昨日幼友達から聞かれたことに
子供が病気のときに神仏を拝んだ
それって・・・
自分から拝んでたつもりが拝まれてた・・・
回向・・・とか、
(偉そうに)みんな捨て去ることや・・・
門徒さんやから
下記の歎異抄からの言葉がヒントになるように思います。
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、
そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことに
ておわします、とこそ(親鸞聖人の)おおせはそうらいしか。(歎異抄・後序)
〈わたし〉を否定するとは、親鸞にとっては、具体的には“師”とならない、
ということでした。つまり、自我を喜ばすようなものは“捨てる”ということで
す。また、〈社会〉を否定するとは、具体的には“教団”を“捨てる”というこ
とでした。親鸞は、この世での評価など見向きもしなかったのです。
仏との対話だけの生活、信仰だけに生きて、〈わたし〉も〈社会〉も捨てる、
厳しい生活です。わたしは、「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」という言葉に、
人には決して媚びない親鸞の、孤高の精神を感じます。
親鸞、僧の儀を改め俗名を賜う。仍って僧に非ず、俗に非ず。然る間、禿の字を以て姓となす。
奏問経られ了わんぬ。彼の御申し状は、今も外記庁に納まると云々。流罪以後、愚禿親鸞と
書かしめ給う也。 (歎異抄・流罪記録)
僧に非ず、俗に非ず、とは、泥にまみれ、ひょっとしたら庶民よりも貧しい生
活をしているかもしれないが、わたしは、庶民(世間の人たち)が価値とするよ
うな、地位や名誉に縛られている訳ではない、との親鸞の宣言なのでしょう。わ
たしは、ここに仏教徒としての生活の原型を見るように思います。今日、明日の
生活に汲々としていても、生活に心労することはない、と。サラリーマンのわた
しも、足下にも及ばぬとはいえ、見習いたいと思っています。
このような、親鸞の厳しい求道精神を見ても、わたしたちは、親鸞についてま
いります、と言えるものでしょうか。安逸な生活に流され、それでも不平不満が
絶えないわたしたちのようなものに、親鸞という存在は、あたかも、肥満した白
い脇腹に匕首が触れるような“危険性”を感じるのではないでしょうか。
教化活動に人生の生き甲斐を見いだし、その成果、すなわち念仏者の数を数え
て喜ぶというような趣味は、親鸞にはなかったということでしょう。人生に何の
期待するものもなく、また、生きた証に執することもない、すべてを“捨て”き
って生きる凄まじい生きざまに、わたしはとてもついていけない、と告白せざ
るをえません。
大乗仏教の根本的な立場
さて、仏教は、〈無我〉を理屈としてではなく、体験的に理解(体得)する教
えですから、どこかで〈無我〉を体験しなくてはなりませんが、歎異抄では、
その宗教的な体験を回心(えしん)と呼んで、説明してくれています。
一向専修のひとにおいては、回心ということ、ただひとたびあるべし。
その回心は、日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、弥陀の智慧をたまわりて、
日ごろのこころにては、往生かなうべからずとおもいて、
もとのこころをひきかえて、本願をたのみまいらするをこそ、回心とはもうしそうらえ。
(歎異抄・第16章)
日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、とは、たとえ20年間、聞法していても、
信心獲得の体験がなければ、それは「真宗をしらざるひと」です。厳しい教えで
はないでしょうか。「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず」(第1章)
ともいい、聞法の経験年数や、男女、僧籍にあるなし、一切関係がないというの
です。それは、会社でいえば、年功序列など一切関係がない、実績だけが勝負だ
という危険、過激な経営思想とでもいうべきものです。
また、もとのこころをひきかえて、本願をたのみまいらする、とありますが、
この「もとのこころ」とは、わたしたちが、日頃頼みとしているところの自分の
心、すなわち“自我意識”のことです。この自我を「ひきかえて」回心(えしん)
しと言っているのです。しかし、この自我がなかなか解体できないのでしょう。
釈尊は、「君たちが苦しんでいるのは、その根本原因は“我執”ゆえだ、
“自我の執(とら)われ”からである」と説かれた。
ところが、その自我は「五蘊無我」といって、「色(肉体)・受、想、行、識(精神)
という構成要素(五蘊)が、かりに和合(仮和合)して、自我というものを形づくっているにすぎない。
それなのに、そのありもしない(非実体・無自性)自我に執われて、迷っているのは愚かではないか」
と説かれたのである。それこそが、釈尊の説かれた仏教であった。
秋月龍著「間違いだらけの仏教」(柏樹社)
日頃の心ではあかんのやとおっしゃってます。
下げる頭 から
下がる頭 さらに
上がらぬ頭 へ これが回心 厳しいぞ!!
子供が病気のときに神仏を拝んだ
それって・・・
自分から拝んでたつもりが拝まれてた・・・
回向・・・とか、
(偉そうに)みんな捨て去ることや・・・
門徒さんやから
下記の歎異抄からの言葉がヒントになるように思います。
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、
そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことに
ておわします、とこそ(親鸞聖人の)おおせはそうらいしか。(歎異抄・後序)
〈わたし〉を否定するとは、親鸞にとっては、具体的には“師”とならない、
ということでした。つまり、自我を喜ばすようなものは“捨てる”ということで
す。また、〈社会〉を否定するとは、具体的には“教団”を“捨てる”というこ
とでした。親鸞は、この世での評価など見向きもしなかったのです。
仏との対話だけの生活、信仰だけに生きて、〈わたし〉も〈社会〉も捨てる、
厳しい生活です。わたしは、「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」という言葉に、
人には決して媚びない親鸞の、孤高の精神を感じます。
親鸞、僧の儀を改め俗名を賜う。仍って僧に非ず、俗に非ず。然る間、禿の字を以て姓となす。
奏問経られ了わんぬ。彼の御申し状は、今も外記庁に納まると云々。流罪以後、愚禿親鸞と
書かしめ給う也。 (歎異抄・流罪記録)
僧に非ず、俗に非ず、とは、泥にまみれ、ひょっとしたら庶民よりも貧しい生
活をしているかもしれないが、わたしは、庶民(世間の人たち)が価値とするよ
うな、地位や名誉に縛られている訳ではない、との親鸞の宣言なのでしょう。わ
たしは、ここに仏教徒としての生活の原型を見るように思います。今日、明日の
生活に汲々としていても、生活に心労することはない、と。サラリーマンのわた
しも、足下にも及ばぬとはいえ、見習いたいと思っています。
このような、親鸞の厳しい求道精神を見ても、わたしたちは、親鸞についてま
いります、と言えるものでしょうか。安逸な生活に流され、それでも不平不満が
絶えないわたしたちのようなものに、親鸞という存在は、あたかも、肥満した白
い脇腹に匕首が触れるような“危険性”を感じるのではないでしょうか。
教化活動に人生の生き甲斐を見いだし、その成果、すなわち念仏者の数を数え
て喜ぶというような趣味は、親鸞にはなかったということでしょう。人生に何の
期待するものもなく、また、生きた証に執することもない、すべてを“捨て”き
って生きる凄まじい生きざまに、わたしはとてもついていけない、と告白せざ
るをえません。
大乗仏教の根本的な立場
さて、仏教は、〈無我〉を理屈としてではなく、体験的に理解(体得)する教
えですから、どこかで〈無我〉を体験しなくてはなりませんが、歎異抄では、
その宗教的な体験を回心(えしん)と呼んで、説明してくれています。
一向専修のひとにおいては、回心ということ、ただひとたびあるべし。
その回心は、日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、弥陀の智慧をたまわりて、
日ごろのこころにては、往生かなうべからずとおもいて、
もとのこころをひきかえて、本願をたのみまいらするをこそ、回心とはもうしそうらえ。
(歎異抄・第16章)
日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、とは、たとえ20年間、聞法していても、
信心獲得の体験がなければ、それは「真宗をしらざるひと」です。厳しい教えで
はないでしょうか。「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず」(第1章)
ともいい、聞法の経験年数や、男女、僧籍にあるなし、一切関係がないというの
です。それは、会社でいえば、年功序列など一切関係がない、実績だけが勝負だ
という危険、過激な経営思想とでもいうべきものです。
また、もとのこころをひきかえて、本願をたのみまいらする、とありますが、
この「もとのこころ」とは、わたしたちが、日頃頼みとしているところの自分の
心、すなわち“自我意識”のことです。この自我を「ひきかえて」回心(えしん)
しと言っているのです。しかし、この自我がなかなか解体できないのでしょう。
釈尊は、「君たちが苦しんでいるのは、その根本原因は“我執”ゆえだ、
“自我の執(とら)われ”からである」と説かれた。
ところが、その自我は「五蘊無我」といって、「色(肉体)・受、想、行、識(精神)
という構成要素(五蘊)が、かりに和合(仮和合)して、自我というものを形づくっているにすぎない。
それなのに、そのありもしない(非実体・無自性)自我に執われて、迷っているのは愚かではないか」
と説かれたのである。それこそが、釈尊の説かれた仏教であった。
秋月龍著「間違いだらけの仏教」(柏樹社)
日頃の心ではあかんのやとおっしゃってます。
下げる頭 から
下がる頭 さらに
上がらぬ頭 へ これが回心 厳しいぞ!!
「日本基督教会」の方々による
人権演劇「荒野の40日」
自分では気が付かずに、世の為人の為と思ってしていたことが
差別をしていたと気が付いた牧師さんが、教会で伝道できなくなるくらい
周囲からあれこれ言われ、そこから立ち向かう劇
どうすれば理解してもらえるのか?
差別意識があることを認めながら一緒に考えていく。
差別も陰湿になりつつある現実です。
今日はここまで。
人権演劇「荒野の40日」
自分では気が付かずに、世の為人の為と思ってしていたことが
差別をしていたと気が付いた牧師さんが、教会で伝道できなくなるくらい
周囲からあれこれ言われ、そこから立ち向かう劇
どうすれば理解してもらえるのか?
差別意識があることを認めながら一緒に考えていく。
差別も陰湿になりつつある現実です。
今日はここまで。
久しぶりの更新です。
金毛茶会が東寺でありました。
半年前から打ち合わせ、1月前、1週間前と
打ち合わせ。
以前お世話になったHさんの会場使用のお願いですから、
上司とも折衝させていただき
本日600名のお客さんが香席と長生庵さんの
お茶を楽しんでいただきました。
早朝からの準備も終え、10時には人も増えてきました。
そこへ35年ぶりにお会いした奥様と目が合い
双方歩み寄り、しばらく言葉がありませんでした。
私は大恩有る前社長さんに大学卒業後
行く当てない奴を拾って下さり、食事つきで働かせて
いただいてたのに・・・若気の至りか?
私は小指で会社を辞めてしまいました。まさしく
恩を仇で返して去っていった奴です。
お葬式に参列させていただきましたが、
心晴れぬままでした。
罪滅ぼしの意味をこめて、Hさんの為にもお茶会を
今回東寺でやらせていただき、責任を感じていたところへ
お世話になった奥様に偶然お会いでき、
「お互い年をとりましたねぇ」と頭をなでていただき、
やっと、私の口から「その節の無礼を申し訳ございません」
とお詫びし、「こうしてHさんお為にも、お力添えさせていただくのが
大恩ある前社長さんへの万分の一の恩返しです」とやっと
言うことができました。すると入社当時の厳しかった奥様がよみがえって
きて、恥ずかしながら・・・小生の目頭がウルウル来てしまいました。
空海さまの言葉に、心が通じ合えば、離れていても旧知の仲となれる。会って繕うことでだけでなく、会わずしても通ずるレベル。一瞬にして敬意を伝える慎み深さを日々鍛練すべきです…
『意通すれば、即ち傾蓋の遇なり』を少し味わいさせていただいたような・・・
でも、奥様のほうが一枚上のお方でした。
金毛茶会が終わってからも沢山の皆さんにお礼を言われたけど
返って小生のほうが大きな御利益をいただいき、まさしく秋晴れ
の気持ちにさせていただきました。
金毛茶会が東寺でありました。
半年前から打ち合わせ、1月前、1週間前と
打ち合わせ。
以前お世話になったHさんの会場使用のお願いですから、
上司とも折衝させていただき
本日600名のお客さんが香席と長生庵さんの
お茶を楽しんでいただきました。
早朝からの準備も終え、10時には人も増えてきました。
そこへ35年ぶりにお会いした奥様と目が合い
双方歩み寄り、しばらく言葉がありませんでした。
私は大恩有る前社長さんに大学卒業後
行く当てない奴を拾って下さり、食事つきで働かせて
いただいてたのに・・・若気の至りか?
私は小指で会社を辞めてしまいました。まさしく
恩を仇で返して去っていった奴です。
お葬式に参列させていただきましたが、
心晴れぬままでした。
罪滅ぼしの意味をこめて、Hさんの為にもお茶会を
今回東寺でやらせていただき、責任を感じていたところへ
お世話になった奥様に偶然お会いでき、
「お互い年をとりましたねぇ」と頭をなでていただき、
やっと、私の口から「その節の無礼を申し訳ございません」
とお詫びし、「こうしてHさんお為にも、お力添えさせていただくのが
大恩ある前社長さんへの万分の一の恩返しです」とやっと
言うことができました。すると入社当時の厳しかった奥様がよみがえって
きて、恥ずかしながら・・・小生の目頭がウルウル来てしまいました。
空海さまの言葉に、心が通じ合えば、離れていても旧知の仲となれる。会って繕うことでだけでなく、会わずしても通ずるレベル。一瞬にして敬意を伝える慎み深さを日々鍛練すべきです…
『意通すれば、即ち傾蓋の遇なり』を少し味わいさせていただいたような・・・
でも、奥様のほうが一枚上のお方でした。
金毛茶会が終わってからも沢山の皆さんにお礼を言われたけど
返って小生のほうが大きな御利益をいただいき、まさしく秋晴れ
の気持ちにさせていただきました。