議。
天地の姿、その摩訶不思議なる力。
本には、生死のままに座るとありました。
仏のある、なし、を問わずに、ただ、この、あるがままに寛ぐということですね。
これは、他の可能性を、排除して、自分が、自分である、そこに、いるということです。
つまり、ただ、このままで、働きのままで、与えられたままで、満足する。
自受容三昧です、笑
何か、他の可能性を追い求めようとするのだけれども、ただ、そのままにいる。
誰かが死んだときに「あの人はどこへ行ったのですか?」と人が聞く。
先輩の僧が「あの人を埋めた土の上には3年もたてば、草が生えておるじゃろうな」
その意味は話さないらしい。
まあ、でも、この話の響きから、感じ取れるものは誰しもあると思います。
生死のままにというのは、そういうことでしょう!
読書を終えると、千鶴さんが玄関脇へ出てきて「3歳になったら七五三なり」と言う。
??
でも写真は「○○○」では撮らないらしい、笑
どうもインターネットで非常に評判の悪いスタジオがあるらしく、その情報を目にしたのだろう。
インターネットの中でも、様々な口コミが広まるので、影響が社会にも出ているんだろうな。
感謝する人もいれば、罵倒する人もいる。
本当に、いいものであれば、長く残るかもしれない。
こういう一般の人間が、書くことができる環境があることで、ある程度の公正さが、保てる部分もあるだろう。
もちろん情報操作もあるだろうが、見ている人は、見ているのであり、実際の社会には健全な目を持つ人の方が多いのである。
結局、まあ、ノードダモーレという結婚式を挙げたところがいいんじゃないかということで、話を終える。
そのあと母親の家へ来て、ブログの更新をしていたのでした。
母親は、僕が、集中して書いている間に、起きてきて、歩いて行ったような気がするが、また寝ている、笑
今日は、月曜日で仕事が始まるので、心機一転、頑張ろう!
読んでいる本にもあったが、与えられた、今ここに開き直るとは、良い言葉だなww
グルジェフさん曰く「受動的にされた努力は失われてしまうが、能動的になされた努力は必ず報われる」らしいよ。
額に汗して働いたら、生活も、なんとかなるかなあ。
んじゃ、またでーす!