まじめな方へ
残酷な真実が判明したとしても、自分の体に大変なことが起きてしまったとしても、
それでも受け入れる。
家族に打たせて、家族がそうなってしまったとしても受け入れる。
責めない。自分のことも他人のことも。
(この状況をつくった国には物申すべきと考える)
これから世の中カオスだとおそろしくなっても、
そのなかでなるべく無難にしていくだけさと現状を受け入れる。
狂った世の中なんだと受け入れる。
今は戦争中と同じなんだ。
扇動されてみずから命を縮める選択をするなんてまさに戦争だ。
受け入れるとはOKすることだ。
だって、自由なんだもん。
自分で選択して決めていいんだもん。
なぜならその結果は自分が引き受けることになるから。
つねにみんな、自分の選択の結果を引き受けている。
だからそれでいいんだ。
自分で自分を責めるな。
すでに結果として起きたことを、今引き受けている。
たぶん身もだえながら。
だからこれでもういい。
それ以上に自分で自分を罰しなくていい。
しかたなかった。完璧な人はいない。
えらそうに言ってるわたしもバカなひとりの人間だ。
家族に打たせて大変なことになったとしても、その方は、自分で判断できず、あなたに判断と選択を頼んだ。
自分に関する判断を他者にお任せしたのもその人だ。
だからもうしょうがなかった。
お任せしたのなら、判断した人を責められない。
結果は残念でも。だからそこはもういいと。
自分を責めていると、他人を責める。
他人を責めている人は、じつは自分を責めている。
こういう心のカラクリがあるんだ。
ぜひそんなときのご自分の心を観察してみてほしい。
自分と他人を行き来して責めていると思うんだ。
これはやめていいの。
自然に責める気持ちになるなら感じ切ってあげる。楽になるまで。
私は一応、言う。あぶないぞと。命かかっていれば。
でも相手が選択して、苦しい結果になったとしても
「しょうがなかった。
そうかそうか。」
と思っている。
自分が面倒を見なければならない事態になる可能性も考えたうえで、受け入れている。
おばさんは大人になりました。
そのときそのときで、ベストな対応をしていくだけだ。
しかし言うことで、責められるのも当たり前だと思っている。
相手の選択を認めているとはいえ、
言ってほしくない人に言うという時点でも、相手の選択に入っているからな。
だから本当に近しい人にしか言わないけど。
真実とは、残酷なものだ。
— 丸顔おばさん (@marugao666) August 6, 2022
嫌がられても言わないわけにはいかないし、
言いながら、相手の選択を認める。
言った私の選択も認める。
どんな結果も受け入れる。
どんな地獄も受け入れる。
私は言いつづけるけれど、あなたの自由だよと言いながら。
この元ファイザーの方↓もお父様とつかみ合いまでして伝えたそうだ。
元ファイザー職員の暴露動画
— ルパン小僧🍑💍kuu331108 (@kuu331108) August 3, 2022
定期的にリツイ👍⚠️https://t.co/0ilmJBRyZa pic.twitter.com/EI8uhrquv3
日本全国でこういうことが起きていると思われる。
あぁ、そうか。
— 丸顔おばさん (@marugao666) August 6, 2022
今まで言われるがまま自動的に反応してきたなら、
今さらやめられない。
立ち止まってその意味や必要性を考えると、こわくなってしまう。
こういう心理も、あると思うんだ。
だからケンカ腰では言わない。そして簡潔に言ったらすぐやめる。
おばさんは引くのが上手だ。
ただしネチネチ?w根気強く、何度も言いつづける。ブログも書く。
情報は更新されるんでね。情報を流さないことにはしょうがないんでね。
これがおばさん式だ。
おばさんは持久力が、ある。そしてあまりたたかわない。
そして、年の功により、少しズルい。
無責任に見える人ほど、
— 丸顔おばさん (@marugao666) August 6, 2022
じつは罪悪感が強いんだ。
罪悪感もある。
責めていると、そのうち耐えられなくなってしまうだろう。
するとみずから崩壊させてしまうだろう。
まじめな方は、たいてい、責任を過剰に考えている。
家族全員の責任をしょいこんでいたりする。
だから罪悪感も不当に植え付けられている。
でも、その過剰にしょいこんだ責任を家族に返すことをしないと、家族はだめになっていく。自立しないから。
おこさんなら、引きこもりにもなりやすい。
家族の起こることも、「俺に判断を一任したんだから、しょうがねぇんだ」、くらいの気持ちでいなはれ。
そしてこれからは、判断できる家族には自分で判断させる。
それが相手に責任を返してあげると言うことだ。
相手を個人として尊重し、育てるということだ。
自分自身も過剰な責任や罪悪感から解放されて、楽になる。家族も自立、成長する。
だれかの我慢のうえに家族を支えるしかないんだというのは幻想だ。
若い方は不妊のリスクもある。
女性だけでなく男性にもなにか起きているそうだ。
自分の細胞を変えてしまうことの意味を考えてほしい。
人間の遺伝子を変えてしまうかもしれないことのリスクを。
情報を与えて、自分で判断させる。軽く命令して打たせないでほしい。
私はおばさんになって、自分の生まれた家以外のお家の雰囲気を知る機会に恵まれた。
どんな結果でも受け入れるのが上手なお家と、
どこまででも責めちゃうお家と、あるのね。
責めちゃうお家はよく争うの。
自分責めてるから、相手になにか言われたら、すぐ責められたと受け取るから、
うるせーだまれという感じになる。
しかしな、苦しいときほど、受け入れるってことが楽になる秘訣だ。
「そうかそうか。そのときの自分はそれがいいと思って選択したんだって。
しょうがなかった。」
これを自分の気が済むまでやるんだ。
一方で、受け入れるのが上手なお家は責めないから、のんきで仲がよく平和で居心地がいいんだけど、
危機管理が甘いと誰も警鐘を鳴らしてあげる人がいないってこともある。
だから警鐘はならしてあげて、
あとはひとりひとりのどんな選択もどんな結果も受け入れるっていうのがいいかなと最近思う。
「そうかそうか。しょうがなかったんだ。それがいいと思って選択したんだ」って。
自分自身も、相手も。
それをやって心が落ち着いてきてはじめて、過去の選択の意味と向き合ったり、
これからどうしようか、と考える気になる。自然にそうなるの。
受け入れることをしないで、
頭だけで自分や他人を責めながら考えても、
みんなで協力しあうような建設的な考えは浮かばないんだ。
ますます家族と分断されていくだけだ。
はっきり言って、これから起こることを考えれば、
みんなで質のいいコミュニケーションをとりながら、協力しあって乗り切っていかなければもたないぞ。
でもな、こうできたとき、愛が通うから、苦しくなっても協力できたならば幸せかもしれない。
それには、まず、どんな選択も、どんな結果も受け入れる。
そうかそうか。
そうしたかったんだ。
わたしに判断を一任していたなら、その結果も受け入れてなって。
ご自分とその方への愛をもって。