使徒言行録第10章
43節「イエスに付いて、この方を信じる者はだれもその名によって罪の赦しが受けられる」(新共同訳)
サウロ回心後、初代エルサレム教会の宣教が発展していったことが9章31節から知ることができる。そこに「…教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」とある。そして宣教は使徒ペトロを中心に12章まで出てくる。
「カイサリアにコルネリウスという人がいた」(1節)。彼は「『イタリヤ隊』と呼ばれる部隊の百人隊長」であり、一家挙げてユダヤ教に熱心で、民に多くの施しをする祈りの人物であった(2節)。ある日、三時の祈りの時天使から「ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、革なめし職人シモンという人の客になっている」との指示を受け、二人の召使と側近の部下をヤッファに送った(5~7節)。
一行が翌日ヤッファに近づいた頃、ペトロは12時頃祈るために屋上に上がった。空腹を覚えて何か食べたいと思っていると、天からつるされた入れ物に「あらゆる獣、地を遣うもの、空の鳥」が入っている不思議な幻を見た(11節)主は「身を起こし、屠って食べなさい」と彼にいう(13節)。
彼はそれを見て「主よ、とんでのないことです。清くない物、汚れた物は何ひとつ食べたことはありません」と答える(14節)。神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならないという言葉が返ってきた(15節)。これが三度繰り返された。「清くない物、汚れた物」とは、レビ記11章の規定による。献げ物として相応しいかどうかという律法的基準であった。
「神が清めた物を、清くないないとなどと言ってはならない」と諭される(15)節。幻の中でのこの会話は、イエスと交わされたものである(13~15節)。福音書でイエスは既に答えを示しておられる(マルコ7章18~20節)。
折しも階下から「ペトロと呼ばれるシモンという方がここに泊まっておられますか」と来客の声がした。聖霊はペトロを促し「立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこした」と告げた(20節)。ここで初めてペトロは幻の意味を理解した。三人の使者に従いコルネリウスの家に行って集まっている人々の前で「ユダヤ人が外国人と交際したり、…訪問したりすることは、律法で禁じられています。…神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とかいってはならない」と示されたと告げた(28節)。
これはイエスの福音に生かされる者は、いかなる立場の者でも、律法の枠を超えて共に食事をすることを証する出来事となった。
「イエスに付いて、この方を信じる者はだれもその名によって罪の赦しが受けられる」(43節)のである。
ペトロが福音を語り続けていると、そこに集まっていた人々の上に聖霊が降り(44節)、また異言を語り、賛美するのを見てペンテコステの再現となったのである(45~46節)。これは「カイサリアのペンテコステ」と呼ばれる。
43節「イエスに付いて、この方を信じる者はだれもその名によって罪の赦しが受けられる」(新共同訳)
サウロ回心後、初代エルサレム教会の宣教が発展していったことが9章31節から知ることができる。そこに「…教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」とある。そして宣教は使徒ペトロを中心に12章まで出てくる。
「カイサリアにコルネリウスという人がいた」(1節)。彼は「『イタリヤ隊』と呼ばれる部隊の百人隊長」であり、一家挙げてユダヤ教に熱心で、民に多くの施しをする祈りの人物であった(2節)。ある日、三時の祈りの時天使から「ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、革なめし職人シモンという人の客になっている」との指示を受け、二人の召使と側近の部下をヤッファに送った(5~7節)。
一行が翌日ヤッファに近づいた頃、ペトロは12時頃祈るために屋上に上がった。空腹を覚えて何か食べたいと思っていると、天からつるされた入れ物に「あらゆる獣、地を遣うもの、空の鳥」が入っている不思議な幻を見た(11節)主は「身を起こし、屠って食べなさい」と彼にいう(13節)。
彼はそれを見て「主よ、とんでのないことです。清くない物、汚れた物は何ひとつ食べたことはありません」と答える(14節)。神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならないという言葉が返ってきた(15節)。これが三度繰り返された。「清くない物、汚れた物」とは、レビ記11章の規定による。献げ物として相応しいかどうかという律法的基準であった。
「神が清めた物を、清くないないとなどと言ってはならない」と諭される(15)節。幻の中でのこの会話は、イエスと交わされたものである(13~15節)。福音書でイエスは既に答えを示しておられる(マルコ7章18~20節)。
折しも階下から「ペトロと呼ばれるシモンという方がここに泊まっておられますか」と来客の声がした。聖霊はペトロを促し「立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこした」と告げた(20節)。ここで初めてペトロは幻の意味を理解した。三人の使者に従いコルネリウスの家に行って集まっている人々の前で「ユダヤ人が外国人と交際したり、…訪問したりすることは、律法で禁じられています。…神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とかいってはならない」と示されたと告げた(28節)。
これはイエスの福音に生かされる者は、いかなる立場の者でも、律法の枠を超えて共に食事をすることを証する出来事となった。
「イエスに付いて、この方を信じる者はだれもその名によって罪の赦しが受けられる」(43節)のである。
ペトロが福音を語り続けていると、そこに集まっていた人々の上に聖霊が降り(44節)、また異言を語り、賛美するのを見てペンテコステの再現となったのである(45~46節)。これは「カイサリアのペンテコステ」と呼ばれる。