丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」

こんな世の中でも幸せにいられるの♡/悲劇のヒロインタイプの支配

2021-03-23 18:58:49 | 心の解放シリーズ

やっぱりひどいことされたらやめてくれといわないと、

いつまでもやられてしまうからな。

一応言う。

しかし、、

カオスの様相を呈してきた。

コロナとか不正選挙とか、とんでもないことやってるからなんだけど

世の中めちゃくちゃだなぁ。

と我に返ってしみじみ思った。

情報収集したり、発信することも大事だけど、

こうカオスだと、疲れてくるのね。

みなさんのなかにも、そう感じてる方もいらっしゃるかな。

悪が滅びる前だから、そんなもんだと思うんだけど、

起きてることに感情移入しすぎると、つらくなるのね。

これからあいつら弱体化につれて、目を覆いたくなる真実がますます出てくるだろう。

そういうときはな、そうはいっても自分の人生を生きているんだよなってことを思い出すんだ。

ただ自分の人生を生きているだけで、周りで起きていることは背景にすぎず、主役は自分だったんだと。

実際そうなんだ。残虐なめにあって苦しそうな人も、それはその方の取り組むべきテーマなんだ。かわいそうだと感じ、助けてあげたくなるんだけど。
応援や、できることはしてあげることができるけど、
基本的には本人が自分の意思でそこから抜けたり、そのための行動をしたり、気づいたりすることが不可欠だ。

そして自分もまた自分のテーマに取り組んでいる。

だから、世の中が荒れて、つらくなって来たら、ちょっと情報から離れてみる。

また、自分の周りの人が苦しそうであっても、その人のテーマであったら、その人が取り組むことなんだ。
自分にできることは「できることがあったらいってね」と言うことくらいだ。
本人がヘルプを頼んできたら、自分がつらくない範囲でお助けするのがよいだろうな。(つらいのに我慢して助けちゃうとそれもまた支配関係になっちゃうから)
でも本人が、望んでないならダメなんだ。

悲劇のヒロインタイプの支配というのがある。
「助けてくれ」とはっきり言わないで、かわいそうな、つらそうなそぶりな態度で相手の同情を喚起するという支配だ。
そうやって相手を支配するというのを、やってしまうことがある。
女性に多いだろうか。涙や愚痴や態度を使った支配。
母親が息子に対してしているのをよく見る。
こんなふうに子どもを味方につけて夫と争う、とか舅姑と争う、という妻をよく見かける。
長男の人などこうされて育っている方が多いので、必要以上に親孝行しなければならないと思い込んでいる方もいる。その期待に応えられないと罪悪感を感じる。
これは不当な罪悪感だ。
まずはそれを自覚することだ。たいていそれは母親と父親の問題だ。
息子は関係ない。だから離れた方がいいんだ。関係ない息子がかわいそうだと入っていくと、父と母はいつまでも向き合えないんだ。

そして長男自身が結婚して、親の期待に応えたいのに妻がそれを拒むと、また家庭がカオスになる。こうして代々親と同じような家庭を築くことになる。

だから、こんな同情を利用した悲劇のヒロイン支配にも乗ってはいけない。
まず気づくことだ。そして離れることだ。気になるなら「自分にできることがあったらいってね」と相手が自分で助けを頼むよう促してから離れる。

相手が言葉で具体的に助けてほしいと頼んで来たら、助けてあげて大丈夫だ。
これは支配でも依存でもない、ちゃんと自立して助けを依頼できたってことなんだ。

助けてほしいと言わないならば、その人は深い所では、しばらく苦しい状態でもそのままでいたいかもしれない。
口では苦しいと文句を言ってても、まだその問題に向き合いたくないのかもしれない。

こんなふうに人は人の人生を生きている。

だから世の中や自分の身近な人たちがカオスでつらくなったら、自分に戻って平和にいていいんだ。

なんだか戦時中みたいな雰囲気があると思うのね。現在。

先日の記事で紹介させていただいた新潟大学の先生もおっしゃっていた。

異論を許さない雰囲気がある。

こんなときをどう過ごすかは、やっぱり偉大な先人が参考になる。

たとえばこの人。



お金持ちの姉妹たちの美しい日常を描いているお話で、戦時中、弾圧されてしまったんだな。
けれど言論弾圧に屈しなかった偉人だ。
屈しないと言っても、権力と激しく戦ったわけではなく、あるがままの自分でいつづけた人だ。

わかるわかる。でも逃避したほうがいいのよ。
心の自由を思い出すことが大切なの!


おばさんは江戸っ子だし現代っ子だから、こういった谷崎の風雅、風流に憧れがあるのねw

なんとなく谷崎さんが物語の舞台を関西にした気持ちがわかる気がするの。

日本文化、食とか着物とかは、大阪・京都あたりがやっぱりいいなぁと思ったの。

関東から関西に移り住んだばかりのころ。

江戸っ子のおばさんからすると、京都弁の女性がやわらかくステキに見えたのだった。これがはんなりというヤツか~と。

料理の味もおだしの味が繊細で、なんておいしいんでしょうと感激した。
水がやわらかく、女性も、ことばもやわらかいのね~と憧れたものだ。

江戸っ子のおばさんは、味付け濃いめであった。

余談だけど、「餃子の王将」は京都の企業なんだけど、京都の王将には、テーブルに「餃子のたれ」しか置いてなくてね、「しょうゆ」が置いてないのね。江戸っ子のおばさんには王将の餃子のたれがちょっと薄く感じるの。だからいつも「お醤油ください」って言ってもらうの。で、関東の王将にはお醤油もテーブルに置いてあるのwこんなふうに西と東で味覚がちがうのね~

だから谷崎が小説の舞台を関西にしたのはうなずけるの。

谷崎は、女性とグルメを愛していた。そして美を愛していた。

昭和『細雪(ささめゆき)』は昭和の作家・谷崎潤一郎による小説。昭和18年(1943)から第二次世界大戦を挟み、昭和23年(1948)にかけて刊行されました。谷崎潤一郎の代表作の一つで、大阪~神戸に住む蒔岡(まきおか)家の4人姉妹の生活が描かれています。読み進めると、戦争に向かう中での関西の上流階級の暮らしぶり、日本的な様式美やしきたりとの女性たちの葛藤が見えてきます。
谷崎潤一郎『細雪』のあらすじ
一時ほどの勢いはないものの、関西の上流階級に位置する蒔岡(まきおか)家。四姉妹の次女・幸子(さちこ)と貞之助(ていのすけ)夫妻は、三女・雪子(ゆきこ)が早く結婚するようにと世話を焼きます。

谷崎潤一郎『細雪』のテーマ。繰り返される様式美、それに抗うか
谷崎潤一郎『細雪』のテーマは「繰り返される様式美」と捉えられます。それを受け入れるか、抗うか。様式美とは『細雪』の場合、旧来の日本的な価値観や風習、家の伝統などです。それは「いき」「風流」という感性とセットになっています。

そういうのは戦時中は弾圧されるのね。
で、今、京都あたりは中国が土地を買い占め、なんだか京都らしさが壊されてる?感じがしないでもなく。。
おばさんの好きな、はんなりを壊さないでほしいのね。
金と勢いで侵略されてる気がするのね。
あの当時は武力で。
今もそれを阻止できるかどうかって感じになってきていて。
あいつらはNWO、つまり国なくしたいわけだから、文化などはなくしたいわけだ。

いまや海外に行ってもその国らしい文化に触れるってのが難しくなってたりする。
どこに行っても同じような都市、ショッピングモール、スタバ、みな同じような服装。風流、風雅がなくなってきてるのね。
これは今に始まったことではなく、ながーい時間をかけてこうされちゃったのね。

それで細雪を書いたご本人は、

やはり戦時中で、ご自分も金持ちというわけではなかったんだけど、グルメと女性を愛し続け、耽美の世界を書き続けたのね。
戦時中の食べ物がない中で、牛肉にありつけて、妻と食して感激していたというエピソードを聞いたことがある。
殺伐とした時代に、こういう喜びを放棄しなかったこの人が私は好きだね。

この時代、戦争を称賛するような作品を書いていた作家もいっぱいいたわけだ。
戦争、バンザイ、お国のためにって。
そのなかでこういった作品を書いてくれてありがとうと、おばさんはいいたい。
作品もだけど、この人の生きざまが個人的に好きだ。

けっこう、結婚と離婚を繰り返しているね。三角関係にもなっちゃってるねw
女性が好きなんだなぁ。
自由な人だ。
そして谷崎の奥さんは美しい。松子さん。

だからこそ、ああいう作品が書けたんだろうな。創作の源だったわけだ。

谷崎潤一郎の恋文

崇拝する高貴な女性がいないと作品が書けないとご本人がラブレターの中で告白してるねwこんなこといわれちゃったら、あんた・・・w
あぁ、やっぱあるがままの自分で生きようとしたんだ。
作品の中に松子の美しさをとどめておきたかったんだって。
戦争で松子の華やかさや気品が失われてしまうのではないかと思ったんだって😢 
ステキ。。

グルメと女性と美と。味わう喜びが。。。それがないと耽美の世界は描けない。

いいのよ。好きなもんは好きで!

感じて味わうことなの。そうするとマイナスから外れていくの。。。
どんなに世の中がマイナスであったとしても。。。

それはなんでもいいんだ。例えば勉強はできないけど女性にもてるとか。
女にモテたい!そしてモテる。
これも自分の気持ちから選択した責任だ。
そして気持ちがいい。そして自信が育つ。
ステキじゃないか。支配者の顔色見て忖度してるヤカラよりw
このくらいならぜったいひきこもりにはならない。
お母さんも自由でびしっとしたステキな女性なんだろう。
ここが大事だ。
これを自分にも他人にもやらせてあげることだ。
他人のそれを邪魔すると、それは、妨害、支配。あいつらのやっていることと同じだ。

そして感じて味わって、喜んでることが、創造の源なの。実は。
こうやって実力をつけて豊かになるのが理想だ。お金も稼げるようになる。
ピラミッド組織に入らないで豊かになる生き方というのがある。
すぐにはできなくても、ここを大切にしていると、だんだん伸びていく。
カタチになっていく。仕事にする道も見えてくる。

だからこそ支配者はそれを奪ってくるのね。
だから、こういう人間が発展する法則を、きっとよく知ってるよね。あいつら。
で、自分たちはいいものを味わっている。

だから、日常の些細なことに喜びを感じることを放棄しないってだけで、
あいつらに抗ってることになるのね。これがけっこう強力なのねw

さっき京都の「はんなり」を壊さんといてくれと書いたけど、
こういうのも愛して味わうファンが多ければ、着物文化も食もその他すばらしいものがすたれないと思うの。
べつに贅沢にお金をかけられなくても、身近にあるものを、手に入ったものを味わって喜んでいる。自分の好きな物、なんでもいいのよ♪
そんなことがものすごく強力で、こんな時代に幸せにいるヒントだと思ったの。

外資が横暴して国土や日本企業を買い占めても、我々の感性を買い占めることはできないんだ♡


おばさんは週末、出かける用事があるので、久しぶりに着物で行こうかな。
最近着てなかったからなぁ。コロナで出かける機会が減ったから。
帯の結び方、忘れちゃったな、復習しとこ。

コロナに関するお話も、「正しい/間違ってる」、こうすべき、すべきでない、という観点の議論がどうしても多くなってしまうのも、しかたないんだけど、ちょっとそこから外れたくなることがあるのね。
そんなとき、自分の好きなことを愛して味わっていると、ちょっと異次元に行けるの。そう、次元が違うって感じね♪

自分がよいと思うことをおおらかにやって、やばいと思われることは発信して、
あとは激しいところから離れて幸せにいたらいいと思うの。
工作員やあいつらに操られたマスコミとやりあっても仕方ないからさ。
そういう言論が多い時代なんだ、という前提で、必要なことだけ言ったら平和に戻ろう。

物事はそう単純にはできていないしね。

ある面から見ると正しいけど、別の観点から見るとそうでもない、とか。

科学的には正しいけど、人の心の幸せの観点から見るとダメとか、

ある人にとっては正しいけど、ある人にとっては間違ってるとか。

だから、自分にとって正しいかどうか、しかないのかもしれないね。

立場や役割によっても、大きく変わるしね。

みんなそれぞれの人生を生きていて、ベストと思われることもそれぞれ違う。

また、「いい/わるい」も、人間が頭でそう思ってるだけで、本当はそういうの、ないのかもしれないと思うの。

たとえば、今の状態が悪いと思ったとする。

でも今の状態というのは、これまでしてきたことの結果だ。

今が悪いからどうにかしたいとおもったとき、状況を丁寧に見て向き合うと、自分の行動パターンに気づくことができる。いやならちょっと変えればいい。

これは悪いといえるのか?

だから「いい悪い」と感じることすら、人間の脳が作り出す幻かもしれない。

今の世のカオス、コロナや不正選挙やNWOへ向けた横暴も、人々があいつらにされてきたことに気づいて、自分というものを取り戻して支配から抜けるための過程と見ることができる。
「疑わずに従うばかりだったのをやめる」、というチャンスだ。

だから、自分がよいと思う注意喚起、情報収集、発信して、自分がなっとくしたらそれでいいのよ。
(したくない気分ならしなくていいのよ。)
あとはみなさんがどう思うか、どう選択するかだから。
自分の幸せに戻ってね♡
それがいちばん強力なあいつら退治だ♪


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