朔太郎の気楽な一日

ミニチュアダックスフンドの朔太郎です。よろぴく!

確固たる信念はないものの

2025年02月09日 | 黒革の手帳

昨日のK新聞の新刊紹介コーナーコラムの中で、管理人も以前から答えが見出せぬ問題の

哲学書が紹介されていました。「万人のための哲学入門」草思社1430円。

「生きるとは?」「死ぬとは?」・・答えを導き出せないままでいる。

「あなたも私も死にます」という事実。みんな死の軽験がないので悩んでいる。

お坊さんは見たことも、行ったこともないお浄土へ行きますと言う。そんなことわからん。

いずれは死ぬらしいがどうすればいいか?時々考えてみたり、忘れたり、忘れる。

自殺はあかん。死ぬなと言われる。心や体が疲れてる人に、まずは生きてくださいと言う。

管理人も70歳を超え心筋梗塞も経験すると、死を念頭に置きながら生き続けてる。

新聞に載る他人の死を横目に見ながら、次は自分かなと思ってしまう。

私の死を確認するのは必ず他者である。生まれるにしても死ぬにしても

理不尽な仕組みである。

空海さんも生まれ生まれ生まれて 生のはじめに暗く

死に死に死に死の終わりに暗しとおっしゃっている。(秘蔵法鑰)

私はどこから生まれどこへ死んでいくのか

生まれるとは何か、死とは何かといういい大事を、人はなおざりにして何も考えずに

人生を送っている 1200年前からおっしゃている。

一度書店へ行ってこの本を見てみよう、いや、いつでも読めるように

買ってもいいか・・・

かなり新聞掲載を転載させていただきましたが、文責は管理人です。


生きてます

2019年02月04日 | 黒革の手帳

こんなん見ながら過ごさせていただいてます。

長いこと更新しないですみません。正月からの疲れが1月末頃に体調を崩し、

点滴も打ちながらようやく立春を迎えました。

つらつら思いますのに・・・

人間は生きていたいと思うのが根底に流れていて、どう生きたいとか、何の為生きたいのか

避けて通ろうとしてるような・・・

楽が好きでどうしようもないと気づかせてくれるもの

そんな原点になるもの・・・

人との出会い、書物との出会い。生涯一人の師匠を持ちなさい、

そう言われた先生の年齢になってみても

未だにもがいている・・・そんな立春です。

 


老いる

2013年01月07日 | 黒革の手帳
生きていると老いてくる。
幼い命も交通事故で亡くなることもある。

次は自分の番だと誰も思いたくないから、
そのことに触れようともしない。
縁起が悪いと口にしない。

どんなことでも命にかかわることと思えば、
老いることに命がけで戦う?
いや愛して行こう。共に歩いて行こう。

と想う。

命を守る

2012年01月27日 | 黒革の手帳
熊平さんの「抜萃のつづり」をいただきました。
≪命は、命と命の間からしか生まれない≫という法則があるが、
≪人の命は守られてこそ繋がる≫という大原則も見逃すことは
できない。
≪命を守り抜いてきた長い長い繋がり、
危うい命を損なわぬように守って守って繋いできた力強い連なり≫
これこそが先祖代々ではないのかと思う。

一本の電話から

2011年10月18日 | 黒革の手帳
「もしもし、東京国立博物館に出陳されてた・・人の悪口を
言うなとか・・・なんでしたっけ?」

と何でも自分で調べずに聞いてこられます。

こちらもウル覚えで、後から連絡しますと
待つことしばし。。。

「崔子玉座右の銘」

「人の短を言うことなかれ、己の長を説くことなかれ」
 
 (他人の短所や過失、不得手な事を言ってはならない。)
 (自分の長所や手柄話をして自慢をしてはならない。)

ここまではウル覚えで何とかわかってたんですが
続きは知りませんでした・・情けない
人に貸した金は覚えているが、人から借りた金は忘れると
いった表現は良く使うんですが・・・


「人に施しては謹んで思うことなかれ、施しを受けては謹んで忘れることなかれ」

 (他人に施与したり、世話をしたことは口に出さず、心の中に思ってはならない。)  (他人より施与をうけたり、世話になったことは決して忘れてはならない。)

写真は本文と関係ありません。



雨に思う

2011年05月29日 | 黒革の手帳
「信心というのは、
どこかよくわからないところにみえる仏様を信ずることではないのです。
この自分をどこまで深く信ずることができるのか、
この自分をどこまで深く愛することができるのか、
ということなのです。」と、宮城先生は申されます。


思い出して欲しいもの

2011年03月26日 | 黒革の手帳
「人間生きていくために、いつも生きることを教えてくれたひとを思い出さなくてはいけない。」

管理人は葬儀やお逮夜の読経のあと「死者から学んで欲しい」・・・という意味の
短い話をしてきました。それを後押ししていただいてると思える、2011年3月26日付け日経新聞朝刊の藤本義一氏のコラムでした。
お手元にあれば是非一読を・・・

黙祷

2011年03月16日 | 黒革の手帳
昨日は醍醐寺さんで、今日は永観堂さんで
東日本大震災でお亡くなりになった方々の黙祷を捧げてきました。

永観堂さんの法話で
亡くなった方々を代受苦者と呼ぶとおっしゃった。

代受苦者:他人に代わって苦しみを受けるひと
大悲代受苦:菩薩が大慈悲心によって、衆生に代わって地獄の苦しみを受けること

また、七七日忌(四十九日、忌明け)までは涙を流しても構いません。
百ヶ日は卒哭忌と言って嘆きから立ち直る日との法話。

当たり前のことがわからない

2010年12月24日 | 黒革の手帳


我々が満足できるようなものはこの世間にはないんだと
いうことさえはっきりしておけば、そんなに目の色を変えて
求めなくてもいいのです。

~仲野良俊先生の言葉からです・・・

他人を羨ましがる人ほど情けない人間はいないと思います。
なぜかというと、いくら羨ましがってもその人にはなれません。
むだな努力です。あの人のようになればいいなと、100ぺん
考えたって、そんなものなれはしません。
ただ自分の心を暗くするだけです。「あの人はいい」ということは、
裏を返せば自分はつまらんということでしょう。
情けない、世界に二人といないこの自分でしょう。
天下一品ですわ。

この大事な自分が気に入らなくてどうします。
人を羨ましがっているのは孤立者です。
私が私でこれでよかった、それが独立者です。

煩悩の実演

2010年10月01日 | 黒革の手帳
※「根は八百屋、花は花屋で、葉は味噌」
蓮~蓮根のことでこれは
貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)がみんな
変わるということの喩え。
信心により貪(むさぼり)は清浄、瞋(いかり)は歓喜
愚痴は智慧に転じて、何一つ無駄がない事。

※愚痴は煩悩の一番底
 (愚痴は煩悩の根)
仏壇の花は根が切ってあるわね。
放っておけば枯れる・・・成仏するんですわ。
根が切れていれば業をおこさん
根があると花が咲き実を結ぶように流転は尽きませんわ。
縁があれば煩悩はおこるもので、放っておけばいいのです(笑)

いつも言っておられました。
※「立派な農家を営むことが大事です。
多く収穫をしょうとするから、いくら獲れても
不足が出る。
「米をとろうと思うな。立派なイネを作れ。」
それは立派な農業を営めということです。

※「煩悩があってこそ智慧(信心)が要る。」
野菜も魚もないのに包丁は要らない。
材料がなければ、また料理をしないから
包丁はいらない。錆びるだけ。
煩悩の始末をつけるのは智慧です。

※「数珠の百八つのこと」
お数珠を手に掛けるのは
煩悩を手にかけて仏の前に差し出す。
つまり仏様の前へみんな投げ出す
それが拝むということです。
拝むと心が軽くなるんです。