日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

 神に従うか人に従うか 

2010-09-09 | Weblog
  使徒言行録第4章
  
  12節「 この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」(口語訳)

  ペンチコステ以後弟子たちの宣教は大きく進展する。殊にペトロの二回に亘るた説教は、旧約聖書を引用してメシヤ預言の成就とその救いの出来事を語るものであった(2章14~36節、3章12~26節)。この時更に男の数五千人にもなっている。
   これに対し危機感を抱いた「祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々」はペトロとヨハネを捕えて一晩牢に入れた(2~3節)。サドカイ派は天使とか奇跡とか復活を信じない現実主義で、国の安定を図る親ローマ派、神殿守衛長は神殿警察の長でサドカイ派が多かった。彼らは社会不安が自分たちの地位を脅かすと思ったからだ。
   これに対してペトロは短い説教をしている(8~12節)。それは何の権威で、だれの名でしたかという詰問に対する弁明であった。ペトロは、四十年足の不自由な男が「イエス・キリストの名によって立ちあがり」歩きだしたこと、そして「わたしたちの救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていない」と告げた(12節)。この証言は彼の実体験である。「救い」には定冠詞がついていて唯一の救いを表わす。
   ユダヤ教徒の中にある様々な派閥・サドカイ派、ファリサイ派、エッセネ派には救いは無い。これは今日のキリスト教会のマグナカルタに匹敵する。
この説教で三様の反応があった。先ず「大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚いた」(13節)。教育を受けていない人だという。
   第二は、「イエスと一緒にいた者である」という。これはイエスと同じ考え、生き方をする者たち、イエスを主と告白している証拠となる。第三は、イエスの名で癒された体験者が傍に立っていたので反論できなかった(14節)。
  この大胆な宣教の姿勢は「あの名によってだれにも、決して(否定的命令形)、話すな(大声で)と脅しておこう」との脅迫でも変えることは出来なかった(17節)。
  ペトロらは「神に従わないで、あなたがたに従うことが神の前に正しいかどうか、考えて下さい」と一蹴する(19節)。「あなたがたに従うこと」とは71人の議員で構成する最高法院の権威を指す。
  燎原の火の如く使徒たちの宣教に対する熱情は消すことは出来なかった。それは「聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出した」と記されている通りである。

   神の祝福か、人間的な安定かの二者択一という決断をキリスト者は迫られるのである。申命記30章19~20節、エレミヤ6章16節が示される。