ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

公共の図書館と言論の自由

2005年07月14日 | 教育・文化

つくる会などの著書、図書館で廃棄は違法…最高裁判決 (読売新聞) - goo ニュース

「新しい歴史教科書をつくる会」に属する西尾幹二氏や井沢元彦氏、岡崎久彦氏ら著者たちらの著書を廃棄した公共図書館の女性司書に対する損害賠償を求める裁判が、最高裁であった。ニュースによると、

>最高裁第一小法廷(横尾和子裁判長)は14日、「公立図書館は住民のほか著者にとっても公的な場で、著者には思想や意見を伝えるという法的に保護される利益がある」との初判断を示した。「職員の独断的な評価や個人的な好みで著書を廃棄することは、著者の利益を不当に損なうものだ」として、つくる会側の主張を退けた二審・東京高裁判決を破棄。審理を同高裁に差し戻した。

 第一小法廷は、著者の思想の自由や表現の自由が憲法で保障された基本的人権であることを重視。「著者が意見などを伝える利益は、法的保護に値する人格的利益だ」と位置づけ、「図書の廃棄は著者の人格的利益を侵害し、違法」と結論づけた。(朝日新聞) 7月14日 (木) 11:48  <

と言うことである。

きわめて妥当な判決であると考える。このニュースによって、一審の東京地裁や二審の東京高裁の判決を知ったのだが、それにしても、高裁や地裁の裁判官たちの「言論と思想の自由」に対する感度の鈍さには驚かされる。

 

最高裁の横尾和子裁判官の上記の記事で明らかにした「公立図書館は住民のほか著者にとっても公的な場で、著者には思想や意見を伝えるという法的に保護される利益がある」「図書の廃棄は著者の人格的利益を侵害し、違法」という判断は、きわめて妥当なものであると考える。

 

言論の自由は、人間の自由についての権利義務の中で、最たるものであると言える。とくに、公共機関においては、人権を侵害する言論以外は、特定の思想信条にかかわりなく、出来うるかぎり公平に、その発表の機会と閲覧の機会が提供されるべきである。

 

公共図書館の職員個人の価値観、好き嫌い、思想信条によって、閲覧に供すべき図書を取捨選択することは、情報の閉鎖につながる。もっとも大切なことは、言論の自由であり、情報の開示である。真理というのは、あらゆる情報の中から浮かび上がってくるものであって、物事に対する判断材料になる知識や情報の量が多くなるほど、その判断の真理の度合いが高まる。

 

この船橋市立西図書館の女性司書は、自分の思想を相対化することが出来なかったのだろう。相対化することが出来ないということは、盲目的、狂信的に信奉することにつながる。

彼女は自分の思想に反対する思想を、その著作を単に廃棄するることによって批判したつもりになったのかも知れない。しかし、たとい自己の思想に敵対する思想があったとしても、真の批判はそんなことによって実行されるのではない。むしろ、それは自分の思想に対する自信のなさの現れである。

真の批判は、敵対する思想を、自己の思想の一部として消化し克服することによって実現するのである。これをアウフヘーベンと言う。

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 議論の仕方 | トップ | 民主主義の人間観と倫理観──... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

教育・文化」カテゴリの最新記事